第32話

「「!」」


 ミシェルさんが口を開いた瞬間、カーラさんの声が聞こえて反射的にそちらを向く。バリア越しに見える敵は明らかに動揺していて、次の瞬間カーラさんが指を弾くと、足元から大きな爆発音がした。


「きゃああっ!」

「…っ」


 バリアに包まれているからか火薬の臭いとかはしないけど、透明な壁の向こうは煙に包まれている。その中で敵のうめく声と悲鳴が一瞬聞こえた。

 煙が晴れると、足元の拘束が解け拳を構えるケイオスと、彼と背中合わせになって大きなナイフを構えるカーラさんの姿があった。カーラさんは体のあちこちにカミソリで切ったような傷ができている。

 二人の向こうで赤いコートの女性がゆらりと立ち上がった。さっきの呻き声は彼女のだったのかもしれない。


「狸寝入りは上手いみたいね…」

「あらそう? 狐に化かされたんじゃなくて?」

「貴様…」


 コートの女性は苛立ちを隠さないでいる。しかしそこでググが声を出した。


「テトラさん、挑発に乗っていたらキリがありませんよ」

「…わかってるわよ」


 ググの声にテトラと呼ばれたコートの女性は感情を抑える。しかし苛立ちは隠しきれてないように見えた。


「その臭い強すぎて鼻が曲がりそう。おかげで眠れなかったわ」

「この香りが下品って言いたいの!? その品のかけらもないような泥臭い格好で!」

「あら、本当のことを言ってごめんなさいね? あとミリタリーは立派なファッションよ」


 やいのやいのと言いあいが続いている。

 それに対してケイオスが呆れたようにカーラさんの背中を肘で軽く叩いた。


「無駄口はいい、仕掛けるぞ」

「だめなの? 残念」


 ケイオスが燃え盛る手を前に掲げる。そして一つ、呟いた。

 

紅き竜の右腕よドライグ

 

 その瞬間、ゆらりと右手の炎は揺れた。炎は揺らぐまま右腕を肘まで覆い、更に火力を上げていく。


「わ…」

 

 一瞬で、その光景に惹き込まれる。

 その姿を綺麗だと、思った。

 

 まるで、炎は彼の腕を燃え盛る翼に変えてしまった様に見えて、でも片翼で空は飛べない。


「ふむ…そちらがその気なら我々もお相手しましょう」


 そう言ってググは地面に向かって指を一本指し示した。


「起きろ『ズール』」


 粗雑に命令するとコンクリートの地面がその下の土と一緒に剥がれて人のような形を取る。それは三体ほど同時に現れてそのうちの一体がこちらを向いた。


「ひっ…」


 何もない頭がこちらに向いた恐怖で思わず声が出る。でもすぐにその頭は燃え盛る手に掴まれて乾き、燃え、崩れていく。その腕は同じ要領で他の二体もすぐに焼き崩した。


「土など燃えれば塵に過ぎん」

「ほほ、土人形が駄目でしたら泥人形はいかがですかな?」

「!」


 今度は足元からずるりと音がした。バリアの向こうで幾つも手の形をした泥が見えない壁を叩き、そこから泥の人形が這い出てくる。

 恐怖のあまり今度は言葉を失った。すると今度は拘束されていたお腹を解放され驚く。


「僕の後ろにいて」

「…? はい…」


 よくわからないままミシェルさんの背に回る。するとミシェルさんが懐から幾つかの青い小石を取り出した。それを投げるとバリアを通り越して泥人形の体に入っていく。


「起爆!」


 前にいた時は気づかなかったけど、ミシェルさんは大きな杖を持っていた。

 彼が持っている杖を前に出して短い言葉を放つと泥人形たちが言葉もないうちに一気に凍って、そして次の瞬間そのまま崩壊していく。


「!?」


 目の前の光景がどういうことかついていけず混乱する。

 しかし奥を見ると、幾つもの土人形を破壊するケイオスと、クロスボウのようなものを構えてテトラと戦うカーラさんが見えた。


 カーラさんはテトラが伸ばす長い蔓を目にも見えない速さで避けながら、構えたクロスボウの矢を敵に撃ち込んでいる。でも敵もある程度見えているのか何度も避けられてしまっていた。


 ケイオスは数の増えた土人形に一見苦戦を強いられているように見えたけど、次の瞬間、身の回りに何かを撒いて一気に土人形を燃やし尽くす。

 そこから右手を拳にして地面を思い切り殴ると、大きな爆発音と共にアスファルトを隆起させて、自身とググの間の距離の土を焼き尽くした。その様子にググがやや動揺するのが見えるけど、私にはなにが目で追うのでいっぱいいっぱい。

 これは…これは何?


