シミの吸血鬼

@koro_suke_sikiyoku

吸血衝動

 「いい加減、血以外を食いたい」

 そう思うのはもう血以外のものを口にしていないからである。血は確かに美味い。人によって味が変化する点も面白い。豊かな人生を送っていれば芳醇な香りになるし、苦い人生を送っていれば渋みのあるコク深い香りになる。ブヨブヨに太っていればこってりとした味わいになるし、ガリガリに痩せていればサラッとした味わいになる。血液型でも味わいが変わる豊富な味わいがあるのだが、いい加減飽きがやってきて懊悩の渦に沈んでいた。血以外のものが食いたい。ラーメンが食いたい。かつ丼が食いたい。青首大根の漬物が食いたい。けつねそば、コロッケ入れて。あ?コロッケない?したら、そば屋なんかやめてコロッケ屋でもやらんかい。俺はそばよりコロッケを食いにきとんじゃ。そばは野犬にでもやって、ジャガイモの栽培から始めんかい。畑の土地はあの中央分離帯にあっからよ。などと考えても懊悩の渦はどんどん深くなっていくばかりで、解決策は未だ見い出せずにいる。あぁ、いい加減血以外のものが食いたい。

 男は雨漏りでできたであろう天井のシミを数えながらホゲっと考えていた。東京郊外にあるビルの一室、暗くジメッとした空間で、段ボールのように薄いせんべい布団一枚だけを床に放り投げ、その上で寝転びながら天井のシミを数えながら。暇なのだろうか。いや、暇ではない。はたから見れば、家を失った人間のように写るだろうが、男は今は立派な仕事中。上司から下された待機指示を忠実に守っているだけだ。それも今日で五日目。初日こそは業務命令を忠実に守りフロアーのど真ん中で茣蓙を敷き正座の態勢で誰かが来るであろうドアーが開くのを今か今かと待ち構えていた。しかし、二日目を過ぎたあたりから「あれ?これ忘れられてんじゃね?」という不安が一瞬頭をよぎった。いやいやいや、そんなはずはない。仕事だぜ?絶対にないでしょ。仕事だもん。あ、一句読めたわ。と、すぐに妙な考えを払拭させたが、一瞬でも脳内を支配した不安が身体全体を支配するスピードは早いもので、その日の午後には正座の姿勢は崩壊。茣蓙を窓の外に打ち捨て、別のフロアーで朽ちていたせんべい布団をかっぱらってきた。流石に寝転ぶことはしなかったが、あぐらをかくといった適当な座りの姿勢でドアーを再度見守ることにした。ま、直に寝転んでシミを数えることになんだけどね。

 そして、今や数えたシミの数が1200に達しようとしていた。初日こそ寝ずの番でドアーを見やっていたが、二日目の夜はもういいだろ、何もないし、という投げやりな気持ちで寝ることにした。たっぷり十四時間。前日の徹夜もあるだろうが、寝過ぎではないだろうか。目を覚ました男は頭の隅で仕事をせねばと思ってはいたが、今日も何も無いだろ、多分。と寝転びながらドアーを見やることもなく、天井のシミを数え始めた。始めこそシミの大きさに関わらず塊出れば一とカウントしていたが、よく観察してみると塊の中にもブツブツに分裂しているシミがあることに気がついた。この事実に何人の人間が気がついているのだろうか、もしかしてこの俺しか気がついてない?と思うと、そこからシミ数えの作業は熱を帯びていき没頭。本来の仕事を忘れ、シミを1200近くを数えるまでに達しているのだ。しかし、何故男は人間の血液という、人道を外れたものを口にして生命を維持しているのだろうか。

