お嬢とシンシア

岡崎マサムネ

お嬢とシンシア

「お嬢もいよいよ結婚ですかぁ」

「あら」


 アタシの雇い主、ビアンカ様の金色の髪を梳きながら呟くと、お嬢は首を回してこちらを振り向いた。ただでさえ手先が器用ではないので、急に動かれると髪ではなくて頭をブラシで小突きまわしてしまいそうになる。

 慌てて手を止めると、お嬢が澄んだ青色の瞳で私を見上げていた。


「まだ何も決まっていないわ」

「そろそろだーって、みんな噂してますよ」

「みんなって誰?」

「みんなは、みんなですよ。みーんな」


 子どもじみた言い方をしながら、唇を尖らせる。

 お嬢ももう17歳になる。婚約者のアンディ様はちょっと気位が高くておつむが軽いけれども、身分は申し分ない。お嬢ならうまく手綱を握れるだろう。


 まあアタシは、アイツにうちのお嬢はもったいないと思ってるけど。

 ため息をついて、きらきらの絹糸のような髪に再びブラシを通し始めた。


「あーあ、アタシも婚活しなきゃ」

「婚活?」


 またお嬢がこちらを振り向いた。

 だから動かないでくださいってば。大事な御髪が絡まったらどうするんですか。


「どうして?」

「どうしてって。お嬢が結婚したらアタシはお役御免ですから」

「一緒に来てくれないの?」

「相手のお家が嫌がりますよ。アタシみたいな田舎者」


 まっすぐな眼差しで問いかけられて、苦笑する。

 うちのお嬢は変に世間ずれしていないというか、時々妙に純粋なところがある。

 そうでもなければ、辺鄙な地方貴族の、しかも妾腹、その上異国の血が入っているアタシなんかを、メイドとして雇ったりしないだろう。

 父さんの家、結局潰れたし。母さんは行方知れずだし。兄さんは半グレのギャンブラーだし。


 見た目は美人で頭もよくて文武両道、それだけじゃなくて努力家で、趣味は資格取得と、まさに完璧お嬢様って感じなのに。

 そういうところがあるから、憎めない。

 ちょっと無表情で何考えてるか分かんないし。


「お嬢と違って、アタシみたいなのを拾う物好きはそういませんからね」

「そう」


 お嬢がぽつりと呟いて、頷いた。

 そして前に向き直ると、そこからは何を話しかけてもだんまりだった。


 何か考え事をしているようだけど、頭のいいお嬢の考えることだ。アタシなんかに分かりっこない。

 アタシはお嬢が動かないのをいいことに、丁寧にブラッシングを再開した。



 ■ ■ ■



「ビアンカ。お前との婚約を解消する」

「分かりました」


 唖然としていた。


 お嬢を夜会に送って行って、会場の屋敷の玄関でそれじゃあアタシは帰りますかねと踵を返しかけたところで現れたアンディ様が、突然戯言を宣い始めたのだ。

 思わず足を止めて振り向けば、お嬢様はいつものクールな表情で頷いていた。


 唖然である。

 呆然である。


 ちょっと、待って。

 え? 婚約、解消?

 何、どういうこと?

 それでなんでうちのお嬢は「分かりました」とか言ってるわけ。


「俺は真実の愛を見つけたんだ。このフローラと結婚する」


 アンディ様の隣に藍色の髪のご令嬢が寄り添っている。

 アタシ同様に唖然としていた周囲の貴族たちがざわつき始めた。すでに屋敷のダンスホールに入っていた貴族たちも、何事かと出入り口付近に集まってきている。


 何この男。

 頭も悪けりゃ態度もでかいと思っていたけど、その上他の女が良くなったって?

