第5話

 叔父になったらしい。

 姉の恵は予定日より早い出産となった。

 母親の佳子から、『赤ちゃんが産まれそう』という連絡がきて、友晴は嬉々として、病院へ向かった。ちょうど恵たちに会いたいと思っていた。家族に呼び出されて嬉しいと感じるなんて初めてだ。

 安産だったらしく、病院に着いたときにはすでに産まれており、病室に運ばれた後だった。

 個室の病室にぎゅうぎゅうに人が入っていて、友晴は出入り口に佇むしかない。

「こんな大事なときにどこ行ってたの?」と病室に着いたときに佳子からお小言はもらったが、友晴は何も気にならなかった。

 小さなベッドでは誕生したばかりの小さな生命体が眠っている。友晴がいる所からは足しか見えないが、佳子が女の子と言うのは聞こえた。

 友晴は早く顔が見たいという気持ちをなんとか抑える。今にも部屋にいる人たちを押しのけたくなる。

 隣のベッドで恵も横になっており、産まれたばかりの子を見つめている。こんなに優しい顔をしている恵をみるのは初めてだった。それだけ、子どもが産まれるというのは偉大なことなのかもしれない。鬼すら女神に変えてしまうのだ。

 だが、友晴はそんな感慨に浸っている場合ではなかった。

 ベッドで寝転んでいる恵の顔を気づかれないようじっと見つめる。やはり恵の頭上には『8』がゆらゆらと浮かんでいる。

 友晴は誰にも自分の顔が見えない位置を陣取る。自分でも分かるくらいにニヤニヤしてしまう。だが、それも仕方がないのだ。あれだけ友晴を見下す態度を取ってきたくせに、恵の頭上に浮いているのはたったの『8』だ。

佳子の頭上にも目を向けてみる。病院に着いてから何回も見ているが、やっぱり『3』だ。

 友晴は病室にある鏡を見る。相変わらず自身の頭上には『100』が浮いている。『100』が目に映る度に自信が湧いてくる。

 恵と佳子が何か話しているようだが、友晴には聞こえない。2人が話す姿を見ても気持ちがざわつかない。心に余裕が出てきた気がする。

 自分たちは特別な人間であるかのような振る舞いをしていたのに、頭上の数字は1桁。恵に関しては佳子にのびのび育つ環境を与えられていたのに、大した才能を持っていないせいで、この程度の人生しか歩めていない。佳子もどんくさい親だ。友晴に注力していれば、大きな才能を開花させられたのに、才能のない恵に注力するから、大企業勤めが限界なのだ。

 今度は恵と旦那の玉井勇樹が話している声が聞こえる。やはり友晴がいる所までは聞こえない。普段、この二人がどのような会話をしているのか、想像もつかない。

 勇樹は泣いた後なのか、目が少し赤くなっている。色白な綺麗な肌だから、余計に目立っている。

「目元が勇樹にそっくりじゃない?」

 小さい声で話すのは友晴の近くにいた勇樹の母親だ。おそらく、恵や勇樹には聞こえていない。

「ねえ、どんな子に育つと思う?」

 勇樹の母親が勇樹の父親に問う。

「勇樹と恵さんの子なんだから、良い子に決まっているよ」

 勇樹の父親は朗らかに答える。

「女優とかになったりして」

「スポーツ選手になるかもしれないぞ」

「何よりも、元気に育ってくれればいいわね。可能性に溢れているんだから、何でもできるわ」

 勇樹の両親は無邪気で純粋な笑顔で好き勝手話している。そんな勇樹の両親を佳子と恵が一瞥したのを友晴は見逃さなかった。心なしか二人を見るその目は心底冷たい目をしていた。

 佳子と勇樹の両親の仲が良いという印象はない。友晴も勇樹の両親と会うのは結婚式以来だ。

 恵と勇樹は仕事で知り合ったと聞いた。取引先の会社にいたのが勇樹らしい。勇樹が勤める会社も名の知れた大手企業だ。おまけに男の友晴から見てもイケメンである。中世的な顔立ちで、少し日本人離れしたような顔つきだ。スラっと身長も高く、街中でファッション誌の人に声をかけられて、写真を撮られたこともあるらしい。

