その34「図書館で情報集めをした・上」

 午前10時。今日はバイトもなかったため、汐里を幼稚園へ送り出すと、カーテンを閉め切って深月姉と二人寝ていた。遮光カーテンの隙間から、強い陽光が差し込んでくる。今日は快晴だった。




 「あぁ~、幸せだぁ~」




 深月姉は枕を抱きしめながら、寝言のように呟く。




 「深月姉、もうお昼冷凍食品でいいかな……。今日は一日だらけよう……」




 「うん、いいよ。起きたら変わりばんこでコールオブデューティしよ……」




 顔を合わせることもない、寝そべったままの会話。完全に堕落しきっていた。




 そのとき、インターホンが鳴った。その瞬間、俺たちは跳ね上がるように身体を起こした。




 「……………」




 「……深月姉、アマゾンでなにか頼んだ?」




 「ううん、なにも。ということは………」




 「………NHKか」




 その言葉が出ると、俺たちは反射的に身構えた。




 NHKは俺たちにとって、最大の恐怖だった。受信料を支払わなければならないのはわかっているものの、払ったが最後、俺たちは明日の食費を失い、飢餓にあえぐことになる。




 世の中には巧みに言葉を使って支払いを避ける人もいるようだが、俺と深月姉にはとてもではないができる芸当ではなかった。




 二度目のインターホンが鳴る。俺たちはまた、身を強ばらせた。




 「どうする、夕一……?」




 「決まってるだろ。居留守だ居留守。メリットもないのに自ら虎穴に入る必要もない」




 三度目のインターホンが鳴る。それも俺たちは無視を決め込む。すると、ついにはドアをドンドンと叩き始めた。




 「夕一っ!!」




 「声が大きいよ深月姉!……でも、今まではこんなことなかったのにな」




 「きっと、今日の取りたての人は元ヤンなんだよ……」




 なおも、ドンドンとドアは叩かれる。時間が経つごとに、強くなっていった。




 「私よ私!開けて!」




 玄関の向こうから、怒声にも似た声が飛ぶ。深月姉はガタガタと震えだした。




 「ねぇ、夕一……」




 「とうとうオレオレ詐欺まで駆使してきたか……」




 なおも、ドンドンは鳴り止むことはない。俺たちは息をひそめ、扉の向こうの人間が去るのを待つ。




 そのとき、携帯が鳴った。俺は慌ててそれを引っつかみ、布団の中にもぐりこませた。夏夜姉からだった。俺はそのまま電話に出た。




 「はい、もしも……」




 『早く開けなさいっ!!!』




 部屋に入ってきた夏夜姉は、額から汗を流していた。相当ヒートアップしていたようだ。




 「これだけ露骨に居留守を使われたのは初めてよ。何度も私だって言ったのに」




 「いやぁ~、ごめんね夏夜ちゃん。新手のオレオレ詐欺かと思っちゃって」




 「玄関先で親類だと偽ってくるなんて新しすぎるでしょう。それに、お金のない姉さんに詐欺を仕掛ける人はいないわ」




 「詐欺師にも見捨てられたぁ~~」




 深月姉はよくわからない理由でしょげていた。




 「それで、夏夜姉はどうしたの?今日は大学の日じゃないの?」




 「今日はお休みの日なのよ。大学の創立記念日とかで」




 「なぁーんだ。自主休講と称してサボっちゃったんだと思ったよー」




 「たとえそうだとしても、毎日が自主休講の姉さんに言われる筋合いはないわね」




 「ぐはぁっ!!」




 深月姉は、お腹を抱えて倒れこむ。夏夜姉の発言で、完全にノックアウトされたようだった。




 「今日は、ちょっと夕一と姉さんを外に連れ出そうと思って来たのよ」




 「えぇー、今日せっかくバイト休みなのに」




 夏夜姉は、視線を落とす。しゅんとしていた。




 「夕一は、私と一緒に出かけるのが、イヤなのね……」




 目に見えて、急激に夏夜姉のテンションが下がっていく。俺は慌てて、明るい表情を作った。




 「いや、違うんだ夏夜姉!これは、あれだ、照れ隠しだ!お誘いに素直に乗れないときに発動するやつだ!」




 「……もしかして、新手のツンデレ?」




 「……ああ。もうそういう解釈でいいや」




 夏夜姉の表情が、少しだけ和らぐ。持ち直してきたようだった。




 頭もよく仕事も速い、その上商才もありプログラミングや囲碁にも強いと完璧な夏夜姉だったが、唯一メンタルが脆いのが弱点なのであった。




 「夏夜ちゃんの目的は夕一でしょ?私は寝てるから、二人で行ってきていいよ」




 「いいえ。それは困るのよ。姉さんにも一緒に来てもらうわ」




 それは意外な発言だった。普段深月姉と夏夜姉は、お互いを疎外しようとしか考えていない。それを自ら誘うというのは、にわかに信じがたいことだった。




 「夏夜ちゃん、もしかして私の内臓を売り飛ばす気なの……?」




 「どこに連れて行かれると思っているのよ。行くのは普通の公共施設よ」




 「ということは、切除だけは大学病院でするんだね……」




 「……姉さんは私をなんだと思っているの?」




 夏夜姉はあきれた顔をしていたが、すぐに表情を戻し、細身の眼鏡をくいと上げた。




 「行くのは図書館よ。姉さんのゲーム案が一向に進まないから、とりあえず情報集めをしてもらうわ。たくさん情報に触れれば、そのうちいいアイデアが思いつくでしょう」




 「なるほど……」




 深月姉は納得したように、何度も頷いていた。




 「さすが夏夜ちゃん!頼りになるね!」




 「姉さんが頼りなさ過ぎるだけよ」




 そうと決まれば、深月姉は早かった。深月姉は入浴時以外では久しぶりに、スウェットの上着を脱いだ。




 「うわっ、なにしてるのよ姉さん!」




 そのとき、慌てて夏夜姉が、深月姉の纏うブラの辺りに上着を押し付ける。




 「なにって、着替えてるんだけど」




 「夕一が見てるじゃない!」




 「あはは。そんなのいつものことだよ。夏夜ちゃんは神経質だなぁ」




 深月姉は笑って、スウェットの下も脱ぐ。夏夜姉はせめてもの抵抗か、俺と下着姿の深月姉との間に立った。そして、とうせんぼをしながら、険しい表情になった。




 「絶対にいつか、夕一をうちに住まわせるんだから……!!」




 握りこぶしでそう誓う夏夜姉。俺は、苦笑いをするしかなかった。


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