視界

萩谷章

視界

 あるマンションの一室に住む男のもとへ、友人が訪れていた。ゲームもやり、昼食もとり、何もすることがなくなった昼下がり、二人はただ寝そべっているだけだった。かなり長く沈黙の時間が続き、二人そろって眠りそうになった頃、部屋主の方の男が口を開いた。

「なあ、寝たか」

「寝てないよ」

「じゃあ、話を聞いてくれるか」

「いいけど、それ面白い話か」

「分からん。今から、俺の頭のなかを言葉にして全て吐き出そうと思う」

 その言葉の仰々しさに、友人の方の男は体を起こした。部屋主の男は、自分の腕を枕にして寝そべり、目を半分ほど開けていた。

「よしこい」

「上手く言葉にできるかどうか……。普段から色々考えてしまうんだけど、ときどき言葉にして吐き出さないと、それが頭のなかで徐々に不安に変換されてしまうんだ」

「へえ……」

「まず一つ目な。朝起きたとき、自分が昨日までの自分と同じ確証ってあるか」

「は?」

「例えば、夜眠ってる間、何かしらの作用によって、別の自分になっている可能性を考えたことはないか」

「知らないうちに、自分がそれまでの自分じゃなくなってる可能性ってことか」

「まあ、そういうこと」

「昨日以前の記憶があるんだし、それはないんじゃないの」

「でもね、その記憶が本当に自分の経験したものだと言い切れるか。記憶そのものが、『作られたもの』かもしれない」

「なるほど……?」

「実際そうだったところで何だという話でもないんだけど、考えちゃってさ」

「面白いとは思うが、証明のしようがないな」

「まあね。でも、もっと突っ込んで考えてみると、睡眠って結構不思議な現象だと思うんだ」

「そりゃまたどうして」

「だって、体力を回復させるためにわざわざ長い時間をとっているんだよ。食事なら一時間以内で済むのに、眠るっていうのは、あまりに非効率的な気がする」

「言われてみれば、確かに」

「だろう。これも含めて、やっぱり寝ている間に俺らの体に何らかの作用が及んでいる可能性を考えちゃうんだ」

「それが本当だったら、何だか恐ろしいね」

「だろ。考えて考えて、思考が止まらなくなって不安になる」

「難儀だね」


 部屋主の男は、次の話題へ移した。

「二つ目ね。一つ目と似てるけど、俺らって何か大きなことに巻き込まれているかもしれないなって考えちゃうんだ」

「というと?」

「俺らが、世界で何が起こっているかを知るには限界がある。テレビ、ラジオ、スマホ……。十分多くの情報を得られているが、それが全てじゃないだろ」

「それはそうだな。報道してくれなきゃ、俺らは知りえない」

「そうそう。その、『報道されないこと』のなかにこそ、重要なことが含まれていると思わないか」

「バタフライエフェクトみたいなこと言いたいのか」

「ちょっと違う。俺らが知ることができるのは、いわば『表』の事柄だけで、『裏』の事柄はどうやったって分からない。この『裏』こそ、重要なんじゃないかな」

「恐ろしいこと言うなァ」

「この『裏』に、知らないうちに巻き込まれてたら、こんなに怖いことないだろ。俺はそれが怖くてたまらない」

「まあ、言いたいことは分かるが、知りえないんだから、いくら考えても仕方ないだろ。第一、その『裏』とかいうのが存在しないかもしれない。仮にあったとして、俺らとは遠く離れたどこかの話かもしれない」

「そうなんだけどね……。『もしかしたら』を考えちゃうんだ。全く、悪い癖だと思うよ。普通の人は、こんなに物騒なこと考えないんだろうけどね」

「いや、色々考えられるのは人間の特権さ。それをフルに生かしてるんだから、そんなに悲観することない。お前の一つの特技だと思えばいい」

「ありがたいね」

 部屋主の男は、頭のなかにあった思考を全て吐き出し、気が抜けたような表情で目を閉じ、やがて寝息を立て始めた。友人の男も横になり、間もなく眠りについた。静まり返った部屋の外では、徐々に空が赤くなっていった。


 西日が差す部屋で二人の男が眠っているとき、ある大きな会議室に十人前後の中年の男女が集まっていた。それぞれ、出身国が違う。

「さて、今日の議題は何でしたかな」

「議題というほど大仰なものでもありませんよ」

「確かにそうでしたな。で、今日は何をするんでしたっけ」

「お互いの国の食文化をプレゼンすることになっていましたね。どうしましょうか。まずはどの国から……」

「私は、日本の食文化を知りたいですな」

「私もです。どうでしょう、ミスターワタナベ……」

 大きなセミオート眼鏡をかけた男が立ち上がった。

「では……。まあ、皆さん『スシ』はご存じでしょうから、今回は別のお料理をご紹介しましょう」

 十五分ほどで、渡辺氏による日本の食文化のプレゼンが終わった。続いて数か国のプレゼンが行われ、参加者たちは興味深そうに聞いていた。やがて全ての国のプレゼンが終わり、参加者たちは雑談を始めた。

「いやはや、我々の仕事も楽ではありませんな」

「全くです。世界の陰謀やら何やらの責任を背負わされるわけですから、多少図々しい神経をしてないとやってられない」

「本当は、世界はそこまで複雑にできていないんですがねえ」

「そうですよ。おおよそ視界に入ってくる情報を見ておけば十分なのに、人々はその奥に何かあると思いたがる。何もないのに。神が人間に与えた『思考力』の弊害ですな」

 各国のお偉方である参加者たちは、ときどきこうして会議室に集まる。特にすることもないので、毎回適当なテーマを考えてあれこれと喋っている。今日のように、プレゼンをすることもある。

 世の中には何か複雑な『裏』があると考える世界の人々は、その真偽を国のお偉方に求める。そんな事実はないと言っても人々は疑い続けるから、お偉方は諦め、ときどきこうして集まり、世界の複雑なあれこれを話し合うふりをする。会議室のなかが実に穏やかな雰囲気で満ちているなど、人々は知りえない。次の集まりは四か月後で、テーマは「国民性」。警備員に囲まれながら帰る渡辺氏は、日本人の性質について考えをめぐらせていた。

「規律に忠実なところが褒められるべき点だが、欠点も少なくない……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

視界 萩谷章 @hagiyaakira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