第8話
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「…さて、無事接触できたようだな。ケイオス・アルカマギア」
「はい。セイドリック幹部」
“幹部”と呼ばれた紳士は先ほどまで楓たちに“学長”と呼ばれていたその人である。
セイドリックは執務机の椅子に腰掛けて指を組む。そしてそこで不敵に微笑んだ。
「『
「は。現在目標と同じ住居に身を置いています。通信機は正常に作動、問題ありません」
「そうかそうか、“彼女”の様子は?」
「現状大きな変化は見られません。なぜ彼女があんな無謀な作戦で俺を拾ってくれたのかは計りかねますが、良くしてくれています」
ケイオスの言葉は楓といる時より一回りも二回りも堅い。セイドリックとの上下関係ももちろんだが、何よりも事務的な印象を思わせる。
「そう堅くなるな。叔父と甥の仲じゃないか」
「…現在は任務中ですので」
「寂しいねぇ、育ての親でもあるのに」
「申し訳ありません」
冗談まじりにセイドリックは笑うが、ケイオスにその空気が伝播することはなさそうだ。彼はわずかに目を据わらせたその表情から微動だにせず、目の前の人物を“上官”として処理している。
「まぁいいさ、お前には引き続き彼女の護衛に就いてもらう。しかし本当にバイトはしてもらうからな」
「!? あれは方便では…?」
「そんなわけないだろ。そもそも戸籍もないお前がその辺で働けると思うなよ。慈悲だ慈悲」
「ぐっ、そ、それは…っ」
呆れたような態度で利き手を振るセイドリックに対して、ケイオスは拳を握り込み苦渋に顔を歪ませた。セイドリックは「ほら言わんこっちゃない」とまた一つため息をつく。
「し、しかし出かけていては彼女の護衛に支障が…」
「なんのためのカーラ達だ。彼女達はお前より前には赴任してるんだぞ」
「それでは俺のいる意味が…!」
「そうは言ってもお前のことだ、大方見栄をきって『家賃は入れさせてくれ』とか言ったんだろう? 時間も含め融通を利かせてやるから大人しく倉庫整理でもしていろ」
その言葉にまたケイオスは図星を突かれ言葉を失う。その様子を見たセイドリックは、呆れた態度を表に出しつつも義理の息子の迂闊さを楽しんでいた。「愚かな奴め」と煽りたいが、しかしそれも流石に大人気ないとすかした顔をしながら堪えている。
「最近の労働には身分証明が要るんだぞ? 偽造したものもまだ用意できていないというのに急ぎすぎなんだよお前は。この仕事を受ければ、護衛対象である彼女に怪しまれる前に職に就けるし、ちゃんと金も払ってやるから言うこと聞いとけ」
顔に苛立ちを表したケイオスは反論しようと口を開くも噛み潰し更に拳を強く握った。彼にはセイドリックが今何を考えているか見えているが故に、己の迂闊さと義父に対する苛立ちで言葉を失っている。そしてその様をセイドリックは“素直な奴だ”と微笑ましく見ているのだ。
「…っ確かに、身分証を手に入れる前に対象に接触した俺に非はあるが…家賃を入れるとも言ったが…! それだってアンタの言うことを聞かなくても解決できるだろう!」
「今しがたここで働くと彼女に言ったのにか? 隠語と彼女は思わないだろうな」
「ぐっ…」
「おぉ、偉いじゃないか。前は図星を突かれるとすぐ逆上して殴りかかってきたというのに」
セイドリックは完全に息子を煽るのが楽しくなってしまっていることに気づく。先ほど大人気ないと思ったばかりだと言うのに、と内心で毒づきながらも言葉に詰まる息子の素直さを心から楽しんでいた。
対してケイオスは完全に退路を塞がれている。この忌々しいやりとりを続ける義父に何か言い返してやりたいものだが、全ては行動を急いた自分が悪いと思うと返す言葉がない。
先ほど囲まれていた所を助けられた時、楓たちと合流してから急にこの話を出されて合わせざるを得なかっただけだと言うのに、どうしてこうなったのかと彼は心底後悔していた。
「アンタの言いたいことはわかるが、これ以上遊ばれてたまるか。俺は乗らん」
「いい給料出すぞ〜? オレ個人の雇用だからな、彼女にケーキでも買って帰って礼でもしたらどうだ?」
「ぐっ…」
高給発言にややケイオスの心は揺れる。確かに元の世界にいた時の叔父の金払いは景気が良く、組織の外にまで契約している傭兵が居た。そこから考えれば給料の話に嘘はないだろう。
「オレが気に入らないだけで蹴れる条件ではないと思うがなぁ?」
まるで悪人のように笑うセイドリックを横目にケイオスは考える。いや考えなくても元より退路は塞がれているのだから選択肢はないのだ。いつまで経っても叔父に抗えない己を嘆いても話は始まらない。
「う、わ…わかった。言った通り給料には色をつけてもらうからな」
「よし合意だ。今書類を用意する、待っていろ」
うきうきと書類を用意するセイドリックにケイオスは心の底からため息をついた。
しかし自分は居候の身。一刻も早く職を見つけなくてはいけなかった上、叔父が提示する条件の都合がいいことは解っていた。唯一、叔父に何かと揶揄われるであろうストレスを除けば。
「よし、この書類を読んでサインを。文字は向こうのもので構わん」
「…わかった」
半ば諦め気味に書類を確認してサインを記す。意外にも内容はまともだったのでケイオスは少し安心した。これで家主に礼ができると思えば耐える価値もある。
自分の出番はいつまで続くかわからないのだから、と内心で呟くケイオスの心は少し灰色がかっていた。
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