その50「夜通しでアニメを観た」


 「や、やっと観終わった……」




 画面を流れる壮大なエンドロールの中、俺は後ろに倒れこんだ。




 豆電球とテレビだけが灯る室内。汐里と深月姉をはばかり、音量は抑えてある。




 「どう、最高だったでしょ!?」




 「いや、たしかに面白かったけど、ぶっ通しで観るってのはどうなんだろう……」




 『魔法理想郷ルーティア』の鑑賞会は、本当に休むことなく、ファーストシーズン一巻から、セカンドシーズンの終わりまで、次々と進められた。そしてその間、ことあるごとに灯華は解説をしてきた。多くは設定についての補足や解説だったが、中には作画監督や出演声優の他作品との比較についてまで語られ、とてもではないがついていけなかった。




 「よし、もう午前3時だ。明日バイトあるから、そろそろ寝て……」




 「なに言ってんのよ。今のはただの基礎勉強みたいなもんでしょ。こっからが本番よ」




 あれだけぶっ続けでしゃべっていたというのに、まったく疲れを見せない灯華。割と華奢な身体をしているというのに、強靭な体力をしていた。




 「本番ってなんだよ。アニメに基礎も実践もないだろう」




 「あるわよ。『魔法理想郷ルーティア』は、私たち2人にとっていわばバイブル。仏教徒にとっての釈迦の説法みたいなもんよ」




 「そんなありがたいもんだったのかよ、あれ」




 もちろんでしょ、と灯華は当たり前のように頷く。




 「観てわからなかった?あれがあって、今の私があるのよ。私を構成する要素は女の子であることと『魔法理想郷ルーティア』が好きであること、そしてワッフルをおいしく焼けることだけなのよ」




 「いや、浅すぎるだろお前の人生」




 そしてワッフルに関しては、てんで初耳の話だった。




 だが、彼女にとってのバイブル、という話にも多少は頷けた。途中ゴシック・ファッションの女の子がサブヒロインとして出てきていたが、恐らく灯華は彼女から大きな影響を受けているのだろう。




