明晰夢



 明晰夢


 僕には、付き合って4年目の彼女がいる。

元々は大学の同級生で、卒業を機に付き合い始めた。

彼女は実家暮らしで自分は一人暮らしなので週末には僕の家に泊まりにくるのが習慣となっていた。


「ねえ裕太、聞いてるの?」

「ごめん智子、ボーッとしてたよ」

「何よそれ、3週間ぶりに会えて私が重要な話してるってのに」

「なに?重要な話って」

「そりゃー結婚に決まってるでしょ!私たちのこれからの事をもっと考えなきゃ」


 僕の部屋でお酒を飲んで顔真っ赤にしながら恥ずかしい事を言い出すのはいつものことだ。僕はそんな彼女を眺めるのが好きだった。土曜の夜は二人で遅くまでお酒を飲んでそのまま僕のシングルベッドで添い寝するのだった。

 大抵はくだらない話をしながらいつのまにか切り上げて布団に入るのだがその日は違った。


「ねー、面白いことしよーよ」

「なにさ、おもしろいことって」

「これだよこれ」


 そう言って彼女は自分のスマホの画面を見せてきた。

 そこには真っ黒い画面に赤い文字で


「明晰夢を見る方法」


 と表示されていた。


「なにこれ?」

「明晰夢!知らない?本当にあったかのようなリアル感のある夢のことで、その夢の中では自由に体を動かしたり、夢を操作できるんだよ」

「おもしろいじゃん、どうやるの?」

「なんかこのサイトの10個の質問に答えてからすぐ眠るんだってさ。他の人に質問の内容を見せるのはダメなんだって」

「いいね、おれと智子でお互いやってみて明晰夢を見れるか試してみよう」

「それだけじゃ普通だよ、じゃあ裕太と私で同じ夢を見れるか試してみよ」

「なるほどね、お互いの夢を繋げてみようってわけか。どういう夢にする?」

「じゃあ夢の中で私が裕太に手紙を書くから、裕太はその手紙を受け取って、明日起きたらその内容を私に伝えて」

「良いね、その内容が合ってたら実験成功か」


 トントン拍子に話は進み、お互いに見えないように明晰夢のサイトで質問に答える事にした。

 10個の質問はこんな感じだった。


①「あなたは男性ですか?」

 はい


②「あなたに兄弟はいますか」

 いいえ


③「あなたに秘密はありますか」

 はい


④「犬が死ぬところを見たことはありますか」

 いいえ


⑤「今日、朝ごはんを食べましたか?」

 いいえ


⑥「心を許せる友達はいますか?」

 はい


⑦「あなたは正直者ですか?」

 はい


⑧「なぜ嘘をつくのですか?」

 いいえ


⑨「あなたは橋本智子を愛していますか?」

 はい


⑩「毒蛇とまぐわう血濡れた黒猫の愛液を啜りますか?」

 いいえ


気味の悪い質問に答えているうちに少しずつ酔いが覚めてきて、このサイトはおそらくインチキなんだろうという気がしてきていた。明晰夢を見ることはないだろうがサッサと寝てしまいたい気分になってしまった。

 智子も同じような気分らしくそのあとはいそいそと寝る支度をし、二人ともベッドに入りあまり喋らずに眠りについた。



 強烈な喉の渇きに目を覚まし、カーテンから差す眩しい光に目を細め、それから電子時計を見ると時刻は夜中の2時、日付は先週の土曜日を指していた。一体どうなっているんだ?

 横を向くと、智子が布団をかぶって眠っていたのでフラフラと立ち上がり、キッチンへと向かった。

 キッチンへ入り冷蔵庫から麦茶を取り出して赤いプラスチックのコップへ注ぐと一気に飲み干した。

 口元を拭いて後ろを振り向くと先ほどまでベッドで眠っていたはずの智子が立っていた。

 思いもよらぬ事に思わず冷や汗をかいて黙っていると智子も黙ったまま僕の方に近寄り、何かを握った右手を差し出してきた。

 右手に握られていたものを受け取ると、それはノートの切れ端だった、何か書いてあるようだった。

 呆気に取られているといつのまにか智子はキッチンからいなくなっていた。

 なんでこんなものを渡してきたんだ?いや、僕は何か智子と約束をしていたはずだ。これを読まなきゃいけない気がする。でも、同時にこれを猛烈に読んではいけない気がする

 冷や汗は脂汗に変わり、じっとりとシャツが湿るのを感じながらゆっくりと自分の手に握られた紙を広げた。

 そこにはこう書いてあった。


 【三橋かえで】


 それは、僕が以前から智子に隠れてマッチングアプリで会っていたこの名前だった。

 僕は少し前から智子への気持ちは失っていて、次の彼女を探していたのだ。かえでさんとはすでに4回ほど会っており、先週の土曜日には自分の部屋に泊まらせていた。

 

 一体、いつからばれていたんだ?


