26.楽しそうすぎて、心配。

「楽しそうすぎて、心配」

 大切な人に、そんな言葉をかけられました。

 あー、反動怖いよね。この子すぐ沈むし。てへへ。

 そんなこと言わせちゃって申し訳ないなと思う反面、優しい人がそばに居てくれるなんて、素敵な人生すぎないかと噛みしめる今日此の頃。

 のんきですまん。ぽわわん。


 いつかきっと何かの理由で、何も飲み込めなくなることがあるかもしれない。

 少し後ろ向きな出発点ではありますが、趣味や自分の好きに対して、終わりを見ていることがよくあります。

 飽きること、経済的な理由、身体的な理由。

 自分の意思なのか、はたまたそうでないのかは、その時になってみないとわからないけれど。

 様々な理由で、自分の好きから離れる瞬間はきっとある。

 何かを始める時は必ず、そんな風に思います。


 去年の年末から、新しい趣味を始めました。

 身内だけで遊ぶだろうと始めた趣味でしたが様々な要因が重なって、今回まったく知らない人たちとプレイできる場に飛び込んでみました。

 結果だけお伝えすると、めちゃくちゃ楽しかったです。

 楽しすぎて、次の予定をすぐに立てたくらい。

 その行動力とテンションのぶち上がり方が、ちょっと心配するレベルに思えたという話をされました。

 なるほどね。


 今までそれなりの時間を生きて来て、本当の意味で人の時間が喪われる時を、何度か経験して来ました。

 いつか必ず、人は死ぬ。

 この不平等な世界で、唯一平等に訪れる運命を、私は強く意識して生きてきたように思います。

 今まで、死はある程度コントロールできるものだと思っていました。

 そのスイッチを押すのは、自分であると疑わない。そういう生き方をしてきました。

 けれど今回の件で『自分ではコントロールできない死』というものの存在を、とても身近に感じ、そして思ったのです。

 あー、知らない人とプレイするのは怖いけど、あの時のイベント参加しておけばよかったって思いながら死ぬ人生は嫌だなぁ、と。


 幸運にも、私の口は今日は動いています。

 幸運にも、私の指先は自由に伸ばすことができます。

 幸運にも、歩くことができて、

 幸運にも、意識がある。


 これらすべてが、本当にただの幸運の上に成り立っていることを噛み締めた時、楽しいことを楽しむ以外の選択肢が自分の中には存在しませんでした。


 死なないことは、わかっています。

 それでも、全身麻酔と開腹手術。十日の入院。

 すべてが終わったあと、どれくらいで今と同じ状態に戻るのか。戻れるのか。

 心身ともにどうなっていくのか、まったく想像がつきません。

 だからこそ、どうせ後悔をするならば、ここでアクセルを踏み切っておきたいと、車の免許すら持っていないにもかかわらず、思ってしまった次第です。


 いつかこの楽しい気持ちが、霧のように淡く溶けてなくなる日が来るかもしれない。

 でもそれは、決して今日ではない。

 ならば今のこの気持ちを、百二十まで注いで愛したい。

 さあさあお立会い。これが私の、私なりの激重感情である。


 趣味や恋愛って、三年周期って聞いたことがあります。

 環境の変化が起こるから、三年周期で変化しやすいんだって。

 なんとなく思い当たる節もある。

 けど、例え三年で何かひとつがなくなったからといって、私の人生がそこで終わるわけではないので。

 新しい好きができたら、迷わない。

 そんな風に、これからも生きていこうと思ってます。

 あわよくば、ずっと続けばいいなって思うし。続ける努力はするつもりだけどね。

(本日の前向きポイント)


 大人の時間は短くて、リソースは限られていて、だからこそ、真剣に愛せないものに割いている時間はないと感じます。

 今日も愛していると、胸を張って言うぞ。

 今日も、一歩を、一秒を慈しんで暮らしたいと思います。


 手術まで、あと三十一日。


(続)

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