青い彼女と赤い僕 中学生編
@sonohennohito
第1話
一
「なぁ、本当についてくるのか?」
春爛漫な庭に一本だけ植えられた桜の樹が、その見事な花を惜し気もなくあたりにばら撒いている美世の家の庭先で、晴豊は不安に思っていることを隠そうともしなかった。
「当然だよ。ちゃんと予行練習もしたじゃないか」
美世はそう言うと自転車のスタンドを外した。ついでにサドルに着地した桜の花びらを手で払う。二人は今日から隣の地区の中学校に自転車で通学するのだ。
「今からでもささめのとこに行ってバス乗せてもらえよ。昨日だって中学とここを往復しただけでヘトヘトだったじゃん」
「でも君のペースについてこられた。足手まといにはならないよ」
意地でもついてくる気だ。晴豊は諦めて自分の自転車に跨った。履きなれない制服のスカートがふくらはぎをくすぐってくるのが少し煩わしい。
晴豊たちが入学する茜西中学校は隣の地区にあり、粟見からは山を越えていかなければならない。片道十キロを超える長距離だ。しかも晴豊は山道のほとんどを舗装されていないところを通るつもりでいるので、通学路は危険で体力の要るものになってしまった。山の合間にある舗装路を通って行ってもいいのだが、道が広くつくられている分まわり道になっているところも多く、自転車の身軽さを活かしきれないと思った晴豊は春休みの間に自転車で通れる山道を開拓したのだった。
四月にはおおよその道筋が決まり、何とか行けそうだと美世にさらっと伝えるとじゃあ僕も自転車で行くと言われてしまい、美世には厳しすぎる道だからやめた方がいいと晴豊は何度も言ったのだが、美世は根性で晴豊についてきた。粟見から自転車で中学校に通うなんて、今ではこの二人くらいしかいないだろう。十年近くも前から粟見には中学生専用の無料の通学バスが用意されているのだから。ちなみにこのバスの出資者はささめの父が経営する企業だ。それもあってバスの駐車場はささめの家近くの広い空き地で、ここがバス通学者の集合場所にもなっている。金銭的にあまり余裕のない晴豊にとっても無料バスは魅力的な移動手段だが、長い移動時間を毎度ただ座って過ごすだけだなんて考えるだけで耐えきれそうになかった。
晴豊が買ってもらったばかりの自転車のペダルを思いっきり踏むと、自転車は春の風を巻き込んでぐんと進みだす。山道をものともせずに駆け上がるこの自転車は、父が買ってくれたオフロードにも強いタイヤの大きなマウンテンバイクだった。
「走れなくなったら叫んで教えてくれー!」
そう言い残してどんどん小さくなっていく背中を、美世は必死に追いかけ始めた。内心ではもしもっとゆっくり走ってくれと叫んだとしても、晴豊には聞こえないのではないかと思っていたけれど。まぁ叫ぶつもりもないのだが。
晴豊と同等の運動能力とまではいかなくても、それに近づくことが美世の当面の目標の一つだった。美世にはこんな誰にも言わない小さな決意がいくつもある。何事にもまず目標を打ち立ててからコツコツと努力を積み重ねるのが美世のやり方なのだ。大好きな踊りも歌も、勉強も、中学生になったら身長何センチ伸びるかも目標があるし、食べ物の好き嫌いですらこの努力で無くしてしまった。別に誰かからそれを強制されたわけでもなくただできない自分が許せなくて頑張ってしまうのだ。
二人は息を切らせて自転車をこぎながらも(特に美世が)予鈴の鳴る五分前に校門を通り抜け、新入生を待ち構えていた生徒指導の先生にさっそく呼び止められた。
「そこの二人!自転車は校門を通る前に降りなさい。それからあなた、頭髪が長いわね。強制ではないけれど髪はまとめた方がいいわ。あなたの自転車はちゃんと防犯登録してある?ステッカーはもっと見えやすい場所に貼りなさい」
身に着けているパンツスーツのボタンというボタンをすべて留め、丸い眼鏡の中の眼光も鋭いこの女性教師は、先生たちの中でもかなり厳格な方で後に晴豊のクラス担任でもあると分かるのだが、そうとも知らない二人は小学生気分を引き締められたように感じ素直に返事をしていた。そんな二人を登校してきた生徒たちがチラチラと覗き見る。二人が注目を浴びるのは先生に捕まっているからだけでなく、その容貌によるところが大きい。
美世は学ランを着ているので男子生徒のようだが、色白で髪が長く顔だけ見れば美少女そのもの。晴豊はセーラー服を着ているので辛うじて女子生徒のようだが、百七十センチ近い長身と短髪に聞かん気そうな目、浅黒い肌が活動的な男の子を演出していた。
性別逆じゃない?と誰かが言っている声が二人にも聞こえていた。しかし二人はそんなことよりも大きな校舎と小学生の時よりもはるかに多そうな学生数に圧倒されていた。
「粟見の他の新入生は通学バスに乗ってもう到着していますから、あなたたちも教室に向かいなさい」
と女性教師に急かされ二人は呼び止めたのはそっちなのにと思わないでもなかったが、ここでも素直に返事をして教室へと向かった。
記念すべき中学校一年目のクラスは、晴豊が一組、美世が三組、ささめと修は七組だった。七クラスもあってまた同じクラスになるなんてやっぱり二人は運命的だなと、美世は三十人以上の生徒がひしめく教室の中ポツンと一人席に座って思っていた。騒々しいクラスメイトの輪に入るのもこちらを見てヒソヒソと何か言っている集団に自分から話しかけるのも御免だ。かといって教室の隅で固まっている粟見出身者たちのところへも行くのもなにか、なんか無理だ。そもそも自分は粟見でも浮いた存在だったし。中学でも周囲と馴染めずに過ごすことになるのだろう。
そんなことを考える美世の足元に、何か軽くて小さなものが転がってきた。拾い上げてみるとそれがお菓子の形をしたキーホルダーであることが分かった。
「あっ、ごめん。それ僕の」
通路を挟んだ後ろの席の方から気の弱そうな声がした。美世は立ち上がって振り返り、声の持ち主にキーホルダーを渡した。
「あ、ありがとう…」
持ち主は美世の顔を見て一瞬固まり、そう声を搾り出した。
「すごいね、君の机」
美世は思わずそう言っていた。色白で気弱そうな彼の机には同じシリーズと思われるスイーツのキーホルダーが一列に並んでいたのだ。イチゴの乗ったショートケーキ、カラフルなスプレーチョコがまぶしてあるドーナツ、フルーツに囲まれたプリンなど、本物がそのまま小さくなってしまったかのような品々だった。
「え、あ、へへへ。き、緊張するから、並べたら落ち着くかなって。気持ち悪いよね、男なのに」
「そんなことないよ。僕もこういうの好きなんだ。よくできているね」
「え、あ、そうなん、だ」
彼は顔を真っ赤にしながら尻すぼみに言葉を発し、もごもごとさらに続けていたが美世にはここまでしか聞き取れず、聞き返す前にチャイムが鳴った。
美世は入学して早々に友達となる子に出会えたのだった。
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