58 -安堵
——ん
……目を覚まし横を見るとリックが寝ている。
変な夢を見ていて、それが理由で目覚めた気がする。
夢というのは目覚めると内容を思い出せないことが多いからな……
昨日、リックの部屋へ着き、すぐ横になったせいだろうか。
そのまま寝落ちしてしまった。
リックを抱きしめ近くで見るのは、ずいぶん久々に感じる。起こさないように注意して、髪や首まわりの匂いを嗅ぎ、頬にキスをしてから抱き寄せた。残念なことに、キスを何度しても強く抱き寄せても、俺の唇も腕もすり抜けてしまう。
物に身体を重なり合わせ、それを仮の物質的肉体とし、リックに触れた感覚を得られるだけで、実際は抱き寄せになっていない。キスに関しては今、仮の肉体としている物を、頬に持っていく術がない。物質を介さず、俺の本体たる
極僅かであっても触れられた感覚があり、近くにいられる。
俺にとって、重要な時間だ。
それなのに——
現世に関わるな?
多岐に渡り干渉し、人間同士のいざこざや犯罪を起こさせている奴が、それを言うのか?
俺からこの時間を俺から取り上げようとする奴は、神だろうが魔王だろうが、俺の敵。あいつとはまた、一戦を交えるのだろう。もちろん、受けて立つ。
特権を振り
……いかん。
今日は城へ戻る時間を守らなければならない。あと少ししかリックと居られないのに、そんな考えで頭を使うのは、1分1秒とて勿体ない。
昨日は忙しい1日だった。
今くらいは、頭も身体もゆっくり休めなきゃな……
執務室へ行く時間まで、あと1時間と少しといったところか。
※ ※ ※
——かなり長い間、寝ていた? ここはどこだ?
誰かいないのか? と言おうとしたが声は喉を超えられない。
見たことのない、きれいな天井がある。
純白ではなく温かみのある黄色がかった……白い天井……?
視界が激しくぼやけている。
天井と思ったけれど天井かは、わからない。
自分の家でないけど、ハーララの施設……でないのは明白だ。
奴隷の俺をこんな綺麗な場所に寝かせるわけがない。
ちょっと前、妻と子を目にした気がする。
思い出そうとすると、頭の内側に痛みが走り思考が続かない。
全身が痛むが、絶望的な痛みではない……気がする。
首が少し動くので、身体がどうなっているか見てみた。
!!!
身体……いや、頭からつま先まで全身が水の中に沈んでいる。
当然ながら顔も沈んでおり、こんなにも視界がぼやけているのだと気付く。
何かの上に寝ているのではなく、水中に漂っているような姿勢だ。
周りの水は、体温と同じ温度なのか寒くも暑くもない。
水中であるにもかかわらず、呼吸はできている。
誰かを呼んでみようとしたけど、声が出なかったのは水中にいるからか。
肝心の身体を見てみれば、想像を絶して酷い。
我ながら「よく生きているな」と思う状態だ。
全体的に赤身が剥き出し、通常の皮膚めいたものはほとんど、ない。手足は部分的に肉がえぐれ、骨と思しきものが見えている。視界の狭さを考えると、目が片方しか見えていないのかもしれない。
いったい、どうなっている?
