第30話
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また音がする。
あの時と同じ、水の中の音。
また声がする。
遠く、近く。高く、低く。鯨の声。
「…」
ゆっくりと目を開く。
前と同じだ。この海は温かくて、穏やかで。でも今日は、少し波が高いような気がする。
体は自然と鯨を探すために泳ぐ。鯨の声はいつだって私を呼んでいるように聴こえるから。
真っ直ぐ浅瀬を進めば少しずつ鯨の声が近くなって、それだけ追う影も近くなる。
でも、今日は浅瀬に居ない。よくよく声を聴けばもっと深くに鯨は居るみたいだ。
呼吸ができる海の中、なんていつまで経っても不思議な気持ち。深い場所は少し怖いけど、心を決めて潜っていくことにした。
日の光が透過して煌めく浅瀬とは違って、深い場所になるだけ光は失われていく。
「!」
暗くなっていく海の中、今度は知らない声がした。
高く綺麗な女性の声、聞いたことのない言葉の歌。
知らないはずの歌なのに、そのメロディは懐かしくて耳に馴染む。声を目指して更に深く潜っていくと、小さな灯りが見えた。灯りを目指すと全体が見えてくる。
大きな真珠貝で作られたランプに集う魚達。その中心には少女が一人岩に腰掛け歌っていて、あの日見た鯨はその後ろで歌の中に揺蕩っているように見えた。
その見惚れるような美しさに、私はその集まりの少し上にいたまま泳ぐのをやめてしまう。けどその時。
「!!」
歌は一度止まり、少女が私を見た。
彼女は微笑むと驚いてる私に向かって泳いでくる。
海月の様に裾の漂う白いドレスがとても印象的だった。少女は美しい顔立ちにこの暗い海の中でも光を失わない淡い
私がやや後ろに身を引くと、少女はその前で立ち止まり興味深いと書かれた瞳で私のあちこちを見てからまた微笑む。
「貴女が次の『星』なのね」
「…星?」
「そう、貴女は水を受け止める大地、海が映る空、川で生きる森」
言ってる意味がわからなくて少し警戒する。でも彼女は私といることを楽しんでいるように見えた。
でもその表情はすぐに曇って、少女が縋る様な目で私の手を取る。
「お願い、捕まらないで」
「捕まる…?」
「あの子は光を闇に変え、水を飲み干し、大地を砂に変えようとしている」
「ちょ、ちょっとまってどういう…」
その瞬間、視界がぐらついた。少女の顔が少しずつぼやけていく。
「貴女が、『私』が捕まるわけにはいかないの。私は彼の方に逢いに行かなければ」
「も—っと——わ—り—すく——」
あれ、おかしいな。
声は聞こえるのに言葉が出ない。
もっとわかりやすく言ってよ。
「私の『水』はいくら使ってもいい。だからどうか、貴女の騎士を助けてあげて」
騎士?
ケイオスのこと?
「大丈夫、貴女なら絶対大丈夫よ」
“大丈夫”って言うならそんな不安そうな顔しないでよ。私は貴女を不安にさせたくて来たんじゃ——
「忘れないで、水はいつだって“生き物”と共にあるの——」
あぁ、だめだ。
意識が遠くなっていく。
最後まで意味がわからないことばっかりだった。
そもそも、名前も聞いてないのに——
********
昨日はおかしくなるかと思った。
本当に何をするにもケイオスが側についてくる。あの綺麗な顔とか、逞しい体とか、側にいるだけで心臓が本当にばくばくして。それなのにケイオスは当たり前みたいに私の側にいるんだもん。夜には耐え切れずに降参して自衛すると約束してしまった。
「はぁ…どう思います?」
「惚気だと思うわ」
なんて、ソファに座るカーラさんはにこにこしている。そういう話じゃないんだけどな。
あの戦闘以来、ケイオスが仕事だとカーラさんが代わりにうちにくるようになった。
それ自体は嫌じゃないし、瑠衣を何かで巻き込むのは避けたい。ついでに言えば、カーラさんがヴァーヴァレドの話をしてくれる様になったのでそこも楽しかったりする。
「もう、ちゃんと聞いてます?」
「聞いてるわ。ケイオスが可愛い話でしょ?」
「それは…っ、そうですけど…」
少しむくれて問うと、カーラさんはくすくすと優しく笑いながら私に言葉を返す。
確かに可愛い一面だとは思うし、瑠衣の言う通りケイオスってば嫉妬深いかも…?
「ふふ、知ってる? ケイオスって向こうではモテるのに誰とも付き合わなかったのよ」
「えっ…」
その言葉に思わず顔を赤くした。
確かにケイオスはモテる。大学でもそうだったし、あれだけ綺麗な顔してたら仕方ないと思うけど、そんな人が私と付き合ってるって、私を好きだって、そんな。何って言えないけど嬉しいやら恥ずかしいやら。
「そんな男が楓ちゃんのことになると途端に奥手だったんだから」
「あう…そ、そんなこと言われても私にどうしろと…っ」
「えー? 良くない? そういうの、特別みたいで」
「あうあう…」
確かに嬉しいけど、嬉しいけどぉ…っ。
嬉しくてときめくけどどうしたらいいかわかんないよぉ…っ。
それなのにカーラさんはそんな私の反応を楽しむみたいに笑っててなんか悔しい。
「あはは、ごめんね。ちょっとだけいじめすぎた」
「勘弁してくださいよ…」
瑠衣からも昨日連絡が来たので、その際に付き合えたことを報告した。案の定ケイオスが気に入らなかったみたいだけど、今度遊ぼうって約束したら少し機嫌を良くしてくれたので一安心というかなんというか。
そしてカーラさんにも今日報告したら揶揄われてしまって…ちょっと複雑。
「もう、カーラさんは好きな人とかいないんですか?」
「アタシ? こんな仕事してると男ひでりよ〜」
「ミシェルさんは?」
「無理よ。あいつら二人はそれこそ弟みたいなものだもの」
カーラさんは「あー、恋したーい」と言いながらソファに背を預けて伸びをする。
「こっちで良い人とかいないんですか?」
「んー、いないわねぇ。筋肉しっかりした人が好みだし」
アメフトやってるような人とか、ボディービルダーみたいな人だろうか。傭兵さんって事は、そのくらいの筋肉の人が多そうだし。
そんな話をしているとカーラさんがつけてる耳飾りがチカリと光った様に見えた。
「?」
「ん? あぁ、なんか連絡きたわね。少しごめんなさい」
カーラさんは耳飾りに触れると少しの間ソファを離れる。その間に同じく光ったスマホを確認すると、ケイオスから「そろそろ帰る」と連絡が来た。「気をつけてね」と返してスマホを閉じるとカーラさんも用事が済んだのかソファに帰ってくる。
「ごめんね。上司からだったわ」
「なるほど」
「出し忘れてた書類があったみたい。後で確認しないと…」
「傭兵さんも大変ですね」
私の言葉に、カーラさんは「戦ってるのは好きなんだけどね」と返す。私もレポートはあまり好きじゃないから同じようなものだろうか。
それにしても耳飾りが通信機なんてオシャレだな。これも魔法…魔術?
「そういえば、ケイオスから帰ってくるって連絡がありました」
「あら、今日は早いわね」
「そうですね。何かあったんでしょうか?」
「どうかしらねぇ」
カーラさんが帰ってしまう前にお茶を一杯二人でおかわりして今日は解散になった。
そこから間を開けず再び玄関ドアが開く。
「ただいま」
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