【短編】熊井くんの友達

ぐぅ先

第1話

熊井くまいくん、大丈夫かなー……」


 家の前に立っているのは「漁岡いさおか睦男むつお」という学生(「高等学校の生徒」の略。短大生・大学生等ではない)である。

 漁岡は先週から不登校となっているクラスメイト「熊井くまいとおる」の様子を見に、彼の家にやって来たのだ。


 不登校の原因を断定できるわけではないが、漁岡は「いじめ」だろうと考察していた。というのも、熊井がある生徒に目をつけられて、苦しい思いをしているという話を聞いたことがあるからだ。

 ある時は昼食やオヤツを買ってこいと命令するパシリ、ある時は背中から近づいて蹴り飛ばし、ある時は花瓶の水を頭からかける、……など、心身ともに傷付くような行為を何度かされたという。

 それだけされれば、よほどメンタルが強い者でもなければ気が落ち込み、引きこもってしまっても当然と言えよう。



「――お邪魔します」

 漁岡は家の中に入り、熊井の家族と挨拶をした。熊井とは友人関係であり、数回ほど家に入ったことがある。なので家族とも面識があるのだ。

 そしてそのまま、漁岡は「とおる」と表札がかけられた扉の前まで通された。


 ……。


 中は全体的に薄暗かったのだが、部屋の中心には「光を帯びた丸いマット」が敷かれていた。そしてそのマットに向かうようにして、部屋の主たる熊井が両手を仰々しく掲げていた。

 このマットが間接照明的なインテリアであれば健全だろうが、どう見ても熊井は正常ではなかった。部屋の雰囲気や彼の動きから、それはまるでなにかの儀式のよう。


「や、やあ……、熊井くん……」

 おそるおそる漁岡が話しかけると、ゆっくりと熊井は振り返る。

「……ああ、よく来たな。漁岡」

 薄暗い中でも分かるほどに、彼の目の下にはクマができていた。……別に熊井だから、というわけではない。


「元気そう……、だね? えっと、熊井くんがしばらく学校に来てないから、様子を見に来たんだ」

「そうか。オレのことを気にして……」

「……やっぱり、火瀬ひのせさんが原因なのかなって」



 漁岡が口にした「火瀬」は、先述のいじめ行為を熊井に対して行った人物である。漁岡が「さん」付けをしているあたりから汲み取れる方もいるだろうが、火瀬は彼らと同じクラスの女子生徒だ。本名を「火瀬ひのせ美湖みこ」という。

 その性格はまさに男勝りで、簡潔に表すなら「粗暴」であった。彼女を苦手とする者も多いのだが、あらゆる事柄を強引に進める彼女は、ある意味でクラスの中心人物となっている。

