高嶺の花には裏がある

六花

高嶺の花には……

 斎藤さんが浅井に告白したという情報は、瞬く間に学校中を駆け巡った。



 何しろ斎藤さんは高校一、いやこの地域一と言っても過言ではないくらいの美少女だ。学校で彼女を知らない者はいない。こんな地方都市にいるからまだ一般人なだけで、東京近辺に住んでいればとっくに芸能人の仲間入りを果たしていたに違いない。実際、投稿系SNSでは既にかなりの有名人だという。


 対する浅井は、俺の友人ではあるのだが、その贔屓目を差し引いても、眼鏡に中背小太り、勉強はそこそこだが運動はからっきし、性格も消極的で「地味」「冴えない」「目立たない」が枕詞につくような、まあいわゆる三軍男子である(俺も同類だが……)。


 そんな斎藤さんが、そんな浅井に告白をした。寝耳に水、青天の霹靂、俺たちの衝撃の程が解るだろう。


 何かの罰ゲームか? 美人局つつもたせか? 仰天したあと冷静になってそんなふうに疑う俺含む大多数の生徒たちを横目に、二人は本当に付き合い始めた。一緒に登下校したり弁当を食べたり、クラスこそ違うものの授業以外は殆ど連れ立っている二人の姿に、皆、納得しきれないながらも現実を受け入れるほかなかった。


 浅井は、最初に言ったとおり俺の友人でもあったのだが、告白という名の事件以降、俺たち類友るいともとはあからさまに距離を置き始めた。「美少女と付き合っている俺」という優越感と言うか選民意識と言うか、「おまえら非リア充と一緒にするな」ということらしい。友人の豹変、もとい露わとなった本性に、残された俺たちは愕然とするほかなかった。


 とは言っても所詮は三軍出身のヘタレな陰キャ、判りやすく天狗になってるせいもあって陽キャたちにはまともに相手にされず、クラスでは半ば孤立していた。


 しかしそれらを吹き飛ばす「斎藤さんの彼氏」という圧倒的ポジション。その地位を得られるのなら友人など要らないという男子は少なくないだろう。浅井自身、孤立を苦にしているどころかなんなら周囲を見下してる感すらあり、斎藤さんも友人たちそっちのけで浅井と一緒にいるようで、完全に二人きりの世界に浸っていた。


 そして今日も。


「浅井君、帰ろうよー」


 帰り支度をしていた浅井を、斎藤さんが迎えに来た。


 期末試験を来週に控え、部活が休みのせいもあって、教室には俺以外にも半数以上の生徒がまだ残っていた。その注目を一身に集めても、斎藤さんはものともせず、浅井しか見ていない。浅井も浅井で、彼女よりクラスメイトに聞かせるような調子で「うん、ちょっと待って」なんて締まりのない顔で応じている。


 二人が付き合い始めるまでは、たまに廊下で見かける程度だった斎藤さん。こんな形で見慣れた今でも、やっぱり抜群に美人だ。顔が小さくて足が長くて、並みのモデルやアイドルよりよっぽど華がある。


 そんな彼女と並び歩いているというのに、浅井はコンタクトに替えるとか身体を鍛えるとかいう様子もなく、少なくとも見た目は冴えない三軍男子のままだった。これは男女差と言うより個人差も大きいんだろうが、俺の姉ちゃんは大学で彼氏が出来た途端、化粧を覚えて服の趣味も変わり、家族から見てもかなり垢抜けたのに、浅井は悪い意味でまったく変わっていない。「そのままの浅井君が好き」とでも言われたのを真に受けてるんだろうか?


 教室の入口で惚気あう美女と珍獣(野獣と言うほど迫力はない)カップルに、帰り支度を終えた俺はもう一度何気なく目を向ける。


 すると一瞬、斎藤さんの足許に妙なものを見た。


 太い尻尾を持つ、白い獣。


 斎藤さんの足にまとわりつくようにぎったその影は、瞬きの間に消えた。


 錯覚か? 幻影か? 獣が見えたあたりを茫然と凝視したままでいると、その視線にまず当の斎藤さんが気づき、一拍置いて彼女の目線を追った浅井も気づいた。途端に浅井は緩んでいた顔を険しくし、俺にずかずかと詰め寄ると、制服の胸元を片手で鷲掴み凄んできた。


「おい北条、人のカノジョいやらしい目で見てんじゃねえよ」

「は? いや……」


 突然の暴力に俺は目を白黒させたが、所詮は浅井なのでそれほど恐怖は感じなかった。後ろから斎藤さんが慌てたように「浅井君、別に平気だから」と浅井を宥めにかかる。浅井は芝居がかった仕草でフンと鼻を鳴らし、俺を解放した。


「行こうか、斎藤さん」

「うん」


 最後に俺に侮蔑の眼差しを向け、浅井は踵を返した。斎藤さんも一歩遅れてその後を追う。


 だがその直前、浅井には見えないように、緩く弧を描いた唇に人差し指を立てて俺に目配せを送ってきた。――――「内緒ね」とでも言うように。


 二人が教室から出て行くと、友人たちが「大丈夫か?」と声をかけてきた。ほかのクラスメイトたちも、俺を心配するとまではいかなくても、「完全に調子乗ってるな」「シンプルに感じ悪い」と、浅井に嫌悪感を抱いたのは間違いない。


 俺のほかに白い獣を見たクラスメイトはいないようだった。最後の目配せも、「彼氏がゴメンね」という意味だと思われたようだ。


 その後も二人は人目を憚ることなく(むしろ浅井に至っては見せつけるように)付き合い続けていたが、俺も白い獣を見たのはあの一度きりだった。相変わらず、お似合いとはとても言えないが、今や高校一有名な仲睦まじいカップルである。