 どこまでうちのお嬢を、コケにすれば――


「そうおっしゃると思いましたので、教会から婚約時両家で取り交わした契約書類を取り寄せてあります」

「え?」

「こちら写しです。ではまず3ページ目をご覧ください」

「え??」


 お嬢様が「どこから出したの?」と聞きたくなるほど分厚い紙の束を取り出すと、アンディ様とフローラとかいう女に手渡した。

 二人ともぽかんとしながら、その書類を受け取る。


 そこでアタシは思い出した。うちのお嬢は行政書士官の資格を持っているのだ。

 契約書類の読み解きなどお手の物である。


「まずもって、今回は第7条第2項契約保証金の欄に記載の二千万ゴールド、こちらは契約破棄翌々月の月末までに指定の方法でお納めください」

「二千万ゴールド!?」

「次に、今回の事例はそちらの責めに帰す事由による契約解消になりますので、5ページ第13条に定めのある違約金につきましてもお支払いいただきます。三千万ゴールド、こちらは分割での支払いも可能ですがその場合は第14条に定めのある利息が適応されますのであらかじめご承知おきください。なお、一度分割払いを選択された場合にも一括でのお支払いに変更することが可能ですが、そこまでにお納めいただいた利息はご返却できません」

「さ、さんぜん、まん、いっかつ……」

「さらにわたくしの受ける婚約解消による名誉への損害、我が家がそちらの事業に行った金銭的援助、および家具や住居の準備にかかった支度金、その他もろもろ――」


 お嬢がどこからともなくそろばんを取り出した。

 我らがお嬢、なんと国内で数十人しか持っていないというあの珠算十段の資格を持っているのだ。


「ご破算で願いましては、二千万なり、三千万なり、五百万なり、一千五百万なり――」


 お嬢がすさまじいスピードでそろばんを弾く。一同、ついその手つきに見とれてしまう。


「占めて一億とんで三十五万二千ゴールドでございます」

「ご明算!」


 ダンスホールの中から声が聞こえてきた。眼鏡をかけた七三のおじいさんが、興奮した面持ちでそろばんを掲げていた。この家の使用人だろうか。

 そろばん、みんな持ってるのか。アタシが知らないだけなのか。


「こ、こんな書類、偽物だ!」

「正式な写しです。きちんと教会の割印もはいっていますでしょう?」


 ぐ、とアンディ様が口を噤んだ。

 その彼の眼前に、お嬢がさらに紙の束を突きつける。


「そしてこちらが今回の婚約解消にあたる負債の支払いを求める内容証明です」

「な、何て美しい字だ!?」


 アンディ様が驚愕の声を出した。

 そうだろう! 何故ならうちのお嬢はペン字検定準一級の資格も持っているのだ!


 あれ。なんだか婚約解消のインパクトが薄れてきた気がする。

 アタシは全然許してないけど、皆そんなものよりお嬢が次に何の話をするのかに興味津々で、お嬢のことをよく知っているアタシはついつい鼻高々になる。

 もっとお嬢のすごい話、いっぱい知ってるんだぞ。


「だ、だが、そんな……一億、ええと、いくらだ?」

「一億とんで三十五万二千ゴールドです」

「そんな金額払えるわけないだろう!」

「ええそうですね」


 お嬢があっさりと頷いた。

 何故ならお嬢はファイナンシャルプランナーの資格も持っているのだ。このアンディ様のお家が飛んでも跳ねてもそんな金額払えないことなど、百も承知のはず。


「ですからこちらのお屋敷は抵当としてお預かりいたします」

「はぁ!?」

「そしてこちらをわたくしが競売で買い取り、カジノをメインにした総合アミューズメントパークに改装いたします」

「そ、総合アミューズメントパーク!?」


 驚きにどよめく一同を前に、アタシだけはうんうんと頷いていた。

 何故ならお嬢は経営コンサルタントの資格も持っているからだ。

 さすがお嬢、アタシたちには思いつかないことを平然とやってのける。


「何故、そんなことを」

「そうすることでこの建物の資産価値が上がります。さらにアンディ様に、カジノの売り上げの10%を不足の返済分として算入することを提案いたします」

「え?」

「そちらは実質お屋敷を失う以外の負担なく負債の返済が可能です。またこちらで試算したカジノの売り上げを勘案すると、そちらの領地の税収や事業での返済よりも10年早く返済が完了することになります」