疑問だらけであっても、水に浸かり身体がほとんど動かせない。
つまり、何もできない。
不安で心が埋まり、思考が止まりだす。
激しい睡魔が意識を奪い、瞼がとても重い。
何もかもが分からずじまいのまま、再び眠りに身体を委ねた——
※ ※ ※
ハーララの門が壊されるなんてチャンスは今後、絶対にないと思う。城から警備兵が配置される前に、ここから逃げなくちゃ。ここから逃げたくて、後先考えず私は走り出した。体調が悪く悪寒が止まらない身体であっても、ハーララに居続けるのはもっと悪手。
今の体調であっても、仕事をしろと連絡がくる。連絡を無視して行かなければ強引に連れていかれ相手をさせられた後に、そのまま矯正施設と言う名の強制監獄に入れられる可能性大。
矯正完了、それはすなわち死であると、奴隷なら誰でも知っている。
門の外に広がっているのは砂漠だった。攫われ連れてこられた時は、目隠し耳栓をされたまま何かの乗り物に揺られていたので、砂漠に囲まれていると気付けなかった。
今『この国からは逃げられない』と言っていた奴隷仲間の言葉を身でもって体験している。この砂漠を何も持たない奴隷が徒歩で抜けられる術はないだろう。
ある日突然、私の世界は変わってしまった。
人攫いに遭ったあの日は、私にとって最悪な日。
視界を奪い、次に音を遠ざけられる前「抵抗したらこうなる」と、何もしないうちから数回、蹴飛ばされた。数日間、見えない聴こえない状態で、何かの粉を溶いたであろう、塩味のドロドロした食べ物を口元にあてがわれ、摂取を拒否すると蹴飛ばされた。数日間、止まることなく移動が続き……目隠しと耳栓から解放されると、そこには冷たい目をした知らない男らがいて——
……嫌だ、思い出したくない。
ハーララを背にして砂漠へ1歩1歩、足を進めるたびに「私はここで死ぬんだ」と理解した。食料や水を持ってない上に体調はどんどん、悪化する。でも、あそこに居れば体調が悪くても、色々なことをされるだけ。それなら砂漠で1人、死んだ方が遥かにマシ。
死を覚悟して、あの国から少しでも離れたくて砂漠を歩き続けていたら、喋る狼に会ったんだっけ。
……あれって夢?
いんや、夢じゃない。
ケケイシ、と名乗のってきた狼が、私をミックと呼んだ記憶がある。追手が私とケケイシを殺しに来た記憶もある。ケケイシは強かったけど、性格が素直すぎた。嘘を信じて危うく騙されそうだったから、私が最後の力を振り絞って走って、読心術で見たあいつの本心を伝えたんだよね。
走れる体調じゃなかったけど、気力って凄い。ここで殺されるくらいなら——そう考えたら体が動き、やっぱり後先考えずケケイシを助けに向かったんだ。
結果、ケケイシが追手を返り討ちにしてくれて、私は殺されずに済んだ。信用できると感じたら涙がとまらなくなって、獣特有の気持ちいい毛並みにしがみ付いて、泣いているうちに寝ちゃったのだと思う。
うん、記憶が戻ってきている。
ケケイシに寄りかかって砂漠で眠ったはず。泣き疲れて寝たのではなく、体力の限界だった。
そこから記憶がなくて——今。
ここは、どこ?
真っ白なベッドに、真っ白なかけ布団。こんなに清潔な寝具で寝られたのは、久しぶり。温かい布団は気持ちよく、今は悪寒もない。服も着替えさせられていて、上は白いシャツ、下はモコモコの分厚いパンツをはかされている。
ってこれ、パンツじゃなくてオムツ!
……そうだ。
オムツでないとダメだ、と思い出す。
出血が止まらなくて、そのうち、血混じりの黄色いドロドロとしたものまで出てくるようになった。そのうち悪寒が全身に走り、身体は冷えていくのに身体中が熱くて、とても辛くて……
ここは絶対に、ハーララではない。
ハーララがこんな親切なわけがない。
ケケイシも、ここのどこかにいるのかな?
起きあがろうと身体を動かすと、まだ頭がクラクラした。
「リルフィー、まだ動いちゃだめだって!」
「ケケイシ⁉︎」
声の方向を見ると、狼ではなく2足歩行の獣が立っている。
つい最近、知り合ったばかりなのに、懐かしく安心する声に感じた。
「あなた、獣人なの?」
「うん。あの時はおしゃべりする時間がなかったもんね」
「よかった、ケケイシも無事だったんだ」
ベッドの近くまで来てくれたから、私は思わず抱きついてしまう。
ふかふかした毛並みが気持ちいい。
予想に反して、干した布団のような安心する匂いがした。
「おいおいおい!」
ケケイシをビックリさせてしまったみたい。でも、ケケイシがじっとしてくれたので、私はしばらく抱きついたまま彼の顔を見上げ、素直な気持ちを伝えた。
「助けてくれて、ありがとう。また、ケケイシに会えて私も嬉しい」
私の言葉にケケイシは答えてくれる。
「もう、大丈夫。よく、がんばったね。僕もリルフィーにまた会えて嬉しいよ」
そう言われてまた、涙腺が緩んだ——
影の境界線 - 現世常世=異世界 - 九条飄人 @singetumaru
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