その13「呼び方が変わった」
「ゆーいち」
それは午後6時半、夕食のための食器を運ぶ汐里が、アジフライを揚げる俺に向かって言った一言だった。
「え、いまなんて言った?」
「ゆーいち」
「……………」
「……………」
俺は、火をかけていた鍋の方を指差す。
「これは?」
「アジフライ」
「俺は?」
「ゆーいち」
「……………」
俺は、ゆっくりと菜箸を置いた。
「深月姉!大変だ!」
「どどど、どうしたの?」
ゴールデン前のニュース番組を観ていた深月姉は、慌てて振り返った。
「汐里が反抗期になった!」
深月姉は、汐里をまじまじと見る。そして、首を振った。
「そうとは思えないけど」
「でも、さっき確かに!」
「あのね夕一、健気に食器を運ぶの手伝ってくれる反抗期の子どもが、一体どこにいるっていうの?」
「でも、さっき俺のこと、『ゆーいち』って!」
深月姉は、汐里の元に歩み寄る。
「汐里ちゃんは、夕一のこと、『ゆーいち』って呼んだの?」
「呼んだ」
「なるほど……」
深月姉は、深々と何度も頷いた。
「つまりそれは我が家において、私や汐里ちゃんが夕一よりもヒエラルキー的に下層にいると判断した結果なんだね!」
深月姉はテンションを上げて言ったが、汐里はただただ首を傾げていた。
「深月姉、幼稚園児にヒエラルキーの概念はわからないから」
汐里は、幼稚園服の裾を握って、言った。
「おねーちゃんが、いつもそう言ってたから」
俺と深月姉は顔を見合わせる。
「多分、私の真似をしてるんだよ、きっと」
俺は汐里に向き直った。
「汐里、俺は?」
「ゆーいち」
「あれは?」
「おねーちゃん」
「……………」
俺が深月姉よりも下に見られていることは明らかだった。
「もし深月姉の呼び方を真似してるなら、何故深月姉のことは、『深月姉』って呼ばないんだ……!!」
「それは多分、汐里ちゃんにとって私がお姉ちゃんじゃないからじゃない?」
まぁ、言われてみればその通りだった。汐里はぽかんとして、俺と深月姉のやりとりする姿を眺めている。
「別にいいんじゃない?考えてみたら、私たちと汐里ちゃんって、親子って関係でもないし」
「でも、なんかどうも腑に落ちない……」
一日ぐーたらしている深月姉が『おねーちゃん』と呼ばれ、俺が呼び捨てにされるのは、どうも納得がいかなかった。
「夕一、一緒にカレー作ったり人形の家作ったりしてあげてるから、汐里ちゃんの中で密かにポイント上がってたんじゃない?」
「その結果が、呼び捨てだと?」
子どもの考えはよくわからなかった。
そうやって話していると、汐里が台所の方を指差した。
「ゆーいち、アジフライ」
「え?……って、うわっ!!」
アジフライを揚げるフライパンから、白い煙があがっている。俺は慌ててガスコンロの火を止めた。
そうして結局、俺は『ゆーいち』と呼び捨てで呼ばれることになったのだった。
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