「う、うええ??」


 アンディ様も、その隣のフローラとかいう女も、キツネにつままれたような顔をしていた。アタシが聞いていてもアンディ様たちにとっても得な話のように思えるからかもしれない。お嬢、ネゴシエーション講座に通っていただけのことはある。

 お嬢だけが、まるですべて計画通りとでもいうように、澄ました顔でそこに立っていた。


「だがそんな、カジノなんて、うまくいくか」

「そこは問題ございません。専門家をお呼びしてあります」


 お嬢がパチンと指を鳴らすと、ダンスホールの中からひょっこりと、黒髪の男が現れた。

 その男の顔に見覚えがある。アタシと同じ黒髪、黄色みがかった肌、真っ黒な瞳――


「に、兄さん!?」

「やー、シンシア。久しぶり」

「なんで、こんなとこに」

「えーっと、賭場の経営経験を買われて?」


 兄さんがへらへら笑っている。

 何笑ってんだこいつ。


 半グレのギャンブラーまがいのことをやっているということだったけれども、ついに経営側に手を出していたのか。ていうかそれは元金が返せなくなって皿洗いさせられてるとかじゃないのか。

 お嬢を振り向くと、いつも通り無表情で澄まして立っている。


「お、お嬢、こいつクズですよ!?」

「あら。貴女のお兄様ですもの。大丈夫よ」

「やー、兄妹揃ってお前のご主人には世話になるなぁ~、多謝多謝~」

「ぜんぜん大丈夫じゃない!!」


 地団太を踏んだアタシの肩に、お嬢がそっと手を置いた。

 ふわりといい匂いがする。アタシが丹精込めて髪にもみ込んだ香油の香りだ。


「安心して。何かあったらわたくしがきちんとけじめをつけるわ」


 そう話すお嬢の眼差しがとても鋭くて、アタシは咄嗟に息を呑んだ。うさぎを狩る鷹の目をしていた。

 お嬢、異国の何だったか、ジークンドー、とかいう武術の資格も取っている。武術の師匠である大男を放り投げているのを何度も見た。


 やばい。兄さん、きっちりツケられる。


 お嬢から出ている圧を感じ取ったのか、兄さんも「妙なことはしませんよぉ」とか冷汗を垂らしていた。

 本当に、お嬢のためにもアタシのためにも、大人しくしていてほしい。



 ■ ■ ■



「お嬢、お見合いです! お見合いしましょう!」


 どかんと、大量の絵姿をお嬢の前に積み上げた。


 結局お嬢は本当に婚約解消してしまった。その上カジノの経営も始めて、もともとお金持ちだったところが今やさらに倍々のがっぽがっぽで左団扇生活だ。

 兄さんも婚約解消したアンディも、元気にカジノで働いていると聞く。さすがお嬢、懐が広い。


 そんな商才溢れるお嬢の元には、これでもかというくらい見合いの申し込みが来ていた。

 婚約解消された訳アリの令嬢だったら、初婚男性からは避けられるのが普通だろうに、むしろこちらも倍、さらに倍と増える一方だ。


