第42話 帝都調べ、人気エピソード第三位『未来の腹心と共に盗賊の頭に挑み、華麗な剣技を以て勝利を収めたシュニー・フランツ・フォン・スノールト』真相編

「さあ、かかって来るがいい。飢えた獣を狩るのは帝都では娯楽として扱われていてね。せいぜい足掻いて民たちの留飲を下げさせてくれたまえよ」


 誰かが合図をしたわけではない。

 この地と賊たちの行く末を賭けた決闘は、シュニーの挑発を皮切りに始まった。


「やる気だなぁ。こっちとしちゃ願ったり叶ったりだけどよ、領主様戦わせるとか皆許してくれてんのか?」

「事前に承諾は取っていてね。ずいぶん反対されたが、ひとまずは納得してくれたよ。キミたちをどう裁くかについてもね」


 木剣を突き出したシュニーと槍を構えるラズワルドに対して、ガウルは素手のまま歩き寄っていく。

 彼らを見守るのは、スノールトの民と人狼たち。

 お互いヘタな真似に出ないよう警戒を続けている皆のひりついた空気と違い、今まさに戦いのただ中である三者は、場違いな程にゆっくりと言葉を交わす。


「んじゃ、まあ始めっか。大ケガしても恨みっこナシだ」


 動いたのは、ラズワルドに狙いを定めたガウルからだった。

 距離にして、大の大人ひとり分程度。

 踏み込み風を切る音と同時に、握り締めるまでに至っていない、中途半端に丸められた拳が振るわれた。

 純粋な拳闘術のものではない、特異な構えだ。


「フッ!」


 応じたのは、白銀の槍。

 息を鋭く吐き、ラズワルドは掬い上げるような横薙ぎでその腕を迎撃する。


 拳ではなく根元、ガウルの手首を払いのけ軌道を逸らす。

 次いで襲い来た左拳による追撃を、ラズワルドは目で追い。


「チッ……!」

「おぉっ!?」


 咄嗟に足元の金属板を蹴り上げ起立させ、即席の盾とした。

 交渉材料としてこの広場に集められていた、町の資材だ。


 突然視界が塞がった事に対する、ガウルから発せられた驚きの声。

 経たずして鳴った、硬質なもの同士が衝突する音。


 そして両者同時に後方へと跳び、金属板が再び地面に倒れる音が攻防の小休止を告げる。


「ふむ」


 瞬間的に行われた攻防に、シュニーは木剣を携えてこそいるが動かない。


「……彼は透明な武器でも持っているのかい?」


 戦いが始まってから初めてシュニーが行ったのは、あるものを見てのラズワルドへの質問だった。

 真面目にそう思ったわけではない。ただ、信じ難かったのだ。


 シュニーが目を向けていたのは、先ほどラズワルドが即興で盾とした金属板だ。

 咄嗟に蹴り上げられるあたり、左程の重量はない。頑丈さもそれ相応だろう。


 だとしても……爪のひと掻きで金属に跡を刻む膂力と硬度とは、一体如何ほどのものだろう?