 それでもなお、どうしてあんな美人があんな冴えない男と、という声は後を絶たず、彼女に告白しては玉砕する男子も多かった。俺にはそこまでの勇気はないが、二人を見るたびに、羨ましいような妬ましいような気持ちに苛まれ続けた。俺と浅井、同じ地味で目立たないスクールカースト三軍だったのに、どこで差がついた、何が違ったんだ。



 だが、多くの男子生徒が俺と同じように羨望と嫉妬のない交ぜになった感情に歯軋りしていたのは、それほど長いことではなかった。



 浅井の死体が見つかったのは、ターミナル駅の目立たない場所にあるトイレの中だった。


 死体からは臓器が一部持ち去られていて、猟奇殺人として一気に全国トップニュースに躍り出たが、司法解剖の結果、死因は病死、クモ膜下出血ということだった。直後に、有名政治家の汚職脱税、人気俳優の薬物逮捕、大企業の不祥事隠蔽などといったセンセーショナルな事件が立て続けに起こったこともあり、案外早く全国ニュースからは姿を消した。


 もともと薄汚い印象だった駅のトイレは改修されることになり、地元や高校に於いても急速に事件は風化しつつあった。一ヶ月も経たないうちに修了式から春休みを迎えたことも多分に影響していると思う。


 一方、恋人を失った斎藤さんだが、こちらもなんだか妙なことになっていた。


 突然の別れに悲しみに暮れる様子もなく、それどころか「浅井君? 誰それ?」「付き合ってた? まさか、だって全然好みのタイプじゃないのに」「私から告白した!? 嘘でしょ、有り得ない!」などと言って、浅井と付き合っていたとき以上に周囲を困惑させているという。聞いた話、どうもここ半年ほど、つまり浅井に告白した前後からの記憶が曖昧らしい。言うまでもなく、通夜にも葬式にも来なかった(俺たち元友人と、クラス代表の学級委員たちは、一応通夜には顔を出した)。


 更に春休み、繁華街で、斎藤さんと大学生らしき長身イケメンが仲良く歩いているのを偶然見かけた。死体に鞭打つようで申し訳ないが、浅井と並んでいるよりずっと釣り合いの取れた、見映えのいい恋人たちだった。


 勿論、その足許に白い獣の姿はなかった。


 白い犬、いや尻尾の形状からすると狐か。見たのは一度だけだがずっと脳裏に残り続けたその姿を、改めて「白狐」と検索して、俺はを見つけた。


 インドから中国を経て、日本へと伝わった女夜叉。現世利益を司る天女にして、人の死を見通しその肝を喰らう鬼女。日本に於いては稲荷神と習合し、白狐を従える姿で描かれる死神。


 だが、彼女は飽くまで半年前に人の死を予見するだけであり、人を呪い殺すわけではない。死神は死神だが、死をもたらす神ではなく、死を見届ける神なのだ。


 浅井の死に涙することなく、新しい恋人と笑っていた斎藤さん。人が変わったよう――――或いは、憑き物が落ちたかのように。


 浅井の死を見届けるために斎藤さんを利用した死神は、を終えて彼女から離れたのだろう。最後に幸せな夢に酔わせてくれた、ある意味優しい死神とも言えた。


 春休みを終えて進級とクラス替えが行われるといよいよ受験生、浅井の席もなくなり、皆の意識が急逝した同級生から自分たちの進路へと向けられることも仕方のないことだろう。


 元友人の俺ですら、四十九日を過ぎ、本格的に梅雨入りする頃には、浅井の存在を忘れつつあった。


 だけどそれは、時間の経過ばかりが原因ではなかった。


「北条君、明後日の土曜日なんだけど」

「また図書館で勉強する?」


 バス停までの帰り道、曇天の下で隣を歩く武田さんの声に、俺は受験生らしい返しをする。しかし武田さんは「そうじゃなくて」と続けた。


「……模試も終わったし、映画観に行かない? 気になってるのが明日公開なんだけど、友達が好きそうな内容じゃないんだよね」

「ああ、あの、海外の有名なミステリー小説が原作の」

「そう、それ!」


 武田さんとは今年初めて同じクラスになり、隣の席になったのだが、同じ小説家が好きと言う共通点から話が弾み、今ではこうして一緒に下校したり、図書館で勉強したりする仲になっていた。彼女もクラスでは目立たない存在だが、野暮ったい眼鏡と洒落っ気のない髪型に誤魔化されているだけで、顔立ち自体は整っている。


 まだどちらからも告白はしていないし、周囲の憧れの的になるような組み合わせでもない。だけどこれが、身の丈にあった平凡な幸せなのだろう。友人たちには軽くからかわれたり小突かれたりしながらも微笑ましく見守られているし、以前より身嗜みにも気を遣うようになった。


「いいんじゃないかな、俺も面白そうだと思ってたし」

「じゃあ決まりね。北条君ならそう言ってくれると思った」


 そう無邪気に笑う武田さんの可愛さを、俺だけが知っている。机を並べながらも女子生徒とは縁遠い学校生活を送り続けてきた俺にとって、彼女と出会ってからの毎日は、ささやかだがまさしく夢のような日々だった。


「いくら受験生でも、毎日勉強勉強はしんどいもんね。たまには息抜きもしないと」


 言いながら、早速武田さんはスマホで上映スケジュールを調べ始める。


 その足に、白い狐が甘えるように身をすり寄せる姿が見えた。



 ――――遠からず俺も、この夢の代償を支払うことになる日が来るのだろう。

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