 この好機を逃がす理由はない。一番条件のいい男と結婚してもらって、アンディのトンマに吠え面をかかせてやらなきゃ、アタシの気が収まらなかった。


 ところが、お嬢はいつまでたっても次の縁談の話を進めようとしない。

 そこで業を煮やしたアタシが、こうして実力行使に出たわけである。


「どうしたの、いきなり」

「あのアンディの野郎にコケにされたままじゃ癪じゃないですか!」

「あら。わたくしは欲しかったものが手に入って満足よ」

「お嬢はそうかもしれませんけどぉ」


 ころころと優雅に笑うお嬢に、ため息をつく。

 お嬢はカジノをたいそう気に入ったようで、そこで出た利益を元手に鉱山開発やら航路開拓やらにもガンガン参入していた。

 どれも莫大なお金になって帰ってきているので、そりゃあ満足でしょうけど。


 でも幸せはお金で買えないって言うじゃないか。アタシはお嬢に幸せになってほしいのだ。


「やっぱあんな奴にお嬢はもったいないですよ! もっといい男と結婚して、鼻の穴明かしてやりましょ!」

「……そうね」


 アタシの言葉に、お嬢が頷いた。

 やっとその気になってくれたようだ。

 胸を撫でおろしたアタシに、お嬢が問いかける。


「貴方が思う『いい男』って、どんな方なの?」

「ええ? そりゃあ、身分が高くてお金持ちで、顔がよくて背が高くて、そんでもってどーんと懐が広い男ですよ」

「そう」


 指折り数えて応えれば、お嬢は小さく頷くと、絵姿の山から1枚を手に取り、アタシに差し出した。



 ■ ■ ■



「やあ、ビアンカ嬢。お会いできて嬉しいよ」

「ええ、わたくしも」


 お嬢が見合い相手にと選んだのは、今貴族社会で一番の金持ちとして話題になっている男だった。

 始めた事業はどれも大当たり、鉱山をいくつも持っているとの噂だ。


 少し年嵩なのが気になるが、同じ年ごろだからと言ってアンディみたいなフワフワしたやつにひっかかるよりよっぽどいい。

 経営の手腕があるということは頭も悪いわけではないだろう。お嬢を養っていくならこれくらいでないと。


「先日の鉱山の件も、いい取引をさせてもらった。これで名実ともに、貴女はこの国の長者番付に名前を刻むわけだ」


 にやりと野心的に笑う男を前に、お嬢はいつものツンと澄ました表情を崩さない。

 お嬢、どうなんですか。頼りがいのあるお金持ち、きっと投資とか経営の話も弾みますよ。

 まぁ、ちょっとカジノと鉱山が大当たりしすぎちゃって、その男よりお嬢の方が今はちょっとばかり、お金持ちですけど。でもこの人以上のお金持ちってなると、王様以外いなくなっちゃうし。ていうか王様のそれは国庫だから、やっぱりお金持ちってのとは違うし。


