第40話 存在の糸を紡ぐもの

「ぷはぁ!」

「あっ! ひどっ! それ酷くない!?」



 現実に戻って来た途端、ガバリとノアから身を離し、リーンははぁはぁと荒い息をつく。



「え〜、俺だって流石に傷つく心は持ち合わせてるんだけど……」

「そんなことより、先にやることがあるでしょうが!」



 そう言ってリーンは、傷ついたそぶりを見せるノアを叱咤し、そのまま次にすべきことの指示を出す。



「できるだけ魔物化した人たちを一箇所に集めて。一人一人やるより一斉にやった方が早いし負担が少ない」

「それ……、あいつらも戻すの? いっそそのままにしておいた方がいいと思うけど」


 

 ノアがそう示すのは、グレイブとアニーの二人だ。



「……反省させるにしても、人間ひとに戻してからのほうがいい」

「リーンがそういうならそれに従うけどさ」



 相変わらずお人好しだね、とノアが揶揄からかうように笑う。



「じゃあとりあえず、一旦全部まとめてこっちに集めるか」



 軽い調子でノアがそう言って手を振ると、一斉に魔物化した人間たちがリーンの前にどさりと転移させられてくる。



「――は?」

「っだよこれ!? 突然なんだってんだ!?」



 あまりにも規格外過ぎる所業に――なんといっても、おそらくこの村にいたであろう魔物化した人間たちが一斉に集められたのだ。それも、触れることなく、ただ腕を振っただけで――リーンは意味がわからないと声を漏らした。



 その転移させられて来た中には、レナードたちも含まれており――。



「リーン!? と、旦那……」



 いつのまにかレナードからの旦那呼ばわりが定着されているノアだったが、そのことには特に気にも止めす、ノアがリーンに言い放つ。



魔物あいつらは俺が押さえておくから。好きなタイミングでやっていいぞ」

 


 結界を張り、魔物たちを身動き取れないよう押さえつけているノアが、リーンに向かっていつでもどうぞと言ってくる。



 その言葉を受けたリーンは「わかった」と答え、すう、と大きく息を吸う。



(……見える)

 


 意識を集中させると、リーンの目にはそれぞれの魔物たちがかつて人間であった時の姿が重なって見えた。



 なりたくもなかった魔族にさせられて、泣き叫ぶ者、嘆く者。

 可哀想だと思うのと同時に、この村に来るまで自分が気づかずに打ち倒して来た、この辺一帯にいただったであろう魔物たちを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。



(だめだ。いまはそれよりも、こっちに集中しないと)



 意識を集中させながら、リーンはおもむろに口を開く。

 そして。



 決意を込めて、



「変われ」



 と。

 ただ一言、言葉を放つ。



 ただそれだけで、ノアによって結界に閉じ込められていた魔物たちが、一斉に人の姿に形を戻したのだった。



「なんだ……!?」



 そばで見ていたレナードたちが、信じられないものを見たと驚愕の声を上げる。



「魔物たちが人間に戻った……?」


 

 理解が追いつかないレナードがこぼす言葉に答えようとリーンが振り向こうとしたが、あえなくも叶わず、がくりと膝の力が抜けてしまう。



「おっと」



 リーンが崩れ落ちる前に、ぱっとそばに現れたノアがリーンをさっと支えた。



「あ、ありがとう……」

「流石に、あれだけの量を一気に変えるとしんどいだろ」



 支えてくれるノアに寄りかかりながら、なんとか体勢を立て直そうとするリーン。

 そんな二人に向けて、レナードたちがいまだ驚愕から抜けきらない表情で、しかし心配そうに駆け寄ってくる。



「いや、って言うか……お前らマジでなんなんだよさっきから。魔物化したやつらを人間に戻したり、一斉に人を転移させたり……」



 やってることが人の範疇を超えてるんだけど、とレナードが呆然と呟く。



「さあ――? なんなんだろうなあ」



 と、ノアがレナードの問いにいつもの調子で空っとぼけた時だ。



「は――、嘘でしょう……!? 僕の契約者たちが……」



 錬金術師になりすましていた魔族が、目の前の惨状を目の当たりにし、信じがたいものを見た衝撃に顔を歪ませる。

 