「おうともよ、実は手品が趣味でね。これ見せるとちびっ子共が喜ぶんだよな」

「ちげぇ。人狼ってのはだいたいああだ」


 とぼけるガウルへと被せるように、ラズワルドがシュニーの予想を否定する。


「お互い武器ナシ、ってなりゃ手練れなら偽魔デモニアでも竜人ドラコニアでも殺せるだろうな」

「それは大概だな……」


 薄々そうじゃないかと思っていた事実を例示込みで伝えられ、シュニーはぶるりと背を震わせる。

 獣人は外見に動物的特徴を含む異種の総称で多くの種族を内包した括りだが、それでもある程度の傾向は存在している。

 内一つが『身体能力に優れる反面、魔術と神秘術全般……つまり“魔法”の適性に欠ける』というものである。


 獣人自体は帝国で人族に次いで一般的な種族だ。

 ラズワルドが挙げた二種のように、一生に一度会うか会わないかというような存在ではない。

 そのためシュニーも最低限の常識として獣人の大まかな性質は知っていたし、多少の情報は事前の作戦会議でラズワルドや領民から得ている。

 それでも実際に見た人狼の膂力は脅威の一言であった。


「これ以上なく元気、ってなら無きにしも非ずかもなぁ」


 うすらと口端を持ち上げながら、ガウルが姿勢を低くする。

 わかりやすい突貫の構え。


 地を蹴った瞬間に、ガウルとラズワルドは再び衝突している。

 シュニーにとっては、まるで時間が飛んだようにしか認識できなかった。


 人狼の爪を槍の柄が受け止め、衝撃を利用しラズワルドが飛び退く。

 ガウルがその距離を埋めるように踏み込み、再びその爪を振るう。


 槍と爪が撃ちあい、その度に金属音と火花が散る。

 時折凶器が身を掠め、ふたりの体に赤の線が引かれていく。


「おい、近付くのは……!」


 両者互角。

 そう考え、唾を呑み込み攻防を見守っていたシュニーは、ある事実に気付く。

 

 両者の交戦距離が、徐々に狭まっている。

 少しずつではあるが変化している戦況が、今どちらが有利なのかをシュニーに悟らせた。

 

 ほぼ徒手である爪と槍の射程差を考えれば、槍が優位なのは明確だろう。

 素手か槍、選ばなかった方を相手が使うという条件で戦いに臨むなら、きっと誰もが槍を選ぶに違いない。

 だが──。


「どうした、鈍ってんぞ」

「……」


 ガウルの爪を捌き切れず、ラズワルドの左腕に裂傷が刻まれる。

 それ自体はただのかすり傷だが、今まではそのかすり傷すら負わず対処できていたはずだった。


 爪と槍、両者が振るう武器の優劣。

 距離が縮まれば、それは途端に入れ替わる。

 長さは取り回しの悪さに繋がり、さらにその重量がより細かく機敏になる攻防で体力を削り取る。

 超近接戦という舞台において、槍の強みは一転して欠点に変わってしまう。


「お前も男らしく素手にした方がマシじゃねえか?」

「んなワケねぇだろ……!」


 爪を受けるラズワルドの槍捌きは、徐々に鈍くなっていく。 

 ラズワルドとて無策ではなかった。

 握る位置を徐々に穂先へ近づけ、疑似的に至近距離でも振るえるよう対応している。

 

