第20話

「次に、マキネの花の色の濃さをご覧ください。濃く変わった花もあれば、薄く変わった花もありますね」

「花の色の濃さがなんだというの? ねえシェリル、マキネの花って? 飲み物を華やかにするものではなかったの?」


 適当なことを言うから! シェリルが睨むと、ディートリヒは苦笑いを浮かべて顔を背けた。まさか本当に色が変わるとは思っていなかったのだろう。それはシェリルとて同じ。


「このマキネの花は、マキネの木の実の粉末に対して反応し、粉末の量によって色を変えます。量が少なければ薄いオレンジに、量が多ければ濃いオレンジに。つまり、ワインに混入しているのはマキネの木の実の粉末でしょう。マキネの木の実の粉末は、ある効果がある薬です」

「薬だと……?」

「主な効果は、催淫効果。この粉末を体内に取り入れると強い興奮作用が現れ、触れた相手に欲情します。つまり、催淫剤です」

「シェ、シェリルッ! なんてことを言うの」


 セグルスはぎょっと目をむいた。レナも、驚いたようで、恥ずかしそうに頬を両手で覆った。


「しかし、量を間違えると毒になります。心臓麻痺を起こし、苦しみもだえながら一時間ほどで死に至ります。マキネの花は、この薬の量を見極めるために使用します。色が変わらなければ無害、薄いオレンジ色は催淫剤、濃いオレンジ色は毒……といった具合に」


 シェリルはそれぞれの花の色のワイングラスを手で示しながら、ゆっくり説明する。


「濃さがばらばらであるということは、犯人は粉末の量によって効果が変わることを知らなかったのでしょう。また、マキネの木の実の粉末は、すぐに効果が現れ死に至ることから、殺害目的にはあまり使われません。マキネを使うくらいならもっと別の、遅効性のバレにくい毒を選ぶはず。つまり、今回は催淫効果を狙ったものと推測できます」

「……はっ! なぜただの令嬢がそんなことを知っている!? やはりお前が、催淫効果を狙ってレスター様を狙ったんじゃないのか。そんなあからさまなドレスまで着て、恥じらいというものがないのか、貴様のような人間は!」


 セグルスはたまらずといったように立ち上がり、口角に泡を飛ばしながらシェリルを指さす。

 シェリルは黙って、セグルスを見返す。

 

「貴族のくせに、魔法も使えぬ出来損ないが生き残るためには、天才魔術師を手込めにするのが早――」

「いい加減にしろ、セグルス。彼女ほど薬に詳しければ、こんなヘマはしない。むしろ彼女は無実だという証明ではないか」

「しかしですね、レスター様。手が滑った可能性もございます。それに、他に誰がそんな卑俗な薬に考え至るというのでしょう? この恥知らずな女ならば、卑俗な薬を調べる動機も、実行する動機もあるのですよ」

「それはどうだろう? 僕だって、その卑俗な薬の効果も存在も知っていたが。お前は、僕も誰かにその薬を使用する動機があると、胸を張って言うのか?」


 ディートリヒの声はどこか苛立っているようにも感じた。言い返す言葉がないのか、セグルスは血の気の引いた顔で口を閉ざす。

 

(貴族のくせに魔法も使えぬ出来損ないが――か)

 

 身分でいえば、伯爵令嬢のシェリルの方が上のはず。それでも、このセグルスという男は、シェリルに対してだけ、失礼な態度を取る。

 馬鹿にしているのだ。


「お前は彼女をどうにか犯人に仕立て上げようとしているように見える」

「そ、そんな、滅相もない。ただ、この女以外に怪しい者など」

「先入観ばかりで頭を働かせない人間が、よく口のまわることだ。今回の件、別の者に任せた方がよさそうだ。出て行くといい」


 ディートリヒは冷めた目で、扉の方を指し示す。

 

「ど、どうかお待ちを。毒物の事件はわたくしが管理しております。他の者になど」

「ならば、早く捜査にあたりたまえ。僕たちの状況、証言はすべて終わったし、彼女のおかげで犯人の目的にも目星がついた。これ以上ここに留まる意味はあるか?」

「……まだ、その女の容疑が完全に晴れたわけではありません。言い逃れをしようとしている可能性だってあります。警察であるわたくしがいながら、犯人を取り逃したとあれば大問題でございます」

「わかった。彼女の疑いが晴れないというのなら、レスター侯爵家が責任を持って彼女を見張ろう。もちろん、捜査にも協力する」


 そこまでするとは思っていなかったのか、セグルスは目を見開く。シェリルも、思わずディートリヒの方を見た。


「分かったら、さっさと捜査に行きたまえ。レスター家の人員もすぐに呼ぶ」

「は……。侯爵家のお力があれば、犯人などすぐに捕まりましょう」


 セグルスはそれだけ言うと、部屋から出ていった。もちろん、最後にシェリルを睨むのも忘れずに。

 しんと静まり返った部屋。ディートリヒは、ふうとため息を吐いた。


「ひとまず、なんとか収まったかな。こうしないと納得しなさそうだからああ言ったけど、僕はシェリル嬢を疑ってないし見張るつもりもないから、安心してほしい。それとレナ嬢、しばらくは忙しくなると思うから、今夜はゆっくり休んで。僕は侯爵家に戻って、人員を手配してくる。申し訳ないけれど、これで失礼するよ」


 ディートリヒは、うつむく二人に優しく声をかける。

 シェリルをかばわなければ、こんな面倒に巻き込まれることはなかっただろうに。なんてことないように言って、立ち上がった。


「レスター様。あの……ありがとう、ございました」


 それを言うのが精一杯だった。ディートリヒは頷くと、今度こそ部屋を出ていった。


 しかし、貴族というのは噂に目がない。社交界で噂が広まるのはあっという間である。

 ディートリヒの努力もむなしく、出来損ないのシェリルが、天才魔術師ディートリヒを手籠めにしようとしたのではないか、とまことしやかにささやかれたのである。


 ソワイエ伯爵家は、その晩ある声明を出した。

 ――シェリル・ソワイエについて、レスター侯爵家およびネルヴェア伯爵家へ多大なる不手際を働いた責任を取り、ソワイエの名を剥奪することとする。

 と。

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