天神さんとお稲荷さま

いかざこ

第1話 Funny Bunny

「『希望の星よ――♪ この道を照らせ――♪』」

 梅花の下に歌声が響く。京都は未だ少し肌寒いが、鼻をくすぐる香りは確実に春が近づいてくるのを感じさせてくれる。こうなると小唄でも歌いたくなるというもので、かすれたハスキーボイスがいつもより彩り豊かに聞こえる。

 ギターケースを背負うこの女は、名を道明寺幣楓という。ただでさえ道明寺などという仰々しい名字だというのに、「ぬさ」に「かえで」と書いて「へいか」などと読ませるものだから、幼少の頃から名付け親を恨んだ回数は数知れない。尤も、彼女はその名前の成り立ちそのものには、最大限の敬意を持っていた。

『此の度は 幣も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神の随に』

 菅原道真の歌である。幣楓の名前はこの歌から取られた。今少し正確に言うなら、この歌とそれになぞらえた歌舞伎浄瑠璃の外題『手向山楓幣』が由来である。名付けは両親ではなく父方の祖母で、大正時代に歌人であったという。小倉百人一首にも数えられるこの歌を選んだのは、単に風光明媚であるとか、道真公になぞらえて栄達するように、という理由だけではない。

 幣楓の実家であるところの道明寺家は、元をたどると現在の大阪府藤井寺市一帯に住む豪族であった。ここには地名にも『道明寺』の字が残り、同名の寺もある。道明寺家に伝わる伝承によれば、道真公が太宰府左遷の折、その子供である女子をこの地を治めていた道明寺家に匿わせたという。当時の当主は道真公が亡くなった後の祟りを見て、この子を篤く育てることを決め、養子として迎え入れて遇した。以降この子からの血は道明寺家の中でも特に才能に優れるものが多く出た――

 今から千年も前の出来事である。真偽のほどは定かではない。だが、現に道明寺家からは多くの傑出した人物が輩出された。歌人はもちろんのこと、優れて公正な官吏や国学者、江戸時代には蘭学者や関考和に師事した和算家もいた。不思議と武術に秀でたものは少なかったが、武道としての弓道に長けた人物は多く伝わる。

 とどのつまり、道明寺幣楓とは菅原道真より脈々と続く血縁の末端に立っているのである。では幣楓はその一員としてどうしているかというと――

「お! へーかちゃんやん~」

 上機嫌だった幣楓の顔色が、浮かれたしゃがれ声を聞いた途端に曇る。今日は厄日に違いない。疫病神に取り憑かれたかのようだ。いや、疫病神よりなお始末が悪い。なぜなら。「おーい、無視とはけったいな」

 幣楓をぬるりと追い抜いて前に立ち塞がる、背丈が自販機ほどもある女は、普段伏見十子と名乗っている。職業は私立探偵。黒々としたミドルショートの髪と薄ら笑いの糸目が、否応なしにうさんくささを醸し出す。

「なんもないのに街中で会うとかサイアク……」

「これでも会ったら喜ばれる方が多いんやけどなぁ」

「そりゃそうでしょ。ホント、お稲荷様はありがたいですね~ってワケだ」

「神名知らん人でも結構恭しくする人多いんやで?」

「そりゃ見上げるほどデカけりゃそうなるでしょ……」

 この軽薄な女の素性が所謂『お稲荷様』であることを知っているのは、幣楓を含めたわずかな人間と、この京の都に棲む数多の人ならざるものだけ。彼女は、伏見稲荷大社を中心として全国に広がる稲荷信仰が生み出した、文字通りの実存する『かみさま』なのである。

「うちらみたいな信仰が食べ物の輩は、その信仰の大きさで姿が変わるんよなぁ。で、翻って天神さんの生まれ変わりの方はどうなん?」

「背はそこそこなんじゃない? あと、新曲のMVの再生数は上々かな。……ってか、別に私は生まれ変わりじゃない」

 幣楓が天神より授かったものは、詩歌の才能だった。だが幣楓は現代に生きる若者で、和歌などとは自分の名前以上の縁が無かった。そんな彼女が自分を表現する道にロックを選んだのは、あるいは一種の神のいたずらであろうか。

 しかし幣楓は、生まれによって縛られる『運命』だとか『宿命』というものを嫌悪し、唾棄した。だから彼女が激しいバンドサウンドに乗せる詞の思いは、自分の夢は自分の力で叶えること。必ずしも努力が報われるとは限らない不条理な世の中に、あえて立ち向かうことこそがロックだと、そう信じていた。