「しかし、まさか事業を始めて数年のご令嬢に出し抜かれるとはね」

「あら。出し抜いただなんて」

「いや何、嫌味というわけではないよ。才能と努力に性別も年齢も関係ない」


 男の言葉に、目を瞠る。

 ちゃんとお嬢の出した結果を「運」や「まぐれ」で片付けなかったところは好印象だ。


 そう。お嬢はもちろんいろいろな才能に恵まれているが、それがここまで開花しているのは「努力」あってのこと。

 この男、人を見る目がある。相当なやり手だというのは間違いないらしい。

 こういう人間になら、お嬢を任せてもいいかもしれない。


「どうだね。私生活でも私とパートナーになるというのは」


 男が跪いて、お嬢の瞳を見上げた。

 それまでずっと無表情を貫いていたお嬢が、その日初めてにこりと微笑んだ。



 ■ ■ ■



 お嬢はこのお見合いを蹴った。

 どうしてだろう。


 いや、やっぱりちょっと年上すぎたのかもしれない。

 それに結局うちのお嬢の方がお金持ちだし。

 金の切れ目が縁の切れ目というし、それにお嬢は年頃のお嬢さんだ。


 結婚に、恋に夢を見たっていいはずで、となると、心からときめくような相手と一緒になる方が幸せなのかもしれない。お金があっても不幸とか、そういう話もあるし。


 そう思っていたアタシの心を読んだかのように、お嬢が次のお見合い相手に選んだのは、夜会の花と呼ばれる貴公子だった。

 スタイル抜群、ファッションセンスも超一流。ご令嬢は見ただけで熱を出すと言われるほどの美男子。


 現れた男を見て、わっと声を上げそうになった。顔が小さい、足が長い、そんでもって身に着けている服も靴も、一般庶民のアタシですら分かるくらいに洗練されている。

 これはさすがに、ウチのお嬢もクラッと来てしまうんじゃないだろうか。


「久しぶり、ビアンカ嬢。今日も麗しいね」

「ありがとうございます」

「新聞を見たよ。ベスト・ファッショニスト、受賞おめでとう」


 男がお嬢の手を取って、手の甲に口づけを落とす。

 絵になる。とっても絵になる。


 最近のお嬢はこれまでに増して非常に可憐で美しく成長していて、先日ベスト・ファッショニストとして表彰されたのだ。

 これもビューティーアドバイザーやカラーコーディネーターの資格を取るための涙ぐましい努力が実を結んだのだと思うと感慨深い。


「社交界でもすっかり君の話題で持ちきりだ」


 ……結果としてこの貴公子が十年ディフェンディングチャンピオンとして君臨していたベスト・ファッショニストの座を奪ってしまったことになるが、まぁそれはご愛敬だろう。

 恨むとかそういうのでなく、お互いの健闘をスポーツマンシップで讃え合ってほしい。


「しかも君はまだ若い。これからもさらに美しさを極めていく可能性を秘めている」

「あら。そうかしら」

「美しさに年齢は関係ない。時が経つほどに増す輝きというものがあるのに、それに気づかない人間がいるだけさ」


 貴公子の言葉に舌を巻く。

 お嬢の美しさを若さによるものだと断じなかった点が評価できると思ったからだ。


 お嬢の美しさも可愛らしさも可憐さも、日に日に磨きがかかっている。

 時々眩しすぎて目が眩んでしまうくらいだ。それを分かっているとは、なかなかやるじゃないか。


 男というのは自分がいくつになっても若い妻を求めると聞く。そこのところ、この男なら信頼してお嬢のことを預けられるのではないか。


「君がより一層磨き上げられて行くのを、隣で見ていたいな」


 貴公子が素晴らしい角度でウインクを投げた。

 それまでずっと無表情を貫いていたお嬢が、その日初めてにこりと微笑んだ。


 

 ■ ■ ■



 お嬢はこのお見合いを蹴った。

 どうしてだろう。


 いや、イケメンは確かに見ている分にはいいかもしれないけど、伴侶とするにはちょっと心配事も多いかもしれない。浮気とかするかもしれないし。

 不細工は三日で慣れるけど、美人は三日で飽きるとか言うし。


 それに美しさもファッションセンスも、やっぱりお嬢に負けていた。そこが引っかかってしまったのだろう。

 でも、そんなこと言ったらお嬢より美人でセンスがいい人間は、もうこの国にはいないんですけどね。


 やっぱり人間、見た目よりも中身でしょうと思ったアタシの心を読んだかのように、お嬢が次のお見合い相手に選んだのは、見た目はぱっとしないけど、とても優しいことで有名な貴族の青年だった。


 慈善事業に力をいれていて、孤児院や療養施設をいくつも経営しているそうだ。

 年はお嬢とさして変わらないのに、人間が出来ている。出来すぎている。

 しかも話し方もどこかおっとりふわふわしていて、貴族の男には珍しいタイプだ。


 これは良いぞと、アタシは膝を打った。お金も美貌も身分もあるお嬢が結婚相手に求めるのは、きっとそういう自分が持っているものではないのだ。癒しとか、安らぎとか。そういうものなのだ。