 熊井は不幸にも、その火瀬から狙われてしまったというわけなのだ。


「ああ……、そうだ。火瀬、アイツに勝てなきゃオレに未来はない」

「熊井くん……」



「だからオレは契約したんだ。……『悪魔』とな」



「……え?」

 笑みを浮かべながら、熊井は確かにそう言った。


「『悪魔』って……、本気で言ってるの?」

「当たり前だろ。じゃあなきゃ、こんな湿々じめじめした部屋に閉じこもってねぇ」

 薄暗い部屋、光を帯びたマット、クマのできた顔。確かに、悪魔を呼び出しているなら納得のラインナップだ。しかし、そんな非日常的な話をすぐに信じられる漁岡ではない。


「ホントに悪魔だとして……、契約? 悪魔って『魂を奪う』とかなかったっけ」

「そこは問題ない、契約の条件は『500万円』だった。分割払いで申し込んだぞ」

「……それ、詐欺かなんかじゃ?」


 悪魔的な詐欺、ということであれば人間でも「悪魔」と言えるだろう。だが、どちらにせよ友人が暴挙に出ていることには変わりない。

 誰がどう見聞きしても「怪しい」「おかしい」等の感想しか浮かばないはずなのだが、熊井の表情はとても自信にあふれていた。


「詐欺なもんかよ。……オレは、本物の『力』を手に入れたんだ」

 そう言いながら熊井は立ち上がると、部屋の扉のほうへ向かおうとする。


「どこに行くの、熊井くん」

「決まってるだろ、火瀬のヤツに『復讐』しにだ。……ククククッ!」

 まるで悪魔に取り憑かれたような彼の態度に、漁岡は驚き戸惑う。


 ……そしてその隙を突くように、熊井はガチャ――バキッ! と、扉を開けて外に走り出したのだった。



「あ……」

 一瞬後、漁岡が気づいた時には「破壊されたドアノブ」がごろりと床に転がっているだけ。あまりの豹変ぶりに彼を止めることはできなかった。

 漁岡の知る熊井は力自慢でも乱暴者でもなく、少なくとも物をわざと壊すような姿を見たことがない。そんな彼が素手で「金属製のドアノブを破壊した」という事実が、たった今つくられたのだ。



「――だ、大丈夫かな、熊井くん」


 ……熊井の態度ももちろんだが、火瀬に「復讐」すると言っていたのも気になる。そんな漁岡は不安を抱えながら十数秒ほど考え、熊井を追いかけることにしたのだった。


 追いかける前にふと時計を見ると、短針は四時と五時の間を示している。



 火瀬ひのせ美湖みこはいつも、河川敷の橋の下にいると有名である。彼女は部活動などには所属しておらず、放課後はいつもそこに行っていた。一人の時もあれば、友人を連れることもあるらしい。


 橋の下は秘密基地のようになっており、ガラクタが山のように積み上げられていた。時代錯誤な表現にはなるが、一言で表すなら「男の子のような趣味」である。

 置いてあるのは、なにに使うか分からないようなリヤカー、傷だらけのカラーボックス、破れたサンドバッグ……、など。


 そんな今日の火瀬は一人で過ごしているようだった。彼女は今、ツギハギだらけのソファの上で両手を枕とし、足を組んで横になっている。

 手入れの行き届いた長い髪に、やや濃いめのメイク。服装は草臥くたびれた学校指定のジャージであり、整えられた髪や顔とのギャップが利いている風貌だった。


 ……そして今、空は赤くなりつつある。



 ザッ……、ザッ……。

 そこに、砂地の上で足を引きずる音。来訪者が歩いてくる足音が聞こえてきた。



「あン? ……誰だよ」

 足音に気づいた火瀬は起き上がり、音のしたほうを向く。


「借りを返しに来たぞ、火瀬……!」

 すると、睨んだ目をした熊井が立っていた。

 彼が家を出てから数分も経過していない。距離的に全力疾走でもしなければたどり着けない経過時間だったが、熊井は息を切らせているわけではなかった。


「テメーか、よ。アタシに借り? はぁ?」

「忘れたとは言わせない。お前にされた仕打ちを『精算』してやる」

「やんのかよ、テメー。ザコのクセして、アタシに勝てると思ってんのか?」


「言ってろ……、火瀬ッ!」


 熊井は右手を振りかぶりながら地面を蹴り、火瀬の元へ飛びかかる!

 彼の拳には目に見えるほどの「黒いエネルギー」が集まっており、それを火瀬にぶつけようとしているのだ。



 そして勢いを乗せた渾身の右ストレートは……、火瀬が右手で「受け止めた」。



「おいおい、この程度か? ホンモノの熊ならもっとえーのによ」

「な……、なんだと……!? あ、『悪魔』の力だぞ……?」

「あン……? テメー、ナメてんのか? 一気に二個もミスしてんじゃねーよ」


 そう言いながら火瀬は、熊井の手を掴み直し、彼を前方にひょいと放り投げた。

 攻撃ではなく追い払うだけの行為だったようで、熊井はすとんと着地。……そのまま、火瀬は話を続ける。


「まず一個、焦って力の源をバラしたこと。んで二個目はな……」

 火瀬は両足を肩幅程度に広げ、両手を腹部の横あたりでギュッと握り締めた。まるで全身に力を込めようとしているようだ。



「――悪魔ってのは、アタシの『天使』の力と相性サイアクだ、ってことだ」


 その直後、火瀬の身体から眩い光が溢れ出す!

