第1話 《鳥籠の中の一般的あれこれ》


さて。

突然だが、皆さんにとって教会とはどの様な場所だろうか。


とりわけ日本という国は雑多な文化が楽しげに混在している割には

どうも宗教と我々の人生空間とは水と油らしいので、所謂いをゆるカップルだとか、

・・・・とりわけ上手くいっている一般のファミリーだとか、SNSの主人公達とか、

あと所謂カップルだとか、そういった実に羨ましいデコレーション付の人生を

謳歌しているパリピの貴族の人達を時折喜ばせるだけ喜ばせ、それらの

宗教的な匂いは「イベントの終焉」という形でニアミスを繰り返すのみであった。


クリスマスでおれは歯ぎしりを習得したし、年越しにはこたつが恋人である。

勿論、数度に渡る結婚ラッシュは流石におれを憔悴しょうすいさせたが、まあ、自分が結婚

する様子を自分で1mmも想像出来ない体たらくであるから、「教会」なんて

言葉は、おれの人生空間とは正に水と油で、永久のニアミス案件なのだと、

脳の隅っこの百科辞典に栞の様にして挟んでおいたのである。



――――しかし今、おれは教会にいた。

誰の結婚式でもなく、まして無宗教のおれ。礼拝に行く筈もなく、

当然、讃美歌さんびかを聴いたり懺悔ざんげをしたりする用事もない。


『おかしいな・・・昨日は確か、仕事の帰りに一人で飲んで・・・・・』


そうだ、行きずりのチェーン店で大量の餃子を掻き込み、酔っ払った勢いで

自分の影に、ジャッキーも苦笑いのシャドー酔拳すいけんを披露しながら無事、

自宅のベッドにゴールし、そのまま就寝したはずだ・・・

服装もそのまま、ワイシャツに赤茶色のネクタイ、スーツズボンに革靴。

《そこら辺を歩いてる人偏差値》、なんてものがあれば、綺麗に平均点だろう。

普通のプロである筈のこのおれが、普通じゃない所で目が覚めた。

・・・・しかも床で。


教会の中は薄暗く、窓は全て、外側からコンクリートのようなもので

固められ閉ざされていた。扉も開かない。ただ天窓から降り注ぐ

頼りない月の光だけが堂内を照して、かろうじて視界は確保されている。

これは・・・閉じ込められている?

まじか・・・・・・


『誰か居ませんかー!もしもーし! 』

人の気配なんてありはしなかったが、おれは大声で叫んでいた。


『おーーーーい! 誰かいませんかーーーー!!!!』

やはりというべきか、返事はない。

ふむ・・・・・・・・・・


『・・・・・・・・』

すうっ・・・


『ハゲ部長ォーーーーーーーっ!!』


『う●ちーーーーーーーーーーーっ!!!』


おれは叫んだ。

・・・何故なにゆえ、こういう時、小学校低学年の様な言葉を口走ってしまう様に

神は人を作ってしまったのだろう。おぉジーザス・・・・・・・・

場所柄、聞こえていたら、頭に血管を浮かび上がらせて悪魔の見幕

でにじり寄ってくるのは神父様なのだろうけれど、その神父様はここには

いない様だ。・・・・・安心した。いや、安心してる場合じゃないけど。


ともあれ、おれはこんな場所に閉じ込められるいわれは無い。

誰かのイタズラだとしたら手が込みすぎているな。

おれは昨日も今日も年中、いつもと変わらぬ一般的あれこれを抱えて

平凡な人生の街道をゆったり進んで行きたいだけの善良市民だ。

恨みを買う事なんて・・・・・


その時だった。

まさに電撃が走るが如く、おれはある感覚に襲われた!


『・・・ぐお・・・っ!!』


――――便意であった。


これはまずいな、まずいことになった・・・・!

