その30「深月姉が社会復帰した」
夜。9時を過ぎて汐里も寝つき、豆電球だけが灯る暗がりの部屋。俺は冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、深月姉に渡した。
「ありがと、夕一」
深月姉は栓を開け、くいっと口元で傾けた。
「今日はなんのゲームをする?レースゲームとか、最近やってないけど」
俺はゲームのケースをごっそり掴んで、布団の上に並べてみる。最近は夏夜姉から時々やり飽きたゲームをもらうこともあって、やりつくすしてゲームがないという状況はなくなっていた。とはいえ、夏夜姉は複雑なルールが絡み合うシュミレーションや、リアルタイムで兵士を動かすRTSのゲームを好むため、深月姉にとっては苦手なタイトルばかりであったが。
「んとね、今日は、真面目な話をしようと思うの」
「ん、『真面目な話』?推理ゲーか?」
「ゲームじゃなくて、ほんとに真剣な話なの!」
深月姉はじっと俺の方を見つめてくる。普段ほわわんとしている深月姉が、このような顔をするのは、至極珍しいことだった。
「ねーちゃん、働こうと思うの」
「……はぁ、またその話か」
俺はため息をつく。その反応が予想外だったのか、深月姉は緊張の空気を解いて、あわてだした。
「夕一、驚かないの?ねーちゃん、働くんだよ?」
「どうせ作家になって原稿料をもぎとるって話だろ?」
「それもそうなんだけど、今すぐ稼げる仕事をすることにしました」
「はいはい…………って、なにぃ!?」
俺が大声を出したため、深月姉は慌てて手で俺の口を塞ぐ。幸い、汐里は起きていないようだった。
「……ごめん、深月姉」
「もう、お隣さんにも迷惑なんだからね?」
今度は深月姉がため息をつく。深月姉にそうされると、立場がなかった。
「でも、なにをするんだ?なんだったら、一緒にコンビニのバイト入る?」
「ムリムリムリ!!私のテリトリーに知らない人が次々やってくるなんて、軽い拷問だよ!!」
「いや、そこまで言わなくても……」
「おつり渡すとき手に触れたりでもしたら、私その触れた部分から蒸発しちゃうよ!」
「いや、人間にそんな機能はないから」
深月姉の人見知りは相変わらずだった。まぁ、レジに商品を持っていくだけでも緊張する深月姉が、レジ打ちをするなどとてもではないが無理だろう。
「じゃあ、なにをするのさ」
「文章だよ、夕一!サイトの文面を作るライターになるの!」
きらきらと目を輝かせる深月姉。夢と希望の詰まった案であるようだった。
「別に俺は構わないけど、そんなのできるのか?」
「できるよ、ほら!」
俺は深月姉にノートPCの画面を見せられた。
元々準備していたのだろうサイト画面には、仕事の案件の情報がずらりと並んでいた。どうやら、ライターのクラウドソーシングの会社のようだった。
「実は、もう登録をしてあるの」
「ほんとだ……」
ユーザー名の欄には、短く「mitsuki001」と書かれていた。恐らく、「mitsuki」と「mitsuki01」は既に他のユーザーが使っていたのだろう。深月姉がネトゲをするときによく使う技法だった。
「今日はいい機会だから、私が社会復帰をする瞬間に夕一も立ち会って」
深月姉はある案件をクリックし、早速文章を打ち始めた。
ネトゲをし慣れたからだろう、深月姉は軽快なタイピングで文章を打ち込んでいく。案件の内容は、「音楽情報サイト記事の作成」だった。オーダーされた内容を素早くネットで調べ、内容をきれいにまとめて文章に落としていく。普段だらしない深月姉だったが、またたく間に体裁を整えた記事を作成し終えた。
「できたー」
深月姉は一息つく。そして入稿を終え、くいとまたビールを飲んだ。
「深月姉に、こんな才能があったとはな……」
「へへん、ただのヘタレなお姉ちゃんじゃないんだよ」
自慢げに胸を張る深月姉。たった一つ仕事をこなしただけでそこまでするのはどうかと思ったが、今回はなにも言わなかった。
「さぁ、久しぶりの収入はいくらなのかな?」
ページをクリックして、案件内容の欄に戻る。そこに、金額も書き込まれていた。
「600文字32円」。その言葉を見たとき、俺たちは絶句した。
「………ゆういち、わたしのさっきのしごとって」
「32円だな」
深月姉はその瞬間、すべての力が抜けたように布団の上に倒れこんだ。
「………深月姉」
「なにも言わないで。……今は一人にして」
そんなことを言われても、六畳一間のアパートで、深月姉を一人にすることは不可能だった。
そうして、深月姉の社会復帰は、世知辛いものとなったのだった。
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