「ぐっ!?」

 熊井はその眩しさに目がくらみ、顔を手で覆い隠さずにはいられなかった。



 ……。



 光が収まった時、火瀬の全身には真っ白いオーラが纏わりついていた。オーラはまるで「翼」や「羽衣」、「頭上の光輪」のような形をつくっており、誰がどう見ても「天使」と言うような見た目に変化していたのだ。


「アタシの力を知らなかったみてーだな。だからテメーはえぇんだよ、


 両手を覆うオーラの質量が増していき、一瞬で弓の形になった。

 火瀬はその弓を左手で構え、右手に白いエネルギーを集める。それは矢の形となり、弓に装填された。

 「天使の力」とは浄化の力。悪魔がひとたび受ければ、漂白されてその力を失ってしまう。


「――トびな」


 バシュウウッ!


 白く輝く矢は、熊井に鋭く突き刺さる――と思いきや、熊井は咄嗟にしゃがみこんだ。

 否。光や音に驚いて後ずさり、「転んだ」のだ。



 ――ズドォォン!!



 矢は地面に突き刺さり、着弾点に直径十数センチほどのクレーターを作っていた。

 転びながら熊井はクレーターを見て、しばらく心を離す。……もし転んでいなければ、当たっていたからだ。


 彼の姿が怯えたものに見えたのか、火瀬はわらいながら言う。

えぇか? 逃げてもいいんだぜ?」


 その言葉を聞いた熊井は、ハッとしたように勇ましい顔つきになる。

 仕打ちを精算する。やり返す。「復讐」する。……そう決意したことを、思い出したのだ。

「逃げるわけないだろ、火瀬」


 熊井は再び、右手に黒いエネルギーを集める。それが空気中に安定すると、「銃」の形になった。


「行くぞ、『魔銃ナグナ』! 」


 悪魔の力で作り出したのは「魔銃ナグナ」という武器だった。魔銃とは「悪魔の力」を弾とする銃で、充填や弾切れなどの概念が存在しない。

 火瀬の弓矢同様に遠距離攻撃が可能な武器なのだが、弓矢よりも弾速が優れて隙も少ないのである。なにせ火瀬の弓矢には、矢を作る、矢を装填する、撃つ、という三つの手順がある。それが魔銃は「撃つ」の一つで済むのだ。



 魔銃ナグナの銃口を火瀬に向け、引き金を三度引く。

 バン! バン! バン!

 熊井は銃を撃ち慣れているわけではないが、悪魔の力によって弾の狙いは全て正確だった。


 ――キキキン!

 しかし、その直後に三つの金属音が鳴った。



「……それがテメーの力か、

 見ると、火瀬は弓矢ではなく「二つの曲剣」を持っていた。

 なんと彼女は一瞬の間に武器を持ち替え、魔銃の弾を「剣で弾いた」のだ。


「ま、弓矢なんてアタシの専門じゃねぇからな。本命はこの『聖双剣リンディ』だ」

「……効いてない、だと!?」

「見りゃ分かんだろ? 何発でも来いよ。ぜーんぶ弾いてやる」


 熊井は一瞬、悔しさから歯を食いしばった。だがすぐに魔銃ナグナを構え直し、火瀬に向ける。



 ……。



 その後、何度か熊井は弾を撃ったのだが、火瀬の宣言どおりに全て弾かれてしまっていた。

 魔銃とはいえ銃なので、本来はその弾速を見てから防ぐなど不可能なはず。しかし、火瀬は銃を扱う「熊井の動き」を見て防御していたのだ。

 銃口の向きを見てどこに飛んでくるか判断したり、引き金に置いた指の動きを見て発泡タイミングを測ったりしたというわけである。



「おい。そろそろ諦めたらどうだよ?」

「くっ……」

 すでに二十発ほど弾を撃った熊井の顔には、疲れの色が見えていた。

 いくらリロード不要といっても、弾の源は悪魔の力。今の熊井にとっては自身のエネルギーを弾に変換しているようなものなので、むしろ疲れるのが当然なのだ。


 ……そんな中、熊井は考えていた。


(そろそろ「頃合い」か……?)