 だから幣楓は、今日も自分の生まれなど気にしない。一人の人間として、目の前の『かみさま』に対峙するのだ。

「で、冷やかしなら帰ってよ。ちょうど良い気分で、インスピレーションが湧きそうだったんだからさ」

「ん、一応用事自体ははある。ちょっと依頼が入ったんやけど、依頼主が年頃の女の子っぽくてな? 一緒に話聞いてほしいんよ」

「んあー……仕事ならしょうがないか。わかったよ」

 ところ変わって、伏見探偵事務所。ここにやってくる依頼は極めて少ない。

 私立探偵という職業がほとんど一般に知られていない現代日本において、そもそも探偵の仕事というものは非常に少ない。かのシャーロック・ホームズのように凄惨な殺人事件を鮮やかに解決するのは、今や警察の仕事だ。探偵というものが扱うのは刑事事件ではなく、浮気調査や親が子供の恋人の素性を調べたり、企業が競合他社のスキャンダルを探らせたり。大抵は碌でもない仕事ばかりである。

 だが、伏見が経営し幣楓が助手を務めるこの伏見探偵事務所に迷い込んでくるのは、そういった依頼ではない。ここに来る依頼主は、大きく分けて二つ。

 一つは、他人に話せば気が違っているとされるような、人智を超えた事象に悩む人々。すなわち、天神様の末裔である幣楓にあやかって、夢か幻かもわからぬ恐怖から逃れようと願う若者たちだ。

 もう一つはその対極だ。つまり、依頼主は人外そのもの。この京の街に棲まう物の怪が、現代に顕現した神である伏見を頼って悩みを打ち明けるのだ。このような事件は、確かに人間には打ち明けられないだろう。

「さて、と……依頼人は?」

「メールで連絡取ってきた子やね。名前は沢中摩耶子、十九歳。職業は学生。人目を避けて話したい言うからここに呼んだ。もうすぐ来るんやないかな」

「ふーん……ん? 『まやこ』ってどういう字を書く?」

「神戸の摩耶山の摩耶に子供の子やね。心当たりあるん?」

「その子、もしかして――」

 その瞬間、事務所の扉が三回ノックされた。

「噂をすれば、やな。入ってええよ~」

 ゆっくりとアルミサッシの扉が開かれ、おずおずと一人の少女が入ってくる。印象としてはおとなしめだが、幣楓は彼女が歓喜に満ちているのを見たことがある。

「カエデさん! やっぱり!」

 不安そうな顔が幣楓の顔を見た途端にぱぁっと明るくなった。

「お、へーかちゃん知り合い?」

「今はそっちの名前で呼ばないで。この子、うちのライブの常連だよ」

 カエデ、というのは幣楓のバンドでの芸名である。『陛下』と音の被る仰々しい名前なので、バンドのメンバーでは唯一芸名を使っている。

「たまたまカエデさんが探偵事務所でバイトしてるって聞いて……カエデさんなら、真面目に話聞いてくれるかもって思って、来ちゃいました」

「人徳やねぇ」

「その口ぶりだと、他ではまともに取り合ってもらえなかったってワケだ」

「はい、ちょっと……あまりにも、奇怪というか……」

「まぁ、じっくり聞こう。座って」

 摩耶子を座らせてから、幣楓がゆったりとお茶を淹れ始める。この事務所ではいつでもお茶を淹れるのは幣楓の仕事だ。幣楓以上に美味いお茶を淹れられる者が伏見の旧知に居ないのだから仕方がない。

「あたしが名乗ってへんかったな。あたしは伏見十子。数字の十に子供の子で『とおこ』や。覚えとき」

「あ、はい……よろしくおねがいします」

「先に聞いときたいんやけど、ここがどういう悩みを持ち込む場所かはわかっとる?」

「なんと、なくは……正直半信半疑ですけど、自分の身に起こっていることの方がよっぽど変なので」

「はい、お茶どうぞ。じゃあ聞こうか。どんなことがあったの?」

 緑茶の香りに緊張した摩耶子の面持ちが少し緩んだ。

「その……多分、実際に見てもらった方が早いと思います」

 そう言うと摩耶子は、鞄から何かを取り出した。

「え。なんか、御札でグルグルにしてあるけど……」

「これ、私のスマホなんです」

 それは、無数のお祓い用の御札で固められている板状のモノだが、言われてみればスマートフォンくらいのサイズだ。

 摩耶子はそこに貼られた御札を一枚ずつ剥がし始めた。幾重にも幾重にも重なっているため、すべて剥がすのには随分と手間がかかるように思われた。のだが。

「うわっ!?」

 摩耶子が驚いた様子でスマホを手放すと、それは激しく振動を始めた。しかも単純なバイブレーションなどというレベルではない。バリバリと御札を振動で破り、落ちたテーブルの上でのたうち回っている。摩耶子はほとんどパニックに陥っていて、どうしたら良いのかわからないという状態だ。

