また会えたときには沢山の感謝を伝えよう

奇妙なきのこ

ある夏の夜の出来事。

もうなんか全部どうでもいいや、

死にたい。

気づいた時には近くの高層ビルの屋上まで登っていた。誰の目にもつかなくて、なるべく痛くない自殺の仕方なんて飛び降りぐらいしか思いつかなかった。屋上まで登るエレベーターの中でこれって不法侵入になるのかなとも思ったけど、もう死ぬからどうでもいいや。

屋上に着くと今の時代らしく安全のためによくある高い金網のフェンスが設けられていた。普通の人ならこれで安全と思うのだろうけど、こんなもの足を引っ掛けて登れば簡単に乗り越えられる。

ちょっと痛かったけどフェンスを乗り越えれば下の方で虫みたいに蠢く人たちがたくさん見えた。都会だから仕方がないが、これで飛び降りたらもしかしたら私の下敷きになって巻き添えで死ぬ人がいるかもしれない。死ぬときぐらいは人に迷惑をかけたくないから人が少なそうな場所に移動して死のう。でも、せっかくだからこの綺麗な星空を少しだけ眺めてから移動したい。私はそう思って空中に足を投げ出しながら今の自分の気持ちと真反対に輝く星々を視界に入れながら座っていた。


「飛び降りはよくないよ」

急に後ろのフェンス越しに話しかけられて落ちるかと思った。

「そうですね」

驚いたことを隠すように冷静に返事をした。

首だけで振り返るとそこには白いスーツを着た女性が立っていた。

「じゃあ早くこっちに戻っておいでよ」

長い艶のある黒髪は月明かりのせいか神秘的に見える。

「すいません、すぐ戻ります」

ここで言い訳してもしょうがないため素直にまたフェンスを登って戻る。

すると、お姉さんはその場にあぐらで座り出した。

「横座りなよ」

「あ、はい」

特に断る理由もなかったので同じようにお姉さんの隣にあぐらで座る。真夏の夜風はとても気持ちいい。お姉さんが星空を眺めだしたので私も一緒に眺める。

あ、あれ夏の大三角だ。


「さて、少し落ち着いた?」

空に浮かぶ幾つもの星座を何も考えずに見ていたらお姉さんに話しかけられた。

「はい、ご迷惑をお掛けしてすいません」

「なんで自殺しようとしてたの?」

すごい直球で聞いてきた。それ多分自殺しようとしてた人に1番聞いちゃいけないやつじゃないのか。私は別にいいけど。

「どう生きるのが正解なのか分からなくなっちゃって」

簡単に言えばこうだ。

「というと?」

「人に優しくして生きていけばいいのか、勉強だけ頑張って生きればいいのか、自分を偽ってみんなが好きでいてくれるような人間を演じて生きればいいのか、自分を押し通して孤独でも自由に生きればいいのか、もうどうしたらいいのか分からなくて」

初対面の人に自分の内情を詳しく話すつもりなんて微塵もなかったが、夏の夜の独特な空気と奇妙な雰囲気のお姉さんに流されて話し始めてしまった。

「私は別に親に虐待されてるとか友達に虐められている訳ではなくて、なんなら家族は私のことを愛してくれていると思うし、友達だって普通の人よりはいると思う。周りからもよく変わってるけど明るくて一緒にいると楽しいって言われたりもする。根はこんなに根暗だけれど。」

「でも、私はだからなのか急に友達に冷たくされると嫌われたのかと思っちゃうし、家族にも心の底では私のことお荷物だと思っているんじゃないかって考えちゃう。」

「他人に優しくできない、自分をコントロールできない、努力をやらない、そんな自分が嫌で仕方なくて」

私の短所は気分屋で、口が悪くて、協調性がなくて、計画性がなくて、責任感がなくて考えれば考えるほどたくさん出てくる。

「友達に無視される、嫌われたのかもしれないと不安になるのがもう辛くて」

「急にもう全てが嫌になってなにも考えたくなくて死にたくなって、気づいたらここにいました。」

お姉さんは私が話している間ずっと黙って聞いてくれていた。

「でも君はまだ死んでいないね?途中で怖気付いたのかい?」

「そう、ですね…」

「自殺っていうのは並大抵の人ができることでは無い。本当に壊れてしまった人だけができることなんだ。そしてそれはきっとその人たちにとって唯一の最後の救いなのだと思う。君はまだ壊れきっていないだろう?だから出来ないんだよ」

薄々気づいていた。私に死ぬ勇気なんて無いことを。きっと本当に死にたい人なら他人のことなんか考えないでさっさと飛び降りるはずだ。それが出来なかった時点で私は本当に死ぬ気なんてなかったんだ。死にたいと思っているくせにどこかでまだ死にたくないとも思っているなんて悲しい生き物だな。

