第10話「魔法の笛」④
「今日はもう来ないかなぁ、あの神官さん」
壁に掛かった時計の針は八時五十五分を指している。閉店時間まで、あと五分。
別にこちらは明日でもあさってでも構わないんだけど、彼自身がすごく焦っていたので、もしかするとタイムリミットがある用件なのではと危惧しているのだ。
「でもまぁ、仕方ないよね」
閉店準備といっても、ここではたいした仕事はない。
簡単な帳簿付けはする決まりだけど暇な時間にもう済ませちゃってるし、レジ精算の必要がない(金庫に代金を入れた段階でどこかに集金されてしまっている)から現金を確認して合わせる苦労もない。
ゴミ捨てや返品、検品作業もない。
ドアに閉店の札を掛けて鍵を閉めたら、せいぜい床を箒やモップで軽く掃くだけ。
消灯すら自動でやってくれる。
書店や飲食のバイトに比べたら、天国かなって思うくらい超ラクチンなのだ。
なので、立ち上がるのも時間ギリギリになってからで。
「クロ、そろそろお店閉めるよ~」
「うん」
鈴の音を鳴らして勢いよくドアが開いたのは、その直後だった。
「あ……いらっしゃいませ」
振り向くと、今朝の神官が立っていた。
杖をついて。ぐるぐると目に包帯を巻きつけて。
「ど、どうされたんですか、その包帯」
「売り払える物が他になかったのでな。私の眼は少し未来(さき)の世を見通す力を持っていた。故に、密かに欲しがる者もおるのだ」
「まさか…………売ったんですか?」
自分の目を?
買い物のために!?
「おかげで金子を用意できた」
事もなげに答えた神官はずっしりと硬貨の詰まった布袋を懐から取り出し、差し出した。
「……お預かりします」
取り置きしていた笛と預かっていた肩布、受け取った金貨をカウンターに並べる。
「金額ピッタリですね。間違いありません」
「ではその笛、貰い受ける」
「どうぞ」
商品を手渡すと、神官は感慨深げにぐっと強く握りしめた。
自身の眼球と引き換えに手に入れた、その笛を。
「やっと……これで、やっと役目を果たせる」
ああ、これはもう訊かずにはいられない。
「あのっ、差し出がましいことと存じておりますが、よろしければ教えていただけませんでしょうか。そこまでして手に入れた笛で果たすお役目っていったい……」
「…………」
その人は少しばかり迷っているように見えたけど、やがてゆっくりと口を開いた。
「我が国には神の御使いと言われている光の鳥がいる。その名の通り、眩く光る大きな鳥だ。その鳥はどこからともなく都に舞い降りては周囲を明るく照らし、姿を消すと都に夜が訪れる。だから我々は神に祈りを捧げ、再び光の鳥の訪れを願うのだ。我々は長年そうした日々をくり返してきた」
「はぁ、なるほど……」
予想よりパンチの効いた設定きたな。
天照大御神の鳥バージョンですか。
「だが、あるとき王が鳥を捕らえよと命じた。捕らえて閉じ込めてしまえば、昼も夜も思いのままだと」
愚かなことだと、神官は深いため息を漏らした。
「王は国で一番声の美しい巫女に、祈りの唄を歌うよう命じた。光の鳥をおびき寄せるためだ。巫女は休むことなくひたすら歌い続け、やがて近づいてきた鳥を王の家来が捕らえることに成功した。巫女は喉を枯らし、衰弱してこの世を去った。共に教会で育った、私の幼馴染みだ」
「なんとまぁ」
どこの世界でも為政者は強欲だな。
「以来、我々の国では昼が続いている。時折、鳥籠に布を被せて光を抑え、夜にしているが、うっすらと漏れ出る光で完全な闇は訪れない」
白夜みたいな感じか。睡眠の質が落ちるね。
「人々は明るくなり、都も一層賑わうようになったが、以前よりも享楽的になった。攻撃的な言動も増えた。王族たちは別の国に戦いを仕掛けようと準備している。国が、少しずつ壊れていってるのだ」
きっと神の怒りに触れたのだろう、と彼はこぼした。
「過ちは正さなければならない。我々神官は王ではなく、神に仕える身。我らが成さねばならん。たとえそれで国が乱れたとしても」
「救われるんじゃなくて、乱れるんですか?」
「長く昼が続いたからな、反動でしばらくは夜が続くだろう。鳥が再び戻ってきてくれる保証もない。不安が長引けば世は乱れる。だが、それは因果応報。やむを得ぬ」
完全に壊れてしまう前に。
すべて失ってしまう前に動かねば。
神官は重い口調でつぶやいた。自身に言い聞かせるように。
「では店主殿、これにて失礼」
神官は視力を失っているとは思えない身のこなしでまっすぐ出入り口へと向かい、店の扉を開けた。その先にある景色は見慣れた道路などではなく、きらびやかな宮殿の広間といった感じだ。
きっと彼の国の王宮のどこか、光の鳥を閉じ込めている場所に通じているのだろう。
「光の鳥よ、おまえを自由にして我らは夜を取り戻す。二度とこのような行いはせぬ証として、王の首を捧げよう。さぁ、好きなところへ羽ばたくがいい」
閉まっていく扉の隙間から、最後に恐ろしいセリフが聞こえてきて、身震いしつつも納得してしまった。そりゃ世の中は乱れるわ。つまりクーデターだもん。
「おつかれさま」
クロに声をかけられて、ほっと大きく息をつく。
「あれでよかったのかなぁ?」
「いいんじゃない。琴音はちゃんと店主としての務めを果たしたと思うよ」
「……だよね」
私にできることは代価を受け取り、商品をお渡しするだけ。
それだけだ。
「じゃあ今度こそ閉めるよ」
改めて扉を開けてみると、当然そこには誰もおらず、見慣れた夜道があるだけで。私は手にしたCLOSEの札を扉に掛けて、鍵を下ろした。
ずいぶん長い一日だった気がする。
まだ二日目なのに。へとへとですよ。
「ああ、お腹すいたぁ~」
その日の晩ご飯は仕込んでおいたタンドリーチキンをおかずに、二回おかわりをした。
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