第33話 「黄泉返り」①
本棚にはその人の人生が表れている、という話をどこかで聞いた覚えがある。何を思って、どう考え、どんな道を選んできたのか。詳しく語らなくても、棚に並ぶ本の背表紙がそれを教えてくれるのだと。
だとしたら持ち主が選ぶ「特別な一冊」は、その人の人生を最もよく知ることができる品物と言っていいかもしれない。
「この店の魔導書はあそこの棚に出ているもので全部?」
ある日、そう尋ねてきたお客様がいた。古そうな杖を携え、丈の長いフード付きローブを纏った魔法使いの女性だ。年齢はわたしと同じ二十代半ばぐらいに見える。あくまでもそう見えるだけで、実年齢がその通りとは限らないけれど。
「はい、そうです。今日の入荷や買い取り品の中に魔導書はありませんでしたので」
「……そう」
わたしの答えに、魔女は思案顔で俯いた。
フードからこぼれている癖のない黒髪は腰のあたりまである。血行の悪さを心配してしまうほど青白く透き通った肌。伏し目がちの眼は切れ長で、昏い色の虹彩にあまり生気は感じられない。
(この人も何か『訳あり』かなぁ)
ここが特殊な店だからなのか、訪れる客は何かしら『困りごと』を抱えているタイプが多い気がする。
「あの、何かお探しでしょうか?」
店頭にない品を注文していく人もいるので、念のために訊いてみる。するとその女性はわずかに躊躇したあと、小声でぼそりとつぶやくように言った。
「…………黒魔術」
「え!?」
「この店に黒魔術の本が入ってきたことは?」
(ああ~~~、やっぱり物騒な話か~~~)
魔道具の専門店を預かっている身でありながら、店主のわたしは魔力ゼロなので魔法に関する事柄には疎いんだけど、さすがに黒魔術という単語ぐらいは知っている。悪魔を召喚して契約しちゃったりするアレだ。
(この人、ヤバい人なのかな……)
脳内が一気にホラー映画の恐怖映像で埋め尽くされていく。
とは言っても、そもそも悪魔の将軍がこの店の常連客だったりするので、このぐらいで臆していては店主は務まらない。
「少々お待ちください」
わたしは自前のPCで過去の販売データを検索してみた。手書きの売上帳が何冊も残っているので、こういう時のために少しずつデータ化していたのだ。もちろん資料は膨大なので、まだほんのわずかしかできていないんだけど。
「えーと…………昨年の秋に一冊出ておりますね」
「どういった内容の本だったか分かる?」
「魔獣召喚術を成功に導くための条件、というタイトルです」
「…………」
残念ながらご期待に副うものではなかったらしく、沈黙が下りる。
「すみません。わたしが先代からここを預かったのはごく最近のことで、以前のことはあまり詳しく分からなくて……クロ、あなた知ってる?」
カウンターの端に置いてあるクッションの上で、いつものようにのんびり身体を丸めている黒猫に声をかけると、彼はふっと頭をもたげてこちらを向いた。
「黒魔術の本も年に四、五冊は入荷してたよ。時期はまちまちだけどね」
「そう。分かった」
クロの答えを聞いた女性は小さく頷くと、また来るわ、と告げて足早に店を出ていった。
その背中を見送ったわたしは、思わず首を傾げた。
「どんな本が欲しかったんだろう?」
あの反応から察するに、明確に探している何かがあるはずだ。
「さぁ……魔王召喚か、降霊の儀式か…………
「反魂って、死者の蘇生ってこと!?」
「そう、蘇りの秘術だね」
(うげげ……それこそスプラッター映画ばりの恐怖展開しか浮かばないんだけど)
きっと思ったことが全部顔に出ていたのだろう。
クロがくすりと苦笑を漏らした。猫なのに。毎日一緒にいると分かるもんだわね、苦笑されてるって。
「黒魔術の反魂はなかなか成功例を耳にしない秘中の秘だ。大抵ロクなことにはならないから、たとえ魔導書が手に入ったとしてもあまりお薦めはできないかな」
「ですよねぇ~」
魔術のいろはすら知らないわたしでも、そう思うわ。
けれどクロの次の言葉には不意を突かれた。
「
「はい!?」
その単語には何やら覚えが……
「知らない? 反魂香」
「……?」
煙の中に死者の姿を映し出すお香だよ、と教えられてハッと思い出した。
「それ、知ってる! 落語に出てくるやつだ!」
中国には反魂樹という木の根で作ったお香を焚くと、煙の中に死者の姿が現れるという古い言い伝えがある。一方、日本には反魂丹という名の腹痛によく効く薬があった。あるとき同じ長屋に住んでいる牢人が愛する人の霊を慰めるため毎晩反魂香で呼び出していると知った男が、自分も死んだ女房を呼び出そうと香を求めて薬屋に行き、間違えて反魂丹を買ってしまうという話だ。結果、もうもうと立ち上がる煙の中から現れたのは亡き妻ではなく隣の部屋のおかみさんで、きな臭いと怒られるというオチだったはず。
「へぇ、琴音の歳で落語を知ってるなんてめずらしいね」