「……ノア! あの人たちを全員避難させて」

「あいよ」



 リーンのその一言だけで、ノアが再び片手を一振りし、その場に倒れ伏していた人間たちを全ていずこかに転移させた。



「……リーン、なんかさっきからひと遣い荒くない?」



 さっきから俺、大盤振る舞いなんだけど――と不満を漏らすノアだったが、リーンはそれを無視して、目の前に現れた魔族に意識を向ける。

 そうして、リーンに目線を向けた魔族は、自然その隣にいるノアにも目を向けることとなり――。



「は……、貴方は……」

「久しぶりだな。”代償”」



 ”代償”と。

 ノアがその魔族に向けて呼んだそれが、この魔族の名前なのだとリーンは少し遅れて気づいた。



「なぜ……、そんな。皆、貴方の姿が消えて、探し回っていたと言うのに……」



 どうして、と困惑したまま問う”代償”に対して、ノアは相変わらずの飄々とした様子で。



「探してくれなんて、俺が頼んだか?」



 と――。

 そう言って、”代償”に向かって嫣然と答えるノアの姿は。

 知ってしまったからだろうか。隣で見ていたリーンの目には、まさしく魔王のそれにしか見えず。



「無責任ではありませんか! 幾千幾百もいる眷属を放っておいて!」

「そうは言われてもな」


 

 今やもう、眷属でもなくなってしまったわけだし――と。

 魔族の言葉その通り、無責任極まりない発言でノアは”代償”の言葉を受け流す。



「お、おい。どういうことだ……?」



 二人のやりとりに、レナードがリーンに向かって説明を求めてくる。

 問われたリーンも、どこまで説明したものか――。

 いやまず、この状況を打破しなければと、リーンも会話に踏み入っていく。



「ノア」

「……人間風情が! 割り込んでくるなど目障りな!」



 ノアに話しかけた瞬間、激昂した”代償”に魔術での攻撃を仕掛けられる。

 ――躱そうと思えば躱せた。

 しかしそれよりも先に、それを防いだのは――、ノアだ。

 リーンをぐっと引き寄せ、庇うように後ろに下がらせる。



「な……」



 そうして、”代償”の放った魔術は、ノアが張った防御結界によって阻まれる。



「なぜ人間を庇うのです!?」

「違うな。庇うのは人間だからじゃない。こいつリーンだからだ。――残念ながら、俺はもうこいつに手綱を握られてしまってるんでね」


 

 そう薄く笑いながら、ノアは”代償”の言葉に答えた。



「さて――、どうする? お前が望むなら、お優しいこいつリーンはきっと、お前のことを人間にしてくれて見逃してくれるだろうよ。お前が望むならな」

「――人間に……?」

 


 ノアの言葉を聞いて、”代償”が微かな逡巡を見せる。

 見せたように――、リーンには思えた。



 しかし。



「そんなこと……! 望むはずがないでしょう! この僕が! 人間などにと……!」

「交渉決裂だな」



 じゃあ、後は任せた――と、ノアはそれまで後ろに匿っていたリーンを、ぽんと矢面に押し出した。



「は――?」



 あれだけあおっておいて、尻拭いは私にやらせると!?



 あまりに自分勝手なノアの振る舞いに、リーンは思わずギッとノアを睨みつける。



「人には役割ってもんがあるだろ。俺はちゃんと後方からサポートしてやるから」



 頑張れよー、と。

 いつの間にか、背後の家屋の屋根の上まで転移したノアがこちらに向かって応援するように手を振っていた。



 あいつ……!


 

 全部終わったら、覚えてろよ……! と、怒りを戦いへの闘志に無理やり変換させながら、リーンは再び”代償”へと向き合った。



六魔公ろくまこういち、”代償”。僕がお前に、地獄を見せてやる――」



 こうして、戦いの火蓋は切って落とされたのだった。

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