「でももう私は人と関わりたくない。人は一人で生きていけないと言うけど、それは分かってるけど、私はもうずっと一人で生きてきたい。」

どんどん自分が卑屈になっていくのを感じる。

「別に死ぬことは悪いことではないよ。どんな人間にだってそういう運命なのだったら何歳であっても平等に死んでしまう。だから、きっと君はまだその時ではないんだ。」

切れ長の真っ黒な目がこっちを見て言う。

「私の運命は何時なのでしょう、」

「それは神様しか知らないだろうね」

お姉さんはそう言って空を見上げた。私は近くにあった何の植物なのかよくわからないが少し枯れかかっている花が咲いている花壇を見ていた。

神様か、神様というのは残酷だと思う。色んな人から愛されているような価値のある人のことは簡単に殺すのに、私みたいな最悪な人間を生かしておく。きっと、この世でまだ生きていたかった人たちも沢山いるだろうに、こんな私より先にあの世に連れて行ってしまう。残された遺族が泣いているのをニュースや親族のお葬式でたくさん見てきた。私が死んだらどれぐらいの人が私のために泣いてくれるかな。母親ぐらいかも。


「君は神様を信じるかい?」

「信じてはいます。でも、縋りたくはないですね。」

神様なんて曖昧なものに縋ってしまったときには私にはもう自我なんてないだろう。自分で物事を考えられないただの信者になっていそうだ。

「君は賢いね。多分君は賢いから色々なことを考えすぎてしまうんだ。周りからの評価が気になるのも人間なら仕方がない。別に毎日神様に祈らなくたっていい、辛い時だけでも頼ってみてはどうだい?」

「神様は決して優しくは無い。気まぐれで残酷なお方だ。でも、この世の者たちのことはちゃんと見ている。辛い時だけ縋ったって普段を真っ当に生きていればなんとも思わないさ。都合よく使ってやればいい。」

そう言ってお姉さんは少し意地の悪そうな笑顔を見せた。

「それも、悪くないですね」

少しだけ、水を混ぜた墨汁のような心の中でぐるぐるしていたどす黒い何かが少し薄くなった気がした。


「さあ、そろそろお家に帰りな。自分を卑下し過ぎるのは良くない。大丈夫、君は自分で思っているより心優しい素敵な人間だよ。」

自分の目に涙が浮かぶのが分かった。初めて会ったお姉さんの言葉だけど、何の捻りもなく褒めてくれるその言葉が今の私にはとても染み込んだ。

「ありがとう、ございます。」

私はそう言って自分の袖で涙を拭った。

「たくさん話を聞いてくれてありがとうございました。お姉さんに会えてよかった。」

お礼を伝えようと少し涙でぼやけた視界をお姉さんに向けると、そこにはもうお姉さんはいなかった。

代わりに小さいけど存在感のある真っ白な蛇がこちらを向いていた。

「最後に一つだけいい事を教えてあげよう。君のその優しさはいつか必ず返ってくる。実際に、どこかの猫が君にお礼を伝えたがっていた。貴方のおかげで無事に子供が生まれたって」

その蛇はそう話し出した。驚きのあまり私が言葉も出せないでいるとさらに思いついたようにこう言った。

「そうだ、蛇でも飼ってみるがいい。とても可愛いぞ。この私が飼ってみろというのは珍しいのだからな、自信をもって生きろ。」

「え、」

私が返事をする前にそれだけ言い残して目の前にいた蛇はどんどん薄くなってどこかへ消えてしまった。

「お姉さん、蛇だった…?」

白い蛇は神様の使いだとよく言われる。そういえば、この間ダンボールに捨てられていた猫を動物病院まで連れて行ったな。妊娠していたのか…。それなら無事に産まれてよかった。明日にでもあの動物病院に行って会いに行こう。そして里親探しを手伝おう。お礼を言われただけだがそれだけでもどこか舞い上がってしまう自分がいた。

あの神使の蛇のお姉さんが代わりに伝えに来てくれたのか。神の使いの生き物に命あるものを飼ってもいいと言われるのはなんだか認められた気がして嬉しい。本当に蛇でも飼ってみようかな。そうしたら辛い時でも気まぐれで残酷な神様なんかに縋らなくたって、可愛い相棒を見れば元気になれるはずだ。


「もう少し生きてみよう」

人生を終わらせるにはまだ私は元気すぎるみたいだ。


ふと、世界を見上げると西の空に移動した夏の大三角が浮かんでいた。この先、私は夏の大三角を見る度にこの出来事を思い出して生きる気力をもらうのだろう。


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