今輝けるKADOKAWA様へ~『あの子もトランスジェンダーになった』に関する騒動を受けて

奈々野圭

***

 以下の文章はいわば「筆者のお気持ち表明」だ。


 なので、これに関する事象についてろくに調べていない。ゆえに「正確性に欠く」と非難するものもあろう。


 だいたいなんで調べもしないことについて書こうとしたのか。

 それは、「ワードを見るだけでもしんどいが、それでも何か言わないといけない」と強く感じたからである。


 では本題に入ろう。


 私はKADOKAWAが今年の一月二十四日に出そうとしたとある書籍について、今でも深く思い悩んでいる。

 この書籍については、何も考えたくはない。何も考えたくはないのだが、そういう訳にもいかない。

 何故なら私は「当事者」だからである。


 とある書籍というのは『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』のことだ。

 刊行が発表されたものの「多くの方々より本書の内容および刊行の是非について様々なご意見を賜りました」とのことで販売を中止したという書籍。


 この本の販売中止で「様々な意見」があったようだが、私は最初に断ったとおり、一切調べていない。というのも、この本の販売が発表される前からトランスジェンダー差別の嵐が吹き荒れているからである。


「本書は、ジェンダーに関する欧米での事象等を通じて国内読者で議論を深めていくきっかけになれば」と言っているが、この本が出される前から嫌という程「議論」はされているのだが。まさか「知らない」というわけがないだろう。「トランスジェンダー」で検索すればそこかしこに「議論」の痕跡が出てくるのだから。


「私は当事者」と言ったが、正確に言うと私はノンバイナリーだ。いちいち説明するのも癪だが諸君らは知らないだろうから説明してやろう。ノンバイナリーというのは「女にも男にも当てはまらないジェンダー」のことだ。


「女にも男にも当てはまらないジェンダー」と言ったが、一口にノンバイナリーと言っても「女男どちらでもない」とか「女であるか男であるかはその時によって変わる(ジェンダーフルイドという)」という人もいる。

 ノンバイナリーの数だけ自己の性別の認識が違うというわけだ。


 私の場合は「女ということになっているので女として振舞っているが、正確には女ではないので『女』扱いしたらHammer Smashed Faceするぞ。とにかく『女』ではない」である。

この説明で納得するものはいないだろうが、生憎諸君らが納得しようがしなかろうが「私はここにいる」のだ。

「いいから黙って受け入れろ」としか言いようがない。


 トランスジェンダーは「割り当てられた性別を拒否している」わけだが、ノンバイナリーもまたトランスジェンダーと同様「割り当てられた性別を拒否している」

 だからノンバイナリーも広義上ではトランスジェンダーとなるわけだ。ちなみにトランスジェンダーの中にも「女だ」「男だ」という認識がない「ノンバイナリーのトランスジェンダー」もいる。

 生憎私はトランスジェンダーとしての生活実績がない。故に「トランスジェンダーとしての生活上の困難」はない。


 こういう生活を送れるのも、私には「性別違和がない」からである。だからあえてシスジェンダーとして「埋没」しているという形になる。


「シスジェンダーとして埋没しているものの、『女』の方に入れられるのは大変不服である。故にノンバイナリーである」


 なんてことを言おうものなら、諸君らはこう返すだろう。


「それかっこいいと思ってんの?厨二病拗らせるな」


 願わくば、人類が余計なバイナリー的なジェンダー概念を教え込む前にAIが人類を滅ぼさんことを。


 話が逸れた。元に戻そう。


『あの子もトランスジェンダーになった』は翻訳本だが、原著は医学的な根拠に乏しいとして問題視されている。(こういう話なら目を通す余裕はある)


 そのようないわく付きの書籍を、KADOKAWAがなぜ出版しようとしたのか?


