ブラック・パペット 

氷川 瑠衣

第1話 廃墟でGO!

 ぼろぼろにくずれたコンクリの柱の影に隠れて、す術もなくおれは震えていた。


 廃墟と化したセメント工場の中には、象みたいにでかいオフロード車四台が半円をえがいて停まっている。

 車の正面にはガラの悪い五人の男が立っていて、さらにその前に二人の男女が膝をついて座らされている。

 

「隠れてないで姿を見せろ、この野郎!」


 右端に立っている赤毛の男がわめいた。年齢は三十前後で、鋭い眼光の奥に狂気を秘めたやばい男だ。


「早くしないと、お友達が死んじゃうよぉ~」


 左端のり込み頭がおどけた態度で続ける。頭の半分を刈り上げ、耳とまぶたと唇の右にピアスをぶら下げた、見るからにヤバそうな兄ちゃんだ。


 コンクリの柱から顔を半分のぞかせ、おれは五人の男と、その前に座らせていた男女の様子を伺った。


 ひび割れたコンクリの床に座らされているのはおれの職場の同僚どうりょうで、二人は後ろ手に縛られて、口に猿ぐつわをまされている。


 男の方はおれの先輩だ。年齢は同じだけど、今の職場に入ったのはおれより半年早いから、職場では先輩と呼んでいる。まったく親しくはないが、知人であることには変わりない。


 問題は女の方だ。彼女は美崎雪美みさきゆきみといって、入社以来おれの教育係をしてくれているとっても優しい人だ。年は三つ上だけど、見た感じは五つ下のおれの妹よりも若い。肩まで伸びた綺麗な黒髪をしているけれど、仕事中はいつも後ろにたばねているから、髪を降ろした姿を見るのは今日が初めてだ。


「いい加減にしろ。いるんだろう?」


 低いが良く通る声をしているのが、左二番目に立つ長身の男だ。細くて背が高いモデル体型の持ち主で、滅茶苦茶高そうなスーツを着こなしている。

 長髪を革紐で縛り、ちょんまげスタイルにした今風の良い男だが、右手に無造作に下げているのは本物の日本刀だ。


「オ、オ、オェーオ!」


 右二番目だ。何をどうやったらこれほど凶悪な風体になるのか分からないほどいかつく、なおかつ言葉がまともに通じない。しかも今日にいたっては、右手にどでかい拳銃を握っている。


「いるならすぐに出て来い。でなきゃこの二人は殺す。洒落しゃれやはったりじゃない。本当に殺す」


 中央にいるのがこのグループのボスだ。年齢は29歳。おれより5歳上で、この地域全体のハングレを束ねるボスだ。半ぐれなんて言葉を使ってるが、暴行恐喝、美人局つつもたせ、違法薬物の製造販売から武器の密造、売春から人身売買まで行う悪党のサンプルみたいな男だ。

 関わったら最後、人生最大のトラブルと不幸を相手に味合わせる疫病神みたいな男で、名を猪俣賀修朗いのまたがしゅうろうという。なかなかいきな名前だが、残念なことにこの男を本名で呼ぶ人間はひとりもいない。この男に声を掛けなければならなくなった不幸な連中は、誰もが畏怖いふめてこの男のことをこう呼んだ。


 レッドベヒーモス。


 ベヒーモスっていうのは旧約聖書に出てくる怪物の名だ。RPGにも出てくるから知ってるやつも多いだろう。頭のいかれたラスボス設定のこの男は、自分のことを伝説の怪物と同じ名前で呼ばせることで歓びを感じる本物のサディストだ。


犬養いぬかい、犬養ふぶき。いるんだろう?出て来いよ。男らしく結着をつけようぜ」


 言い忘れたがおれの名前は犬養ふぶきという。ふぶきちゃんという愛らしい名前がついているけれど、肉体的にも精神的にも外見的にも完全に男だ。今年24歳になったばかりで、年齢=彼女無しを更新中の見習い保育士で、趣味は読書と映画鑑賞だ。体力は人並みで、格闘技の経験など欠片かけらもない。そのおれが、あろうことか最悪のハングレ集団から目のかたきにされている。