 それは、男が吸血鬼だからである。それも今年で五年目。会社員で言えば、仕事をほぼマスターし始め調子に乗ってきた盛だ。そんな脂が乗り始めてきた時期にこの仕事。あまりにも虚無の状態が長く呆れ果て、寝転びシミを数え始めるのも無理はない。して、この男がなった吸血鬼だが、今の社会において反社会的勢力やアンモラルな存在ではなく、どこにでも歩いているオヤジのような社会的に認められた存在である。故に、吸血鬼になり組織に所属することになった際には吸血鬼専用の健康保険被保険者証を受理することができるし、銀行に普通預金口座だって作ることができる。この前なんて、早く住民税払えやコラなめとったらあかんどの旨が記載してある文書をもらったくらいだ。住民税払うんだね、吸血鬼も。そんな社会的に普通・普遍の存在になりつつあるもんだから、自分吸血鬼になるんで会社辞めますわ。そんじゃ、さいなら。といった、一昔前では鼻で笑われ失笑冷笑嘲笑を買いそうな冗談も冗談で通じなくなってきた。それもそのはずで、吸血鬼はその珍しさや魅力的で蠱惑的な雰囲気故に人気の存在となっていた。しかし、吸血鬼になることは容易ではなく、選ばれた人間にしかなることができない存在であった。こは何故か。それは募集の方法にて顕著に表れていた。

 世間でもよく知られているように、吸血鬼とは眷属という特定の存在を付従わせることで仲間を増やす手段を取っている。眷属を増やす方法は様々で、吸血鬼に吸血されたり、宗教的・道徳的に良くないことをしたり、死体に影を落とされたり、列挙すれば数え切れないほど多くの方法がある。しかし、吸血鬼が社会的に認められた今、それら規範に反することをやってしまうとあえなく御用どころか、やはり吸血鬼は危険な存在だと社会的信用も剥奪。忌み嫌われ理由のない暴力や誹謗中傷に襲われたり、住む場所も焼き討ち、丸太でドカンと突かれたりしてことごとく破壊。最終的に潮が薫る断崖絶壁の横穴で道行く旅人を襲いながら隠居することになるだろう。さらに、溜まっていた住民税の差し押さえも発生し、金銭的にも散々な目に合うことは間違いないのである。しっかり払おうね、住民税。そういった危惧や危険が横でちらついている限り社会規範に反する方法を取ることはできない。では安牌な手法を取り、一般企業のように求人広告会社に注文して「未経験歓迎!」とか「誰でもできるカンタンなお仕事です」みたいな陳腐な文言を打ち出し、アホな求人を出すべきなのだろうか。いや、そんなことをする必要はない。なぜなら、吸血鬼の求人はスカウト制を採用しているからだ。

 吸血鬼はその特殊性故に、なるにはそれなりの素養と才能が必要になってくる。運動能力や知識、人の交友関係に至るまで様々な項目で突出していなければならない。そこらへんを歩いている一般ピーポーくんの能力で務まるものではない。それどころか能力のない人間は吸血鬼になる手段を取った途端、手足がちぎれ爆発四散。さらに、それで終わりではなく、バラバラになった肉片がビチビチと音をたてながら一箇所に集まり、だんだんと形を成したと思えば、セーラー服を着た女学生風の老婆へと変貌する。右手にはまさかり、左手には端の欠けた茶碗を持ちながら、理性の片鱗を感じることがない目を拵えている。その危険な老婆は腹の底に響く雄叫びを上げたかと思えば、群れを形成するため街中へ逃亡。一大コロニーを形成し、今でも道行く人々にガンを飛ばしている。ヤンキー座りで唾を椀に溜めながらまさかりを担いで。今でも建物と建物の間にある暗い路地では、20人程の老婆の群れを見ることができる。スカウト制を採用する前は「未経験歓迎!誰でもできるお仕事です」方式で広く募集を取っていたのだが、先の老婆を多数排出してしまいそれが社会問題化。やむなくスカウト制へと変更に至ったのだ。採用基準も厳しいものへと変更し、その成果もあり路頭に巣食う老婆は減少。吸血鬼の社会的信用の失墜を回避することができた。しかし、今度は厳しい採用基準により吸血鬼は慢性的な人不足に陥ってしまったのだ。そこで白羽の矢が立ったのが男。採用基準を軽々とクリアし、晴れて吸血鬼になることができたのだ。当時の採用風景はこうだ。

