16.私が森を信じる理由
起きて食べて働いてまた眠る。
昼に普通と呼ばれる状態目指して過ごしている分の負荷がかかるのか、夜になると呼吸が浅くなって横の日々が続いています。
大好きだったゲームができなくなる。
それが明確なSOSのサインであることを、私は理解していました。
重厚な物語、苦悩と絶望の中でそれでも希望に向けて歩き出す人々、そういうものを背負う物語が大好きで。
ゲームは私が私でありながら、そうでない場所へ連れて行ってくれる。人生に最高の体験をもたらす、素晴らしいコンテンツだと思っています。
なのに、それらすべてを体が一切受け付けなくなる。
大好きなものでさえ飲み込めなくて、泥水のように吐き出して苦しくて、声にならなくなってしまう。
そういうことが、生きていれば起こることもあると、残念ながら私は既に知っていました。
縋るような思いで、Nintendo Switch LITEを手に取ってみます。
先日手に入れたばかりの、しずえアロハエディション。
ピンクのマットボディがさらさらと手に心地良い、小さな機体を恐る恐る起動してみると、久しぶりに画面の中身が自分の体に染み込むような、あの感覚、没入感がやってきました。
苦しくない。
どうぶつの森なら、できる。
それは、希望であり確信でした。
島は、二年という長い期間を経て訪れた私という存在を、ゆるやかに受け入とめてくれています。
ああ、懐かしいな。
ずいぶんと、昔の話をします。
今よりも若く子どもだった私は、世界を呪って暮らすことしかできなくなった時期がありました。
きっかけは、日々の積み重ねだったのだと思います。
父のだらしのない下半身事情、母の不器用すぎた愛情表現、共依存の下で無自覚に行われた虐待と呼ばれるに該当する行為の数々、大学を中退し、趣味も人間関係も何もかも破壊して、お金と他人の体に溺れて暮らしていた愚鈍な青春の一ページ。
今なら取り戻せると思えることも、当時の私には天変地異と同義で、ゆっくりと身動きが取れなくなっていることにも気づけず、ある日突然電源が切れたように何もできなくなってしまった時期がありました。
己のことしか考えられず、しかし己のことも見えておらず、ご飯も食べられなくなってお風呂にも入れなくなって、ああこのままゆっくりと腐り落ちるのだろうかと涙すら枯れ果てたいつかの深夜三時。
ふと目に止まったDSを開いたのは、どうしようもなくなっていた自分がまだ感情を失ってはいないと確かめるために無意識にとった縋りだったのかもしれません。
当時のどうぶつの森は、夜になるとほとんどできることがありませんでした。
住民も寝静まり、施設も使えず、課題のようなものも何もない。
ひとり真っ暗な森の中にぽつんと取り残されて、現実みたいだと悲しくなったりして。
それでも、レバーを倒すと歩き始めた自分のキャラクターが、やけに元気そうで。馬鹿みたいに派手なカチューシャをしていて。
真っ暗な部屋で、傷つけることもなく傷つけられることもなく、ただ優しい世界がそこにあって。
私は久しぶりに、前を見て歩く自分の姿を見ることができました。(ただのゲームのアバターなんだけどね)
操作方法が思い出せないままボタンを押すと、手にした釣り竿がぽちゃんと音を立てて水の中に吸い込まれていきます。
ただそれだけのことが、停滞している時間の中で私が自覚的に行うことができた唯一の行動でした。
このまま私は死んでしまうのだろうと、そう思っていました。
己に傷をつけ、すべてを世界のせいにして、人を傷つけ、大切なものを自分から手放し、それでも無様に生きていることが、悔しくて恥ずかしかった日々。
食べることも眠ることもできず、55kgあった体重が45kgになって、毎日できることがひとつずつ消えていって。
手放してしまおうと、本気でそう考えていたあの夜。
たまたま放り投げた釣り竿が、デジタルの川に飲み込まれたあの瞬間。
私にはまだ、何かをする力が残っているのだと、思い出すことができたような気がしました。
私は死んでいない。だって今こうして、釣りができているじゃないか。
あとはもう、ただ夢中になって夜の川で釣りをし続けました。
Aボタンで釣り竿を投げ、影と音を頼りに、闇雲にデジタルの魚を釣り上げる日々。
目的もなく、目標もなく。押すことで得られる、結果。
それだけのことがたまらなく嬉しくて、愛しかった。
森は、ゆるやかな、そして確かな意識の変化を私にもたらしました。
今日も魚をつろう、今日は貝を拾ってみよう、今日は木を切ってみようか、住民に話しかける勇気が欲しいな、あの子が私の名前を呼んでくれた。
不思議なことに、ゲームの中で選択肢を増やせるようになった分、少しずつ現実でも動くことができるようになりました。
今日は水以外のものを口にできた、今日は固形物を飲み込めた、お風呂に入って、眠るのはまだ少し苦手だったけれど、できることが増えて、やりたいことを考えられるようになって、周りで支えてくれた人たちに気づくことができて、ようやく私は暗い部屋の中から出ると言う選択に辿り着くことができたのでした。
まさか人生で二度も、どうぶつの森に救われる日が来ようとは。
今はあの頃より、明確な不安と原因と対処がわかるようになりました。
それでも、息が苦しくなった時に、どうすればいいのか選ぶ訓練ができたことは、あれはあれで必要な時間だったのだなと今は思っています。
失ったものもめちゃくちゃあるけどな!!!!!!!!!!!!!!
前の向き方がわからない時の対処法が、自分の中にある。
そんな後ろ向きな確信に思いを馳せながら、今夜も私はAボタンで魚を釣ります。
早くいつもの自分に戻りたいなぁと思う気持ちも強いのですが。
今は多分、そういう時期。うんうん。
焦りそうになる時ほど時間をかけて立ち止まった方がいいことを、私はもう知っています。だからきっと、もう大丈夫。
大人になるのって悪くないなぁと思った夜なのでした。
(続)
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