「出て来ないってんなら、お友達を殺すぜ犬養。可哀そうだとは思わねぇのか」


 レッドベヒーモスが先輩の口枷くちかせを外した。ゲホゲホと咳き込みながら大量の唾とよだれを吐き出した先輩は、泣き声混じりの甲高い声で喚き出した。


「い、犬養、犬養くん。た、助けて。出てきてこの人たちに謝って。頼むよ、犬養くん、助けてよ」


 泣き叫ぶ先輩の姿を見て男達が笑う。涙とよだれを垂れ流す先輩の様子を、剃り込み頭がしゃがみこんでスマホに録画している。


「カウントするぞ犬養。みっつ数えたら友達1号はあの世行きだ。急げよぉ~」


 剃り込み頭が楽しそうに声を上げると、大男が拳銃を先輩の頭に向けた。


「ひと~つ!」


 いきなり拳銃が火をいた。特大のハンマーでドラム缶でも叩いたようなでかい音がコンクリの室内に響き渡る。


「う、撃った」


 身を隠していた柱から思わず身を乗り出した。三つ数えるっていったから、それまでにどうするか考える気でいたのに、ひとつ目で先輩は撃たれた。


「うっるせぇな~。ダメだよケンちゃん、一発目で撃っちゃ」


 赤毛が大男の肩を叩く。どうやら大男の名前はケンちゃんらしい。


「無理っす。マジガチで無理っす。ケンちゃん数字苦手だし」


 剃り込み頭が腹を抱えて笑っている。人を撃ち殺しておいてどういう神経をしてるんだ。


「おまけに当って、当たってねぇしケンちゃん。マジガチで最低~」


 コンクリの床に額をこすりつけている先輩が顔を上げた。恐怖に引きった顔でけんちゃんを見上げたあと、先輩は横倒しに倒れて動かなくなった。


「気ぃ失っちまったぜ、こいつ。マジですっげぇーチキン!」


 至近距離から銃を撃たれたら気を失ったっておかしくない。剃り込み頭の感覚の方がよっぽど異常だ。


 「次、女だ。女をやれ!」


 レッドベヒーモスの声でおれは震えあがった。美崎さんをあんな目にわせるわけにはいかない。

 スーツ男が日本刀を振ると、美崎さんの口枷が床に落ちた。


「女、犬養を呼べ。奴が姿を見せたら助けてやる」


 美崎さんの喉首に日本刀の刃を当てながらスーツ男が命令する。


 口の中に溜まった大量の唾を吐き出すと、美崎さんは袖で口を拭い、辺りを見回した。きっとおれのことを探しているんだろう。


「犬養くん、いるの?」


 先輩と違ってしっかりした声だったが、いつも職場で耳にする穏やかなトーンではない。


「いるんだったらすぐに逃げて犬養くん。こいつらの言うことなんか聞いちゃダメ。いますぐ逃げて警察を呼んで」


 スーツ男が美崎さんの髪を掴んで引きげると、レッドベヒーモスが革靴の爪先を美崎さんの腹に蹴り込んだ。


「カッコいいじゃねぇか。れちまいそうだ」


 腹を抑えてうずくまる美崎さんの背に、レッドベヒーモスが腰を下ろす。


「この女の言う通りかもなぁ、犬養。逃げ出しておまわりを呼ぶ。それが正解かもしれねぇ。だが言っとくぜ。お前がおまわりとここに戻ったときには、頭ぶち抜かれた男の死体以外何も残っちゃいねぇ」


 美崎さんの背から立ち上がると、レッドベヒーモスはケンちゃんの手から拳銃をもぎ取って先輩の後頭部に突きつけた。


「俺たちは姿を消し、またお前を探す。逃げたきゃ逃げろ犬養。だが女は貰ってく。たっぷり色々と楽しんだ後、この女がどうやって死んだかSNSにアップしてやるよ」


 怒りの余り眩暈めまいがした。美崎さんはいい人で、こんな連中にどうこうされるいわれなんてない。だが連中は、本気で美崎さんに危害を加えるつもりだ。


「出て来い犬養。お前が出てきて、あれを渡してくれさえすればそれでお終いだ。もうこれ以上誰にも危害は加えねぇって約束する。悪い話じゃないだろう?」


 おれは背負せおっていたリュックを降ろし、中から薄汚れた桐箱を取り出した。こんな状況におちいったのは、そもそもこの箱の中身が原因だ。


「わかりました。出ていくから、誰にも乱暴しないで下さい」


 なんとか声は出たが、おれの体は恐怖と緊張のせいでガタガタと震えていてうまく歩けなかった。


「なんでこんな目に遭うんだよ。勘弁してよ」


 泣き言を言っても仕方ないのはわかっているが、それでもぼやきが口をいてでてしまう。震える足を無理やり前に進め、おれは柱の影から姿を現した。


「あの、本当にすいません。だけど、やっぱりこんなこと止めた方がいい。なんていうか、皆さん誤解してるんですよ、きっと。これって、皆さんが思っているような代物じゃなくって」


 桐箱を掲げながら、工場の中央にいるレッドベヒーモスに近づいて行った。怖かったけれど、他に打つ手は無いみたいだし、桐箱の中身さえ渡せば、レッドベヒーモスは誰にも危害は加えないと約束してくれている。


「やっと出て来たな犬養。あんまり人を待たせるんじゃねぇよ」

 

 満面の笑みを浮かべ、レッドベヒーモスがおれに歩み寄る。怖くってちゃんと見たことがなかったが、正面から見ると意外に優しそうな眼をしている。


「ありがとうよ犬養。このクソ野郎!」


 レッドベヒーモスは右手を伸ばすと、手にした拳銃の引き金を引いた。銃口の沿線上えんせんじょうには、奴のいうことを信じた間抜けなおれが立っていた。


 弾丸はおれの鳩尾辺みぞおちあたりに着弾し、凄まじい痛みと共におれの体を床に叩きつけた。


「犬養くん!」


悲痛に満ちた美崎さんの叫びを耳にしながら、おれの意識は真っ暗な深淵しんえんに呑み込まれていった。

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