 ただ、その場しのぎでしかない。

 槍の重心が崩れていて、余計な消耗が募っていく。

 あくまでも槍の射程へと逃れるまでの咄嗟の防御に用いるための技能だった。

 距離を離す隙を与えてくれないような格上に、いつまでも通用するものではない。


「……はっ、焦ったな」

「っ……!」


 好機、と突き出したラズワルドの槍がひらりと躱される。

 多少でも武芸の心得がある者なら、最初から通らぬとわかる一手だった。

 どうにか戦況を変えねば、という焦りと体力の消耗が判断を鈍らせた。


 振るわれるガウルの拳に、ラズワルドは咄嗟に槍を引き戻すが、


「ぜぁッ!」


 槍の防御をすり抜けた拳が、ラズワルドの頬を横殴りに打ち据える。

 その首が顔を追いぐるりと曲がり、鈍い音と共に鼻から赤い飛沫が散る。


「おい──」


 シュニーの顔からさっと血の気が失せた。

 致命傷、という嫌な単語が思わず浮かぶ。

 幸い爪で引き裂かれたわけではないが、人狼の筋力については先ほど実例を以て思い知らされた。

 そこから繰り出される打撃を顔に受けてしまえば、怪我で済むのだろうか。

 ステラが今どんな表情をしているのかは怖くて見られなかった。


「温ぃ……手加減してんのかよ……?」


 だが、シュニーの心配を他所にラズワルドは静かな憤りで応えた。

 数歩空足を踏みようやく立ち直り、怒りの形相で覆い隠そうとはしているが苦痛に歪んでいる表情。

 手痛い一撃であったのは誰の目にも明らかだが、それでもラズワルドは地に脚を叩き付け戦闘態勢を取り戻す。


「うォッ!?」


 余裕釈釈で佇んでいたガウルの顔色が、変わる。

 ラズワルドの瞳に宿っていたのは、揺るがぬ戦意。

 そして彼は身を捩り、まるで投擲するかのような勢いで槍を突き出した。

 怒りを込めながらも、一方で冷静に狙いを定める。

 相反する感情と共に繰り出された一閃は、咄嗟に首を傾けたガウルの頬を掠めていった。


「いまのはヒヤっとしたが……ま、最後の根性っつぅヤツだろうなぁ……」


 頬を裂いた傷にぼたぼたと血を流しながら、ガウルは大きく息を吐く。

 あと少し回避が遅ければ、戦いは大逆転の結末で終わっていたかもしれない。


「悪ぃな。その技……俺なんかよりずっと鍛えちゃいるけど、根本種族が違う」


 だが、人間と人狼ではそもそもの地力が違う。

 反射速度、タフネス、筋力。

 生まれ持った要素に、大きな差があるのだ。


「なぁ、もうやめとこうぜ。そりゃ俺らみたいなのに色々奪われんのは屈辱だろうけどさ、そっちは負け認めても死ぬわけじゃねえんだし……」


 ガウルは再びラズワルドへと襲いかかる。

 その後方で戦いを見守るシュニーには見向きもせず。

 きっとわかっているのだろう。

 この見るからに温室育ちのお坊ちゃまに自分を脅かすような戦闘能力などない。戦いにも割って入ってこない以上は後回しにして問題ない、と。 


「無駄にケガすんの、馬鹿馬鹿しいじゃねえか。あんまし若い子殴りたくないんだって」


 そこからは防戦一方だった。

 先の一撃に余力を使っていたのか、ラズワルドはそれ以降反撃に出られず、ただガウルの攻撃を受けるがまま。

 戦闘不能に陥るような一撃こそどうにか捌いているものの、次第に傷が増えていく。

 戦いを見守っていた領民からは悲鳴が漏れ、見ていられなかったのか横入りしようとする者が周りに抑えられる、という一幕まであった。


「馬鹿馬鹿しい、か……」


 ただ、悲鳴も喧騒の声も、ラズワルドの耳には入らない。

 反応したのは、ガウルの発した言葉の一つ。

 それを、ラズワルドは小さく復唱した。




“一対一の決闘で彼……ガウル殿に勝つ自信はあるかい?”


 ここに至った経緯を、ラズワルドは脳裏の端で思い返す。

 シュニーが唐突に尋ねてきたのは、領民たちが賊に対処しようと準備を進めている最中であった。


“急な話だな。どういう事だ”


 今から領民たちへと具体的な方策を説明する、という状況で聞くには妙な内容である。

 ラズワルドは当然、その意図をシュニーに問うた。


“ボクをステラの身代わりにして、加えて相手が勝てばさらに物資を上乗せするという条件で一対一の決闘に釣り出す。そこをキミが叩きのめす。そういう筋書きを考えていてね”

“……わざわざんな事する意味は?”


 今までの流れとラズワルドが推測していたシュニーの戦略に、目立った瑕疵は無い。

 スノールトの領民に協力を仰ぎ、相手より勝る戦力を用意して威嚇した上で賊と交渉する。

 ステラという人質がいる以上単純なごり押しはできないが、それでも交渉決裂した際の優位がこちらにあるという心理的圧力は、相手の選択を大きく制限できるだろう。

 それこそが、此度シュニーが思い描いていた問題解決の構図なのだろうと考えていた。

 だというのに、突然予想から大きく外れた計画を提示されて困惑してしまった。


“皆に示すためだよ。フィンブルの町には、かの地を任せるに足る勇将がいるのだとね”


「……たしかに馬鹿げてるよな」


 ガウルの同情めいた降伏勧告に、その通りだと賛同する。

 顔に受けた殴打で、頭にちかちかと火花が散っていた。

 爪で裂かれたあちこちから、血が流れている。

 今はまだ戦闘の熱狂で和らいではいるが、正気に戻れば激しい痛みに苦しむ羽目となるだろう。


 そうだ、今自分が臨んでいるのは馬鹿馬鹿しい戦いだ。

 だが、それに乗っかってやると決めたのだ。

 合理的ではない、なんて指摘は今更だった。

 それを言うなら、そもそもラズワルドが切り捨てられず民と和解できている現状自体がシュニーの選んだ不合理な選択の結果だ。


 このままいけば、それ相応に穏当な結果に落ち着くはずだった。

 だというのに、さらに不相応な賭けを続ける理由は何処にあるのか。


“キミたちの町を存続させたい。かつてのように、いくつもの都市を抱えた領地を蘇らせるのがボクの夢でね。だがそうは言っても皆は不安だろう。解決した後で、向こうの町は引き払ってまたこっちで暮らしましょう、という結論に落ち着きかねない”