 あくる日、男とその友人は酒を飲み腐っていた際に「なんかこのあたりで怪しいセミナーやってるらしいんすよ、行ってみないスカ?」「あ、そうなんだ、ふーん。じゃ、行ってみるか」という会話があった。酒を飲み腐るのも飽いていたので簡単にこの誘いに乗馬。フラフラとした足取りでセミナー会場に着いてみると、なんかキリスト教っぽい荘厳な感じの彫刻や天を衝くようなパイプオルガン、天使がひらひら踊っている絵画などで装飾されたフロアーに案内された。しまったぁ、場違いな場所にきてしまたなぁ、と尻込んでいたが、案内人の説明によると酒は飲み放題、食い物も食べ放題ということで、此処ぞと言わんばかりに高そうな酒から選んで掻払い、高そうな肉を貪りゲラゲラ笑いながら飲み腐りを再開した。荘厳な雰囲気や美味い酒の力もあり、いい塩梅に酔いが回ってきたあたりでセミナー主催者に話しかけてきた。男とその友人は、酔いも意識もそぞろで相手の話の内容を理解できずふやけた顔でハイハイハイと雑に相槌を打っていたら肯定と捉えられたのか、友人と共に別室へと案内された。そこで真紅色をした液体を手渡され「そいじゃ、一気に飲んでみましょー!」とか言ってくる。怪しい、怪しすぎる。が、酔いにかまけてものを考えることができない男たちは、あんじゃい、珍しいウォッカかなんかかい。なんか得したわ。と、一遍の疑問を抱えることはせずに一息に飲んだのであった。そこから意識が曖昧になり身体にどういう変貌が合ったのか覚えていないのだが、霞んでいく意識の中で友人が爆発四散。肉片が集まりセーラー服を着た老婆になったことだけは覚えている。可哀想に。

 と、こんなことがあり、男は晴れ晴れしく吸血鬼へとジョブチェンジ。厳しい採用基準をクリアしたのかどうなのか怪しいところだが、吸血鬼になった事実は事実としてある。ということは、男は、人より一般ピーポーくんよりワンカップを飲みながら「俺の借金もCHARAにならねぇかな…」と呟いているオヤジより優れているということが証明されたのだ。うはは、俺はすごいぞ、すごいやつなんだと、思い込みそうになるが、実際は酒を飲みすぎて気を失っただけである。

 しかし、吸血鬼になった男はすごかった。頼まれた業務は期待以上の成果を上げ吸血鬼事務所の売上に貢献、みるみるうちに昇進昇格も成し遂げ今では最大手の事務所の営業部でバリバリ現場に出るタイプの部長になっている、というわけではなく、日々献血業者の手伝いをしながら暮らしている。吸血鬼は社会的信用の失墜を恐れるあまり、人から吸血を行うといった危ないことは一切することはせず、献血業者と連携を取りながら余った血液を分けて貰うという業務に従事していた。病気や輸血が必要な人のために献血を行ったというのに吸血鬼に渡すとはこは何事か、と怒りを覚えるかもしれないが、この献血業者と吸血鬼事務所との連携、簡単に一言では纏めきれぬ粉骨砕身たる努力もあり、世の中では献血が一大ムーブメントとなっていたのだ。「抜いて、抜いて、抜きぬかん(血を)」という標語が流行語大賞に選ばれ、血を抜くために献血車両の前に長蛇の列ができる、血を抜かないならここから飛び降りて死んでやるという献血自殺、売血などを目的としたきな臭い商売を行う国家非認定の業者が行う献血闇市の開催、など混沌として妙な状況にを作り出しており、世間の一般ピーポーくん達は献血に対してなんの抵抗感も示さない世の中になっていた。そんな過剰なムーヴメントが起こっているのだから、血はどんどん溜まり余りまくりさて処理にどうしようかと悩む間でもなく、吸血鬼に渡せばいいのではという解決策に到達したのは至極当然である。献血に抵抗感がなくなった一般ピーポーくんも、せっかく採ったんだから捨てるよかマシみたいな感覚なので、すんなりと事を進めることができたのだった。