「ラチが明かねぇな、よ。……そろそろ、こっちから行くよ」

 変わらぬ場の状態に苛立ち、火瀬は攻撃を宣言した。とはいえ油断は一切しておらず、熊井が弾を撃とうものならすぐに防げるように意識を配分している。


 宣言どおり、聖双剣リンディを構えて地面をタッ! と蹴る火瀬。

 熊井に刃を当てるための行動だが、剣を振るのではなく「剣を向けつつ飛び込む」ことで、腕を動さずに攻撃ができる。

 これにより腕の振り方などを考える必要がなく、思考に余裕を持つことが可能。例えば相手がジャンプして突進を避けた場合、持っている剣を放り投げることで第二撃を放つ……、なんてことも不可能ではない。要するに、相手がなにをしても臨機応変に対応できる攻撃方法なのだ。



 対する熊井は、魔銃ナグナを「放り捨てて」右手に黒いエネルギーを集める。魔銃は彼の手から離れた瞬間に黒い粒子となって消えていった。


 ――その行動を見た火瀬はこう考える。

(遠距離を捨てて「近距離で対抗」しようってか? いいぜ、迎え撃ってやる)


 あくまで今、突っ込んでいるのは火瀬自身だが、彼女には「攻撃しない」という選択肢もあった。あえて相手の攻撃を誘い、それに対してカウンターを当てれば手痛いダメージを与えられる。

 突進しながら相手の攻撃を避けるのは容易なことではないが、火瀬には回避する自信があった。「熊井がおかしな動きを見せたらすぐに防御すればいい」と、考えていたからだ。


 そして熊井はエネルギーの溜まった右手を前に突き出す。


(エネルギー放出か……? なら、リンディに「力」を集めて前にバリアーを……)

 そう火瀬が考えていた時。



「――『戻れ』っ!!」


(は……?)



 ……その瞬間。火瀬は「後ろ」から無数の「音」を感じた。

(なっ!?)


 音の主は小さな黒いエネルギー弾。それも一個や二個ではなく、数十個はある。それが全て、火瀬を後ろから狙っていたのだ。

 ――黒弾が火瀬に命中、それと同時にドカンと小さな爆発が起きる。一つだけなら大したことはないが、数が多ければ大きな爆発となる。



 ドカンドカンドカン! 火瀬は爆発が起こした煙に包まれた。



「決まった……! へっ、どうだ!」


 熊井がとった行動、それは……、「銃弾の回収」。

 魔銃は普通の銃と異なり、弾が「悪魔の力」である。なので悪魔の力を操ることができれば、撃った後の弾も自在に動かせるのだ。

 熊井は火瀬に魔銃を何度も撃ち、全て弾かれた。だが言い換えると、辺りに弾(悪魔の力)をバラまくことに成功していた。後は火瀬が向かってくるタイミングを狙い、回収を実行するのみだった、というわけである。

 後ろという死角からの攻撃では、流石の火瀬と言えど避けられない。そう考えた熊井の作戦勝ちだったのだ。



 そう。ある一点を除けば、勝ちだった。



 ……煙が晴れた後、火瀬は「半透明の白い球体」に包まれていた。

 その球体はすぐに白い粒子となり消え、後には「無傷の火瀬」が残っていた。


「ったく、危ねぇとこだったわ……」

「ば、バカな……!?」


 火瀬は熊井を見ながら言う。

「残念だったな、よ。これが『天使の力』だ」



 あれだけ不意を突くために準備したのに、あっさりと防がれた。それも、傷一つ付けることすら叶わなかった。その事実は、熊井の心を追い込む結果となった。

 普通に撃っては弾かれる。不意を突いても防がれる。もう、打つ手はなにもない。

「あ……、あぁ……」

 心が折れた熊井は、膝から崩れ落ちる。そして両手両膝で身を支える形となった。



「……あン? テメー、なんのつもりだよ。立てよ」

「オレの負けだ」

「はぁ?」

「もう、オレに勝ち目はない。蹴りたきゃ蹴れ、斬りたきゃ斬れ。殺したいなら……殺せ」


 その発言を聞き、火瀬の頭に血がのぼる。

「ふざけんじゃねえ! おいテメー、この程度で諦めんのか?」

「……ああ」

「チッ! ……クソが。ああそうかよ、んじゃあ望み通りブッ殺してやる!!」


 火瀬は熊井の身体に狙いをつけ、双剣の一つを高く振り上げる。そして……、



「――やめてえええええええっ!!!」



つづく

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