 領地の未来を見据えた領主としての打算が、その一つらしかった。

 このまま領民の力を頼りに問題を解決する、つまり大人たちの手によって今回の事態が終結した場合、フィンブルの町を巡るは彼らに渡ってしまうだろう。


“だから、先日の汚名を晴らし改めて町を守れるだけの力があると皆の前で示してくれたまえ”


 シュニーが領主としての決定権を主張してごり押すという選択肢はあるが、拭えぬ不安と強権を振るう領主への不信が募ってしまうのは想像に難くない。

 故に、フィンブルの町には自衛できるだけの力があると示す必要がある。


“まあ……深く考えると根本的な解決にはなっていないのだがね。それについては、後付けで納得してもらえる根拠をボクが用意しよう”


 尤も、ラズワルドが勝ったところで本質的な防衛力の根拠となるわけではない。

 ラズワルドを含んでなお、フィンブルの子供たちが野盗になすすべなく奪われたのは確かなのだから。

 ラズワルドが今さら多少の力を示した程度では、不安は払拭しきれないに違いない。

 ただそこをどうにか説得するための前提として、象徴的な実績が必要なのだとシュニーは語っていた。


 シュニーの考えを聞いて多少は納得すると同時に、それなら自分である必要はないだろうとラズワルドは首を傾げた。

 より頼れるスノールトの領民を選抜し、衛士に置けばいいはずだろうと。


“それに……キミとステラの誇りを守る、と約束しただろう?”


 己の疑問に対する回答を聞いて、ラズワルドは今度こそ呆れてしまった。

 そんな、戦意喪失していた面倒な人間を引き込むための説得文句を自分で真に受けて、わざわざ?

 馬鹿げている。

 ああ、本当に馬鹿げている。  


“勝算は……ある。相手のが強ぇのは確かだが、ひっくり返せる根拠もまあ多少はな”

“素晴らしい! ではこの線で進めようじゃないか”


 しかし、その馬鹿みたいな計画を立てる領主と組むなんて決めたのは自分なのだ、仕方ない。


“けど条件がある。あとついでに不満もな”

“……不満かい?”


 そう受け入れはしたものの。

 ただ一点だけ、ラズワルドには納得がいかない部分があった。


“領民をこき使っといて、領主は安全圏から高みの見物ってか? いい趣味してやがる”

“む……”


 どうして、シュニーは今更後ろに引っ込んでいるのか、である。

 

“戦うならテメェを入れて二対一だ。どうせなら、体張りやがれ”

“……ボクなんて足手まといにしかならないだろう。ひとりで勝てないならもっと頼りになる人選をしたまえよ”

“スノールトの皆に任せちまったら意味ねえって言ったのテメェだろ”


 理由はわかっている。

 無力な彼が戦場に出るのが無意味、というだけではない。

 賊の頭を打ち倒した功労者として、こちらを立てるために引き下がろうとしているのだろう。

 自分の取り分は領地の和解だけでもう十分だ、などと考えているのだ。


“言わなきゃわかんねえのかよ?”


 ラズワルドがシュニーを無理やり引きずってきたのは、そうした方が勝機がある、という確かな根拠だった。

 だが、それだけではない。

 誰にも言うつもりは無い理由だったが、もうひとつ。


“テメェにもカッコつけさせてやるって言ってんだよ”


