第一章 吸血鬼③
たわいもない話をしながら二人で歩いていると、小さな喫茶店が見えてきた。いつも前を通りかかるだけで、中に入ったことがないことをふと思い出す。
「ねえ、ちょっと喉乾いたしさ。寄って行かない?」
私が喫茶店を指さしながら言うと、楓は二つ返事で「行こうか」と答えた。
扉を開くと、からんころんと高い音を響かせて、ドアに備え付けられたドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
その音に気が付いた店員のお姉さんが、こちらにちらりと視線を向ける。少々キツメな見た目だが、それでも落ち着いた、美しい女性だと思った。
「お好きな席にどうぞー」
少々間延びのした言い方が、なぜだかとても心地よく感じられた。
私たちが適当な席に着くと、先ほどのお姉さんがお冷やとおしぼりを持って現れた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
店員はにっこりと笑って私たちに尋ねる。
「私はアイスコーヒーをお願いします。百合はどうする?」
私は「同じので」と言いそうになるのをすんでのところで思いとどまった。メニューのアイスコーヒーの横に『本日のケーキセット』と書かれていたからだ。
「すみません。この『本日のケーキセット』ってなんですか?」
私の言葉を聞くと、店員はメニューを数ページ捲り、ケーキ一覧と書かれたページを指さした。
「これらのケーキのうち、どれか一つが運ばれて参ります。単品で選ばれるお客様もいらっしゃいますが、このギャンブル性が面白いと言って選ばれるお客様も多くいらっしゃいます。こちらのセットの方がケーキ単品と珈琲で注文するよりお安くなっているのも魅力ですね」
テキパキと説明して、にっこりと微笑んだ。
「今日はどのケーキなのかこっそり教えてくれません……?」
小声で尋ねるが、彼女は「それはできません」と少し楽しそうに笑いながら答えただけだった。
「ちぇーっ。じゃあ、私はその『本日のケーキセット』でお願いします」
「あっ、じゃあ私もそれでお願いします」
楓の急なメニューの変更でも、店員は嫌な顔一つせず「かしこまりました」と答えた。
「珈琲はアイスとホット。どちらになさいますか?」
伝票に私たちの注文を書きながら尋ねる。
「んー、私はアイスで」
「私もー」
楓に続いて注文を済ませる。
「かしこまりました」
もう一度決まり文句を言って微笑むと、お姉さんは店の奥へと消えていった。
私たちの元を去るときに、彼女の胸元に着けられたネームプレートに『
「あの店員さん。凄く綺麗な人だったね」
楓は『村上』さんが見えなくなるのを確認すると、そっと私に耳打ちしてきた。どうやら、楓も同じように感じていたらしい。
「確かにねー。でも、私は黒髪より金髪の方がもっと似合ってると思うな。それに、今みたいに髪をアップにするんじゃなくて、ストレートの方がいい」
「そうかなぁ……。私は今の黒髪の方がいいと思う。って言うか、それは百合の好みでしょ」
「それは楓もだよ」
そう言って、私たちは楽しそうにけらけらと笑った。こんな日々が続いていると、自分が吸血鬼だと忘れてしまいそうになる。別に覚えていたからどうなのかと問われれば、上手く答えることはきっと、できないけれど。
それに、そう思えるということは、私が人間の生活に上手く溶け込めている証なのだろう。
そんなくだらないことを話していると、すぐに二つのケーキとアイスコーヒーが運ばれてきた。
「こちらが『本日のケーキセット』になります、モンブランとアイスコーヒーです」
村上さんは慣れた手つきで二つのセットを並べると、軽く頭を下げてそそくさと奥へと引っ込んでしまった。
「美味しそう」
私が見た目の感想を述べている間に、楓はもう一口目を咀嚼していた。
「うん。甘さが程良くて、凄く美味しい」
私が食べる前に、楓がモンブランの感想を漏らす。続けて私も口に含む。なるほど、確かに落ち着いた栗の甘さが舌の上を転がり、微かな幸福感が私を包む。昔、何かの本で『人は甘い物を食べると幸福を感じる生き物だ』と書いてあったが、この話は正しいのだろう。ただ、一カ所書き換えることがあるのならば、『人は』ではなく、『人も吸血鬼も』ぐらいだろうか。
ケーキを食べながらも私たちのたわいもない会話は続く。それはクラスのこと、勉強のこと。それに、これからの未来の話。主となるのは差し迫った進路のこと。
「そういえば、楓は高校卒業したら何するか決めてるの?」
私が珈琲を啜りながら訪ねると、楓は上を見ながら「うーん」と眉間にしわを寄せて唸った。
「一応は大学に進学して……。でも、その後はまだ決めてないかなぁ。百合は?」
何気なくした質問がまさか自分に戻ってくるとは思わなかった。今度は私の眉間にしわが寄ることとなり、楓よりももっと悩ましい声が口から漏れる。
別に考えてなかったわけではない。ただ、進学すらあやふやなせいで、口に出すのがはばかられた。
「私は……音楽がしたいけど……」
「じゃあ、音大か専門学校に行くの?」
楓から手渡された二つの選択肢に通う自分を想像するが、どちらもいまいちピンとこずにまた頭を捻ってしまう。
「なんて言うか、そこまでがっつり音楽もなぁって思うんだよね。確かに音楽漬けの毎日ってすごく楽しいだろうし、充実すると思う。でも、そればっかりじゃ私の性格的に精神が壊れちゃいそうでさぁ……」
私が絞り出すように答えると、楓が吹き出して笑う。
「え? 今なんかおかしいこと言った?」
むっとして尋ねると、楓が違う違うとでも言うように手を目の前で振る。
「いや、なんか百合らしいなーって思ってさ。そしたら、笑いが出ちゃった」
「何よそれー」
「ふふっ。ごめんね」
「まあ、良いけどさー」
結局は笑われていることには違いがないので、怒るべきなのかもしれないけれど、こんなことで笑うのは楓ぐらいだろうと考えると、不思議とこちらも笑えてきてしまう。
そういえば私たち二人はお互いをすぐに許してしまうために、大きな喧嘩をしたことがない。それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。けれど、こうして心から楽しいと思い、笑っていられる時間が続くのは幸せなことだと思えた。
――こんな時間がずっと続けばいいのに。
なんとなく思った言葉に、私の胸はちくりと痛む。それはきっと、同じ時間は続かないと知っていることからくる痛み。
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