「へーかちゃん、ちょっと抑えといて。あたし御札取ってくるわ」

「はぁ? 抑えるって言っても……しょうがないな、えいっ」

 なんとか幣楓の手がスマホを捉えるものの、手の中で暴れ回るスマホを上手く制御できない。それにスマホ自体が焼けるように熱く、渾身の力で握りしめる幣楓にも痛みが走る。

「あの、カエデさん手を大事に……!」

「そりゃ、そうだけど……っ!」

幣楓が摩耶子のスマホに四苦八苦していると、すぐに十子が戻ってきて御札を貼り付ける。すると、徐々にスマホの振動はおとなしくなっていった。

「ほい、これでとりあえず応急処置ね。あとへーかちゃん、生で触ると危ないからこういうのは物を挟んで抑えとき」

「先に言えよ、あっちー……」

 幣楓が自分の手を見るとただの火傷などではなく手が炭のように黒くなっていた。

「あぁ……カエデさん、ギター弾くのにそれじゃ……」

「まぁとりあえず君に怪我がなければ良いよ。それにしても……」

「今の、いつから出始めたん?」

 摩耶子は顔を青くしながらも、事の起こりを話し始めた。

異変が起き始めたのは今から約一ヶ月前。家で何気なくスマホを触っていたら突然画面が真っ暗になり、電源も入っていないのにバイブレーションが鳴り始めたという。

「一応聞くけど、このスマホ捨てようとかは思わなかった?」

「もちろん気味が悪くて何度も捨てようとしました。でも……〝戻ってくる〟んです。ゴミ袋に入れて捨てたり、遠くの電気屋に処分しに行ったりしました。でも、翌日には家の玄関の前で震えながら落ちてて……もう、すごく怖くなってしまって」

「大事なデータとかないなら、壊しちゃうしかないのかな」

「いや、あかんと思うよ。他の人に乗り換えるならともかく、戻ってくるんなら摩耶子ちゃんを明確に狙ってることになる。摩耶子ちゃん、別にこのスマホをぞんざいに扱ったわけやないんやろ?」

「はい! 粗末に扱ったことなんて一回もないです」

「そやったら、別にスマホそのものに恨まれとるわけでもない。スマホを介して別の何かに恨まれとるだけ。迂闊に壊してみ、今度はスマホやない別の何かに取り憑くだけやないかな」

「じゃあ、摩耶子ちゃんを恨んでる何か、の方を解決しないと根本的解決にはならないね」

「せやなぁ……自覚があることならとっくに供養しとるやろ?」

「はい……無自覚に何かしてたんでしょうか。どこかにお祓いに行くかどうか迷ってるときに、ここを知って……」

 それきり、摩耶子は温くなった湯呑みを握ったままうつむいてしまった。

「御札で一時的に治まるってことは、大体は良くないタイプの……なんだ? 相手?」

「人かそうでないかだけでも大分話が違うね。人なら犯人捜しやけど、神霊の類いならそれこそお祓いやろなぁ」

「なにか、悪いことをしてしまったんでしょうか……」

 消え入るような声で摩耶子がつぶやく。既に目からは数滴涙がこぼれ落ち、湯呑みを持つ手も弱々しくなっている。

「あのね、摩耶子ちゃん。これは……それはそれでしんどいかもしれないけど、こういう恨みっていうものは時として理不尽なものだよ。別に悪いことしたからとかじゃない。それに――」