 友晴は勇樹の隣に立つことを意識的に避けている。惨めな引き立て役にしかなり得ないのが目に見えているからだ。

 恵はそんなイケメンを捕まえて誇らしげにしていた。「最高な彼氏ができた」と佳子に自慢げに写真を見せながら話していたのを思い出す。もちろん、友晴は恵に写真を見せてもらっていない。

 勇樹は、家に結婚の挨拶に来た時、ろくに目も合わそうとしなかった友晴にも優しく話しかけてくれた。それも嫌味がなく、普段から誰とでも態度を変えずに対等に話すのだろう、と感じられた。なんでこんな良い人が恵と結婚したのか、今でも分からない。

「ごめんね」

 勇樹がそう言いながらスマホを耳に当て、病室を出ていく。勇樹が会社名と名前を名乗るのが背中から薄っすら聞こえた。誰もが羨む高収入の大手企業の名だ。

 勇樹も所詮、親に環境を整えてもらって最低限の成功を手に入れたにすぎない。

 友晴への態度だって、哀れむべき対象に優しくして気持ちよくなっているだけだ。今までは、そう思っていないと、彼を直視できなかった。でも、今は違う。

 勇樹が病室に戻ってくる。

「こんなときに仕事?」と勇樹のお母さんがぼやく。

「ごめん」

 勇樹が自身のお母さんにそう言った後に、「こんな時にごめんね」と恵に向かって手を合わせる。

「ううん。今忙しい時って言ってたから、仕方ないよ。私に任せてくれたら大丈夫だから」

 恵は上半身を起こして、優しい声で話す。こんなことを言えるなんて信じられない気持ちだ。

「僕も仕事にかまけず、頑張るから」 

 勇樹の言葉に恵は答えない。赤ちゃんのほうに真剣な眼差しを向けている。それにつられて、勇樹も朗らかな表情で赤ちゃんのほうを見る。

 勇樹たちが赤ちゃんに見とれている間に勇樹とその両親の顔を改めて眺めた。勇樹は『0』、勇樹の両親も『0』だ。恵の旦那の家庭は『0』一家だ。

「流石に子どもが産まれた日には、あんたも笑顔になるのね」

 佳子の言葉に友晴は思わず口元を抑える。

「別に隠すことはないじゃない。恵にとって素晴らしい日なんだから……」

 佳子の顔は相変わらず笑っていない。友晴はその表情を少し不思議に思ったが、それどころではない。

 勇樹の家族は平々凡々の家庭なのだ。恵が選ぶ男なんてそんなものなのだ。有名企業に勤めるイケメンだからって、才能は何もない。才能がないから、会社員で、家族をもつ程度のことしかできない。むしろ、今がピークであとは下降するしかないのだろう。

 勇樹が自身の両親と話している。『0』が3つ並んでいるのを見て、哀れに思えてくる。

 頭上の数字は才能の証なのだ。数字が大きれば大きいほど何かを成し遂げている人だ。そうでなければXでみた天才たちの数字が皆大きいことがその証拠だ。だからこそ、『0』を浮かべている人々は才能が全くない。逆に『100』のように大きな数字を浮かべている自分は、未知なる才能が眠っているに違いない。それなのに、佳子たちのおかげでその才能を活かすことが出来なかったのだ。

「目元の黒子が特徴ね。きっと美しい子になるわ」

 勇樹のお母さんが嬉しそうに勇樹に話している。

 友晴はここに到着してから、まだ産まれたばかりの恵の子の顔を見ていなかった。勇樹の家族や佳子がずっと取り囲んでいたし、友晴も皆を押しのけて見るほど興味がもてなかった。それより、恵や佳子の頭上の数字が見られて満足していた。

