第4話 - えんどう豆の道先

 無機質な響きでもって踵を弾く白亜の廊下が床を舐めて、暑くも寒くもない室内の大気を支えている。その中でも、唯一柔らかい印象を与える建材として採用され、床に貼られた鉱物の不透明さが、不思議と全体と調和していた。


「霊?」


 急に投げ込まれたオカルティックな単語と、相変わらず硬い階層の景色で頭が混乱する。奇妙な話題でも、こう真面目な顔で提示されてしまっては、茶化すのも変だ。


「メンデルの法則は覚えているかな」

「あ、っと……えんどう豆で実験した、遺伝子やらの……」

「そう、それ」


 中学の理科で習った、隔世遺伝に繋がるお勉強。部活の顧問がそのまま担任、ひいては理科の授業担当だったために、寝ようにも寝られなかった授業の日々がフラッシュバックする。座学の全科目は退屈だったけれど、太陽光から分裂した虹色が散る、プリズムの実験は楽しかった。


「劣性遺伝子、って、今は言わないのかな。ともかく、遺伝子には発現しやすいものと、しにくいものがあって、それらが交わった子の代では、発現しやすい特徴のみが表れる。もう一方は、さらに次の代で少数ながらもやっと出現する」


 自然にやや砕け始めた口調の意図は掴みかねるが、そのまま授業の復習へ耳を傾ける。透明なガラス張りの個室へ通され、入り口近くのボタン操作で壁が一気に曇った。体重をかけた椅子の質も上等で、相応の金額が投入された設備であることが察せられる。


「国同士の壁がほぼ無くなって暫く、遺伝におけるマイノリティの血は薄く、広く分布しました。昔、この国で無条件に尊ばれていた黒髪黒目も、既にスタンダードから道を逸れた」

「テストの問題にあった気ィする、それ」


 差し出されたコーヒーに口をつける意欲が沸かず、微糖に調節したもう一杯を優雅に飲む相手の仕草を見守った。面倒事の気配をひしひしと感じるのは、決して気のせいではないはずだ。いざとなったら、暴れてでも逃げる気概でいなくては。


「様々な遺伝子が混ざる中で、たまに、突然変異が起きる。きみの青い髪はもちろん。ぼくの赤い瞳も、この世の常識に当てはめるならアルビノの特徴だし」

「イマドキの検査って、すぐそんなトコまで分かんのね……」

「彼はとても優秀なんだよ」


 言われた通り、少なくとも、戸籍上の母だった人物の髪は黒かったし、葬式で並んでいた数少ない親族の頭にも青はなかった。いくら常識の幅が広がったとはいえど、特異すぎるが故に他人には奇怪でおぞましく映るらしいこの色が発端で喧嘩をふっかけられた回数は、両手ではとても足りない。芯まで冷え切った印象を与える青色ではなくて、例えば、赤色の髪だったとしたら、もっと平穏な人生を送っていただろうか。小さい頃、プールの授業後でしとどに濡れた髪を「おばけみたい」と無邪気な笑顔で言われた棘は、魚の小骨が刺さっているかのように、まだ喉奥に残っている。純粋な嘲笑ほど、救いようがないものったらない。


「前置きが長くてごめんね。ようやく、ここから本題」


 カップを両手で包んで置いたまま、正面の長い睫毛が瞬く。


「突然変異した人は、細胞の構造や仕組みに隙が出来やすい。一見しただけでは、それが分からない例も増えたね。そして、その隙間を埋めるように、ある適性を備えている確率がとても高いと分かったんだ」

「ははあ。それがその、霊的な云々だと」

「話が早くて助かるよ」

「納得はしてないスけど」

「理解してくれさえすれば、今は十分」


 自分はこの人の微笑みより、苦笑の方が好きになれるだろう。眉を下げがちな表情は、完璧すぎて造り物めいた彼の見目よりも、ずっと人間らしかった。


「きみの場合は、視神経が特に顕著かな。人ならざるもの、不可思議なものを目にした覚えは?」

「……まあ、一応」


 部屋の隅に居ついた、謎の物体Xが思い浮かぶ。


「実は、そういったよく分からないもの、判然としないもの、決まった形のないもの――色々言い方はあるけど、総じて思念から生じた、害のあるモノを取り除くのが、ぼくらの本稼業です」

「えっと……ちょい、タンマ」

「うん、いいよ」


 唸る脳味噌で、新手の宗教の類かと確認すれば、笑って否定される。


「むしろ、かなり古くからあるさ」

「厄介ポイント追加」

「そのポイント、頭打ちにならないといいなあ」

「……陰陽師とか、霊媒師とか」

「あ、いい勘してる。路線はそう」


 ゲームや漫画といった、俗っぽくはあってもモチーフが豊かに取り入れられた趣味の知識を掘り起こす。脳内で検索をかけたのは、伝統がありそうで霊に関するジョブや性質、種族。ええと、シャーマン、預言者、天使、悪魔、それから、


「獄卒」


 手あたり次第だった単語に、ビンゴ、と口の形で回答が与えられた。

 と同時に、彼のジャケットの内側へ収納されていたらしい小型の端末が鳴き声を上げる。手短に受け答えをした後、再びこちらを向いた相貌は、獄卒というとんでもなく奇天烈な職と照らし合わせると、整いすぎている事実にすら変な説得力があった。


「お待たせ。どこからだっけ、ええと……そう、ぼくらは現代版の獄卒。あの世に行く前から罪や咎、関連して害なす様々を処分する、国のトップシークレットな公務員、ってとこ」

「公務員」

「公務員。さらにこうして話しているのも、勧誘だったりします」


 ぺらりと見せられた革の小物は、警察手帳と同じ作りだ。要するに、特権もちの特別警察のような位置付けなのだろう。獄卒と銘打ちオカルトチックな問題へ頭を突っ込むことに正当性を裏打って、特異体質を上手に活用しましょうという魂胆か。


 超能力者による捜査をFBIがやっただのどうのという話題は昔こそありもしたらしいが、種明かしをしてみれば、マダム・モンタージュことナンシー・マイヤーはそもそもFBI所属の人物ではなかっただとか、透視が外れた所を全てカットして報道されただとかで。


 その真偽はともかくも、日ノ本における正規版がこの部署らしい。触らずとも分かるきめ細やかな、それでいて生き物から剥いだのだと伝わってくる細かな模様を携えた黒い生地の上へ、鈍く光るエンブレムが硬く座り込んでいる。


「……ちなみに聞くと、拒否権とかは……」

「……ごめんね?」


 隠れたつもりはなかったが、かくれんぼで鬼に見付かった。雑踏が物陰だったと知るには遅すぎやしないか。筋は通っていても突拍子はない概念と出会ったその日に応募した覚えのない雇用通達とは驚いた。今朝まで、フリーター街道を全速力で走っていた筈が、とんだヘッドハンティングである。


「急な話だけど、検査結果は上に行くから誤魔化せないし……大学の卒論とかは諸々免除で無事卒業、って手はずになると思う」

「うわっ、そこは魅力的」


 ひとまず日を改めようという提案を呑み、椅子から立つ時にひっくり返ったコーヒーが今日の運命を決定づけた資料の郡を浸したのを見て、自分がその実、盛大に動揺していることを知った。

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