 この人の前では素の自分でいられるのよね、みたいな、そういうやつだ。


 ついにたどり着いてしまった。お嬢の幸せというやつに。


「初めまして、ビアンカ嬢」

「初めまして」

「今日はいいお天気ですね。ビアンカ嬢はお花は好き?」


 ほのぼのとした会話に癒される。


 お嬢、アタシ分かりました。

 お嬢は忙しい人だから、こういう日常を送れる相手を探していたんですね。

 それがお嬢の幸せなら、アタシ応援します。


 自分がこの人と結婚するかって言われたらまぁ絶対しないですけど。

 だってアタシは毎日お嬢に衝撃を受ける日々に慣れちゃったので。こんなほのぼののんびり会話だけとか、絶対物足りない。


「そういえば、先日は孤児院に寄付をありがとうございました」

「いえ、わたくしは当然のことをしたまでです」

「ですが、あんなにたくさん……」


 男は恐縮した様子だった。

 そう。お嬢は先日何を思ったのか、数か月分のカジノの利益をこの男の経営する孤児院に全ベットしてしまっていたのだ。

 それもあって、アタシはお嬢はこの人と結婚するつもりなのかな、と、思っていたんだけど。


「ビアンカお嬢様。本日の新聞です」


 ノックとともに執事が入ってきた。

 机の上に置かれた新聞の一面記事に、アタシは目が点になる。

 ウチのお嬢様の名前が書かれていたからだ。


「しかも――昨日は火事になった孤児院から、子どもたちを助け出してくれて」

「えっ」


 待って。

 アタシその話、知らない。

 昨日アタシは非番だったので、お嬢と一緒にはいなかったのだ。


 お嬢が新聞を手に取って、アタシに寄越す。

 そこには、お嬢が燃え盛る孤児院の中に飛び込んで、子どもを救出したという内容が書かれていた。


「お、お嬢、これは」

「わたくしは人として、当然のことを――」

「何やってるんですか!」

「え?」

「危ないじゃないですか! お怪我は!?」


 お嬢の肩を掴んで、その後腕や胴体に触れてボディーチェックをする。

 朝お化粧した時には火傷の類はなかったし、髪も爪も綺麗なままだった。だから、まったく気が付かなかった。お嬢がそんな無茶をしていたなんて。


 お嬢に怪我がないのを確認すると、はーとため息をついてその場にしゃがみ込んだ。


「シンシア?」

「あーもう、お嬢ってば目を離すとこれなんだから!」

「ふふ」


 思わず零したクレームに、お嬢ではない誰かの笑う声がした。

 はっと顔を上げる。


 まずい。お嬢、お見合い中なんだった。


 慌てて何か言いつくろおうとするが、咄嗟に言葉が出てこない。

 男は何故だか妙におかしそうに笑って、そのまま席を立つ。


「僕、お暇しますね。ビアンカ嬢のお相手は、僕じゃないみたいだから」

「え、あの、ちょ、ちょっと、」

「応援しています、ビアンカ嬢」


 アタシの静止も聞かずに、男はさっさと退出していった。


 やばい。

 やばいやばい。

 アタシのせいでお見合いが、ぶち壊しだ。


 アタシがなってないせいで、お嬢まで。

 お嬢がメイド一人満足に教育できていないんだと思われた。

 そんなことないのに。

 お嬢は世界一なのに。


 アタシはがっくりと膝をついた。



 ■ ■ ■



「はぁ……アタシのせいでお嬢のお見合いが……」

「シンシア。わたくしは気にしないでと言ったはずよ」

「はあい。……はぁ」


 お嬢はそう言ってくれるが、アタシは落ち込んでいた。

 もうメイド辞めようかなと思うほどだ。もとから全然向いてないし。


 メイドを辞めてカジノでバニーガールとして雇ってもらおうか。そう言ったらお嬢にめちゃくちゃ怒られたので、もう言わないけど。

 バニーガール向きの器量でないことはアタシ自身が一番よく分かっている。


 いつもみたいに、透き通る金色の髪を梳きながら、お嬢のことを考える。

 お見合いをめちゃくちゃにされたのに、こうして傍においてくれるなんて。お嬢は本当に懐が深い。改めて、つくづくアタシとは別世界の人間だ。