 友晴は背伸びをして、赤ちゃんのほうを見る。勇樹の家族たちの方の隙間から、赤ちゃんの顔が見えた。

 気持ちよさそうに眠っているその頭上には『0』が浮かんでいた。

 誰も友晴のことを見ていない。友晴は小さなガッツポーズをする。

 恵の子も大した子ではないのだ。真剣な眼差しで赤ちゃんを見つめる恵が滑稽に思えてくる。

 勇樹が恵に何か声をかけた。恵の表情がふっと柔らかくなる。家族という空気が病室を包みだす。『8』と『0』が家族を形成していく。

 友晴は病室を出た。能無しの家族の癖に幸せそうな空気を作り出すことが惨めに思える。

廊下にはお見舞いに来たであろう人や医者、看護師がそれぞれの目的に向かって歩を進めていた。

患者やお見舞いにきたであろう人々は頭上が1桁の人ばかりだ。看護師はたまに2桁の人もいるが数は小さめ。医者は『50』前後の人が多く、『70』の人もいた。

 友晴はますます自分の考えに確信をもてた。医者という、志が高く、優秀な人が多い職業は数字が高くなるのだ。

 外に出て病院の建物沿いに歩く。目的はない。ただ、病室にいたくないだけだ。帰ろうかとも思ったが、後で佳子に何か言われそうだから、思いとどまる。

 太陽が照っており、風も吹いていないせいか、寒くない。

 建物沿いしばらく歩くとトタンの屋根があるのが目についた。病院の入り口の真裏にあたる位置で人通りもほとんどない。トタン屋根の下には灰皿がある。トタンの屋根がついているが、これは雨除けではなく、病院の窓から灰皿が見えないようにするための配慮だろう。病院内は完全禁煙だから、喫煙者は肩身の狭い思いをしているのが容易に想像できる。隣にある自販機はせめてもの情けに見えた。

 友晴はベンチに腰をかけた。病院に来てからは立ちっぱなしだったから、ふくらはぎの疲労がスーッと抜けていく気がした。

 煙草を吸わないのに、喫煙所にいるのは背徳感がある。

 トタン屋根のせいで影になっているから少し寒い。友晴はポケットに手を突っ込み、首をすくめた。

 久しぶりに独りになれた気がした。昨日からずっと人の顔を見続けていたから、実際は独りなのに、ずっと人といたような感覚だった。でも、もう恐れることはない。今も頭上には『100』が浮かんでいると思うと心地がいい。

 足音が聞こえる。誰かが煙草を吸いに来たようだ。せっかくの独りの時間が台無しになる。

「あれ? タバコ吸うの?」

 声がしたほうを向くと、勇樹だった。

「いや」と言って友晴は首を横に振る。

「じゃあ、こんなところ来ないほうがいいよ」と言いながら、勇樹は肩にかけているボディバッグから電子タバコを取り出した。

「他に落ち着けるところがなかったんで」

 友晴がそう言うと、勇樹は少し笑って、慣れた手つきでタバコを機械にさして、喫煙を開始し、友晴が座っているベンチの逆の端に腰掛けた。

「いいんですか?」

 友晴は恐る恐る聞いてみた。恵と勇樹の仲を知っているわけではないが、恵に子どもができてから、旦那の喫煙を許すとは思えなかった。

 一瞬の間があった後、合点がいったようで、「あー、そうだよね。加熱式だけど、やめないとなあ」と勇樹は煙を吐きながら煙草を見ている。

 陽が届かないところに留まっているせいか、寒くなってきた。友晴は更に縮こまる。

 勇樹はポケットから財布を取り出した。

「そこの自販機でブラックのホットコーヒーをお願い。ついでに好きなもの買いな」

 そう言って、財布から抜いた千円札を友晴に渡す。

「ありがとうございます……」

 居心地の悪さを感じる。

 友晴はとりあえず勇樹の分のホットのブラックの缶コーヒーを押して、落ちてきた商品を取り出す。そして、微糖のホットの缶コーヒーのボタン押した。お釣りを取り出し、勇樹に小銭とコーヒーを渡す。勇樹は友晴に目を合わせて「ありがとう」と言う。

 缶が触れている皮膚から、温もりが広がってくる。

「やっぱ太陽が当たっていない所は寒いなあ」

 勇樹はコーヒーを開ける様子がなく、缶を握りしめたままだ。

 『0』のくせに。缶を握る手に力がこもる。スチール缶だから、凹みはしない。

 勇樹の頭上にはずっと『0』が浮かんでいる。それなのに、優しさを振りまいてくる。

 いや、違う。

 優しくして嫌われない努力をしなければ、『0』の奴はまともに生きられないのだ。それならば、『100』である自分はありがたく、その気遣いを享受するだけだ。

 友晴は「いただきます」と小さい声で言って、缶を開ける。湯気が一気に立ち込めた。一口飲むと幾分か寒さがマシになった気がした。

「友晴君、初姪っ子だよね? どう?」

 気を遣って話しかけてくれているのが伝わってくる。

「実感わかないですね。それより、改めておめでとうございます」

「うん。ありがとう」

 頭上に『0』の数字が変わらず浮いているその男は、さっきまで新生命体に対して朗らかに笑いかけていたのに、その笑顔がすっかり消えてしまっている。友晴はその表情の真意を図りかねた。

