その2「一緒に暮らすことになった」
夜七時。バイトから帰ってくると、部屋では疲れ切った深月姉が、ぐったりと横たわっていた。
「どうしたんだ、深月姉」
「ああ、夕一~~」
のっそりと起きあがる。うっすら涙目だった。
「怖いよ~。人間怖いよ~」
「いや、相手は子どもだろう」
「子どもだって人間だよ~。私、友達いなかった中学時代思い出しちゃったよ~~」
深月姉がうつむくと、長い髪が顔を隠した。そして、そのままうずくまってしまった。
「知恵袋に質問して、ベストアンサーを採用してみても、まったく効果が得られなかったし……」
「ベストアンサーなんだったんだ?」
「一緒にゲームをしてみたらいかがですかって」
少女の方を見ると、ちゃぶ台の前に正座して、鉛筆で紙に絵を描いていた。
「しなかったのか?」
「したよ~~。でも、コールオブデューティじゃ会話弾まないよぉ」
「子どもになんてゲームさせてんだ」
俺はため息をつくしかなかった。
女の子は顔を上げると、まじまじとこちらを見た。緊張が解けていないのか、人形のような無表情だった。
「お腹空いたか?コンビニで廃棄もらってきたから、それ食べよう」
「どうしてしおが来たか、聞かないの?」
しお、というのは、自分のことを指しているようだった。
「ああ、そうだった」
俺はコンビニ弁当とペットボトルの緑茶を並べながら、ちゃぶ台越しに少女と向かい合った。
「それで、名前は?」
「まつかさしおり」
「松笠?聞いたことあるな」
しばらく考えていたが、あるとき、深月姉が大声を上げた。
「ああー!松笠ってほら、従姉妹のゆめ姉ちゃんの!」
「あ、そういえば!」
ゆめ姉ちゃんとは、俺たちの母方の従姉妹で、深月姉とは5つ、俺とは9つ離れていた。そのゆめ姉ちゃんは、7、8年程前に結婚していて、その相手の名字がたしか「松笠」だったのだ。
「それじゃこの子、ゆめ姉ちゃんの子どもなの?」
「そうっぽいな……」
言われてみれば、どことなく目元あたりがゆめ姉ちゃんに似てる気もする。とはいえ、最後に会ったのが彼女の結婚式だったので、ほとんどうろ覚えだ。
深月姉は、若干震えながら、女の子に尋ねた。
「あ、あの、あなたのお母さんは、松笠ゆめさんですか?」
「そうです」
「そうだって!」
興奮してこちらを振り向く深月姉。その事実よりも、少女と深月姉の距離感が1mmも縮まっていないことがむしろ驚きだった。
封筒に入っていた。
「なんて書いてあるの?」
「名前は松笠汐里。6歳の幼稚園の年長さんらしい」
「へぇー。他には?」
「……ゆめ姉ちゃんと旦那、夜逃げしたんだそうだ」
「へぇー。………ええっ!?」
深月姉は隠すことなくダイナミックに飛び上がり驚いていた。それには、少女も少し引いていた。
封筒には、手紙の他に、一万円札が数枚入っていた。
「迎えにくるまで面倒を見てほしいそうだ」
「いつ帰ってくるとか、そういうのは書いてないの!?」
「いや、まったく」
二人で話す間に、汐里はコンビニ弁当を持って立ち上がり、キッチンのレンジに入れ、ボタンを押した。
「で、でも、どうして叔母さんとかお母さんじゃなくてうちなの!?」
「二人とも結婚反対してたからなぁー。旦那の職業占い師だったし」
「しかも手相見れない占い師だったしねー」
かなり胡散臭い人間だということは、親族の間では噂になっていた。
「違う」
言ったのは、汐里だった。
「えっ、なにが?」
「パパ、占い師じゃなくて、totoハンター」
「totoハンター?」
「サッカーの勝ちを占う、すっごい仕事だってパパ言ってた」
「ギャンブラーかよ」
夜逃げする理由が、今完全に理解できた。
詩織は割り箸を割り、唐揚げ弁当を食べる。お腹が空いていたのだろう、食べるスピードが速かった。
「夕一、どうする?」
「そうだなぁ。正直俺たちが食うだけでもかなりギリギリなのに、そのうえ子どもとなるとなぁ……」
そのとき、つんつん、と汐里が俺の肩をつついてきた。彼女は割り箸を置いて、こちらを指さした。
「しおを部屋の東に置いておくと、金運がアップする」
「………風水?」
「すっげーアップする」
信じろ、とでも言うように、彼女は何度も頷いてみせる。
「逆に汐里をおばあちゃんや叔母ちゃんに預けたら、どうなるんだ?」
「これから先30年間手足がむくむ」
「………微妙に嫌だな」
「めっちゃむくむ。顔なのか腕なのかわからないくらいむくむ」
「どんだけむくむんだよ」
「…って、お父さんが言ってた」
「あのエセ占い師が………」
俺たちはため息をつくしかなかった。
「……まぁ、しばらく置いて、頃合いを見てお母さんなりに相談しようか」
「そうだねー。どのみち今は私たちも、勘当の身だし」
それを聞いて詩織は安堵したのか、少しだけ表情を和らげた。
俺と深月姉も割り箸を割り、弁当を食べる。
こうして、ニートとフリーターと幼稚園児の同居生活が始まったのだった。
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