小走りで周囲を駆け回るが、トイレの扉は何処にもない。


ミッションインポッシブル・・・・おれの脳裏にそんなキーワードが浮かんだ。

昔見た映画のタイトル。アクション映画の主人公と自分を半分重ねて中途半端な

全能感に浸ったものだが・・・・・今のおれは無力だ。


『だれかーーーーっ!!!誰かいませんかーーーーっ!!!!!』

『誰か助けてくださーーーーーい!!!』

世界の中心では常に愛を叫びたいと思っていた、あの頃のおれはもういない。

おれが叫んでいるのは便意だ。あの頃のおれが見たら別の意味で泣くだろう。


(やばい、やばすぎる・・・・くるっ!!)


瞬間、ドカンッッ!!

と背後から巨大な爆発音が鳴り響き、おれは反射的に海老反りになって、

両手でお尻を押さえながら前方へ出来損ないの回避行動をとった。


『・・・・・な、なんだ!?』

おれは祭壇さいだんに半分隠れる形で後ろを振り返り、爆発で生じた塵煙じんえんの中に、その原因

を探ろうとした。どうやら石作りの地面がなぜか爆発したらしく、直径1m程の

穴が空いていた。

おれは、そろそろきわに迫っていた便意に加えて、今の爆発音ですっかりお腹を

ノックアウトされかけており、膝を地面に着き、冷や汗をたらしながら地面に空いた

穴を見つめた。


穴からひょこっと、誰かが頭を出した。


・・・・女の子だった。


その子は、地面に空いた穴から頭だけ出して、こちらを見つめていた。


『・・・あっ・・・あぁ・・・っ!』


これは救いか!?・・・それとも絶望なのか・・・!?


二つだ。二つしかない。目の前に現れた謎の少女は救いの女神で、今おれを

救ってくれるのか、それとも、おれはこの少女の目の前で大きいお漏らしをして

しまうのか・・・・・二つに一つだ。一つに二つ・・・あれ、違う。

二つに一つだ。時間の問題に打ち勝って、救済に至るのか

それともみじめに脱糞し、イエスの前で人間辞めるのか。

すると、穴からこちらを冷静に見つめる女の子が口を開いた。


「さて、そんな貴方に朗報です。」

『・・・・えっ!?』

「こんな事もあろうかと、こんなものを持ってきてみました。」


彼女は、そのせせこましい穴から器用に何かを取り出して見せた。

なんとそれは・・・・・・・“おまる”であった!