 勇樹が煙草を吸って、吐く。煙が長い線になって口から出ていく。

「何かありましたか?」

 友晴は恐る恐る聞いてみた。

「大丈夫。何もないよ」

 心配をかけてしまったと思ったのか勇樹は友晴に笑ってみせてくれた。しかし、覇気はない。

 勇樹のような何もかもが順風満帆な男が、こんな時に浮かない表情をするのは意外だった。でも、改めて考えてみると納得もできる。恵と結婚して子どもまでできてしまったのだから。取り返しのつかないところまでいってしまったのだ。

「不安とかあるんですか?」

 聞くかどうか考えるよりも先に言葉が出ていた。単純な心配ではない。これまで恵の姿を見てきたからこそ思う、同情心から出てきた言葉だ。

「そうだねえ……。もちろん、嬉しいのは違いないけど……、父親になるプレッシャーみたいなことかなあ。あの子を真っ当に育てなきゃいけないっていう……」

 真っ当にという言葉にチクリと胸が痛んだ。真っ当に育っていない自覚はある。友晴は自分の真上をちらりとみてしまう。トタンの屋根しか見えないが、そこには確かに『100』が浮かんでいるはずだ。

「やっぱ不安なのかなあ……。父親としてしっかりやっていけるのか」

 勇樹は独り言のようにつぶやく。勇樹の頭上にある『0』が揺れているように見える。

「うちの母親も子育てに参加する気満々みたいですし。いつでも頼ってもらったら大丈夫だと思いますよ」

 友晴は慰めるように言ってみる。

「そうだね。ありがとう」

 その声に重みはない。友晴の言うことだから流しているのか、佳子と恵を信用していないのかは分からない。

 勇樹はタバコを吸い終わって、吸殻を機械から取り出し、灰皿に捨てた。ベンチの端同士の微妙な距離感の間を風が吹き抜けた。

 勇樹は「やっぱ寒いなあ。外は」と言って、缶をベンチに置いて、ポケットに両手を突っ込んだまま縮こまる。喫煙が終わっているのに立ち上がろうとしない。

「前から気になってたんですけど、勇樹さんは何で姉と結婚したんですか?」

 今なら何を聞いても良い気がした。相手は『0』、自分は『100』。相手に臆する意味が分からなくなってきた。

「普通の理由だよ。好きだから」

 勇樹は不自然なくらいにきっぱりものを言った。

「そうなんですか? 別に何を言っても良いですよ。僕は姉と口をきかないので、告げ口もしません」

 勇樹の整った眉が上がる。

「そうなの? でも、今実家にいるでしょ?」

「昔からあんまり仲良くなかったんですよ」

「知らなかったなあ。でも言われてみれば、恵からも友晴君の話は余り出てこなかったかも。てか、友晴君って俺のこと避けてなかった?」

「そんなことないですよ」と友晴は形だけの否定をしてみる。まぶしい姉夫婦と一緒にいてもしんどいだけだ、と何故気が付いてくれないのだろう。

 友晴は勇樹が最初に結婚の挨拶に来たときしか、まともに話していない。初めて来るときは、どんな物好きが恵と結婚するか好奇心で会ってみた。でも、ふたを開けてみれば、きっちりした男だった。自分より劣っている部分がないか探している自分に気が付いたときは惨めすぎて吐きそうになった。それ以来、勇樹の来訪時には部屋に籠るかどこかに出かけることが多かった。考えてみれば、勇樹とこうやって二人で話すのは初めてだ。

「姉弟だからって、いつも仲良く話すってものでもないんだなあ。俺、一人っ子だからそういう感覚分からなくてさ」

「そういうものですよ」

 友晴は知ったような口を聞いてみた。

「でも、俺とは口をきいてくれるんだ。なんかありがとうね」

 勇樹がこちらを見て笑顔を作る。

「ありがとう」という言葉を聞いてむず痒い気持ちになった。友晴はすっかり冷めている缶コーヒーを飲み干した。

 勇樹は人材系の有名会社で営業をやっていると聞いた気がする。だから、笑顔が上手なのだろう。何よりも勇樹は『0』の人間だ。『0』の人間は数字が高い人間に媚を売らないと生きてはいけない。

