Day 07
第39話 衝突/Revelation
「ううぁぁ……」
獣のような呻き声とともに、掛け布団の下で人間がもぞもぞと動く。
のっそりと起き上がり顔を出したのは、神崎大翔だ。
昨日は夜遅くまで雨宮と屋敷内の探索をしていたし、その後も色々と気になることがありすぎてなかなか寝付けなかったせいか、彼が起きたのは普段より二時間も遅い時刻だった。
紗香に叩き起こされたりすることもなく平穏に朝日を迎えられたことに一抹の疑問を抱えつつも、おかげで十分な睡眠が取られたことにとりあえず感謝しておく。
少し身体を動かした途端、腹の虫が、ぐるるる、と唸った。
布団から出て朝日を浴びると、条件反射的に和泉家の朝食が食べたくなる。
(胃袋つかまれた……)
わずか一週間のうち調教されてしまった自らの消化器官の単純さにショックを受けつつも、リビングルームに向かう。
部屋に通じる扉の前に来ただけで、朝食の良い匂いが漂ってきた。
その香りが、よりいっそう食欲を誘う。
だが、神崎は足を止めたままだ。
扉の向こうから廊下にまで伝わってくる緊張感が、彼にそうさせていた。
人間の負の感情は、伝染しやすい。
特に慣れ親しんだ空気の変化は、たとえそれが微細なものであっても容易に感じ取られる。
神崎は、ぼんやりと廊下の天井を見上げた。
屋敷の天井は異様に高く作られていて、むしろ不安な気分が増幅したような気がした。
「……ったく」
先にため息をついておいて、リビングルームへの扉を開け放った。
状況に気づいてないふりをしながら、
「よーっす……」
気の抜けた挨拶をして、部屋の様子を観察する。
いつものように、テーブルの上に並んでいる豪勢な料理。
コーンポタージュを静かに啜っているのは、伊賀響子だ。
首に着けられたチョーカーは外れていた。
平然としているが、問題の発端にいるのは間違いなく彼女だ。
彼女がこの部屋に出てきていること自体、重大なことなのだから。
「どう説明するつもりだ?」
雨宮の声がする方を見て、一目で修羅場と分かった。
対峙して睨み合う、雨宮と繚介。
戯れ合いの延長上にある喧嘩とは、空気の重みが違った。
部屋の隅では、紗香が腕を組んで石造のように直立している。
鋭い視線の先にいるのは、やはり雨宮。
「どんなトラブルなんだよ?」
話しかけるも、紗香は応じようとしない。
皆同じ何か一つの大きな問題にぶつかっているはずなのに、部屋の中にいる全員の緊張感も態度も、どこかばらばらだ。
「なあ」
今度は雨宮に振る。
「――だから俺は、〈リビルダーズ〉なんてもんには反対してたんだ」
「なんだよ、説明しろよ」
雨宮は無言で、響子の方へ視線を向けた。
「ああ、お前が弾劾したわけか」
繚介に、雨宮が厳しく問い
「どうして、伊賀をあんな場所で監禁してた?」
「それは彼女が、俺たちにとって危険な存在だからだ」
と繚介は答える。
「危険な存在? どういう意味だ?」
「それを確認するために、拘束した。まだ説明はできない」
「それじゃ話は進まないし、納得もできねえよ」
「とにかく、今はわたしたちを信じてちょうだい」
紗香が感情の消えたような、無機質な声で言った。
「信じろって?」
雨宮は震えた声で言う。
抑圧された怒りは、今や笑いとして口元に滲み出ていた。
喜びから生まれるのとは違う、苦々しい感情の漏れ。
「いったい何を根拠に信じればいい? 俺がお前たちについて確実に知っていることは、お前たちにとって、人を傷つけるのは簡単だってことだけだ」
雨宮の言葉に、場が凍りつく。
誰も返事をしない。紗香でさえ、どこか息を潜めているかのようだった。
「おい、雨宮――」
「神崎、なぜ止める? お前だって、こいつらに自由を奪われたんじゃないのか。スイッチ一つでお前を殺せるような、物騒なチョーカーまで付けさせられてるんだぞ」
「まあ、この際、俺のことはどうでもいい」
神崎は気怠げに言う。
「だけど、伊賀の件については、俺も説明を聞きたいかな」
「神崎くん、その話は後で必ずするわ」
「それまで、神崎は首輪で飼い慣らしておくってかよ」と雨宮。
「悪意のある言い方ね。わたしは彼を監理局から守っているのよ」
「そうやっていつも正当化しているが――お前はただ、人を傷つける理由が欲しいだけなんじゃないのか? そんなのは、救世主なんかじゃない――化け物だろ」
雨宮がそう言い放った瞬間、紗香の身がびくりと動いた。