 男は献血業務を主な仕事として働いていたが、時折、吸血鬼本来の仕事を教えるための研修があった。研修内容は座学、ロールプレイ、実務研修など多岐にわたるもので、その研修の中で吸血鬼はヒト科ヒト属の生物であることを知ったし、長く訓練さえすれば、腕を変形させその下に膜を張り飛翔することも可能になるらしい。その膜を張った様子が西城秀樹のフリンジに似ていることから、影では「ヒデキフォーム」と呼ばれていることも知った。して、吸血鬼の歴史は深いものだから研修の量は一般企業のそれとは比べ物にならず、大体が早くて二年で履修完了できるようなものばかりの大物であったが、男は元来の生真面目さと聡明さで次々と研修を履修。早くて二年かかると言われていたものを次々となぎ倒していき、半年ほどで全てを習得することができ称賛を浴び、周りからは感嘆の声を得ることができたのだった。つか、吸血鬼に研修なんてあるんだね。

 そんな研修を履修し終え男は日々献血業者で働いていたのだが、ある日、上司から「最近頑張ってんね、どう?やってみる?本当の吸血鬼の仕事ってやつを」と提案があった。「マジすか、絶対やります。ああざす。ああざす」と、献血業務に飽き飽きしていた男は即答で受理。その日のうちに上司とともに仕事へと出ることになった。仕事の内容は現場に到着してから伝えるというので、それを疑わずについていったのだが、なぜか今はボロいビルの一角で天井のシミを数える事態に陥っているのだ。あ、今やっとのことで1200を超えました。三日間コツコツ行ってきた努力の賜物です。これから素敵な吸血鬼ライフが始まろうというのに、男はふつふつと不安な感情に支配されていた。「これはもう絶対に忘れられている」という不安である。どう考えてみても五日間、待機指示だけを行い従業員を放置する事があるのだろうか。おかしいではないか。そんなの健全かつ透明性のある業務体系とは程遠いし、なにより研修を一般吸血鬼ピーポーくんたちより早くに終わらせた男に対して行うべき扱いではない。そう、酒を飲み腐ることはあれど仕事においては優秀。そんな吸血鬼を五日間も汚いフロアーで放置するはずがない。だが、明らかにおかしい。いたずらにしても度が過ぎているのではないか。これはもう事務所に電話を入れてクレームの一つでも入れてやろうかな、そしてあの上司をぶっ殺してやろうかな、と考えていると、業務用のスマートフォンがピリリと鳴り響いた。慌てて確認すると、モニターには上司の名前が表示している。きた、遂にきた。やっとのことでこの汚いフロアーから脱することができ、尚且つ新しく華々しい吸血鬼生活の始まりじゃい、フライミートゥーザムーン!と、胸を高鳴らせ電話に出てみると、男の存在を忘れていて業務は四日前ですでに終わっていた。しかも、別れてから三十分も経たないうちに。それも、まぁまぁ良い結果で終わり久しぶりに上司から褒められるなどした。いい気分だったので、そのまま酒を飲み腐っていたら男のことを頭から抜け落としてしまった。本当にすまん。と、謝罪の旨を表す電話であった。はは、なにそれウケる。ならなんか?男は五日間仕事をしていないどころか、空虚なまま天井のシミを数えていたというのか?シミの数も1200の大台に乗ったにも関わらず?窓から投げ捨てた茣蓙が通行人に当たらないように配慮もしたのに?ははは、ウケるね。

 男は激怒した。後の彼による供述によると「キレすぎて記憶が飛び飛びになっている。あまり覚えていない」とのことだが、この大激怒が原因で吸血鬼の社会的信用は地の底に堕ち、献血ブームも一気に収束。吸血鬼は世間から追われる身となってしまった。男も例外ではなく世間を追われ、隠居せざるを得なくなった。今では沖縄の具志頭という土地にある「輝く利権 掴み取れよ軍用地 バルバトス・シティ」という街で神を自称する老人と暮らしている。

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