第28話 心の欠片
リーシェルがシエラリスの街へ帰って来たのは、ラエーレの帰宅から四日後のことだった。
身元の確認と照合を終え、酷くやつれた顔で帰って来た姉は、心配するリーシェルをそれ以上引き留めず、弱々しい笑顔で送り出す。
そんな姉の姿に、後ろ髪を引かれながら機関車へ飛び乗ったリーシェルは、数時間の旅路を終え、フェズカと共にネセセリア家の別邸である自宅へと向かった。
「まだあれから、一ヶ月ちょっとなのよね。随分久しぶりに感じるわ」
「そうか? まあこの街は良くも悪くも変わらんし……」
「先生~っ!」
永遠に続くのではと思われるほど無駄に長い生垣を抜け、正門に辿り着くと、一番に出迎えてくれたのは、魔女の雑貨屋を
子供のように大きく手を振り、目の端に涙を溜めた彼女は、心底ほっとしたような表情でリーシェルに抱きつく。力いっぱいリーシェルを抱きしめ、
「久しぶりね、スーリャ。雑貨屋の管理、ありがとう」
「そんなの良いんですよぉ~! 本当にご無事でよかった!」
そう言って、しばらくハイテンションで話し続ける彼女を宥め、彼らはようやく敷地内へと踏み入れる。
屋敷の中では使用人たちが大勢頭を下げて彼らを出迎え、不在だった期間における最低限の報告をされた。
領地管理なんて、ほとんど任せきりの報告まで聞きつつ荷物を預けたリーシェルは、遂にエデアの元へ向かう。
「にゃあ……リーシェル」
「ん?」
「僕って、どうにゃるんにゃ?」
その途中、嬉しさと一抹の不安を混ぜたような足取りで、エデアが眠る最上階の左端の部屋へ向かうリーシェルに、クロナは恐る恐る問いかけた。
今クロナの中にある
聞きたいと思ったことは何度もあれど、なんとなく怖くて聞けなかった疑問をつい投げかけると、リーシェルはフェズカと顔を見合わせて言った。
「そうね。その辺りをきちんと説明しなきゃいけないわね」
「取り
螺旋階段と淡々と上り、エデアが眠る部屋に着くと、彼はビロードのカーテンが引かれた薄暗い室内で、これまでもずっとそうであるように、微かな寝息を立てそこにいた。
それ自体はもう何度も見て来た光景なはずなのに、ヒトガタ化したクロナが見せた元気な彼の姿と重なり、どうにも心が苦しくなる。
だけど、それもきっと、もうすぐ……。
「じゃ、
長年恋焦がれ続けたエデアの心を取り戻すという目標。
目前にまで迫ったそれに、リーシェルはカーテンを開けながら唇を噛み締めた。
そして、近くの椅子に座り、話を聞こうと首を伸ばすクロナを見遣るフェズカの声に、自身もまた、耳を傾ける。
「まずエデアの
「にゃ……!」
「まず一つ目は、クロナ自身の
そう言って、当時を思い出すように斜め上を見つめた彼は、指を突き出し説明した。
この二つの魔法こそが、
「ほんと、フェズ兄が偶然兄様たちに会いに来てくれていたおかげよね。そして、普段漁っちゃいけない禁書棚をヘリゼ兄様が盗み見ていたおかげでもあるけれど……」
フェズカの記憶を頼りに改めて聞かされた、
尤も、その文献における
もしどれかひとつでも欠けていれば、きっとリーシェルには絶望しか残らなかった。
だから……。
「ま、俺らも当時は半信半疑だったけどな。でも、無事に上手くいったことでクロナもエデアも生きている。あとはこれを逆順でなぞって元に戻すだけだ」
「うん。エデアの
どこかほっと胸を撫で下ろすフェズカと、その後の状況を簡潔に説明するリーシェルを見つめ、クロナはコクリと頷いた。
つまり、エデアの
魂が抜けるようにすーっと死ぬかもしれないと予想していた分、気持ちがほんの少し楽になる。だが、その気持ちも束の間、もうひとつの懸念事項を思い出したクロナは、リーシェルの腕にぴょんと飛び乗って言った。
「にゃあ……でも、僕の
「……!」
「喋るのは仕方にゃあとしても、リーシェルのこと、忘れるのはいやだにゃあ……」
寂しそうにごろごろと喉を鳴らし、クロナはリーシェルにすり寄った。
実際にエデアの
「それについてはたぶん、大丈夫だと思うぞ」
「にゃ……?」
すると、ぺっとりとくっつき、駄々と甘えの狭間ですりすりするクロナに、フェズカはたぶんを強調しながら呟いた。
「クロナが記憶を失くしたのは、急な
「ええ。それに何があってもクロナはクロナよ。エデアの
「はは、そうだな。ま、見た目は変わってねぇから大丈夫だろ。それより、クロナの覚悟が決まったら始めようぜ」
クロナの疑問と不安に丁寧な答えを贈り、今さらな事実にブツブツと呟くリーシェルを見上げ、クロナはしばらく彼女にくっついていた。
だけど、彼女の願いが叶うまで傍にいると決めたのは自分だ。それを目前に、自分が怖いからと言って、いつまでも甘えているわけにはいかない。
「……リーシェル。もう大丈夫にゃ。リーシェルといっぱい一緒に居られて幸せだった。エデアの心が無事に元に戻るよう、僕も祈っているにゃ」
やがて、心を決めたクロナは、自分からすっとリーシェルの傍を離れると、エデアが眠るベッドにぴょんと飛び乗った。そして、彼の近くで丸くなり、その時を待つ。
一方、クロナの覚悟に頷いたリーシェルは、大事に持っていた、エデアの心の欠片を収めたビンを取り出し、もう一度だけ、クロナを撫でた。柔らかい毛並みは温かくって、本当はいつまでもこうしていたいほど、クロナは大事な存在だ。
しかし、覚悟を決めたクロナを前に、それ以上のことはできない。
最後にふわふわのおでこに優しく口づけたリーシェルは、感謝と別れを、贈る。
「私も幸せだったわ、ありがとうクロナ。今までもこれからも、あなたはずっと私の大事な相棒よ。二人が目を覚ますまで、いつまでも待っているから」
「にゃ……」
静かに思いを告げ、上体を起こしたリーシェルは、精霊たちに頼んでビンから薄いガラスのように見える心の欠片を取り出した。
文献では、これを心臓の辺りに当てることで欠片は本体へと戻り、同時に
しかし、魔法医として数百年勤めてなお、初めて行う欠けた
「俺も少しばかり、
すると、そんなリーシェルの面持ちに、様子を見ていたフェズカが口を開いた。そして魔力の結晶である薄青色の礫を出現させた彼は、リーシェルの黄緑色の礫と合わせ、エデアの周囲を包み込む。
魔力による淡い光に包まれたエデアは目を閉じたままだが、理論上、これで結合は叶ったはずだ。あとは
「大丈夫だ、リーシェル。なにかありゃあ、与えた
「うん……」
目に見えないもの故、どうしても不安になるリーシェルに、フェズカは静かに事実を告げる。
今のリーシェルには、その言葉を信じることしかできないけれど、遂に
精霊に願い、クロナの中にある
ふわりと柔らかな風が舞い、精霊たちが目に見えないそれを持ち主へと移していく。同時にクロナは眠りに就き、その場に静寂が訪れた。
あとは彼らが目覚めるまで、ひたすらに待つだけだ。
きっと、欠けた心が完全に結合し、
わずかな寝息と共に眠る彼らを見つめ、リーシェルはただ、そのときを待った。
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