第2話 眠る天使と甘い呼吸


 保健室にいると噂されていた『保健室の天使』こと雪野小道と二人で校内のトイレの備品確認をすることに……なったのはいいが。


「…………」

「…………」


 会話が……全然ないな。


 俺と天使は養護教諭の佐野先生の机にあったチェック用紙を一枚ずつ持って保健室を出た。

 天使はチェック用紙と筆記用具のペンを持ち、俺はチェック用紙以外にもトイレットペーパーがたくさん入った買い物カゴも持っている。


 一緒に廊下を歩いているが、そこに会話はない。

 初対面だから無理もないが……少しは会話があった方が気まずくないんだが。

 まあ別に、俺は他の男子どもと違って、元々彼女に興味があった訳じゃないし、キャッキャうふふな出会いを求めていた訳でもないから構わないけど……。


 ふと横目で隣を歩く天使を見る。

 身長175cmの俺の肩よりもちょっと低いくらいだから、彼女の身長は大体150〜160cmくらいか?

 それにしても痩せ型だ。腰回りとか腕とか、少しぶつかったら簡単にポキッと折れそうだし、制服を着てるのにこの細さは異常にすら思える。


 この天使、ちゃんとメシ食ってんのか?


「……っ」


 俺がジッと見つめていたからか、天使は目を細めて訝しげな視線をこちらに向けてきた。

 やばっ……見すぎた。

 俺は咄嗟に視線を逸らす。

 なっ、何か喋って誤魔化すか。


「えっと、さ! 備品確認は4階からでいいよな? 1階を最後にすれば、そのまま保健室にチェック用紙を提出できるし!」


 手をわちゃわちゃさせながら提案すると、天使はコクリと頷いて、先に階段を上り始めた。

 俺は上手いことお茶を濁せてホッと胸を撫で下ろす。


 俺、女子と話すのあんまり得意じゃないんだよな。

 趣味でやってる街歩きも、もし彼女がいればそれはそれでより一層楽しいんだろうけど……いつも一人だし。

 彼女が「欲しい」「欲しくない」という議論をするつもりはないが、単純に女子という生き物の思考が理解できないから、俺はいつまでも恋愛経験0なのである。


 天使のことも、そりゃ可愛いとは思ったけど……だからって付き合いたいとか、天使が彼女になるとかイメージできない。

 そもそも俺には彼女なんて必要ないし。


「……んっ?」


 トン、と前を歩いていた天使に軽くぶつかってしまう。


「あ、ごめ」

「わたしたち、もう……別れないと」

「え?」


 天使は立ち止まると暗い顔になり、急に別れ話のようなことを口にした。

 わ、別れる!? 


「い、いやいや! 別れるも何も俺たち付き合ってすらいないし!」

「……? でもここから先は、女子トイレだから別れないと……」

「女子、トイレ?」


 天使を見下ろしていた視線を上げると、女子トイレのマークが目に飛び込んでくる。

 ボーッと余計なことを考えながら天使の背中を追って移動していたため、今自分がどこにいるのかすら俺は把握してなかった。


「あなた……まさか女子トイレに……入りたいの?」


 天使の視線が、不審者を見る時のような目に変わる。

 あー、これは別れないとアカンですわ。


「ご、ごめんなさいなんでもないです」


 俺は逃げるように隣の男子トイレへと飛び込んだ。


 ✳︎✳︎


 4階、3階、2階と、特に何の問題もなく備品確認を進める。

 トイレットペーパーが足りない場合は、持ってきた買い物カゴの中にあるトイレットペーパーを取り出して補充した。

 天使も手際よく作業をしていて、終始無言だったけど、天使のおかげで女子トイレも大丈夫そうだ。


 そして、最後に1階にあるトイレの前まで俺たちは到着する。


「あとはここだけか。思っていたより意外と早く終わりそうだな?」

「……ん、んん〜……」


 隣からふわふわした返事が聞こえてくる。

 なんだよ天使のやつ、気の抜けた返事だな?

 そう思って天使の方を見ると、


「なっ」


 ゆらゆら、ゆらゆらと左右に身体を揺らしながら、眠たそうな目を擦る天使。

 二日酔いのおっさんみたいなアンバランスさと虚ろな目。

 最後にはまるで電池の切れたロボットのように「スンッ」と天使の身体から力が抜け、雪野小道はその場に座り込むと完全に目を瞑った。


 制服のスカートが床に広がり、女の子座りをしながら天使は座り込んで動かない。

 一体全体、何が起こってるんだ?

 あとこのトイレを調べれば終わりだってのに。


「お、おい、雪野? おーい?」


 何が起きたのか理解ができないまま、俺はとりあえず声をかける。しかし返事はない。

 雪野は寝た……のか?

 それともこれは坐禅……?


「と、とにかく起こさないと」


 心配になって雪野の顔に手を伸ばしたその時——


「おーっと! そこまでよ、思春期真っ盛りでエッチな男子生徒くん?」

「うぉっ!」


 どこからともなく現れた白衣を着た栗色ショートヘアの女性。

 赤のブラウスと黒のミニスカート、その上には白衣を羽織り、足にはパンストに赤いピンヒールという、まるで男子生徒が理想とする養護教諭の姿。


「どーもー? この高校1の『イイ女』こと、養護教諭の佐野先生でーす」


 なんだこの人。普通、自分で良い女って言わんだろ……って、待て。

 この人が養護教諭!?


「え、え? 保健室の先生ってもっとおばさんだったと思うんすけど」

「前任の安元先生はかなり重めのご持病のため先月にご退職されましたー。そこで抜擢されたのが、新卒1年目でピッチピチのこの私、佐野梨里杏さのりりあってワケ。分かる?」

「全然分からないですけど」

「……はぁ、ダメな男。これじゃ一生童貞ね」


 出会って2分で侮辱されたんだが。


「どうせあなた、彼女の寝込みを襲おうとしたんじゃない? 1年B組の保健委員くん?」

「思ってないです! それと俺は温森俊太ですから!」

「分かった分かった。それよりもまずは雪野をどうするか」


 ヒートアップする俺とは対照的に、佐野先生は冷静な眼差しで顎に手を当てると、天使の方を見つめた。


「雪野にはまだ早かったか……」

「早かった?」

「温森くん、この階の備品確認はもういいから、彼女をおぶって保健室まで来なさい」


 佐野先生はウインクしながら俺に命令してくる。


「雪野のを見ちゃったなら、色々と話さないとね」

「え、は、はいっ」


 色々と……? 


 俺は天使を背負うためにしゃがみ込む。

 こう見ると天使のまつ毛って長いな……。

 あと唇も薄らとしてて、顔も小さくて。


「すぅ……すぅ……」


 可愛らしい寝息をたてて一向に起きる気配のない天使。

 俺はそんな状態の天使を背負うと保健室に向かうのだった。

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