第43話 不合理の対価は(前編)

「──誰も動かないように!」


 決着と同時に、シュニーはこの場の全員に向けて努めて冷静に言い放った。


 負けたから約束を反故にして死ぬまで抵抗してやる。

 勝ったから敗者の罪人共を八つ裂きにしてやる。


 そのような、戦いの結末に過熱して蛮行に及ぶ恐れがある両陣営に釘を刺すためだ。

 シュニーとしては自分の民を信じたいところだったが、熱狂に支配された人間が衝動的にどう動くかわからなかったため念には念を入れるべきだと判断した。


「ではラズワルド、離してあげたまえ」


 それから、ひとつひとつ状況を進めていく。

 まずは押さえつけられているガウルを解放させる。

 決着が付いた以上、ラズワルドにこれ以上負担をかけるつもりはない。


「……おう」

「いいのかい? さっきのやっぱナシで、って大暴れしちゃうかもしれないぜ」


 一瞬だけ躊躇った様子で、ラズワルドは抑え込んでいたガウルの両腕を離し上から退く。

 解放されたガウルは立ち上がれる状態ではないようだったが、ラズワルドの躊躇いの理由だっただろうシュニーの甘さを指摘する。

 実際、ガウルの体がミシリと動いた気がした。

 やろうと思えば再び臨戦態勢に入れる、その意思表示かのように。


「もしそうなったら、せっかく立てた計画が随分無駄になってしまうね……」


 そんなガウルの指摘に、シュニーは困ったように眉をひそめる。 


「ボクを困らせたいなら、やってみるといい。キミと仲間たちが何を以て償うことになるかと考えれば、割に合わないと思うがね」


 それから周囲を見回し、静かに告げた。

 ただでさえ領民の怒りを買っている状態で決闘の結果を覆すような真似をすれば、ガウルたちにどのような結末が待っているか。


「それに、キミたちだけ・・で終わると思うなよ」


 今まで出したことがないくらい、感情の籠っていない声だった。


「……いや、そんなつもりはねぇ。俺が悪かったよ」

「ん、む……ああいや、そんな蛮行には出ないと信じているからこそ離させたのだよ。話は落ち着いてしたいからね」


 ばつが悪そうに謝罪するガウルの瞳には、シュニー自身の虚ろな顔がぼんやり映っていた。

 己が普段浮かべないであろう表情を自覚して、シュニーもまた誤魔化すように空気を和らげる。

 慈悲だけでなく、無用な挑発めいた言葉には厳然と応じる。

 シュニーの抱く領主の理想像はそのような形だったが、今のこれは何か違う気がしたのだ。

 かといって、今までの自分が自制なく振るっていた幼稚な怒りともまた別だ。

 もっと酷薄な、その道に進んではいけない何かのような。


「それでは、約束通りステラを解放してもらおうか」


 さらには、本来もう少し後で触れるべき話までしてしまった。

 おかしくなってしまった空気を仕切り直すように咳ばらいをし、シュニーは話を進める。


「わかった。離してやってくれ」


 ステラの身を預かっていた年若い人狼はガウルの指示に悩んだようだったが、少しして観念したようにステラの手を縛っていた紐を爪で切り、手放した。




「……くん!」


 誰かが、自分なんかの為に足を運んでくれている。

 いつかの記憶を辿りながら、ラズワルドの薄らいでいた意識は急速に浮上した。


「ラズくん……!」


 あの時のそろりそろりと階段を下りるゆっくりした足音ではなく、一刻も早くというような精一杯の駆け足で。

 おそるおそる敬意を込めた口調ではなく、いっぱいの心配と慈しみを込めた声で。


「ステラ……」


 あの時はまだお互いに知らなかった名を呼んで、霞んでぼやけていた視界を乱暴に擦って鮮明にする。

 すると、ひとりの少女がその中心に映った。

 その姿を見て、ラズワルドは槍を支えにして身体を無理やり引き上げるように立つ。


「どう……だ……見ての通り、完勝だ……なにも……心配なんざ……いらなかったろ……」


 そうして精一杯に強がってみせる。

 これで誤魔化せるかどうかは五分か……などと考えながら。


「どう見ても……そんなわけないじゃないですか……! 私っ……もし何かあったらどうしようって……!」

「っ……」


 ダメな方の五分だったか……と悟る暇はラズワルドには与えられなかった。

 冷えた身体に、柔らかく暖かなものが触れる。

 寒さが和らぐどころか、思考が必要以上に熱を持ってしまう。


「おい、汚れちまうだろ……姫君なんだからもっと……こう、偉そうに構えてろよ……」

「関係、ないです……っ! 皆のためだからって、無茶しすぎですよぉ……!」


 フィンブルの皆にいつのまにか絆されてしまった、兄貴分として恥じぬよう彼らを守りたい、というのは本当だ。

 