 しばらく固まっていると不意にキッチンとベッドルームを繋ぐドアが開いた。

 気配を感じてベッドルームへ戻るとベッドを見下ろして立つ智子と、ベッドで眠るかえでがいた。先ほど自分の横で眠っていたのはかえでだったのだ。

 

 智子が口を開く。


「裕太より先に夢の中で目を覚ましたらさ、裕太の横にその子がいてさ、最初は意味わかんなかったんだけど、そこにあるその子のバッグの中とか漁ったりしてるうちにさ、大体分かっちゃったんだよね」


 心臓の音がうるさい。話が入ってこない。逃げ出したい。


 智子の手には包丁が握られていた。


「夢の中だから意味ないだろうけど一応ね」


 そう言い終わると同時に智子は思いっきりベッドの膨らみへ包丁を振り下ろした。布団には赤いシミが広がり、やがてベッド全体が真っ赤に染まり上がった。


 返り血を頬に浴びた彼女の横顔を、カーテンから差し込む怪しい日光が照らしていた。







「おはよー!」

腹に重みを感じて目を覚ますと、智子の顔が目の前にあった。

「あっ、えっ夢…?」

「えー?何寝ぼけてるの?てかもう9時だよ?朝ごはんもうできてるよ?」

 

 デジタル時計に目をやると日付もおかしくなく、時刻は9時12分を指していた。よかった、あれは僕の後ろめたい気持ちが見せた悪い夢だったのか。汗だくの体を起こしキッチンへ向かうと二人分のトーストと目玉焼きが用意されていた。


「もう全部用意できてるから、後で皿洗はお願いね。あとお茶出してー」

 

言われるまま冷蔵庫を開いて麦茶の入ったペットボトルを取ると妙な事に気づいた。少し減っている、昨夜眠る前よりも。チラリとシンクの方を見ると夢の中で使った赤いプラスチックのコップが置いてあった。あれは夢だったはず、いや、寝ぼけてお茶を飲んだのは本当?あの後の智子から紙を渡されるところからが夢か?


 怪しまれてはまずいと思い、そのまま席に座り、二人分のお茶を注いで朝ごはんを食べ始めた。


 智子が口を開く。


「てかさ、昨日明晰夢やろうって言ったじゃん」


 どっと心臓の音が鳴る。


 頼む、頼む、頼む。


「私ダメだったわー普通に夢とか見ずに熟睡した」


 それを聞いた瞬間、安堵で思いっきり息を吐いた。


「まあ、そうだよな。あんなに酒を飲んだんじゃあ夢も見ずにぐっすりだ」

「えー裕太も夢見なかったのー?がっかり!」

「まああの気味の悪いサイトはインチキだったって事だね」

「それな!てか質問の内容もキモかったよね!私最後の質問とか『あなたは今裏切られてますか?』だったし!」

「なんだそれ、知るかって感じだな」


 よかった、本当によかった。やはりあの悪夢は俺の後ろめたさや良心が見せるものだったのだ。自分をクズだと認識しながらも安心してしまう自分に笑ってしまう。


 その瞬間、急に視界が真っ暗になった。突然の事に状況が掴めずにいると自分の体の右側に生温かさを感じる。

 体を横に向けるとそこには顔を青白くさせたかえでが横たわっていた。僕らは仰向けになってベッドに寝かされていた。体が動かない。どうなっている。


「かえで、大丈夫か…」


 大きく声を上げたはずが実際に出た声はか細く小さいものだった。金縛りだろうか。


 すると左の方からも気配を感じ、そちらに顔を向けるとそこには智子が立っていた。


「やっぱり嘘つきじゃん。今、かえでって言ったよね」


 手には包丁が握られている。


「明晰夢ってさ、自分の意思で夢の内容を変えられるんだよ。だからさっき夢の内容を変えて夢から覚めたように錯覚させてあげたんだよ」


「智子、やめて」


 言葉が出てこない。体が動かない。


「普通の悪夢ならさ、夢の中で死んだらすぐに目が覚めるけど他の人によって作られた明晰夢の中で死んだらどうなっちゃうんだろうね。もしかしたらそのまま目が覚めないのかもね」


「智子、たすけて」


「私は裕太のこと大好きだったのに、しょうがないよねもう。もし裕太が夢から醒めれたらこの夢のことは忘れさせてあげるよ。でも私、きっとかえでさんのことは殺しに行くから。かえでさんの住所も裕太が夢の中で教えてくれたから」


「やめて」


「それじゃあね、裕太。おやすみ。」







 何か、とてつもなく怖い夢を見た気がして目を覚ますとデジタル時計は10時を指していた。汗だくの体を起こし、ベッドから出てキッチンへ向かうとテーブルの上にはサンドイッチにラップがかけられていた。

 その横にはノートの切れ端が置いてあり、こう書いてあった。


 【おはよう。今日はこの後友達とランチに行くのでこのまま帰ります。サンドイッチ食べてね】


 裏側にも何かが書いてあることに気づき、紙をひっくり返すとそこには何か文字を書いた後に太いマジックで黒塗りしたようにぐちゃぐちゃにされた跡があった。


 そういえば、昨夜言ってた明晰夢を、智子は見れたのだろうか。




 終


 



 

 

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