第15話

 家のドアを開けると見慣れた靴が置いてあった。いつも綺麗に揃えてあるそのスニーカーは彼のものだ。


「ただいまー」


 なんて言うのが当たり前になったな、とふと思った。一人の時は何も言わなかったのに。これが生活の変化なんだと改めて認識する。


「おかえり」

 そう返してきた声はケイオス。さっき考えたことを踏まえても、やっぱり挨拶できる相手が家に居るって良いことだ。


 台所から顔を出したケイオスはお風呂上がりなのか髪が少し濡れている。今日も大変だったのかもしれない。


「どこかへ行っていたのか?」

「図書館行ってた。お隣さんについでで案内頼まれたから一緒に」

「そうだったのか。良い本はあったか?」

「それが聞いてよ。図書館の中で倒れちゃったらしくて、お隣さんに送ってもらってとんぼ返りしたとこなの」


 今日は家の中で倒れないとも言えないので一先ず状況を報告しておこうと話を始めたらケイオスが血相を変えた。


「倒れた!? 何があったんだ!」


 ソファに一先ず荷物を置こうとした私にケイオスが詰め寄ってくる。慌てた私は体の前で両手を広げ「どうどう」と彼を抑えた。


「貧血とかじゃないかな? 結構不摂生な生活してるしさ。あんまその時のこと覚えてないし」


 笑って誤魔化す。でもそうだよね、私がケイオスの立場だったら同じくらいびっくりすると思う。


「貧血って…心配する」

「ごめん、今日はもう家で大人しくしてるから」


 そう言うとケイオスは深いため息をついて、それから何かに気づいたようにこちらをみた。


「…? 楓は香水を持っているのか?」

「持ってないよ」

「ではこの薔薇の香りは…」

「あぁ、不思議だよね。ずっと残ってるんだけど、お隣さんでもなかったし…身に覚えがなくて」


 でもやっぱりこの香りを嗅いでると何か忘れてるような気がする。


「…そうか」


 ケイオスは話が進むたび険しい顔をする。何か思い詰めてるようなその顔は私の心を揺さぶって離さない。

 貴方は何を思ってそんなに辛そうな顔をするの?


 きっと訊いても答えてくれない。それでも気になる、気になってしまう。

 ふと気がつけば、あんなに出かけるまでは気まずかった自分の気持ちも心配に移り変わっていた。でもそうだ、いつも彼は私のことで辛そうな顔をするんだ。いつだってこちらと距離を測って一歩向こうから接してくるのに、何かあったら強く心配して、一気に距離を近づけてくる。それがケイオス・アルカマギアという人。


「…ねぇ、ケイオスはどうしていつもそんなに心配してくれるの?」


 言葉は自然と口から出ていた。

 不思議に思う気持ちと、何かを信じたい気持ちがある。それはそう、彼が私を“家族”みたいに思ってくれたらって…そんな気持ち。


 そんなの押し付けだって、わかっているのに。


 ケイオスは私の問いに一瞬目を丸くして、それから優しい表情で口を開いた。


 

「楓はもう俺の家族だ。ここに住まわせてもらってる以上…いやそうでなくても、なにかあったら心配するし、焦りもする。楽しいことは分かち合いたいし、悲しいことは共に背負いたい。俺にとって君はそういう女性ひとだ」


 

「!」


 少し泣きそうになるくらい、びっくりした。ケイオスの言葉が、きっと都合のいい夢を見ているんだと思えるほど嬉しくて。言ってしまえば都合が良いい、私の望む通りのことなんだけど、心が芯から温かくなった。彼にそう言ってもらえて、確かに心が喜んでいる。