 KADOKAWAは日本最大手の出版社だ。外国人に「日本スゴイ」と言わせたり、中韓国を貶めるような書籍を出して糊口をしのぐような三流出版社とはワケが違うだろうに。だいたい三流出版社でないからこそ大騒ぎになっているのだ。(三流出版社でも許されないのだがそれはともかく)


 先にも引用した「本書は、ジェンダーに関する欧米での事象等を通じて国内読者で議論を深めていくきっかけになれば」が理由なのであろうか。

 だとしたら尚のこと、専門家から「内容が不適格」とされている本を出版する意味はあるのだろうか。


 まず「トランスジェンダー差別」は無知から来ている。SNSに溢れかえっているトランスヘイターは殆どと言っていいほど「トイレと風呂」の話に終始している。


「トイレと風呂の話しかしてない」という時点で、「私はトランスジェンダーのことはよく分かりません!」と言っているに等しいとしか言いようがないだろう。発言してる当人は気がついてないだろうが。


 私は「トランスジェンダーとなるとトイレと風呂の話しかしてない人」のことを「トランスジェンダーをトイレと風呂に出没する妖怪だと思ってる人たち」と認識している。(『当事者』からすればトランスヘイターこそ『トイレと風呂の話しかしない妖怪』だろうが)


 こういった「トイレと風呂の話しかしない人」に必要なのは「議論」ではない。

「知識」である。かの者らに必要なのは「議論を深める本」ではなく「入門書」なのだ。現に集英社は『トランスジェンダー入門』という入門書を出しているではないか。


 諸君らの方が詳しいだろうから集英社の説明は不要だろう。集英社は、『少年ジャンプ』という看板を背負っている。(私としては男女二項対立を煽ってるから『少年誌』という名称を何とかしろと思ってるがそれは別の話)


 その「少年ジャンプ」の看板に泥を塗るようなことをしてはならぬ。そう考えたからこそ『トランスジェンダー入門』を出版したのではなかったのか。


それに引き替え、KADOKAWAは何を考えて『あの子はトランスジェンダーになった』を出そうとしたのか。

「出そうとした」なのは実際には出版されていないからである。


「出版されていないのだから別にいいだろ。昔の話を蒸し返しても誰も覚えてないし」と思うだろう。

 私にしたら「出そうとした」ことが問題なのだ。


「議論を深めようとしてる者」が販売中止を受けて「このままではトランスジェンダーに対する議論ができなくなってしまう」と「危惧する」ネット記事が散見されたというのがひとつ。

 結果としてトランスヘイターが「勢いづいた」結果になってしまったではないか。


 KADOKAWAのHPを見てみると「サステナビリティへの取り組み」の「KADOKAWAグループが目指す コンテンツのサステナビリティの実現」というのがある。

 そこには「想像力がはぐくまれ、コンテンツが生まれ、育ち、人々の手元に届き、さらに広がっていくことの土台には、豊かな地球環境と、だれ一人取り残すことのない健全な社会の実現が欠かせません」とあるのだが。


「トランスジェンダーに対する議論を深める」ことは、「だれ一人取り残すことのない健全な社会の実現」に向かうと考えているのか。


 まず、トランスジェンダーは議論のテーマではない。血の通った、人間社会の構成員であり、取り残してはならない一人の存在である。


 議論のテーマとすることで、結果として当事者をズタズタに引き裂くことになる。ただでさえネットにはトランスヘイトが溢れかえっているのだ。何度も言うが、もう既に「議論」されつくしているのだ。これではもうミンチではないか。


 ふたつめ。

「出そうとした」からこそ「表現の自由が脅かされる」だのといっていらぬ分断が発生してるという事態。


「表現の自由」か。

 SNSにおいては単なる水掛け論だ。この話もしたくない。


 それにつけても「トランスヘイター」は概ね「保守」で、尚且つ「規制推進派」が多くを占める訳だが、当書が出版された暁には先に挙げたものたちが勢いづくのは容易に想像がつくだろうに。


 結果としてトランスヘイトの火に油を注ぎトランスジェンダーを更に追い詰めたKADOKAWAに光があらんことを。Shine!


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