 少し言葉を切って迷いながらも、幣楓は続けた。

「私の歌が好きな人が、悪い人だとは思えないじゃん?」

「ンフッ」

「笑うなよ十子!!!」

「……なんだか、カエデさんに言われると自信になります」

「ンフフフフ」

「それ以上笑ったら首ひっ叩くからな……!」

「おぉ怖い怖い。まぁそうやね、彼女の言うとおりあんまり罪悪感は気にせんでええよ。神様の気まぐれなんて、人間の罪の尺度じゃ量れんことの方が多いて」

 嫌に説得力があるな、と喉まで出かけて幣楓はぐっとこらえた。おそらく摩耶子は、十子の正体までは知らない側の人間だろう。

「話を戻そう。相手が人間かそうでないか、それだけでもわかれば前進なわけだ」

「あの……でも、御札が効くってことは幽霊とかなんじゃないですか?」

「そうとも限らんよ? ほら、なんとかっていう漫画が最近流行ってるやん」

「あ……なるほど」

「まぁ、害意のある人間にもできる場合があるってことやね。そういうヤツをシバくのもあたしらの仕事なんやけど……っと」

 ふっと息を入れると、十子は立ち上がって何かを考え始めた。

「んー。こういうのはまず足下から見るのがええな。行ってみよか、摩耶子ちゃん家」

「はい……え? え!? うちに来るんですか!?」

「そりゃ起こり始めた場所が一番怪しいやろ。事件は現場で起こってるんやろ?」

「ここでも起こってるけどね……まぁ、今のところ手がかりはそこしかないから、そこから攻めた方が良いとは思う」

「な、なるほど……」

「んじゃ、善は急げやな」

 まだ不安げな摩耶子の肩を軽く叩いて、幣楓は元気づけた。時間はまだ十四時を回ったばかりだったので、三人はそのまま摩耶子の家に向かうことにした。

 伏見探偵事務所のある稲荷山の南麓から摩耶子の家までは歩いても二十分ほどだった。京都市伏見区の一角、小さなアパートに摩耶子は一人暮らししていた。三人で向かいながら話を聞くと、摩耶子は産業大の一年生で専攻は経営学。出身は福知山で、第一志望の大学に受かったら市内で一人暮らしさせてもらえる、という確約を元に京都市に移り住んだ。京都市街地に多少の憧れがあったようだ。幣楓のバンドのことは結成当初から追っかけをしており、最古参のファンだと熱弁していた。

「名前聞いた瞬間ピンと来たもん。初めて私がサイン書いたのも君でしょ?」

「はい! 今でもあのTシャツは大切に壁に飾ってあります」

 そうしているうちに、一行は摩耶子の自宅に到着した。木造の二階建てアパートで、駐車場はないが、学生向けの配慮なのか駐輪場はしっかり屋根まで整備されている。

「あ」

 現地に着いた途端、十子が素っ頓狂な声を上げた。

「何?」

「いや、原因大体わかったわ」

「は?」

「え? わかったんですか?」

「ん~~~まぁ……」

 急に十子がどもり始める。常にするすると口が良く滑る十子にしては珍しい。

「何、この辺が忌み地とか?」

「いや、まぁ……う~ん」

「なんか隠してんだろ。さっさと言え」

「あーもうわかったわ、言う! 言うて」

 ゲシゲシと脇腹をつかれて十子は観念したのか、はぁ、とため息を一つついてから十子は口を開いた。

「ここ、アホみたいに家賃安かったやろ?」

「えっ? はい、かなり安かったですけど、心理的瑕疵とかはないって説明されました」

「まぁ、心理的瑕疵ってのはせいぜい数百年程度しか遡らんもんな。ここ、伏見稲荷大社のちょうど裏鬼門にあたる場所なんよ。で、お社を建てるときは鬼門と裏鬼門を鎮めるわけな。伏見稲荷ができたのは今から千年以上も前の話」

「はぁ……」

 思わず隣にいる幣楓もため息が出た。つまり、ここが訳ありなのは他でもなく、この伏見十子という女が一つの元凶なのだ。

「地鎮されたのも気が遠くなるくらい前のことやから、記憶に……ちゃう、記録に残ってないのも無理ない。まぁ、それでも安かったのは、心理的瑕疵の基準に引っかからないだけでちゃんと訳あり物件だったってことやな……」

「そんなぁ……」

「そういえば自転車置き場がある割に、自転車が一台しか置いてない……」

「あ、それ私のです……」

「うーん、お気の毒やなぁ」

 なんともあっけない結末だった。このアパートのあった土地は、元々伏見稲荷大社の裏鬼門として地鎮された場所だった。忌み地というより、侵してはならない聖域に近い。それ故、記録の薄れた現代に至って開発の影響を受け、このアパートは神聖な場所を侵した訳あり物件となってしまったのだ。

「ここが訳ありなのは、お稲荷様を怒らせてしまったからなんですね……」

「……」

 十子は何かを考えるように押し黙る。この女にそのような害意も、ましてや傲慢さなどかけらもないことは、幣楓が一番よく知っていた。かみさまのくせに、とさえ思ったこともある。