「そっかぁ…」

 思わずにやけて返してしまった。でもこの嬉しさを隠しきれない。


 そしてやっとわかった気がする。

 人を“好きになる”ってどういうことか。

 きっと家族になりたいって思える暖かさが、一つの答えなんだね。


 それなら、確かに私はケイオスが好き。

 いつも私を見守ってくれる貴方が好き。

 私のことで驚いたり心配してくれる貴方が好き。


 でもこの気持ちをまだ口にはしたくない。もう一度誰かを好きになれたなら、今回は大事に育んでいきたいから。


「私も同じだよ」


 初めて会ったあの時以来、触れることのできなかった貴方の大きな手に触れる。少し冷たいその手は、彼の静かさに似てる気がした。


「私も、ケイオスが悲しかったり苦しかったりしたら分けてほしいし、良いことは二人で共有したい。私にとっても、ケイオスは“家族”になったよ」


 なんて、告白見たいかな…なんて浮かれる私に対して、ケイオスは「ありがとう、嬉しい」と言いつつも嬉しいような悲しいような…複雑な顔をしていた。ケイオスって声にしないけど顔に出やすいよなぁなんて考えながら見ていると、彼は「あっ」と言って台所に戻っていく。


 何があったのだろうと待っていると、ケイオスは小さい紙の箱を持って帰ってきた。


「忘れていた、ケーキを買ったんだ。食べないか」

「ケーキ?」

「いつも世話になってる礼だと思って欲しい。いくつか買ってきたから好きに食べてくれ」


 二人で食卓まで移動すると、彼が紙の箱を開ける。中には四つほどの種類の違うケーキが入っていた。


「楓が何が好きかわからなくておすすめと言われたものを買ってしまったが…苦手なものはあっただろうか?」

「食べ物の好き嫌いはないんだけど…」


 どうして急に? とは思ってしまう。多分彼なりに気を遣ってくれているんだろうとはわかるので口にはしないけど。


「ケイオスは食べないの?」

「甘いものは多少なら食べられるが、楓に買ってきたものだから気にしないでいい」


 なんだかそれも味気ないな。

 ケーキがいくつあっても、何を食べるかではなく誰と食べるかって部分はあると、この生活で学んだ身としては余計に。


「一人じゃ寂しいから一緒に食べよう?」

「しかし…」

「ここのお菓子好きだから嬉しい、ありがとう。だから、ケイオスにも知って欲しいな」

「…わかった」


 ケイオスの顔が何故か赤くて少し気になったけど…一旦置いといて紅茶を淹れに行くことにした。今日はホットが良さそう、なんて考えつつ台所に向かう。

 紅茶の用意ができて小皿やフォークと共に食卓に向かうと、ケイオスが席に着いていた。


「すまない、何か手伝えばよかったか」

「ううん、大したことないから大丈夫」


 紅茶を置いてケーキを分配する。ケーキはいちごのムースにチーズケーキ、ガトーショコラとショートケーキっぽい。なら甘そうなムースとショートケーキをもらって残りはケイオスにあげよう。


 テキパキとケーキを分けて食卓に置き直す。するとケイオスが「こんなにもらうわけには」と言うので「流石に三つも食べきれないよ」と返しておいた。これで遠慮なく食べれるはず。三つも食べきれないのは本当だけど。


「んー! おいしっ」


 ケイオスがケーキを買ってきてくれたお店は、大学の最寄り駅付近にある小さな個人店。一見少し高いけどその分大きくて食べ応えがある良いお店。


 目の前のケイオスを見ると、やや申し訳なさそうにケーキに手をつけて、それから口に含んだそれを気に入ったのか嬉しそうな空気を纏っていた。こういうところ、弟って感じがする。“異性”というよりは“家族”みたいな。それだけが彼の良いところじゃないんだけど、年下だからそう思うのかな?


 ケイオスはケーキを気に入ったのかなかなかのペースで食べ進めている。その子供っぽさとは裏腹に、見た目は大変美しい男性だと思うとギャップのようなものを感じた。


 アルバイトで大学にいると前に一緒に行った時みたいにモテるんだろうなぁ、なんてつい考える。改めてあの時の人だかりはすごかったな。


 確かに背高いし、切長の目元から見える銀の瞳は綺麗だし、鼻筋も通ってて顎もスマートで頭も小さいけど、性格だって物静かで真面目で優しいけど!


 ケイオスのいろんな一面を知ってるのは私だけだって思うともやもやする。あんな見た目だけで惹かれるようなよく知りもしない女の人たちよりよっぽど私の方が彼を好きな、はず。


 わかっていてもやっぱりもやもやする。

 この気持ちを大事にしようって思ったけど、誰かに取られちゃうくらいなら先に告白しちゃった方がいいのかな?

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