門の塔

小望月待宵

プロローグ

プロローグ

 朝鳥のさえずりが耳を撫でる。ゆっくり瞼を開いた。冷えた窓からふわふわとチラつく雪が見えた。雪は白く冷たいことを本で読んだことはあるが、まだ6歳の僕は初めてこの目で見た。何せここは火の国バーオボ。少し暖かい国なので冬でも雪は降らない。初めて見た雪に心ははしゃいでいたが、呼吸が苦しく身体の自由が利かない当時の僕は窓から見える景色に目線をやることしかできなかった。


 ――コンコン。

 部屋のドアからノック音が鳴る。この音は母さんだ。


「コウ。おはよう。朝ご飯出来たんだけど……食べられる?」

「おはよう。うん。食べられるよ」

 母さんがベッド横のテーブルに食事を置いてくれた。熱々の”ほうれん草卵粥”だ。


「ありがとう」

 ”ほうれん草卵粥”は、バーオボで風邪や体調が悪いときによく食べられる。冬の間朝食で食べると、身体が温まり厄病を跳ね除けてくれると言われている。


「いただきます……ホグッ……あつ!」

「うふふ。慌てずゆっくりね」

 母さんが作るほうれん草卵粥はとても熱々で本当に温まる。僕の病気が一日でも早く良くなるようにと毎朝作ってくれるのだ。


 僕は母さんの心遣いを嬉しく思いながらほうれん草卵粥を平らげた。

「ふぅ……ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 母さんが満面の笑みで言う「お粗末様でした」を聞くために、ご飯はしっかり食べるようにしている。

「じゃあお皿下げるね」


 ――コンコン。

 母さんがお皿をさげているとドアからノック音が鳴った。この音は父さんだ。


「コウ!おはよう!今日は体調どうだ?……おっ!朝食平らげたんだな」

「父さんおはよう。うん。とても美味しかったからね」

「良いことだ!」

 そう言うと父さんは積み重なった本をベッド脇に置いた。


「読みたいって言ってた本持ってきたぞ。5冊もあるが……多いんじゃないか?」

「大丈夫だよ。2週間もしないうちに読み切ると思うから」

 病床に臥せっている僕の唯一の暇つぶしが読書。たくさんの難しい文字や単語を覚えたり理解できるのは読書のおかげだ。


「ところで父さん。この前貸してくれたこの本のここの文章なんだけど……」

 僕の父さんは書店を営みながらバーオボ火山や鉱山、土地に根付く文化などを研究していて、研究内容を纏めた書物を執筆したり、時には偉い人から文書の作成を任されたりしている。何でも物知りで、分からないことがあれば分かりやすく教えてくれる僕の先生であり憧れだ。


「……なるほど。父さんはいつも分かりやすく教えてくれるからほんと助かるよ」

「礼には及ばねぇさ。それにしてもこの本、6歳で読むにはかなり難しいんだがよく理解したな」

「毎日色んな本読んだり、父さんが質問に分かりやすく答えてくれるからだよ」

 父さんのような博識な人に褒められるととても嬉しい。もっと沢山の本を読んで父さんのような……いや、越えられるくらいにはなりたいなんて密かに企んでいるのだ。


「そろそろお薬飲んで本読みながら少し横になるよ」

「おう。また読みふけって無理しないようにな」

「気を付けるよ」


 部屋に一人きりとなった僕は父さんが持って来てくれた本を読み始める。

 今日は物語の世界に入りたい気分なので小説にした。

 主人公の少年が龍の秘宝を求めて数々の敵を倒し大海原を駆ける物語だ。部屋で寝たきりの僕にはとても夢のような異世界のような話で引き込まれ夢中になって読んでいた。


 すると外から雪ではしゃぐ子供たちの声が聞こえてきた。お昼近い時間になったのかと焦って読書を中断し横になった。

 眠りに落ちるまで窓の外に気を配った。外はゆらゆらと雪が降り、窓の格子には雪が積もっていた。さらに外へと気を配ると、子供たちと一匹の犬が遊んでいるようだった。とても愉快な騒ぎ声。僕もみんなと雪で遊んでいるところを想像してみよう。冷たい雪の感触どんな感じだろう?固い?柔らかい?ベッドよりフカフカなのかな?……あぁ意識が遠のいてきた。

 楽しい雪遊びを想像しながら、薄暗い世界にゆっくりと僕は落ちていった。

 


「ふざけてるのか!」


 隣の部屋から父さんの声が聞こえて僕は目を覚ました。珍しく声が大きい。あれから何時間経っただろう。窓の外は暗くなっていた。


「ふざけてなんかない!私の……呪いのせいなの!」

 ”のろい”とは何のことだろう。目を覚ましたばかりで思考が回らない。


「お二人とも落ち着いて……。坊ちゃんが起きてしまいますぞ」

 この声は……喫茶店とバーを営んでいるヨーゼフさんだ。


「呪いなんてあるわけないだろ!そんなの信じてどうするんだ!」

「あるのよ!あそこには。あそこはそういう場所なの!」

「呪いなんて信じるからだ!それよりコウのこと……」

「信じる信じないの問題じゃないの!」

 母さんまで珍しく声が大きい。二人の口喧嘩をヨーゼフさんが止めようとしているようだった。


 喧嘩はしてほしくない……。僕は二人の喧嘩を止めたい一心で起き上がろうとした。

「うっ……わっ!」ドンッ!

 ベッドから落ちてしまった。すると物音を聞きつけた三人が慌てた様子で僕の部屋に飛び込んできた。


「コウ!どうしたの?すごい音が……」

「コウ!大丈夫か!」

「コウ坊っちゃん!」

 ベッドで寝ているはずの僕が床に転げ落ちているのを見て三人は駆け寄ってきた。


「坊っちゃんお怪我は……?」

「はぁはぁ……大丈夫だよ。それよりもごめんなさい。僕のせいで喧嘩してるのを聞いて止めようと思って……げふっ」

 息苦しくなり言葉を詰まらせた僕をヨーゼフさんが抱き上げベッドに寝かせてくれた。


「びっくりさせてしまいましたね。お怪我はないようで安心しました」

「声が大きかったからな。コウは悪くないよ」

「コウ……」

 母さんは一瞬何か思いつめた表情をしたあととても強い眼差しに変わりこう言った。


「……母さん、あなたのために”門の塔”へ行くわ」


 その表情はどこか寂しげにも見えたが、屈強な騎士を思わせる表情だった。

「マ……マルサ様!!」

「マルサお前まだ門の塔の呪いを……」

「えぇ。コウの病気を治すには行くしかないの」

 門の塔……。呪い……。僕には何のことなのか分からない。


「門の塔って?」


「とても危険な場所よ。二度と帰って来られないかもしれない」

「そんな……!行かないでよ母さん。僕元気になるから。病気治すから!」

 母さんと会えなくなる。6歳の僕にとってとても辛いことだ。


「そうです。マルサ様。坊っちゃんはまだ6歳ですぞ」

「でもあなたには……コウには元気で居てほしいから」


「……コウ幸せになるのよ」


 それから僕は熱が上がり意識が朦朧としていて何があったのか全く覚えていない。

 翌朝少し冷えたほうれん草卵粥だけを残して母さんは発っていたのだった。

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