~プロローグ~ 黒猫を飼い始めた③
住宅街の真ん中にぽつんと建つ二階建ての小売店。
かなり古そうな建物だけれど外観は洒落た洋風の店舗。ヨーロッパの街中にありそうな佇まいだ。木の看板には『道具店夢乃屋』と書いてある。
出入り口も重たそうな木製のドアで、ちょうどその扉が開いてお客さんが一人出てきた拍子に、クロがスッと店内に入ってしまった。
(あっ……ああ~~~~~)
怒られるだろうかとビクビクしながら、後を追って自分も店内に滑り込む。
軽やかなドアベルの音に心臓が縮む。
(これはマズイよ。早く出てきて、クロ)
昼間なのにやや薄暗くて、ひんやりとした空気の店内にはさまざまな品物が並んでいた。
表の看板は道具屋となっていたのに、きれいな装飾が施された絵皿やアクセサリー、鏡、楽器や人形まで置いてある。オルゴールやジュエリーボックスと思しき箱もあれば、一見、何に使うのかよく分からない物も多い。ただなんとなく、どれも値段が張りそうな気がして冷や汗が滲んでくる。
「クロ……どこ?」
そろそろと店内を歩きながら小声で呼んでいると、いらっしゃい、と明るい女性の声が鼓膜を震わせた。床に這わせていた視線を上げると、カウンターの奥にゆったりと腰かけて微笑んでいる年配の女性と目が合った。
白髪交じりの髪はきれいにまとめて結い上げられ、ふんわりとしたブラウスに淡い色合いのショールを羽織っている。上品なマダムという感じだ。この店の店主か、店主の奥様なのだろう。
「あっ……ど、どうも……」
ふと見ると、彼女の手がカウンター上に鎮座している黒猫の背をやさしく撫でている。
「クロ!」
すみません、その猫、ウチのです!
叫びそうになったとき。
「あら、あなた今、クロって呼ばれているの?」
「うん。見たまんまだけど、わりと気に入ってる」
「そう」
…………あのう、マダム、今うちのクロに話しかけました? 完全に視線が猫に向けられていましたよね。しかもどこからか若い男の子の声で返事が聞こえた気がするんですけど、幻聴ですか? 私ヤバいですか? 相当ヤバいですよね。それともこれは夢なのかな。実は寝ているとか?
面食らってぐるぐる考えていたら、カウンターの女性がふふっと目を細めた。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。この店は特別だから、この子の声もちゃんと聞こえるの」
「はぁ……」
いやいや、あなたも大丈夫じゃないです。何言ってんの?
「それにしてもこんなに早く見つけてくるとは思わなかったわ」
「ボクは勘がいいんだ。褒めてくれる?」
「ええ、上出来よ」
だから猫と会話しないで。変な夢。早く目が覚めてくれないかな。
「というわけで、あなた」
この『あなた』は私のことだ。彼女の視線がパッとこちらを向いた。
「ようこそ、魔道具店夢乃屋へ」
「まどうぐ……」
「ええ、そう。魔道具。うちのは全部一級品よ。お客さまも良い方ばっかり。だから安心してね」
「あんしん……?」
会話についていけなくてオウム返ししかできない。
「それにしてもこんなに早く後継者が見つかるなんて。ほっとしたわ。これでようやく旅立てる」
「あのぉ」
「あ、二階が住居になっているから自由に使ってくれていいわよ。お店のことはこの子、クロに聞いてちょうだい。だいたい知ってるから」
「いや、あのですね」
もう何がなんだか。
混乱する私にクロが言った。
「ごめんよ。この店の主が旅に出たいと言うから大急ぎで後継ぎを探していたんだ。キミがボクを拾ってくれてよかった。こんなにピッタリの人材がすぐ近くにいたなんてラッキーだよ」
「ピッタリの人材? 私が?」
「そう。この店ではさまざまな魔道具を扱うからね。よほど強い魔力の持ち主か、あるいはどんな魔法にもまったく影響を受けない魔力ゼロのまっさらな人間か。そのどちらかしかできないんだ」
「いや、大抵の人は魔力なんてないと思うけど」
「そんなことないよ。魔力という表現を使わないだけで、ものすごく直感力の鋭い人とか夢見ができる人、知らずに呪詛を行ったり、それに強く影響されてしまう人もいるでしょ。そういう人はダメなんだ」
……要するに、ものすごく鈍いと言われてるのかな。
「そんな顔しないの。一応、褒めてるんだから」
「さいですか」
結局、私も猫と会話しちゃってるし。
もうなんなの、この夢。
「言っとくけど、夢じゃないからね。よろしく、琴音」
「いやでも」
「仕事探してたんでしょ。ボクと一緒に住める家もあるよ」
「まぁ、そうだけど」
「きっと運命なんだよ。出会っちゃったんだから」
「…………はぁ」
雫川琴音。二十六歳。無職。
訳あって黒猫を飼い始めたら、魔道具店の店主になりました。
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