第14話 - 幼い仕返しと心配事

「おーい、お嬢ちゃん」


 去り行く少年の背中を見送ったままの姿勢で呆けていると、ヴィンテージの車を停めた方角から呼びかけられた。見れば、もう口喧嘩に気が済んだらしい二人が手招きしていて、もしかすると呼ばれたのは一度ではなかったかと内省する。慌てて駆け寄り、往路と同じ後部座席へ滑り込んだ。隣の席にセンセ、ハンドルの前には狐塚の順で乗り込み、差し込むタイプの鍵を回せば、機体を動かす準備は万端だ。勢い良くシートベルトを引きすぎて途中で突っかかってしまったので、格闘の誤魔化しついでにドライバーシートの背面へと話しかける。


「今度こそ家に送ってくれんだよね?」

「おう、流石にな。今日の所はお疲れさんだ」

「やった! もー、オレってばクタクタ……」


 漸く伸びた固定具を相方へ差し込み、背後の厚いクッションへ頭の先まで寄りかかった。流れ出す景色と一緒に、一大騒動の舞台だったアパートが遠ざかっていく。来た頃はほんのり曇っていた天気も、今や晴れの夜に近い。この調子ならば、祭りも滞りなく進むだろう。めかしこんだ人々が享楽を謳歌する場所の中には、手を繋いだ親子の姿もあるのかと空想しそうになって、止めた。そんなものは、自分とは縁遠い世界だ。


 窓の外から視線を外して初めて、ふと、先程から隣人がずっと無言だと思い当たる。雰囲気も少し固くて、衝突の最中に尾を引くトラブルでもあったのだろうかと考えてしまう。


「センセ?」

「……ん」


 数拍遅れた返事のトーンまで低めで、いよいよ焦る。叱ったり、落ち込んだりする時の様子は知っているが、そのどれとも違う反応に、真っ向正面から戸惑った。


「え、と」


 言葉を待たれている。線対称な窓に、己の下手くそな面構えが鏡の像を作っていたので、ええいままよとがむしゃらに適当な話題を放り投げた。


「……こ、狐塚サンとのキャットファイトはもういいんスか!」


 あ、終わった。


 切り出す話題の種類に富んでいるとはとても言えない自身の性格と適性上、結局は、ついさっきの出来事から口火を切るしかない。十中八九そこが火種であろう戦地に乗り込みやがった自分の無駄な行動力には、つくづくがっかりである。地雷原に素っ裸で飛び込んだようなものだぞ、阿呆め。


 暫くは気まずい帰路を過ごす腹をくくらなければ――マイナスへ傾き始めた思考は、他二名が不意に吹き出した音で停止した。膝の上に移動を開始していた目の先を動かすと、隣には幾分かいつもの空気を纏い直した教師がいて、バックミラーには、狐塚の笑んだ表情の上半分が映っている。


「っふは……何だ、それ。他に言い方なかったのか」

「でっ、でも、まんまキャットファイトだったし?」

「おれに言い負かされちゃったモンで、落ち込んでんだよなー?」

「エッ、センセだいじょぶ、泣く? あやしてあげよっか」

「……お前の中で俺がどういう立ち位置なのか不安になってきた。赤子か? 狐塚さんも……全く」

「なっはっは」


 いざ戸を開いてみれば、意外に気さくな会話ぶりだ。いや、それどころか、行きの道中よりも仲良くなっているのでは? トラブルがあったと思われたのは、ただの取り越し苦労だったのか。確かに暗い顔色に見えたのだけれど、それは春の夜の仕業か。男同士の親交は奇妙であり、謎に包まれている。きっと世界七不思議の一つに数えられているのではないかと思う。


「頭こっちに頂戴、センセ」

「うん?」


 何やら妙に楽しげな所を遮って招集をかけると、素直に肩辺りからこちらへ傾けてくれた。ので、すかさず両腕で捕獲して、几帳面なサラサラヘアーを掻き乱してやった。片腕を首元へフック状に引っ掛けて、反対側で好き放題するのである。ワックスなしでほぼほぼ決まっている髪だと分かって、尚更に腹立たしかったので、当初の計画より五割増サービス付きにした。


「おまっ、何してんだ! おいコラ!」

「いやー、ホラ、労り? 生徒からの精一杯の愛情的な?」

「嫌がらせの間違いだろうがどう見ても!」


 しっかり脇を締めているから、成人男性といえども簡単には抜け出せまい。案の定、ヘッドロック状態を解くには苦労しているようだ。杞憂で済んで安心したとはいえ、オレを心配させた罪は重いのである。にしても、本当に優秀なキューティクルだ。


「お、仲良しタイムか? 写真撮ってやろう」

「絶対やめて下さい!」

「いえーい、ピースピース」

「やめろと言うに……!」


 先生の反抗も虚しく、都合良く赤信号と渋滞で停車していた車内へ、インカメのシャッター音が響いた。普段から綺麗に身なりを整えている教師の髪が乱れに乱れ、ついでに眼鏡まで傾いているのだから、実に滑稽である。幼い報復にご満悦して釈放すると、即座に両頬の肉をそれぞれの輪郭の外側へ向かって引っ張られた。地味に痛かったが、彼の顔が解れていたので、ちょっとのやり返しは許すことにする。なんてったって、こちらも大人ですから。


 車を降りた後、画像消去を巡る攻防戦が繰り広げられたことは、もはや言うまでもないことだ。

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