 自分勝手極まりない私的な利益を、共有してやってもいいと思ったのだ。



「……そろそろ、準備はできたかよ?」


 疲労で肩を荒く上下させながらも、ラズワルドが不意に呟く。

 この戦いを見守る人狼にも領民にも、彼と交戦しているガウルにも、何を意味するのかわからない一言であった。


「ああ。ご苦労だったね」

「……ああん?」


 だが、満足げに応じる声がひとつだけある。

 その声の主、これまで何一つ戦いの役に立っていなかったシュニーに、ガウルは疑問の声を漏らす。 

 思わず戦いの手を止めラズワルドから視線を移せば、シュニーはいつの間にかかなり後方まで下がっていた。

 ふたりの戦いに巻き込まれない安全圏だ。


「……不思議に思わなかったのかい? どうして戦闘に関与しないような人間を、貴重な二つの枠の片方に使ったのか」 


 ガウルに見られていると認識したシュニーは滔々と語る。

 いっそ腹が立つ程のしたり顔で。


「キミたち人狼が魔法に疎い種族で助かったとも。おかげで、一切気付かれずに事を進められたのだからね」


 ガウルの額を、冷や汗がつうと伝った。

 人狼という種族は天然の狩人である。

 彼らは獲物の不審な行いを察知するだけの動体視力と観察眼を生まれながらにして宿している。

 それを以てしても、シュニーの姿からは何の異常も感じ取れない。

 だがそれは、ガウルの思考に打ち込まれた不安の楔を引っこ抜く根拠には至れなかった。

 かえって得体の知れない不気味さが払拭できない。


「知っているかね? 魔術は貴族の嗜みでね。なぜボクがこの歳でひとつの領地を任されるに至ったのか、気にならなかったかい?」


 領主という身分で、明らかに実戦慣れしていない雰囲気にも関わらず堂々と参戦してきた。

 ……何故そのような無意味を? その態度には何らかの根拠があるのでは?


 殺傷能力に欠けるであろうただの木剣を持っている理由は?

 ……もしかしたら特殊な力の籠った何かか? それとも、脅威度を誤認させるため?


 ラズワルドと自分だけの戦いでは、こちらが明確に勝っているのは察していたはずだ。だというのに勝負に乗った。

 ……それを覆せる何かがあるからこそなのでは?


 実際、これまでラズワルドに任せっきりでまともに戦おうともしていなかった。

 ……今までずっと、何らかの準備をしていた?


 不自然な情報の数々が、思考を蝕んでいく。

 いくつかの傷を受けども、ガウルの思考は鮮明だった。闘争による多少の昂りこそあれど、失血で意識がもうろうとしているわけではない。

 冷静に戦況を判断するだけの余裕があり、己の負け筋を見いだす思考能力が残っている。


「だぁ……っ、クソッ!」


 故に、ガウルにはシュニーを放置するという選択肢は存在しなかった。

 致命的な何かが、既にこちらへと向けてつがえられている。

 そう確信したガウルはラズワルドから意識を外し、その脇をすり抜けシュニーへと駆けだす。



「さて、見せてあげようじゃないか。ボクがこの地に来てから積み上げたものをね」


 シュニーは剣を構え、その切っ先をガウルへと向けた。

 何らかの儀礼に従うように、厳粛な態度で。

 

 わき目も振らず突撃してくるガウルの表情が、ほんの微かな安堵に和らぐのが見えた。

 互いの距離からして、シュニーが行おうとしている“何か”に間に合うと確信したのだろう。


「友に、民に己の弱さを偽らないこと」


 鋭爪を振り上げた人狼を、領主が真正面から迎え討つ。

 怪物と貴族の決闘、まるで英雄物語かの如き一幕に、シュニーは一歩も退かずに笑ってみせる。


「……自分だけで何もかもやってみせるなどと驕らないこと」


 わざわざ声に出して諳んじるのに、特別な意味があるわけではない。

 それはただ、己を鼓舞するためだ。今すぐ背を向けて逃げ出そうとする自分を、ほんの数秒だけでいいから抑え込むためだ。


「そして。たとえ虚勢でもなんでもいい、笑ってやることだ!」

「させっ、ねえんだよおぉォォ!」


 気勢と怒号の声が衝突すると同時に、両者の距離もまた限りなくゼロへと近付いた。


「まあ要するに──」


 ガウルの爪が閃き、シュニーの剣をあっさりと弾き飛ばす。

 当然、シュニーはその動きに反応すらできない。


 それきり、何も起こらなかった。

 神話の聖剣が如き剣技はなく、全てを焼き尽くす大魔術が炸裂したわけでもない。

 剣が弾き飛ばされた衝撃に思わず閉じてしまった目をシュニーが開けば、闘争の真剣さの中にも笑みを浮かべているガウルが映った。


 相手が用意していた切り札、致命的な攻め手を潰せた。

 そう、己の勝利を確信している表情だ。


 これはわかりきった結末だ。

 力ある強者が競り勝ち、力なき弱者が敗れ去る。

 弱肉強食、神代の時代より存在する不変の真理。


「──囮役、だよ」


 その現実に向けて、弱者シュニーは最高に格好悪い言葉を最高に格好付けて嘯く。


「は?」

「へっ、テメェの天職かもな」


 何? 囮?