「恵や恵のお母さんたち、俺たちがいない間に何を話していると思う?」

 勇樹もすでにコーヒーを飲み干したのか、中身がないのを確認するかのように缶を振っている。

「赤ちゃんのことじゃないですか?」

 質問の意図が見えないので、無難な返答をしてみる。

「俺たちの悪口言ってたりしてな」

 いたずらっ子が何か企んでいるみたいな声色になっているが、冗談で言っているように何故か思えない。

「喧嘩でもしたんですか?」

 恵は昨日から実家に帰ってきている。その前に喧嘩になったのかもしれない。だとしたら、聞かない手はない。恵の悪口を言えるチャンスだ。

「喧嘩というほどでもないかな。少し気まずい空気が流れた瞬間があっただけでさ」

 含みのある言い方がもどかしい。詳細を聞けるコミュ力が友晴にはない。『0』の癖に『100』に気を遣わせないでほしい。

「さっきも言いましたけど、姉には何も言いませんよ」

 勇樹が鞄からタバコの箱を取り出す。そして、電子タバコの筒にタバコを刺し込み、吸い始めた。

「最近さ、才能の話をすることが多いんだ。恵って」

 勇樹が煙を吐いて、ポツリと言う。

「この前もニュースを観てたらさ、今話題の二刀流の選手が出てきたんだよ。その時に、とびぬけた才能を持っている子だったらいいなって言うんだ」

 友晴はその二刀流の選手の頭上の数字を思い出す。『91』で友晴に匹敵する数字だった。

「恵の気持ちも分からないではないんだ。でも、俺は別に才能とかどうでもいいんだよね。元気にすくすく育ってくれさえすれば。今日産まれてきてくれた子と会って、ますますそう思えた」

「会って」という言葉を口の中で反芻してみる。誕生したばかりなのに、その子の存在がさも当然のように聞こえた。

 手に持っているコーヒーはすでに空っぽだ。それなのに、スチール缶だからか重みを感じる。

「でも、恵と恵のお母さん……。もしかしたら、変な期待してるんじゃないかなって……」

 勇樹の表情はどこか寂しそうに映った。

「恵が実家に帰る前の日もさ、お腹をさすりながら『才能がすごい子にしてあげるからね』って言ってたんだよ。『してあげる』って何だよ、って思っちゃったんだよね。しかも、『どんな才能だったらいいかな?』なんて自分たちで選べるみたいに言っててさ。すごくモヤっとしたんだよね」

 トタンの壁に風が吹きつけて音が鳴る。

「親が子どもの才能を決める感覚を受け入れられなくてさ。自由にのびのび育ってほしいと思うのは親のエゴなのかなあ」

 勇樹はタバコをもう一度吸って、煙を口から出す。

「元気に生きてさえくれれば、それで良いんだけどなあ」

 勇樹の声には力強さがなく、とても寂しげだ。

「まあ、俺の考えすぎだろうけど。ごめんね、変な口を言っちゃって」

 そう言って、勇樹はタバコを筒から抜いて灰皿に入れて、立ち上がる。同時に勇樹の頭上の『0』も引っ付いて上がる。

 この夫婦がちっぽけな存在に思えた。恵の数字は『8』、勇樹の数字は『0』で、この2人の子どもは『0』だ。つまり、才能なんかこれっぽっちもない。親子そろって何もないのだ。それなのに、才能に左右されて馬鹿みたいだ。たしかに2人とも大手企業に勤めて、適齢期と呼ばれる内に結婚もしている。でも、これは凡人の最大値だ。経営層にもいけない、大手企業に勤めているというだけの出世もできない人生を歩むのだ。それなのに、瑣末なことで感情を動かして滑稽としか言いようがない。『100』の前では冷めた感情にしかならない。

 足音が聞こえる。振り向くと、ヨレヨレの黒いダウンをきた中年男性がタバコをくわえつつ近づいてきた。見舞いに来た人だろうか。頭上には『0』と浮かんでいる。

「そろそろ戻ろうか。本当に怒られそう。俺のぼやきを聞いてくれてありがとう。なんかすっきりしたよ」

 勇樹は笑って言う。

今きた男の『0』と勇樹の『0』が並ぶ。2人とも選ばれていない人間なんだ。

 勇樹が病院の入口へ向かって歩き出す。友晴と勇樹の間を冷たい風が吹き抜けていった。

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