第3話 朝の陽ざし

「フブキ先生、フブキくん、起きて」


 声にうながされて目を開いたが、強烈な陽の光に網膜もうまくさらされ、慌てて目を閉じる。


「フブキくん、どうしたの?どこか痛いの?」


 ユキミ先生の声だ。てのひらかざして太陽の光をさえぎり、おれは目を開けた。


「ユキミ先生、どうしてここに」


 おれは自分の身に何が起きたかを思い出した。右脚を骨折した際にできた傷口からたくさんの血が流れ出て意識を失ったはずだ。あのまま放って置かれたら、間違いなくおれは死んでいた。


「助かったのか」


 おれが横たわっているのは、昨日の晩、床を踏み抜いて転倒した蔵の中だった。だが、おれの周りに山積みされていた雑多な荷物は綺麗に整理されている。


「助かったって、フブキ先生大丈夫?頭打ったりしてない?」


 おれは自分の右脚に目を向けた。すねを突き破って骨が見えていたし、床には血溜ちだまりができていたはずだ。この状況を見てどうしてユキミ先生は落ち着いていられるのだろう?


「この傷、これを見て下さい」

 

 おれは自分の右脛を指差した。ズボンを破り、脛から突き出した骨を見せれば、ユキミ先生もことの重大さに気づくはずだ。


「あれ?」


 指差した右の脛には、なんの傷も無かった。折れて突き出した骨も無ければ、床を染める血溜まりもない。それどころか、おれのいているズボンのどこにも、破れも汚れも見当たらなかった。


「おかしいな。昨日はここから骨が飛び出してたんだけど」


 恐る恐る右脚に触れてみたが、痛みどころかかゆみすら感じない。おれはズホンの裾をめくりあげて確認したが、右にも左にも、昨夜見たような酷い怪我は見当たらなかった。


「治ってるのか?でも、ズボンも裂けちゃってたし」


 穴だ。おれが踏み抜いて転んだ床の穴があるはずだ。だけどどこを探しても、蔵の床におれが踏み抜いた穴など見つからなかった。


「フブキ先生、ひょっとして、お酒飲んでた?」


 心配そうな顔でユキミ先生が尋ねてきた。もちろん酒なんて一滴も飲んでいない。そこでおれは、蔵の中の様子がおかしいことに気がついた。


「この蔵の中、昨日と違う」


 おれは立ち上がり、辺りを見回した。歩く隙間もないほど乱雑だった蔵の中が、見事なまでに整理されている。


「凄いですねフブキ先生。これ、先生ひとりでやったんですか?」


 ズボンのポケットを探ると、中から床に落としたはずのおれのスマホが出て来た。スマホで日付を調べてみたが、やはり1日しか経っていない。あれだけの量のガラクタをひとりで片付けるとしたら、一ヶ月は必要だ。それがたった一晩できれいに片付けられている。


「オオカミは、オオカミはどこに行った?」


 左手をかかげて見たが、腕と同化したオオカミなどいなかった。昨晩おれの身に起きたことは全て夢だったのだろうか?


「オオカミって、ひょっとしてこれのことですか?」


 ユキミ先生がおれの隣を指差した。そこには昨夜おれが床下から見つけたあの桐箱が放置されていた。おれは蓋をむしり取り、桐箱の中を覗き込んだ。


「こいつ」


 桐箱の中には、例の犬人形が入っていた。黒とも灰色ともつかない古く汚れた布で作られた不細工な犬のパペットだ。


「フブキ先生と一緒に床に横になってたから、この木箱に入れたんですけど」


 不細工な人形は、桐箱の中で気持ちよさそうに横になっていた。おれはパペットを指で突いてみた。だがいくら突っついてみたところで、ただのぼろ布でしかない人形が動き出すはずもない。


「夢だったのか。変な夢を見たなぁ」


 妙にリアルな夢だったが、心の底から安心した。あれが夢でなければ、おれは死んでいたか、今頃病院のベッドの上で生死の境を彷徨さまよっていただろう。


「疲れて眠っちゃったんですね。でも仕方ないですよ、これだけの仕事をしたんだから」


 蔵の中は整理されているだけでなく、清掃まで行き届いていた。陰鬱いんうつだった蔵は、太陽の光に満ちた快適空間へと変貌へんぼうしてた。


「うっ」


 おれは腹を抱えてその場にうずくまった。まるで腹を強打されたような衝撃がおれの全身から力を奪っていく。


「フブキ先生、どうしました?」


「あ、大丈夫です。あの、なんていうか、すっごく・・・・・」


「すっごく?」


「お腹が空いてます」


 ユキミ先生の目がまん丸に見開かれ、次の瞬間、彼女は腹を抱えて笑い出した。


「あはは。そうですよね。これだけの仕事すれば、お腹空きますよね」


 目尻に溜めた涙を拭いながら、ユキミ先生はおれを見て微笑んでくれた。


「一緒に朝ごはん食べに行こう。わたしがおごっちゃいます」


 蔵の天窓から差し込む朝の光が照らし出すユキミ先生があまりに綺麗だったせいで、おれは言葉を返すこともできず、ただ黙ってうなずいた。

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