「はぁ……。わかってねぇな」

「わからない、です……何がですか……!」


 ただそれだけではない。

 滲んだ声で意図を尋ねられても、ラズワルドは答えなかった。

 ステラの鈍感さが今だけはありがたい。

 彼女はいつだって、他人を慮ってばかりだ。

 他人と他人の関係には気を配れるくせに、自分に向けられた感情に対してだけ酷く疎い。


「あ、わっ……! ラズくん!」


 そこまで考えて、限界が訪れた。

 ステラの無事と抱きしめてくる暖かさに、張り詰めていた緊張の糸が解けてしまったのだろうか。

 気力だけで支えていた体の自由が利かなくなり、再び思考がぼやけてくる。

 確かに、フィンブルの皆のために戦ったというのも本当だ。

 だが、それと同等以上の要素がふたつある。


「言わねぇ……」


 そのいずれも、ステラに明かすつもりは決してなかった。

 どうせ助け出すならカッコいい姿を見せたかった、なんて身勝手な拘り、恥ずかしくてとても口に出すわけにいかないだろう。


「お前が大事だから……なんて……言えるわけ、ねぇ……だろ……」


 そう、気を張っていたので。

 年頃の少年としてはより致命的なもう一つを零してしまったのに気付かないまま、ラズワルドの意識はじんわりと染みるように闇に落ちていった。



「……流石にあの場に割って入るのは気が引けてね。悪いが代わりに頼めるかい? ああ、礼を言おう」


 医者や魔術師といった怪我人の手当ができる人間の手配に、今からこの場に立ち会ってもらう必要がある非戦闘員の招集。

 本当ならステラにお願いしたかった内容もあるのだが、崩れ落ちたラズワルドを抱きかかえたまま頬を真っ赤にして目を白黒させている彼女に話しかけるのはいくらシュニーでも憚られた。

 代わりに周囲の領民へといくつかの指示を飛ばしながら、シュニーは再びガウルに向き直る。


「さて、待たせたね。キミたちの処遇だが……」

「帝国の一般法に照らし合わせれば、陛下の認可無くしての集団的な略奪及びその支援等の協力は……関係者全員の斬首もしくは『凍刑』だそうだ」


 バルクハルツ帝国の各領地において、刑罰を決定する過程は領主に一任されている。

 領主の独断で決められる場合もあれば、幾人かの協議によって行われる場合もある。

 一方で、どのような罪にどのような罰を下すかについては帝国の法により明確な基準が存在していた。


「そして、此度の一件。スノールト辺境伯の下に、キミたち七人に『凍刑』を言い渡す」


 淡々と告げるシュニーに、領民からざわめきの声があがり人狼たちは俯く。

『凍刑』とは、約八十年前に定められた比較的歴史の浅い法であり、帝国一般法の中でも解釈の幅が広い刑として知られている。


「詳細な説明は必要かい?」


 大きな特徴は、人ではなく“冬”に罪人を裁かせること。

 その具体的な実施方法については、各領地の解釈に委ねられている。


「……ああ。帝国の残酷な刑罰、って有名だからな」


 身ぐるみを剥ぎ手足を縛り“冬”に侵蝕された荒地に放置する。

 手足を砕いて氷魔の出没地点に転がしておく。

 全身を温水で濡らした上で氷林を延々と歩かせる。

 

 この刑で決まっているのは行く末を“冬”に任せるという部分だけで、そこに至るまでの手順は指定されていない。

 つまり、“冬”のただ中に放り出すなら他にどれだけ責め苦を与えて構わないのだ。

 名分こそ“冬”に審判を委ねる形であるが、この刑を受けた者はそこに至る段階で生存の道を閉ざされた状態になっている場合が殆どである。

 故に、この刑は実質的には単純な極刑を越える最も重い処刑法として扱われている。


「それなら結構。弁明や申し立てはあるかね」


 短く説明し、当然の判決であるとでも言うようにシュニーは言葉を切った。


「確認させてくれ。俺ら七人が、アンタらが満足行くまで好きなようになぶり殺される。それでいいんだな」


 そんなシュニーへと、ガウルは自分たちの末路について再確認する。


「多少の便宜を計らってやる、と言ったはずだよ。キミたち七人を『冬刑』に処す。それが全てだ」

「……わかった。領主殿の慈悲に感謝する」


 シュニーから何らかの確認を取った後、ガウルは力を抜き地面に背を預けた。

 他の人狼たちも、ガウルと大きくは変わらない。

 死の恐怖に震える者こそいたが、どこか己の末路を当然だと受け入れたかのような、そんな態度であった。

 

「殊勝な心掛けで何よりだよ。それじゃあ、具体的な刑の手順だが──」


 シュニーはその反応を順に見る。

 そうして、


「──各々、今から町の外に出ていってくれたまえ。以上だ」


 至極単純な、刑の内容について告げた。

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