美少女戦記マジックエンジェルほたる

長尾景虎

第1話 美少女戦記マジックエンジェルほたる


マジック

エンジェル 

ほたる

   

~JUST NOW 2050~ほたる、魔法のような出会いで覚醒

                -MAGIC ANGEL"hotaru-




    …”The future is not a gift;

             It is an achievement”…

”封印”のお札で戦う戦士たち!

 魔物たちを倒せばひとつだけ”願い”が

 叶うというが……!



                total-produced and presented and written  by

                           NAGAO Kagetora

                             長尾 景虎

 美少女戦記マジックエンジェルほたる  あらすじ


 物語は西暦2250年、近未来都市東京の隣県の埼玉県青山町から始まる。主人公は少し頭の悪い、アニメおたくの女子高生の螢だ。(螢とその親友の由香は、テストでわるい点ばかりとっている。)螢たちの学校では今度、テストがあるという。彼女らはカンニングを考える。そんな時、妖精が異世界からやってくる。そして、地上を支配しようと企む魔界の人間から地上を救うようにと螢たちに”変身”のペンダントを渡す。しかし、螢は妖精セーラを利用して、カンニングをしていい点をとってヤニあがるだけ。そんな中、親友の由香が魔界の人間に襲われる。それを救けたのが、マジックエンジェルに変身した螢だった。ノートにある魔物たちを倒せば何でもひとつだけ”願い”を叶えてくれると…

 たすかった由香の夢は画家になること。そこで彼女は絵画制作に没頭する。そんな中、由香の尊敬する父(画家)が個展をひらくことに。彼女は螢や仲間たちとともに個展にいく。しかし、そこでも魔界の人間が現れ、ついに由香もマジックエンジェルに変身。敵を倒す。ふたりは戦士として、魔物たちと闘うが苦戦する。

 学校ではいつものようにふたりは”出来そこない”。そんな時、秀才の黒野有紀と出会う。彼女は、学校一の頭のよさだが、友達がいない。そこで螢たちは有紀と友達になる。 ある時、彼女は捨て犬をひろう。そこで家に帰っていくと、母親に叱られる。学校の成績も落ち、絶望して家出する有紀。そんな彼女に、魔界の敵が襲いかかる。ついに有紀もマジックエンジェルに変身。敵を倒す。三人になったMA。それから第四の戦士、不良娘の美里も登場して、戦士に覚醒する。そして四人は、いままでのように自分のためでなく、地上のため全宇宙の人類のために戦うことになるのだ。

 天才的頭脳を持つけど人とうまく話せない有紀、友達のいない不良の美里、”出来そこない”の螢と由香たちの、ヒューマン・ファンタジー。

 では、ハッピー・リーディング!


原作/脚本キャラクターデザイン(原案)/音楽hg/企画/総合プロデュース 

      ………上杉 景虎

    

      ………大谷 幸氏(サントラ)、hyper groove(オープニング・テーマ曲)



    主人公および脇役の声優

      1)主人公  青沢 螢  ………………  横山 智佐

      2)     赤井 由香 ………………  富沢美智恵

      3)     黒野 有紀 ………………  井上喜久子

      4)     黄江 美里 ………………  折笠  愛

      5)     セーラ   ………………  美山 加恋

      6)作家/TP緑川 鷲羽 ………………  緒方 恵美

      7)医者   Dr.中山 ………………  天野ひろゆき

      8)     鈴木先輩  ………………  山口 勝平

      9)アイドル 鈴 春麗  ………………  上戸  彩

      

物語の内容

   物語は西暦2050年近未来都市東京の隣、埼玉から始まる。ある日、妖精セーラが天界から地上にやってきてケガをする。それを救ったのが主人公の高一の美少女青沢蛍だった。彼女は美人だが頭が悪い。セーラは伝説の戦士「マジックエンジェル」を探していた。そこで蛍や友人の由香らに目をつけることになる。いろいろあってセーラは蛍たちを伝説の戦士に覚醒させるのに成功。地上の支配を謀る魔界の敵と魔物封印のお札で戦うのだった。(変身などしない)それは一見簡単なことのように思えたのだが…。

”封印”のお札で戦う戦士たち!魔物たちを倒せばひとつだけ願いが叶うというが……
















  第一章 マジック・エンジェル

 VOL.1 蛍とセーラの出会い

       マジックエンジェル・ブルー覚醒



 青沢螢は、親戚の叔父さんに買ってもらった宝クジで3億当たって、狂喜乱舞した。 蛍は夢をふくらませた。大金を手にして、興奮し、それから螢は強烈なフラッシュの光を眉間に食らった気がした。螢は目を覚まし、息を呑んだ。見覚えのある担任の神保の怒り顔があった。間違いない。螢は授業中に居眠りしていたのだ。宝クジ当選は夢だったのだ。今は、西暦2050年の近未来都市・東京の隣県、その学校の授業中である。

 螢は頭頂から爪先まで、冷気が走るのを感じた。そして、がつん、神保に殴られた。螢はレイジー(怠け者)で努力もしない。で、アニメ番組や少女コミックを読みあさる。まったくの”出来そこない”。