「ここを地鎮し直すっていうのは?」

「地鎮ってな、結構大がかりなものやからお金がかかるんよ。分社とかもそれ。ぼろアパートのいち経営者がやるのは厳しいやろな」

「うーん……」

 摩耶子は事務所にいたときほどではないにしろ、かなり肩を落としていた。憧れの京都市街にやっと住み始めて一年足らずの悲劇は、努力して勝ち得た居場所であるだけにむなしさを呼ぶ。

「……いや。ひとつ、いい手がある」

 意外にもそう口を開いたのは幣楓だった。

「ちょっと妥協しなきゃいけないことはあるけど……手っ取り早く解決する方法があるよ」

「うまい話やな?」

「妥協点って、なんですか……?」

「んーと、ね――」

 クスリと苦笑いをしてから幣楓は冗談めかして言った。

「ちょっとだけ、恋人を部屋に呼びづらくなるかな?」


 それから一週間後。伏見探偵事務所に、菓子折りを持った摩耶子が現れた。

「お、摩耶子ちゃん。あの後どやった?」

「すっかり変なことは起きなくなりました! 本当に、お二人のおかげです」

「まぁ、今回はへーかちゃんの手柄ってことにしとき」

「別に、大したことでもないでしょ。今お茶淹れるね」

「あっ、お構いなく……ともかく、今日はお礼をしに来たので」

「律儀なモンやなぁ」

「それと……最初のご相談の時に、報酬のお話をさせていただいてなくって。私、探偵さんに依頼とかしたことがなくって……どのくらいお出しすれば良いんでしょうか?」

「え、でも結構大きな出費だったんじゃない? あの神棚」

「あ、はい……三万円くらいしました……」

 幣楓が提案した方法とは、部屋に稲荷神を祀る神棚を付けることだった。これなら摩耶子が住む部屋だけで済むので大がかりなお祓いはいらないし、少なくとも幣楓のサイン入りTシャツを飾るくらいのスペースがあれば神棚も据えられるだろう。

「でも、お礼をしないわけには……」

 丁寧に菓子折りまで持ってきている摩耶子を前に、二人は困ってしまった。幣楓はそもそも自分の大事なファンが健在ならそれで構わないし、逆に遠慮してライブに来られなくなりでもしたら困る。一方の十子としても、結果的に自分の糧となる信仰が増えたのだから下手に金品をもらうよりも利益を得ている。今回摩耶子の購入した神棚は伏見稲荷大社の境内にある贔屓の神具店で購入させている。この上報酬までもらうのではむしろ貰いすぎのようなものだ。

「うーん……」

 悩んだ末、二人の出した結論は――

 

「なんか、いいんですか? これじゃ私、得しかしてないような……」

「ちょうど私のバンドの広報担当が欲しかったとこなの。うちら、どいつもこいつも売れる気が無いから宣伝がおざなりすぎるんだよ」

 数日後、京都にあるとあるライブハウスで二人は話していた。いつも幣楓のバンドが拠点にしている場所だ。

「追っかけやってるバンドのスタッフになれるなんて、夢みたいです……!」

「あ。そういえば、聞いてみたいことがあったんだ」

「なんですか?」

「摩耶子ちゃん、高校時代から私のバンドの追っかけやってるんでしょ? 自分たちでバンドやろうと思わなかったの?」

 幣楓は最初、摩耶子自身に意志さえあれば、バンドメンバーにしても良いとさえ思っていたからだ。しかし、自分には楽器の経験が無いという理由で摩耶子は固辞した。

「あ……あはは。私、音感がてんでダメなんです。中学の頃はバンドやるために頑張ってましたけど、聴く分には楽しめても、歌ったり演奏したりすると音を外しまくっちゃって……私、きっと才能が無いんですね」

才能の有無。それは確かに、多くの人にとって越えがたい壁となる。だが。

「冗談よしてよ。私のバンドの追っかけなら、こう言えば良いじゃん。『才能が無くたって、憧れのバンドと一緒に活動する夢が叶ったぞ』って」

「……!」

 また、ぱぁっと摩耶子の顔が明るくなった。

「はい! 私、今まで頑張ってきましたから。楽器は弾けないけど、宣伝のお勉強を頑張ったおかげで……その自分の努力のおかげで、好きな場所に来れました!」

 柔らかく幣楓は笑う。これこそが、自分の目指してきたロックの道だ。その仲間が、思いもしないきっかけで増えたのだ。

「流石、うちの古参ファンなだけあるじゃん♪ ――おっと」

 二人の後ろで、ライブハウスのドアベルが鳴る。

「みんな、紹介するよ。この子がこの前話した――」

 好きな場所へ行こう。僕らは、それができる。


 

 

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