『!!!!!!!』

「・・・・・ほしいですか?」


高速で噴射され、脳内で跳弾するツッコミの数々を暴力的にねじ伏せ

おれは叫んだ『今すぐくれーーーーーーーっ!!!』


見栄とか、恥とか、声の量とか、汗とか、どうでもよかった。

人間を辞めたくなかった。


女の子はスルッと穴から抜け出し、冷静に呟いた。

「ふう・・・仕方のない人ですね。いいでしょう。差し上げます。」

何か引っかかる言い方だったものの、おれは容赦ようしゃなくおまるを

奪い取り、まるで横取りした獲物を咥えて逃げるハイエナの様な

顔で彼女から10mほど距離を開けて、おまるの使用を試みた。


一瞬の沈黙が走った。

『・・・・・・』

彼女も沈黙を守った。

「・・・・・・」


『・・・・あのぅ・・・そのぅ・・・ちょっと・・・・・』


「何ですか?」


『何ですかって・・・・向こう、向いてて貰えますかね?』

彼女はクスッと笑って体を後ろに向けた。

いや、クスッて笑う要素無いだろ今の。


そしておれは・・・・・・・・・・・・・・・脱糞した。


視界を隠せても、匂いを隠せやしない。

直近のメシは餃子だった。事去る食物の定め。

人は、餃子を食べた後の口臭を気にするものだが・・・

ちゃんちゃら可笑しかった。


「さて、誰も得しない脱糞シーンを終えた所で、そろそろ本題に入りましょうか。」

そう言いながら、彼女はこちらを向き直って、見苦しい姿のおれを

冷静な眼差しで見つめていた。


大事な事なので言っておくが、おれが今またがっている“おまる”は、

その前方にアヒルさんの首が付いているので、丁度彼女の視界をさえぎって

アウトゾーンは見えていない。多分。

ちなみに、確かに誰も得していないが、おれは損しかしていない。


『いや、本題って・・・この体勢で・・・・』

言いかけたおれの言葉を遮るように、彼女は言った。


「森川まさゆき。わたしは貴方を救いに来ました。」


『え?』

森川まさゆき。おれの名前だ。


「森川まさゆき、貴方はわたしと直ちにこの場から逃げ去り、

 わたし達の組織によって保護されなければなりません。」


『ちょっとまった。話が全く見えないんですけど・・・・

 まず、逃げるのはやぶさかではありませんが・・・いったい何故?

 というか、あなたは何処のどなたで?』


沈黙、ともいえない微妙な間を挟んで、彼女は答えた。


「・・・わたしは、Y子。」

「貴方を、救いに来ました。」


“Y子”と名乗る彼女は、こちらの瞳をまっすぐ見つめていた。

透き通るような薄い黄金色の瞳。

色白で、クリーム色のワンレングスは、先端の胸元

で綺麗にウェーブが揺れている。


白いブラウスを黒いキュロットにインし、同じ色のタイツに

パンプスを履いている。簡素で小綺麗だ。

しかし若い。歳は十代に見えるが、わからない。


『助けるったって・・・・』


「時間がありません。簡単に説明しましょう。仕方がないので

 その体勢のまま、落ち着いてよーく聞いて下さい。いいですか?」


おれは落ち着いて、仕方がないのでこの体勢のまま聞くことにした。

なんだこの状況。


ババン!!

「貴方は、命を狙われているのですっ!!!」

ガビィーーン!!

『な、なんだってぇーーーー!!!!』

『・・・って、なんだこの効果音』


「貴方はある機関に命を狙われており、その機関の手によって

 捕らわれ、一時的にここへ監禁されてしまったのです。」


『そんな、漫画じゃあるまいし・・・』


「訳あって、貴方は今一時的に生かされている身。間もなく機関の連中が

 現れて、貴方を処刑場へ連行することでしょう。」


『はあ・・・そうですか。それじゃあこれから、あなたの通ってきた

 穴を通って外に出て、警察に行くことにします。さようなら。』


「無駄です。そんな事をしても、結局貴方は死ぬ事になるのです。」

Y子と名乗る彼女は少しこちらに近付き、おれの目線までしゃがみ込んで、

無機質な目線を向けていた。


『な、なんで・・・?』

「わたしが殺すからですよ。」

『お前が殺すのかよ!』


「嘘だよ」

『嘘かよ!ふざけてんのか!』

コントじゃねえんだよ、とツッコミをいれたかったが、

おまるに座っている手前リーチが届かない。


「よく考えてご覧なさい。その内容物の詰まったおまるを抱えて、

 あんなに小さな穴をどうやって潜り抜けるというのですか?

 貴方の●をたんまり食わされたそのアヒルさんは、貴方の為に購入した

 わたしの所有物です。置き去りも、汚損も不可です。」

いや、そもそもなんであんたが会った事すらないおれの腸内事情を知ってるのか

殺される云々うんぬんよりも正直怖いんだが。


『はー、わかった。わかったから、とにかく嘘とか作り話は抜きにして、

 正直に説明してくれ。何なんだこの状況は。おれがいったい何をして、

 誰の恨みを買ったんだ?こんな所に閉じ込められて・・・常軌じょうきを逸してる』


「その説明をしているのです。」

「貴方の命が狙われているというのは本当の事です。そしてわたし達は

 貴方が機関に殺されてしまう運命から貴方を救うため、からやって

 来たのです。」


・・・んなアホな。


「機関に、この時代の技術力で応戦する事は不可能。奴等も同じく

 未来からこの時代へやって来たのです。」


『未来から凄い科学を使って、何でおれを殺さなければならないんだ?

