35 -避難者達

 嫌雪は背に軽い衝撃を受けたのを覚えている。


 しかし後ろから飛んできた何かが当たれば、軽い衝撃なんかで済む種類のものでないのは肌で感じていた。


 これはダメかも、と思いながらも自分を護ってくれ「クレア達が居る所まで行け」という王の言葉を信じ、ひたすら走る。


 確かに背には何かが当たった。

 一瞬、炎に包まれた気がする。

 それでも身に何も起きておらず、背にボールが当たったような感覚だけだった。


 そういえば。


 あの来訪者は「何故、この国の建物は私の熱で燃えないのか?」と問うてきた。恐らく、自分の身に何も起きず済んでいるのは、それと同じ何かの力が働いていたのだと思う。


(これも新月様の加護に違いない……)


 雪の中、凍えていた時も助けてくれた。今回の灼熱の危機にも助けてくれた。


 今の嫌雪にできるのは、言葉通りに避難を急ぐことだ。


(2度も助けていただき、そのお気持ちを無にしてはならない)


 それだけを考え、通りなれた城内を脇目もふらず走る。


 王はクレア達が居る所へ、と言った。


 たぶんその場所は先日、書簡を届けた執務室だろう。

 一目散にそこを目指す。


 上へ上へ。

 階段を駆け上がり廊下へ出た。


 そこで異変を目にする。


 窓から見えるのは溶岩と思しき、オレンジに光るドロドロとした何かだ。窓の外を流れているが、窓は割れていないどころかヒビの1つも入っていない。風景は一切見えず、オレンジ色の光が廊下を煌々と照らしていた。


 来訪者の問いかけが、今なら心底理解できる。これだけの熱をものともせず、城も城内も無事な理由。他国の者、しかも侵略者からすれば疑問だらけだろう。


 明るい廊下を走って走って、見慣れた扉がやっと見えてきた。


 勢いよく、扉を開ける———


「クレア様!」


 しかし、そこには誰も居ない———


 城に攻撃を受けてからクレアとタロウ、そしてティールとドラリンの2人と2体は手を繋ぎあい、円を作りその場を動かず床にじっと座っていた。


 窓の外に流れる溶岩っぽいものは止まる気配がなく、下がどうなっているか気になるけど今は何もできない。色味は暖かいのに窓から照らされている、そのオレンジ色はとても気味悪いものに見えた。


 連絡が取れない王は無事だろうか。王が尋常ではない力を持っているのは明白な事実だが、単身で神の国へ乗り込むのは不安がある。国が始まって以来、初めてこんな攻撃を実際に受けたのだから、不安は増すばかりだ。


 建前だけでも「現世に関わりません」と詫びるのが正解だったか。

 それとも軍を率いて、反論の旨を伝えに行くのが正解だったか。

 国交のある大国に、意見と助けを求めるのが正解だったか。


 もしくは他に、いい方法が?


 そんな思いがクレアとタロウの中に渦巻いていく。


 ———ま、なんとかなるだろ


 王の軽口が聞きたい。


 少年ぽさを多分に残す見た目の王。

 その見た目とは異なる堂々とした気配。


(私達を安心させてください)


 そう願い、じっとしているしかないこの時間は一体、いつまで続くのだろうか。


「そんな、深刻そうな顔をしないっすよ」


 クレアとタロウの顔を覗き込むような角度で、顔を傾け下から覗き込んで話しかけてきた。


 ティールは12センチくらいの身長しかない、手作り感溢れた粘土人形だ。

 新月丸が手作りし、それに動力である魔素識まそしきを入れ作った物怪。


「新月様から連絡がなくても、僕がここに居るってことは、そういうことっす」

「ぼくもいっしょにもどってきてるんだよ」


 緊張感のない見た目と声が、今は少し心に優しい。


「そういえばドラリン、届けてもらうよう渡した手紙はどうしました?」

「あれはしんげつさまにわたしたよ」

「途中で会ったのですか?」

「うん、たすけてもらった」


 そこでタロウは気付いてしまう。


 騒ぎを起こす可能性があるからこそ、先に丁寧な返信を届けさせたかったのだ。それなのに王が手紙を持ってしまったら、どうなるか?散々、騒ぎを起こした末に投げ捨ててくるか、渡すにしても酷い無礼な方法になるのではなかろうか。それなら、今回の攻撃どころではない危険な状態になりかねない。


「新月様に手紙を渡したのですか!?」

「うん」


 タロウは放心している。

 それを横目にクレアが聞いた。


「あなた達はどうやってここに戻ってきたのかしら?」

「新月様が繋いだエニシエンから戻ってきたっす」

「それが出来ていたのに新月様はお戻りにならなかったのですか?」

「たぶん、相手をあざむきたかったんだと思うっすよ」


 欺く———


 あの王なら欺く手段なんていくらでもあったはずだ。しかし、やり方によっては側近も国民も危険に晒される。力の程がばれれば対策が難しくなるだろう。むしろ相手を油断させ自分の力の手の内を、極力知られることなくあなどられるように、何か計画しているのかもしれない。


「でも命喰魚ソウルイーターフィッシュに襲われたのは失敗だったっす、申し訳ねぇ」

「え?命喰魚?」

「うん、たかいたかいところをとんでいったんだけど、みつかっちゃって」

「あの川には橋がかかっていたはずだけど、使わなかったの?」

「ぼくはあるくとおそいから、とてもたかいところをとべばだいじょうぶとおもったけどだめだった」


 ドラリンとティールは、起きたことを説明する。静かに聞き入るクレアだったが、顛末を聞き終えた所で固まってしまった。あの魚はそこらのモンスターとは違う生命体だ。死が塊となり具現化した存在、とも言われている。あれに飲み込まれ、生きて出てくるなんて絶対にあり得ない。


 それを輪切りにして中から出てくる……


 クレアは何かを決心したような顔でタロウに言う。


「騒ぎを起こしたとしても、新月様は大丈夫よ」

「……」

「私達はできることをして、待ちましょう」

「そうですね」


 ———遠くから駆けてくる足音が聞こえてくる


 そして勢いよく扉が開かれた。

 キョロキョロと部屋を見回す便利係の姿がそこにある。

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