第31話

「おかえり」


 帰ってきたケイオスにいつもと同じ挨拶を返すと、今日はなぜか彼が両手を広げて待っている。


「…?」

「楓に会いたくて早く切り上げてきたんだ。抱きしめたい」

「な…っ」


 カーラさんにされた話を思い出してしまってまた顔が熱くなった。だって今まで大人っぽかったっていうか、落ち着いてたケイオスが急にこんな、甘えてくるなんて。

 いやでもさっきの話を思い出してしまう。


「…嫌か?」


 しょぼくれて寂しそうな顔をされると弱い。綺麗な目元がうるりと艶めいて、私の良心に訴えかけてくるから。

 つい、なんでも叶えてあげたくなってしまう。この目はずるい。


「い、やじゃ、ないよ…」

「それなら来て欲しい」

「…わかった」


 広げられた腕の中に手を伸ばす。心臓がうるさくってそろりそろりと近づく私が彼の胸板にくっついた時、自分の横に広がっていた腕が背中に回った。


「あぁ、楓の香りがするな。同じ石鹸を使っているのにこんなに香りが違う」

「は、恥ずかしいこと言わないでよっ」

「恥ずかしくなんかない。楓は香りもいい」

「それが恥ずかしいの!」


 抱きしめられた腕からは逃げられそうにない。彼の低い声が耳元で響くし、香りも温もりも近くてどうにかなりそう。


 心臓が、心臓が痛い!


 どきどきして意識が遠のきかけたところでインターホンが鳴った。不機嫌に私から離れるケイオスにまだ照れを感じながら、靴を脱ぐ彼と入れ替わりでドアを開けるとそこにはさっき別れたはずのカーラさん以外に珍しくミシェルさんの姿が。


「…お二人ともどうしたんですか?」

「大事な話があるんだ」


 いつもより真剣なミシェルさんに嫌な予感がした。二人の間で何かあったのか玄関の外にいる二人は息を切らしている。


「ミシェル、まだその話は早いわ」

「もう遅いくらいだって言ったろ」


 心配そうにミシェルさんを止めるカーラさんにミシェルさんが怒ってる。一先ず家に上げて欲しいとのことだったので全員でリビングに移動した。

 全員がソファに座り私が出したお茶も行き渡って、そこから口を開いたミシェルさんはひどく焦ってる様に見える。


「敵の脅威は思ったよりも確実に迫っている。」


 いつも以上に真剣な眼差しのミシェルさんの言葉に少し息を呑む。彼は瞳の中に悔しさも宿している様に見えた。


「敵の正確な所在が判明した。それと、ケイオスが来たあたりで国庫から魔術具が一つ盗まれていることも」

「国庫で盗難だと?」

「ありえないことにそんな情報はこちらに回ってない。セイドリック様から連絡がないということは、おそらくそれ以前で差し止められたということだ」


 そこからミシェルさんは何が盗まれたのかを説明してくれた。それによると盗まれたのは瞬間移動を可能にする魔術具という物らしい。


「定期的に僕は敵の魔術陣からその所在を追いかけていた。実際それは点々としていて安定した場所にはない。ところがある一定を境に場所が安定する様になった」


 全員がミシェルさんの言葉を待つ。

 彼は地図を取り出すとある場所を指差した。


「群青採掘跡地、ここが敵の所在地だ。ここを突き止めたときは計算ミスだと思ったんだ、こんな二つも街を超えた先にいるなんて思わなかったから。だから行き詰まって師匠に頼んで解析を協力してもらおうとした」


 そこでミシェルさんは大きなため息をついてやりきれなさみたいなものを表に出す。


「そしたら出てきたのは国庫での盗難。ものがものなだけに情報は意図的に隠蔽されたと見て間違いない。我がアゼット王国の秘宝は敵の手に渡ってしまったわけだ、奴らはこの位置から瞬間移動していたんだろう」

「しかし女の方には傷を負わせた。すぐに動けるとは思えん」

「もう一人は無事だろ。前にも言ったけど敵は何かしらの方法で八朔さんの動きを把握してるんだから、正直平穏の方が不気味なわけ。たとえ敵がこちらに多く来てなかったとしてもね」


 確かに敵の実情を把握できてない以上、本当ならいつまた襲われてもおかしくなかったんだ。そう思うと背筋が凍る。


「だから警戒を強めないといけない。そこで八朔さんに聞きたいことがある」

「な、なんでしょうか」


 この言葉に嫌な予感がした。

 でも同時に、何かが私に逃げてはいけないと語りかけてくる。


「君に起きた“事件”について訊きたい。その時の状況をできるだけ詳しく教えてくれないか」


 目を、見開いた。

 まさかこんな形で、振り返るの?


「敵が動けないと仮定しても、何もしてこないとは限らない。僕の仮説を証明するためにもその時の事が聴きたいんだ」

「それ、は」


 話さないといけないことは、流石にわかってる。

 おかしいな、ケイオスとのことでまた一つ吹っ切れたって思ったのに。

 言葉が出ない。


「!」


 不意に、左手に触れたものがあった。釣られるようにそちらを向くと、ケイオスが私を真っ直ぐ見ている。

 彼が何かを言うことはない。それでも、その目では“側にいる”と確かに言ってくれていた。


 重なった手を繋いで強く握る。

 貴方が側にいてくれるなら。


「…わかりました。お話しします」


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