② 再会でチャンス到来
バックヤードで深く切った指を止血していた。
「だいぶ止まったな」
防水の絆創膏を貼ったところで、時計を確認するとおよそ1時間が経過している。
コンコンとノックの後、すぐにドアが開かれて、店内のBGMがひと際大きくなった。
「泉、お前お客さん入れないだろ? 買い出し頼めるか?」
山内先輩が入って来るなりそう言った。
「ああ、いいですよ」
「いつものにぎわい弁当だ」
過去にはなかったシーンだ。
僕が正社員になってから、弁当の買い出しに行った事は一度もない。
山内先輩がメモを差し出す。
『カレー1
鶏のから揚げ弁当2
生姜焼き弁当2
チキン南蛮弁当1
大盛焼きそば3
のり弁4』
きっちりスタッフの人数分の弁当注文のメモと、事前に預かったお金が入った百均のポーチが渡された。
「それから、これ」
山内先輩はメモ紙を差し出す。
「梨々花ちゃんがお前に渡してくれって。今年から高校生になるから、携帯を買ってもらったらしい」
メモには、電話番号とメールアドレスが、梨々花の手書きで書かれていた。
「あー、ありがとうございます」
これも、僕の歴史とは少し違っている。
あの日、帰り際に梨々花は『高校生になるから携帯買ってもらったの。電話番号とメアド交換しよう!』
と新品のガラケーを自慢げに見せて来た。
それから、毎日彼女から他愛もないメッセージが届くようになり、次第に親密になって行ったのだ。
担当スタイリストとして、これに連絡しないわけにはいかない。
筋道は変わっても、あった出来事は簡単には変えられないってわけか。
「さっさと行って来いよ。第一班が昼飯に入るまであと30分だ」
「わかりました。行ってきます」
山内先輩はこの店の副店長であり、確か僕はこの人の元で技術指導を受けるのだ。
厳しいが、いい先輩だったな。
バイクが趣味で嬉しそうに愛車のハーレーを見せてくれたっけ?
残念な事に、僕が起業して間もなく、バイクの事故で半身不随となってしまうのだ。
それも回避できるだろうか?
そんな事を思いながら、買い出しに出かけた。
「えっと、にぎわい弁当は……、確か、この信号を渡って、あのコンビニの角から10メートルほど先か……」
信号待ちをしている間、街を見回す。
スクランブル交差点の大型LEDビジョンには、4月から消費税が5%から8%に引き上げになるというニュースが流れている。
改めて10年前に戻っているのだと思い知らせる。
信号が青に変わり、群衆が一斉に同じ方向に動き出す。
皆、同じような顔で、同じような足取りで――。
向こう側からも、人が押し寄せる。
その群衆に、ひと際目を引く人物が混ざり込んでいる。
長い黒髪をゆるく後ろでまとめ、耳には小さなピアスが揺れている。
白のスキニーパンツに、透け感のあるロングブラウス。
そういえば、こういう着こなしが流行っていた。
上品な胸元のネックレスが、彼女の透明感を更に引き立てていた。
僕は思わず足を止め、その人物に釘付けになった。
心臓がバクバクと激しく収縮し、血圧を上げる。
僕の真横を通り過ぎた彼女に、意を決して声をかけた。
「保坂さん!」
僕の声に気付き、立ち止まった保坂芙美。
ゆっくり振り返って、陽だまりのような笑顔を見せた。
「泉君! 久しぶり!」
こんなチャンスは二度とない。
僕は信号を渡る事をやめ、彼女の進行方向に一緒に歩いた。
「高校卒業以来ね」
ついさっき、死に顔を見たばかり。
元気そうに華やかに笑う彼女に、胸がいっぱいで、上手く言葉が出てこない。
僕は、今にも泣きそうな顔をしているだろう。
「泉君? どうしたの?」
「あ、いや。まさか会えると思ってなかったから、感無量で」
「うふふっ、変な泉君」
「ちょっと話せない?」
「ごめんなさい。今、急いでるの。大学の卒業パーティで」
彼女はそう言って、目の前のホテルを指さした。
「そっか。農大に行ったんだったね。2年で卒業か」
「そう、大学って言っても、専門学校みたいな物よ」
「何時に終わる?」
「パーティ事態は3時頃には終わると思うけど、夜は夜で二次会があるのよ」
「大事な話があるんだ」
「大事な話?」
彼女はそう言って大きなバッグから手帳を取り出した。
サラサラと何やら書き込んでこちらに差し出す。
「私の携帯番号。泉君も仕事中でしょ? よかったら夜にでも電話して」
「いいの?」
「大事な話があるんでしょ?」
「ああ、そうだ! 大事な話があるんだ。夜電話するよ」
僕がメモを受け取ると保坂さんは「それじゃあ」と、小さく手を振って、小走りで去って行った。
彼女と伊藤は同じ農業大学に行った。
と言う事は、この卒業パーティには伊藤も来ているというわけだ。
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