 ぽつりと、心の内がそのまま口を突いて出る。


「やっぱお嬢はすごいなぁ」

「そうかしら」

「高貴な生まれで、しかもめちゃくちゃ努力家で、何でもできるようになっちゃって」

「そうね」

「もうお嬢に手に入らないものなんか、ないんじゃないかなぁって」

「あるわ」

「え?」


 意外な答えに、一瞬言葉の意味を取り違えたかと思ってしまった。

 てっきりお嬢は「そうね」と答えるかと思っていたのに。


「わたくしにも、手に入らないもの」


 お嬢が振り向いた。

 もうすっかり手は止まってしまっていたので、お嬢を小突いてしまう心配はせずに済んだ。

 青い瞳が、真っ直ぐにアタシを見上げる。


「貴女よ、シンシア」


 お嬢が静かに、だけどはっきりと、言った。

 対するアタシは、言葉の意味を飲み込めない。


 アタシ?

 アタシが、何?


「わたくし、貴女がいいと言った誰よりも、わたくしの方が魅力的だと証明したつもりよ」


 お嬢はすっかり置いてきぼりのアタシに構わず、言葉を続ける。


「それでもやっぱり、貴女はわたくしを見てはくれないのね」

「あ、あの、お嬢?」

「ねぇ、シンシア」


 お嬢がブラシの柄ごと、アタシの手を握った。

 そして、じっとアタシの目を見つめる。


「わたくしではダメかしら」

「だ、」


 ダメって、言うか。

 ダメって言うか!


 やっとお嬢の言葉が脳に到達するも、すっかりパニックになってしまって、うまく言葉が出てこない。

 座っていたお嬢が立ち上がって、アタシにじりじりと詰め寄ってくる。


「わたくしに足りないものは何? すぐに直すから教えてちょうだい」

「待って、待って待って、お嬢!!」

「どうしたの?」

「ちかい、近いです!!」

「近くてはいけない?」

「いけませんねぇ!!」

「そう」


 お嬢がやっと一歩、離れてくれた。

 近すぎて呼吸もままならなかったので、何とか息が出来るようになる。

 だけど、お嬢が手を放してくれないので、また頭に血が上ってきた。


「いや、え? お嬢? なんで、アタシ?」

「貴女が好きだからよ」

「す、」


 思考が停止する。

 お嬢が、好き?

 アタシを?


「い、いつから」

「初めて会った日から」

「なんで」

「一目惚れよ」


 アタシなんかの質問はすべてお嬢の予想の範疇だったようで、驚くべき速度で即答される。

 違うんですお嬢。そういうことじゃないんです。


「アタシ、女ですよ!?」

「女ではいけない?」

「っうぇ!?」


 まさかの聞き返された。

 まさか過ぎて一瞬黙ってしまった。

 はっと我に返って、言う。


「ダメでしょ、そりゃ!」

「どうして?」

「女同士じゃ、結婚もできないし、だ、第一お嬢、家はどうするんですか!?」

「そう」


 お嬢が頷いた。

 お嬢の手が、アタシの手を解放する。

 握ったままのブラシの柄が手汗ですごいことになっていた。


「分かったわ」


 分かってくれたみたいだ。

 よかった、はー、焦った焦った。まぁ、お嬢はアタシなんかよりよっぽど賢いんだから、アタシが言うまでもなくそんなこと、分かってると思うんだけど。


「それがいけないのね」

「えっ」

「直すわ」

「えっ」


 お嬢が颯爽とドレスの裾を翻しながら部屋を出て行った。


 待って。

 お嬢。

 どこで何をする気ですか、お嬢。


 アタシはブラシを放り出して、大慌てでお嬢の後を追いかける。


「待って、待ってお嬢!! 何を、何を直すんですかお嬢!!!!」


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お嬢とシンシア 岡崎マサムネ @zaki_masa

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