「く…やりますね」

「多少はな」


 後ずさったググを追い詰めるようにケイオスが一歩踏み出す。ボクシングのように脇を締めて構えたまま、もう一歩相手に詰め寄った。

 睨み合う二人の奥ではテトラとカーラさんの戦いが続いている。しかし先ほどと違って何本も伸びていたテトラの蔓は数を減らし、白い肌やコートの所々に傷を作っていた。


 テトラの様子に違和感を感じ、目を凝らしてよく見るとコートの下は蔓の集合体のようなものでできているのが見えて背筋が凍る。

 彼女もやはり人でない“何か”なんだ。体まで人に見せられないから、あんな姿なのかもしれない。


「はぁ…っ、すばしっこいわね。次こそ締め殺してあげるわ」

「おあいにく様。アタシがアンタを撃ち抜くのが先じゃないかしら」

「減らず口を!」


 テトラが袖から伸びる蔓を振り上げる。叩きつけるようにカーラさんを狙った蔓は、跳ねるような動きでその場から逃げた彼女には当たらず、テトラの真下、暗い影から現れたケイオスの右手がテトラの顔面を掴み、先ほどまでケイオスがいたはずの方向からは皺がれた声の呻きが聞こえた。


「きゃああああああっ!」


 次は甲高い悲鳴が聞こえる。声に反応して目を向けるとテトラの顔がケイオスの炎で焼かれていた。多分敵だって頭ではわかってても、その惨たらしい光景は恐怖で目が離せず、そして恐怖で体が震える。


 ググもまた震える手をもう片手で支えていた。支えられた手には金属の矢が刺さり、深い緑のような、明らかに人でない血が流れている。そしてケイオスが立っていた場所からクロスボウを構えるカーラさんに頭部を狙われていた。これは、ケイオスとカーラさんの位置が入れ替わってる…?


「これで形成逆転ね」

「ぐ…」


 ググの顔と思しき場所からは眉を顰めるような声が聞こえて、テトラは顔を燃やされ続けながら痛みに喘いでいた。


「どうする? 手を引くならこっちも考えるけど」


 カーラさんの言葉にググは顔面の触手をうぞ、と少し動かす。少し悩むような間が開いて、ググは両手を上に上げた。


「降参です。ここまでとは…」


 そう話すググの触手が何故か笑ってるように見えて、嫌な予感がした。


「逃げてケイオス!」

「——思いませんでした」


 私が思わず叫んだのと、ググが動いたのは同時で、その瞬間には土とアスファルトの混ざった大きな手がケイオスに襲いかかっていく。私の声に驚いた反応を見せたケイオスは、大きな手が被さりかけた故にできた陰で状況に気づき、掴んでいたテトラを放り出すと慌てて陰から転がり出た。


 大きな手はケイオスに放られたテトラを包むように覆い、そのまま地面に沈んでいく。


「いやはや、本当にままならないものですな」


 そう話すググもまた、フードを被り直し足から地面に埋まっていく。


「逃がさないわ!」


 カーラさんがクロスボウからググの頭部に向かって矢を打ち出した。しかしその矢は相手を守るように現れた二つ目の大きな手によって弾かれる。


「油断しなければ当たりません。土は脆弱などと馬鹿にしないで頂きたい」


 崩れた手の向こうで相手はみるみるうちに地面に溶け込んでいく。


「待ちなさい!」


 そう叫ぶカーラさんの声は届かずとうとうググは地中へ消えていった。その代わりと言わんばかりに生えてきた大量の土人形を投じて。

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