 唖然と呟くガウルに、背後から肩に触れる手があった。


「非常に不服だがね。非常に不服! だがね!」

「っ……! てめっ!」


 シュニーの行動の意図を遅れて理解したのだろう。

 勝利を確信したガウルの笑みが一転して怒りに歪む。

 まずそれ以前に、後方を取られている。

 怒りという思考より先に人狼の本能が先んじた様子で、身を捩り後方を薙ごうとする。

 今の消耗したラズワルドの一撃程度であれば耐えられる、躱せる、というとっさの判断でもあったのかもしれない。


「ガキ共が世話になったなァ!」

「お、ごあっ!?」


 だが、一手遅い。

 ガウルより速く、ラズワルドの下段の蹴りがガウルの両脚を薙ぎ払う。


 ガウルの動きは一手遅く、加えて言えばラズワルドは一手上手だった。

 耐えられるはずの打撃が、遅いはずの打撃が、人狼の反応速度を超え強靭な脚を軋ませ上半身を大きく揺らがせる。

 姿勢が崩れ軌道が逸れた爪は、ラズワルドの体を捉えることなく大振りに終わった。


 驚愕と共にガウルが見やれば、ラズワルドの脚は燐光を纏っている。


「身体強化術……っ、これまで隠しっ……!」


 それは、ラズワルドが先の攻防で一度たりとも見せなかった技であった。

 戦いにおいて明確に己の力を高められるにも関わらず、だ。


「サシで使ったところでテメェに勝てる程じゃねえ。だから取っといただけだ」


 シュニーが追い求める結末のためには、このふたりだけでガウルに勝たねばならない。

 シュニーは戦闘面では役に立たず、ラズワルドも真正面からの勝負では及ばない。

 全て、覆し難い大前提だ。


 ならば、どうするか。


「すまないね。狡い手を使うのは、捕食者だけではないのだよ」


 立場と印象を利用し欺き、生じた一瞬の隙に全力全霊を叩き込み決着を付ける。

 その狭い一点が、シュニーとラズワルドが見出した此度の勝機だった。


「ぐ……っ」


 倒れ伏せたガウルは雪を握りしめ身体を起こそうとしていたが、立ち上がるには至らない。

 恐らく両脚をへし折ったか、それに準ずるだけの傷を与えたのだろう。

 シュニーには攻防の全てを追いきれていないが、最低限の結果は把握できた。

 そしてガウルの抵抗を、ラズワルドが組み伏せる形で抑え込む。


 逆に言えば、大猪を吹き飛ばすような威力の蹴撃を受けてなお、せいぜい骨折程度で収まっている。

 いつまでも保てる確信はない。

 ガウルの両腕を油断なく押さえ、ラズワルドはそう言いたげにシュニーを見ていた。

 

「……はぁ。情けねぇのを助けてやる為に無理しちまった。あと任せた」

「キミはこんな時でも口が悪いな」


 ガウルの拘束に全身の力を使っているラズワルドに、最後の止めを刺すことはできない。

 そのため、今決着をつけられるのはこの場にひとりだけだ。

 

「これで貸し一つだな」

「山ほどあるキミへの貸しから持っていってくれたまえよ」


 軽口を交わし合いながら、シュニーは武器を拾い上げガウルへと歩み寄る。 


「さて、まだ続けるかい?」

「……」


 ガウルの首元に、シュニーは得物を突き付けた。

 殺傷力はない、木で作られた模造品である。

 ガウルたちが傷付けた、フィンブルの子供たちが使っていた訓練用の剣だった。


「今敗北を認めるのであれば……多少の便宜は図ってやれるかもしれないがね」


 ラズワルドの槍を代わりに使えば、より強く命の危機を実感させてやれただろう。

 だがシュニーはそうせず、この武器を選んだ。

 ガウルが傷つけた民の報復と、己の意思を示すために。


「……わぁったよ。領主殿の慈悲に縋らせてくれ」


 それでも、詰みの状況を悟らせるには十分であった。

 小さく首を横に振ったガウルから、降伏の言葉が弱々しく告げられる。


 それが、再び立つと決めたスノールトの民と賊、両代表者の決着だった。

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