第12話 - 祭りの合図

「大体! あまりにも配慮がないとは思いませんか」


 注意も満足にしてないうちから始めるのはおかしいとか、命の危険があっただろうだとか、狐塚に対するセンセの訴えは始めこそ真っ当だった。しかし、話が流れて段々と、次第に風向きが変わってくる。怪我する一歩手前だったシーンから火蓋が切り落とされた、モンペもかくやなオレにまつわる心配事の羅列。保護者然とした口ぶりに耐えかねて、こっそりその場を離れた。あの人は、普段はクールなくせに、時たま、こうして心配性を拗らせて、熱くなるきらいがある。別に悪いことではないと思うが、自分に関わる事柄でそうなるというのは、嬉しさと比べると、どうしても恥ずかしさの方へ軍配が上がるのだ。


「まだ生徒扱いされてる、ってコトなんだろうな……」


 少し離れて眺めたいい大人二人の形勢は、抗議の真っ最中である真面目の権化な教師と、適度に流しながらも一応は聞いてはいるらしい上司で五分五分だ。一回狐塚と目が合って、どうにかしてくれと言わんばかりのジェスチャーを送られたが、己もそこそこ大変な目に合ったので、華麗に見ないふりをする。そりゃ助けてもらいはしたが、それとこれとは別の話であって。半分消えかけているアパートの表札に寄りかかり、暮れ始めた夕方の奥から聞こえてくる、地区の祭日を知らせる放送を遠く聞いていた。街路へ植えられた桜並木を愛で、春祭りの名の下にイベントが設営されるのは、都会も田舎も変わらぬ風物詩だ。


「あの、どうかしたんですか? すごく賑やかでしたけど……」


 目が覚めるように、鮮やかな夕焼けの髪。


 瞼を下ろして環境音へ聞き入っていた折へ尋ねられた、少年らしい声に顔を上げる。物理的な接触まで二歩も必要ない場所に佇んだ、想像通りに中学生程度の男の子が、こちらと、黒塗りの車と、まだ言い合っている二人を順番に見ている。灯火を彷彿とさせる短髪が、微風に軽く靡いている。ぱっちりとした目元、利発そうな顔付き、将来はさぞ女泣かせであろう。


「あー、……害虫駆除? みたいな」

「害虫……」

「こんな身なりのがゾロゾロいたら、まー不思議だよなあ。事件とかじゃねえから、安心していいぞ」

「ああ、いえ! 本当に、何だろう? って思っただけなんです」


 失礼な質問をしていたらごめんなさい。そう頭を垂れる素直な姿は、反抗期がまだ訪れていないように映った。見上げさせている首が大変そうだったので、ひょいと屈む。すると、相手も膝を折ってしまったので、結局目線の上下はあまり変わらなかった。背に負った学生鞄の革地が、しっとり彼に馴染んでいる。


「坊主、近所に住んでんの?」

「いいえ。今日は学校が早く終わったので、寄り道をしていたんです。ほら、お祭りがあるから」

「なるほどねぇ」

「そろそろ車は大変だと思いますが……」


 大通りを使った歩行者天国が始まる時刻はすぐ近く。交通規制で弾かれた車の軍勢で、脇道まで大賑わいになる未来が容易に想像できた。祭囃しで沸き立つ中央から成す同心円の外側は、クラクションと手信号と怒号で大賑わいというわけだ。電車にしても、人、人、人で密集した、押し花でも作るのかと聞きたくなる車両の連続となるだろう。箱詰め押しのけ我先に。靴をボロボロに踏み潰されたい奇特な人以外には、全くおすすめできない。要するにこんな日は、用が済み次第、とっとと帰るが吉なのだ。


「それな。や、早いとこ帰りたいんだけどよー、キャットファイトしてる所へは流石に言い出せねえわ」

「あははっ、キャットファイト」

「上手いこと言ったろ?」


 年相応に朗らかで純な笑顔に癒やされる。制服のマークから推測するに、ここいらでも特に名門とされる私立の、附属中学に通っているらしかった。


「お仕事なんですか? えっと、害虫駆除は」

「多分な。もう散々だったぜ! 急に家に突撃されて引っ張り出されて、よく分からんまま危ない目にも合わされてよう」

「それは大変! 大丈夫です?」


 オーバーな手付きで表現すると、合わせて少しコミカルに反応する。着崩さない上品なブレザーに加えて、コミュ力まで高い中学生である。


「体が丈夫なだけが取り柄だから、なんてことねえさ」

「ふふ。健やかなのは善いこと、ですもんね」

「悪いよりかは楽だぜ、坊主」


 言って、ふと、微笑む彼の名を聞いていないことに思い当たる。


「っと……ずっと坊主呼びってのはあんまりだよな。名前は?」

「ボクですか? ボクは、」


 空に、華が咲いた。焔の種が弾けて千にも億にも散った火花が外へ向かって遊ぶ。祭りが始まる、艶やかな合図だ。


「――っていいます」


 追いかけるように耳を抜けた大輪の花火の音で、肝心な部分が掻き消された。追い打つように、後続の打ち上げが重なる。


「悪い、もう一回――」

「もうこんな時間、行かないと。母が、帰りを待っているんです」


 祭りに乗じて放送されている、一昨年に任へついた女総理大臣のスピーチが一帯を聴衆に変えゆく最中、赤髪の学生は立ち上がった。その拍子に、夕焼けで反射した両の耳朶へ小さな赤い宝石が一つずつ、揃いで飾り付けられているのが見えた。


「それでは、また」


 膝を折ったままのオレが少年を見上げる構図で、朗らかな笑みを口元へ浮かべたままの少年は、最後にそれだけ言い捨てて去っていった。

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