第2話 出会ったら、やってしまおう、ほととぎす

 それから、どのくらい時が経ったのかはわからない。

(あ、れ……)

 何か近くで物が動く気配がし、夏美の意識がゆっくりと覚醒していく。目を開けると、どこか、自分が暗い場所にいるのがわかった。

(私……死んでないの……?)

 ゆっくりと首を動かし、ここがどこなのかを確認しようとする。その瞬間、さっき自分の意識を揺り起こした何かが、隣で再び動くのがわかった。

(ひっ……!)

 夏美は思わずがばっと体を起こし、それから自分がさっきまで寝転んでいたことに気づいた。体を起こして見えたのは、見知らぬ男が裸で隣に寝ている後ろ姿。

(え……どういう状況……? 私、やっちゃってた……?)

 一番新しい記憶を呼び起こそうと少しの間、息を詰めて思考した。思い出すだけでも苦しい、あの全身の痛み、ヘッドライトの明かり、ものすごい音と衝撃……。

(私、あれで死んでなかったの……?)

 直前の記憶は確かに車に轢かれたはずだった。しかし、そこからどうしてもここまでの記憶が思い出せない。

(新作使いたかったっていう未練残しては死ねなかったか……さすが私だわ……)

 あまりに強欲すぎて、死ぬに死にきれなかったのか、と納得しかけるが、そこまで考えて、自分が手に何かを握っていることに気づいた。それを視線で辿ってみると、あの日に使っていた通勤用のバッグ。自分以外に、自分の存在証明をしてくれるものが見つかった気がして、夏美はどこか安心した。

(まぁ私のことだし、記憶がないままヤッちゃったんだなきっと)

 自分でもそんなことをしないはずだと言い切れないところに、内心少し呆れる。改めて周囲を見回すと、西洋風コンセプトのラブホテルと言って差し支えないようだった。おそらくキングサイズの天蓋付きベッド、大きく切り取られたアーチ型の窓からは月明かりがかすかに差し込んでいる。ベッド脇に置かれたナイトテーブルも、現代で言うアンティークの部類に入るものだろう。天井には天蓋のせいで半分しか見えなかったが、大きなシャンデリアがついていた。

(一泊いくらくらいだろう、かなりいいラブホっぽいけど……)

 そう考えつつも、自分の居場所がなんとなく把握できたことにも安堵を覚える。ようやく、この状況から自分の記憶が途切れてからの行いが見えてきた。

 これはよくあるワンナイト・ラブ。だとしたら、今睡眠を欲しがっているこの身体の欲求に答えるべきだ。

(でも……その前にちょっとだけ、この人の顔が見たい。相手はどんな人かな……?)

 なるべくベッドに振動を伝えないよう、そっとその男の顔を覗き込んでみる。鼻筋の通った高い鼻、目は彫りが深く、眠っているだけでも美形だとわかるようだった。

(どことなく西洋風な感じ……いよいよ外国の人にも手出したか……)

 知らないうちに新規開拓をしていたことに少し驚きつつ、全くセックスの記憶がないことを残念に思ってしまう。

(外国の人とは初めてだから、どんな感じか知りたかった──)

 もう少しよく男の顔を眺めようとして前傾姿勢になった瞬間、ベッドについていた手首がバランスを取るために動いてしまった。その小さな振動で、男の意識を覚醒させてしまったのか、眉間にしわが寄り、すぐに目が開く。

「あっ……ごめんね起こして」

「……誰だお前は。なぜここにいる」

 男は目を覚ますと同時に、すっと身を引いた。夏美のことを警戒しているということが、その所作や目つきからも見て取れる。

「え、あの……覚えてない? 私、さっき、あなたとシたと思うんだけど……」

「何をだ」

「えっ? セックスを……でしょ?」

 記憶がない夏美に比べ、相手の方がこの状況を理解しているはずなのに、どこか的を射ない。男は目を細め、眉をひそめた。

「……していない」

「嘘……したはず……してないの? いや、そんな訳ないよね、この状況で」

 だって、ベッドに男女二人きり、しかも男は全裸なのだ。

「……していないと言っているだろう」

「してないのに、ラブホのベッドで二人で寝るなんてことある!?」

 慌てて言葉を重ねる夏美の様子に、相手が少し警戒を緩めたのがわかった。夏美のあまりのあたふた具合を見て、何も覚えていないことを悟ったのか。

「……お前、この国の者ではないな」

「いや、あなたこそ」

「ここは俺の国で、俺の寝室だ。出て行け」

 男の厳しい口調に、夏美は言葉が詰まる。

(どうしよう、この人……なんか話通じないんですけど……? 日本人らしからぬ顔立ちなんだけどな、海外にもルーツがあるのかな?)

 そう思い、再度男の顔をまじまじと見ると、寝ているときにはわからなかった精悍な目つきに気づいて、思わずとくりと胸が鳴る。

(待ってこの人……想像してた何十倍もかっこいい……)

 そんな上半身裸の男と同じベッドにいて、なんの気も起こさないほど、夏美は純粋ではない。むくむくと夏美の中の性欲が、頭をもたげてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る