 おれは何の変哲もない一般人なのに』


「私達の時代は、機関による攻撃で、人類のほとんどが死に絶えて

 しまいました。しかし、希望を捨てずに、反旗をひるがえし、人々を

 導き、機関と闘った英雄がいたのです。彼こそが人類の希望。

 そして救世主・・・機関は、唯一、その救世主を恐れている。」


「彼の名前は “森川まさゆき” つまり、貴方です。

 わたしは、貴方を未来の希望に繋げるため、未来から

 やって来た・・・・アンドロイドなのです!!」


・・・少し考えたのち、おれは真剣に答えた。



『●ーミネーターじゃねぇかっ!!!!』


「なんですかそれ?わたし知りませんそれ。」

『いや、シュワちゃんだろ?アイルビーバックだろ?』

「ターミネーチャンなら知ってます。」

『それだいぶマニアックなパロディじゃねえか!

 むしろ何でそんなん知ってるの!?』

「とにかく、貴方は機関から逃げなければなりません。」

『ウソつけ。』

「ホントです。」


正直、おれは反応に困り果てていた。

目の前の与太話よたばなしは文脈通り、信じるも糞もなく、しかし、だからといって

おれが閉じ込められているこの事実にも説明がつかず、同時に今のおれの状態は、

謎の女の子の目の前で、おまるに脱糞ポーズ(実際にした)を決めて困惑している。


どういう事だ・・・・?ここは神様に聞くにはうってつけの場所にも思えるが、

質問をしているおれのが極めて下劣な為、神様のお付きの天使様あたりに

失笑され、生涯かけて失禁が止まらない刑に処されかねない。

・・・・・この状況に、どういう脈略を持ってきたら理解が通るんだ?

『あー、えっと・・・全然解らないんですけど・・・』

「信じてくださいこのわたしを。」

『証拠見せろ』

「いいでしょう。時間もありませんから、貴方に、アンドロイドである

 このわたしの、ギャラクティカ1千万パワーを見せてあげましょう。」


『なんだそれ、札束で頬っぺたペチーンってするのか?』

・・・・自分で言った言葉だが、下らなすぎて若干後悔した。

「今からこの教会を出るのです。少し下がってください。」

『・・・そうはいっても・・・こんな姿勢なんだよネ』

「ならば踏ん張ってください。」

いや、たとえ何が起こったとて、踏ん張って一体何になるというのだろうか。


するとY子は壁の方を向いて、口をポカンと開いた。


その刹那、薄闇うすやみの中に突如強烈な閃光が走った。


瞬間的に強い衝撃波と爆音が全身を打ち、網膜と聴覚を通じて、光がおれの

体を包み込んだ。それはたった一瞬の出来事だった。

・・・・パラパラと、砂利かなにかが落ちて地面に転がる様な音に気付き、

とっさに閉じた瞼を開くと、なんとY子の目の前には壁は無く。いや、壁に

大穴が空き、壁が壁ではなくなっていたのだ!


『ぎ、ぎゃ・・ゃ・・』


『ぎゃぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!

 お化けぇぇぇ~~~~~~~~~~~~っっ!!!!!』


「違います。アンドロイドです。」


く、口からビーム出しおった!

あまりの出来事で、おれは正直ほんのすこしだけ失禁していたが、不幸中の幸い、

おれはいま丁度、おまるの上にまたがっていたために事なきを得た訳である。

いや、事なきは得てないな。いい歳しておまるの上で脱糞した瞬間から一秒一秒が

大惨事なのだ。


「森川まさゆきさん。」


『!』


「さあ、外へ出ましょう。」


「あなたは救世主・・・・あなたに鳥籠とりかごは似合わない」


冷たい夜風が頬を撫で、彼女の髪がにわかにたなびいた。


石造りの鳥籠から引きずり出されたおれは、それでいて不自由なのだが。

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