第二章 飢え⑤

 次の日の昼休み。空腹だと言うのに、私の喉は昼食に持ってきたあんパンすら喉を通ろうとしなかった。こんな調子で今朝から何も食べていない。ただ、ドリンクや血は飲めるのがせめてもの救いだ。それすら飲めなければ私は今動けていないだろう。


「ねえ、本当に大丈夫? 今日やっぱり顔色悪いよ……」


 柚子が私の顔を心配そうに見つめながら言う。確かに先ほどトイレの鏡で自分の顔を見たとき、あまりにも青白い顔をしていたので、これで健康だとはさすがに言い難い。朝から楓にずっと心配されているが、きっとこの生気を感じられない顔に理由があるのだろう。


「うーん。なんか今日はあんまり調子良くないみたい」


「保健室、行った方が良いんじゃない? 今度のライブは特に大切だって聞いたしさ。それに、アタシだって楽しみにしてるんだから」

 柚子の不安げな言葉に、隣で楓も同意するように数回頷く。


「そうしようかな。先生が来たら、私が保健室で休んでるって言ってもらってもいい?」


「それはいいんだけど……。一人で大丈夫? なんなら、付いて行こうか?」


「病は気からって言うでしょ? そんなに病人扱いされるとますます弱っちゃうよ」


 私はその誘いをやんわりと断り、一人で保健室へと向かう。


 柚子ならまだしも、この匂いの原因であろう楓が付き添いではどうなるかが想像できない。二人に礼を述べ、保健室へと向かった。


 目的地に向かっている途中、昼休みの終了を告げるチャイムが廊下中に響き渡る。先ほどまであたりでおしゃべりに花を咲かせていた生徒たちは皆、名残惜しそうに自らの教室へと戻って行った。途中で何人かの生徒たちが、教室のある方向とは逆に進んでいく私を不思議そうな表情でちらりと盗み見る。だが、すぐに何事もなかったかのように私の横をすり抜けていった。


 保健室の中は薬品のツンとした臭いが充満しており、少なからず苦しんでいる匂いが紛れた。それでも、空腹は紛れそうにはなかった。


「あぁ。高西さんじゃないか。珍しいね」


 保健室に入ると、養護教諭である高城たかしろあずさ先生が驚いた顔で私を見た。彼女はまだ若い女の先生で、学校中の男子たちから、先生美人ランキング一位だと言われているのは聞こうとしなくても耳に入ってくる。


 私は吸血鬼の血のせいか、昔から身体が丈夫だった。なので保健室を訪れたことなど、数えるほどしかなかったにもかかわらず、そんな私の顔と名前を覚えているのには素直に驚いた。美人で記憶力も良いとなれば、男子の人気は更に良くなるだろう。そりゃ美人に名前を覚えて貰えたら、同性の私だって嬉しい。種族は別だとしても。


「ちょっと、体調が悪くて……」


 先生は真偽を確かめるように私の顔をじっと見つめる。嘘を吐いてはいないが、それでも探られていることに居心地が悪くなり、もぞもぞと身体を動かしていると先生とぱっちり目が合った。


「分かった。少し横になっているといい」


 先生は優しく微笑むと、手元の書類に何かを書き込んで私をベッドに案内する。


「今はどのベッドも空いているから、好きな場所に寝ても良いけど、希望はある?」


 黙って首を横に振ると、先生はにっこりと笑いながら、一番近くのベッドに私を案内する。


「それじゃあ、少し休んでいなさい。一時間経ってもしんどそうなら、早退届を書いてあげるから。まあ、起きても残っているのは六限目だけだけれど、無理してでも出ると言うのなら止めはしないけどね」


 先生は私がベッドに寝っ転がるのを見届けると、そう言って静かにカーテンを閉めた。


 ベッドに横になると、途端に眠気が襲ってきた。しかし、空腹が邪魔をする。まるで、私に眠るなとでも言うかのように。昨日からずっとこんな調子だ。ここでもまた溜息を吐くと、全てを遮断するようにゆっくりと目を閉じた。


 そうすると、自然と視覚以外の感覚が敏感になる。


 これは人間もそうなのだが、私たち吸血鬼は人よりも何倍も感覚が鋭いため、こうして目を閉じて耳を澄ますと、今先生が何をしているのかが大体分かってしまう。今は、ペンで紙に何かを書いているのであろう。ペン先が紙の上を走る音が聞こえてきた。


 しばらく空腹を紛らわせるためにその音を聞き入っていたが、やがて音はぴたりと止まった。私は不思議に思い、うっすらと右目を開けると、先生がこちらに近づいてくる影がカーテン越しに見えた。そして、先生は閉めたときとは違い、乱暴にカーテンを開くと、私に一枚の紙を突きつけてきた。


「体調が悪い中申し訳ないが、少しだけ話をしてもいいかな?」


 突然の出来事に恐怖を感じ、何度も首を縦に振る。先生は私の様子を見ると、自らを落ち着かせるかのように息を小さく吐き出した。


「なら、単刀直入に聞く。君は吸血鬼だね?」

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