 「というか、こんな時間にこれ以上なにするって言うんだよ。テレビですらなにもやってないような時間帯だぞ」




 「駅前のレンタルビデオショップが、午前4時まで営業してるわ。そこに行って、他のアニメを借りてきましょう」




 「えっ、まだ観るのかよ……」




 俺はがくりとうなだれた。灯華は、早速ポーチを持って、外出の準備をしていた。




 午前3時ということもあり、外は当然のように真っ暗だった。時折車の走る音が聞こえたが、それも頻繁ではなかった。やはり、寝ているべき時間なのだ。




 「お前、普段もこんなにアニメばっか観てるのか?」




 「まさか。曲がりなりにも実業家の娘が、遊んでていいわけがないでしょ?姉さんも、一流大を出て、今の旦那と出会ったんだから」




 「実業家なのか、お前のとこの親」




 「ええ。父は電子メーカーで、母親は宝石とファッションの会社をちょっとね。今も世界中を飛び回ってるわ」




 灯華は、財布に結ばれた、ストラップを見せる。華奢な金の装飾の真ん中には、大粒のルビーがあてがわれていた。




 「す、すごいな……」




 「自慢じゃないけど、私の全国模試の結果を見せたら、もっと驚くわよ」




 灯華はにやりと笑って見せた。




 「まぁ、身の上なんてどうでもいいのよ。二次元の世界へ行ってしまえば、貧富も貴賎も全部同じことよ」




 冷たい夜風に灯華は身体を震わせ、身体を小さくした。




 「なんで賢いのに、二次元の世界なんて信じてるんだよ」




 「信じるのに賢いも馬鹿もないでしょ」




 「でも、二次元に通じる扉なんて、現実的にあると思えるか?」




 「キリスト教の最後の審判では、天地がひっくりかえったうえ死んだ人がみんな生き返って、神の国に行けるかどうか裁判にかけられるのよ?」




 俺はなにか言葉を返そうとしたが、その前に駅前のレンタルビデオショップに着いてしまい、この話は終わりになった。




 「さて、なにを借りようかしら……」




 そんなことを言いつつ、灯華はさくさくとアニメコーナーに足を踏み入れ、迷うことなくDVDをケースから抜き取っていた。




 「おいおい、そんなに借りても、観る時間ないんじゃないのか?」




 「観れなかったのは、次会うまでに観といて。私はもう全部観たやつばっかだから、すぐさま感想トークができるわ」




 作品ごとの感想を呟きながら、借りるものを選んでいく。その表情は、本当に幸せそうだった。




 「あ、そうだ。帰る時間がもったいないから、近くのネットカフェに入って一緒に観ましょう。その方が効率的よ」




 「いや、俺にとっては非効率極まりないから。なんで近くに家があるのに、ネットカフェで夜過ごさなくちゃならないんだよ」




 「アニメを観るためよ」




 「どれだけ苦行を強いてくるんだ、アニメってやつは……」




 だが、相手が言って聞く相手ではないことは、ここ最近の関わりで十分に理解していた。




 「……わかったよ。でも、家は深月姉がテレビを占領してるから、あんまりたくさん借りないでくれよ」




 それを聞いたとき、灯華は、わずかに顔を赤らめ、目を細めて笑った。




 「あんた、やっぱ結構いい奴ね」




 俺たちは近くのネットカフェに入り、カップルシートを取った。そして入るなり、アニメのDVDをパソコンに挿入した。




 「このアニメはね、平凡な高校生たちが、放課後部室に集まる部活を開いて楽しく和気あいあいと日常を過ごす作品なの」




 「なんでわざわざ部活を作るんだよ。放課後マックに集まればいいじゃん」




 「あんた、馬鹿じゃないの?そんなの、野球部入らずに草野球すればいいじゃんって言ってるようなもんよ」




 灯華はアニメを再生させる。画面には、平凡な校庭と、平凡な校舎が映し出された。




 それから4時間。本当にぶっ続けでまた俺たちはアニメを観続けた。ネットカフェということもあり、今回は灯華もテンションを抑え、耳打ちするように俺に顔を寄せて話していた。




 「うわ、また1クールまるごと観終わっちゃったよ……」




 「どう?面白かったでしょ?」




 灯華は30cm程の距離で、笑みを見せる。俺は正直に頷いた。




 「それじゃ、そろそろ帰ろうか。俺もバイトに行かなくちゃいけないから」




 「どうして?あんたの家でちょっと寝て、それから一緒に今日観たアニメについて語らいましょうよ」




 さすがに、これに関してはため息では済まされなかった。




 「あのなぁ。お前はお嬢様だからお金の心配なんてしないかもしれないけど、俺は一人で3人分の食費を稼がなくちゃいけないんだよ。だから、いつまでも遊んでるわけにはいかないんだ」




 「どうしてもって言うんなら引き下がるけど、バイトにも有給休暇ってもんがあるでしょ?それ使えばいいじゃない」




 「バイトの身分で普通にそんなの使えると思うか?そんなに世の中、単純なもんじゃないんだよ」




 「なにいってんの。法は絶対よ。あんた、どこで働いてるわけ?」




 俺は、朝働いているスーパーの名前を挙げた。灯華は、考えるように上を見上げる。そして、そそくさと帰りの支度を始めた。




 「まぁいいわ。とりあえず、出ましょう」




 ネットカフェを出ると、もうすっかり外は明るかった。道には会社へ向かうサラリーマンの姿が多く見て取れた。




 「まぁ、なんだかんだ今日は結構楽しかったよ。それじゃ、またな」




 「ちょっと待って。どうせだから、あと10分だけ付き合いなさいな」




 「なんだ、まだあるのかよ」




 付き合え、と言っておきながら、灯華はその場を動かず、おもむろにポーチから携帯を取り出し、どこかにかけ始めた。




 そして5分ほど話したところで、灯華は電源を切ってこちらを向いた。




 「有給、とっておいたから。今日はゆっくりしなさい」




 とりあえずあんたの家に寝に行きましょう、と歩き始める灯華。それを、慌てて俺は止める。




 「えっ?どういうことだよ」




 「うちの叔父が地方銀行の頭取だっていう話はした?」




 「……いや、初耳だ」




 「あんたが働いてるスーパー、そこの顧客なのよ。しかも、次監査が入れば厳しい対応は避けられないくらいの問題企業」




 「えっ、それって……」




 「弱みを握ってるってことよ。いわばうちの一族が、あの企業に対して」




 ちなみに、この辺の小売とサービス業、あと中小企業はだいたい叔父の顧客よ。そう、なんでもないように彼女は補足をした。




 「ちなみにあそこ、あんまり働くのはオススメしないわよ。正社員登用の話がきても、あんまり経営状況良くないから」




 四季報くらい読みなさいよね、と灯華は言った。俺は、なにがなんだかよくわからなかった。




 その日は二人でアパートに戻り、一眠りしたところで、灯華はおとなしく帰っていった。本当に有給休暇が取れているのか、俺は気が気でなかったが、その答えは次の出勤日にすぐにわかった。




 次の日、俺が出勤をすると、スタッフルームは妙にざわついていた。そして俺を見るなり、どこかぎこちない会釈をしてくる。そして制服に着替え終わると、店長が直々に俺のところまでやってきた。




 そしてその場で、時給の300円アップが言い渡されたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る