感心されてるけど、逆に猫のクロがその話を知ってる方がさすがと言うか。先代の主よりも長くこの店にいるみたいだし、いったい何年生きてるんだろう。
「お母さんが好きだったのよ、落語。小さい頃、近所に寄席があって何度か連れて行ってもらったことがあるらしくて。たまにラジオとかで聞いてたの」
話しているうちに病気で亡くなる前の、まだ元気だった頃の母の姿が脳裏に浮かんで少しだけチクリと胸が痛んだ。
「……にしても、本当にあるんだね反魂香って」
さすが魔道具店。
「黒の秘術と違って、姿を目にするだけだけどね。中毒性があるから取り扱いには注意が必要だし」
「そうなの?」
わたしはカタログを広げて反魂香のページを開いてみた。
確かに注意事項の欄には『中毒性有り、連続使用を避けるべし』と書いてある。
「煙の中から浮かび上がる姿は、言わば香を焚いた人間が追い求めている脳内の映像をそのまま形にしたものだから、霊界にいる相手と直接触れ合えるわけじゃない。そう錯覚して美しい残像を眺め、己を慰めるだけのものなんだよ。そういう慰めを必要としている人もいるからね」
「なるほど」
それはそれで、なんだか返ってせつないような。
「つまり残された側が気持ちを整理するための品ってこと?」
「まぁ、そうなるかな」
「ふむふむ。そういう意味での実用性は高いけど、落語の中で牢人がやっていた霊を慰める的な効果はないってことね」
「うーん……まったくないとも言い切れないけど」
「え? でも物語の中の牢人は、手討ちにされて死んじゃった花魁の霊を慰めるために反魂香を使って呼び出してたんだよ。煙の中に現れるのが彼のイメージ投影に過ぎないなら、亡くなった人の霊を慰めることはできないでしょ」
例えばわたしが店の反魂香を使って、母の霊を呼び出すとする。煙の中に懐かしい姿が現れるけど、それは単なるわたしのイメージ映像で、いろいろ話しかけたとしても実際に母の霊魂に届くわけじゃない。要するに、仏壇の前で遺影に話しかけるのと同じ。だったら遺影でもべつに構わないわけで。
「落語は昔のお話だから写真なんかなかっただろうし、亡くなった人の姿をひと目見たい、直接言葉を交わしたいって気持ちはよく分かるけど。姿が幻なら、効果も幻想でしょ」
わたしの答えを聞いたクロはしばし思考を巡らせていたようだけど、やがておもむろに口を開いた。
「琴音にもそういう相手がいるんだね」
心のどこか深いところに届く、静かでやさしい声だった。
「幻で己を慰めるだけのもの。確かにボクはそう言ったけど、直接対話できなければ効果がないとも思わない。だって強い『祈り』は『呪い』と同じくらい威力のある魔術なんだから。本人がそれと分かって使っているかどうかは別にして」
――――祈りと呪い。人間なら誰もが抱く、ごく自然な心の動き。
それもまた魔術の一種なのだと、以前教えられた記憶はある。だけど。
「拝む姿は幻でも、それに向かって毎晩送り続ける『祈り』が霊界に届かないなんて、決めつけることはできないんじゃないかな」
「……そうかなぁ」
どうしても懐疑的になってしまう。だって、その解釈は〝自分に都合よすぎる″気がするから。
「確認も証明もできないから、こっち側が勝手にそう思ってるだけ、かもよ」
詳しい番地も分からない戦地に向けて、届く当てのない手紙を出し続けるようなものではないか。勝手に祈っているだけで、それが相手に届くとどうして信じられるのか。
お盆やお彼岸に墓前で手を合わせるのだって、単なる習慣と、こちら側の都合じゃないかというわたしのヒネた意見をクロは笑わなかった。苦笑も冷笑も漏らさなかった。
「それでもべつにいいじゃない」
彼は穏やかに言った。
「異世界と違って勝手に行き来はできないけど、霊界はどこよりも確実にこの世界と繋がっているところだよ。都合よく解釈しておきなよ。そういった考えや行動が双方の世界に影響を与える可能性だってあるんだから」
「……そんな安直な」
そもそも異世界だって自由に行き来できませんよ、普通は。
「でもまぁ…………そうか……うん、そうだね」
昔だったら空想でしょと笑い飛ばしていた異世界の人々を相手に、わたしは今、仕事をしている。自分自身の目で見ることが叶わない世界と繋がって。
(そう考えると、有りなのかもねぇ)
ただし、とクロは釘を刺すのを忘れなかった。
「慰めに縋ってしまう人は中毒症状を起こしがちだから、注意する必要があることもお忘れなく」
「はい、心得ております。それが店主としての務めだもんね」
わたしは笑って答えながら、次のお盆には反魂香を買って焚いてみようかな、と考えていた。今なら報告したいことが結構たくさんあるから、幻相手でも笑って話ができるかもしれない。
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