何も感じていないふりをしていたのが、一瞬崩れてしまったように。
彼女の過去を考えれば、その言葉は、まずい。
神崎がそう思ったときには、繚介は動いていた。
「今、なんて言った?」
繚介が、雨宮のシャツの胸倉を掴んで引き寄せる。
元より鋭利な目つきをさらに尖らせ、雨宮の目と正面から向き合った。
すかさず、神崎は二人の間に入ろうとする。
「おいおい、手を上げんのはなしだろ」
「妹をそんなふうに呼ぶ奴を、俺は許さない」
「だったら、妹の意見を聞けよ。なあ、紗香」
「繚介、わたしは――」
いきなり振られて、紗香は言葉を詰まらせる。
「――ちっ」
雨宮は舌打ちすると、繚介の腕を振り払った。
無言で背を向けて、部屋を去っていった。
*
雨宮抜きで、三人だけで食卓を囲む。
解放された響子は、朝食を先に食べると、特に何も言わずに平然と帰っていった。
相変わらず感情の出てこない奴だ、と神崎は思った。
「……」
なんとなく、空気が重い。
まるで今までの騒がしい食卓が嘘だったかのように、会話がない。
三人ともが、息を潜めて食事をする。
「……良かったのか、帰らせて」
神崎は、冷めてぬるくなったスープを啜って、言った。
正面に座った紗香は、いきなり沈黙を破られて面食らったのか、きょとんとした表情のまま硬直する。
「いや、伊賀の話だよ。拘束しておかなきゃいけない理由があったんだろ」神崎は言った。「俺には、話せないようだけど」
紗香の代わりに口を開いたのは、繚介だった。
「大丈夫だ。もう、こっちの覚悟は済んでる」
「覚悟?」
「そ。戦いを始める覚悟がね」と、今度は紗香が言った。
「その戦いってのに、俺は入ってないんだろうな。これ以上の面倒ごとは御免だ」
「……そう」
紗香は、静かに言った。
椅子の
そしてすぐに、目を開いた。
その数秒間の動作の間に――彼女の強張っていた顔つきは、清々しい微笑みに変わっていた。
テーブルから身を乗り出して、神崎の顔に両手を伸ばしてくる。
彼女の両手がそっと着地したのは、神崎の首に着けられたチョーカー。
ゆっくりと指を滑らせて、首の後ろ部分まで手を回した。
細い指がしなやかに動いて何らかの操作をすると、かちゃり、と拘束の外れる音。
「紗香?」
「あなたにも、選択肢を与えてあげる」
「俺たちのやり方は、あまりに強引すぎたみたいだな」
神崎は、外れたチョーカーを手に取った。
首元にずっと感じていた冷たい金属の感触は、なくなっていた。
選択肢。
それは、この屋敷を出て自分の家に帰ってもいい、ということだ。
彼女たちと過ごしてきた一週間の日々を、まるで夢だったかのようにすっかり忘れて、平凡で透明な生活を続けてもいいということ。
これ以上の面倒ごとには巻き込まれず、すべてが元あるべき形に戻る。
彼女たちとも、きっともう二度と出会うことはないだろう。
「……俺ん家、お前に燃やされたまんまなんだけど」
「並みの住居でよければ、わたしたちが手配してあげられるわ。少しくらいなら、あなたが前に住んでいたのよりもマシなのをね」
「つっても、俺が監理局に狙われてることに変わりはないだろ」
「そうね。ある程度、わたしたちの庇護下での生活にはなるかもしれない」
神崎は肩をすくめて言う。
「まるでごっこ遊びだな」
「それじゃ不満か?」と繚介。
「体面だけの自由を与えて責任を取った気になってるなら、不満だな」神崎は言った。「そもそも監理局から守るって話をしたのは、あんたらだろ。……今さら放り出されても、困る」
紗香の表情が、厳然としたものに戻っていく。
「でも初めてこの家での生活を提案したとき、あなたは拒否していたわよね? もしもわたしがあなたの自宅を焼失させていなければ、あのときに帰っていたはずよ」
「それはそうだ。だけど物事には区切りってもんがあるだろ」
「つまりあなたは、ここに残り続けたいのかしら?」
「ちゃんと責任をとってもらうまではな。雨宮に反発を受けたくらいで、まるで真面目に戻ったようなフリはするな。真面目になるなら、しっかり真面目にやってくれよ。お前らは、強いんだから」
最後に神崎は、二人の目を真っ直ぐに見据えて、言った。
「この家で俺を守ると言ったのなら、最後まで守り通してみせろよ」
救世少女たちのリビルド:Red and Blue かわべり @edakura333
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