 だけども、その分、螢は可愛らしい顔をしている。丸い顔、長くてさらさらした髪、大きな瞳、全身が細くて肌が白い。胸はけしておおきくないけれども、それは少女らしさを現しているともいえなくもない。そして、これがチャーム(魅力)だ、といえばいいのか、性格が明るいのだ。極めて社交的であり、オプチュミストだ。百六十センチで、制服姿だ。 螢という少女に負けず劣らずの”出来そこない”もいる。しかも、蛍のすぐ近くに、同じクラスにいる。それは蛍と同じ埼玉県青山町学園一年の、赤井由香という少女である。 この螢の同級生であり、親友でもある由香も、やはり「お勉強」ができない。性格はどうかといえば、ひたすら明るい元気印の少女である。これは救いか(?)。そして、蛍に負けないくらいルックスはいいのである。螢と同じ、百六十センチで、制服姿だ。

 由香は蛍のような童顔ではないけれど、大人の魅力があるわけでもない。ある意味では「小悪魔」的な美少女である。髪の毛はセミロングで、後ろ髪がピンとはねている。瞳は猫のようだ。全身が細くて肌が白く、腕も脚もスラリと長い。彼女はナイーヴだ。

 英語のナイーヴには、天真爛漫、素朴な、という意味がある。この言葉こそ由香にはふさわしいのかも知れない。青山町学園の女の子の制服は、黒色のセーラー・スカートに、純白のワイシャツ、胸元には赤いリボンをアクセントにつける。冬にはベストを着るわけだがあえて触れない。平凡な日々。…平凡な学校。緑の蔦と苔に覆われた壁はやや古ぼけてもみえる。いまはけだるい午後だ。

 学校は、期末テストの前日をむかえていた。

 蛍はニヤニヤと笑いながら、それでいて少し困った顔で、机に腰かけて、向かいあっている由香に、顔を真っ赤にして興奮して、それで抑圧のある声で、

「もおっ。なんでテストなんてもんが、この世の中に存在する訳?なにが期末テストよっ…そんなものどっかへ飛んでっちゃえ!ってなもんっしょ!」

 と、オーバーなジェスチャーで蛍はいった。さすがに「お馬鹿さん」である。話しに品がない。

「本当よねっ。テストで人間のなにがわかるっていうの?!お勉強なんて出来なくたって、成功したひとはいっぱいいるじゃないの!」

 由香は少し声を荒げて、少し早口で言った。そして続けて「例えば、エジソンとかアインシュタインとかホーキング博士…それから…それから…えーと、…エジソンとか……エジソンとか…」 声がしぼんだ。その瞬間、由香は心臓に杭を打たれたような感覚に襲われ、言葉を呑んだ。

 知性のない由香にとってはご立派な言葉ではある。確かに、エジソンもアインシュタインもホーキング博士も勉強は出来なかった。エジソンが幼少のときに「出来が悪い」ので学校を追い出されたのは有名な話しだ。しかし、天才とはそこからが違う。ちゃんと努力をしたのである。「発明とは一%の霊感と99%の努力である」

 エジソンの有名な言葉だ。天才の彼でさえ、努力を続けたのである。そういった意味でいえば、努力もしないで「将来はお金持ちになりたい」などという輩は、ただの怠惰であり、限りなくアグリーなのである。

「もぉ、いっそのことさぁ…」

 蛍は小悪魔のような可愛らしい微笑みを浮かべた。そして「やっぱさぁ…」と小声でいった。なにか火照ってくるような感情の高鳴りに、心臓の鼓動を早めた。

「やっぱ…何よ?」由香は皮肉っぽくきいた。

「カンニングでもしちゃおうよ!」

「えぇ…っ??」

「私たちが救われる道はただひとつ、よ。カンニングっきゃないっしょ?やっぱ、さぁ」「でも…ねぇ。あんたはプライドってもんがないからいいけどさぁ。私の…芸術家としてのプライドが許さないのよねぇっ」

 蛍は嫌味ったらしく笑って、「あははは…由香ちゃんってばっ!!この前のテストで6点とっといてさあ。ブラインドウもなにもないじゃんよ!!」

「ブラインドウ?馬鹿じゃないの?!…そ、それに、あんたは0点だったでしょ!!」

 由香は真っ赤になって怒鳴った。蛍は、カラカラと笑っている。はっきりいってどっちもどっちであり、ふたりとも低レベルである。

「蛍ちゃん、由香ちゃん、カンニングなんてダメよっ!」

「そうよ、そうよ!」

 友達のあやと、良子、奈美がやってきて口をそろえた。この意見は至言である。しかし、この三人の女の子のルックスとかはあえて触れない。単なる脇役だからだ。

 夕方となり、辺りはオレンジ色に染まっていった。淡い黄昏…そんな雰囲気ではある。辺りがしんと光り輝くような。

「じゃあ、由香ちゃん、また明日ね!」

 蛍は校門で由香と別れて、元気よく駆け出していった。別に何をするわけでもない。ただ、好きな少女コミックとアニメ番組をみるのが蛍の習慣になっているのだ。

 チャンスはある意味では突然やってくる。突然、何のまえぶれもなく、いきなり目の前に訪れる。しかも、ほとんどの場合、人生において一度だけ訪れる。極言すれば、千載一遇の好機はたった一度きり、ともいえる。掴まなければ、暗い闇だ。

 平凡な少し頭の足りない美少女、青沢蛍にとってもやはりそうであった。

 彼女にとってのチャンスとは、妖精セーラとの運命的な出会い、であった。妖精…とは甚だコミカルだが、実は、この物語はファンタジーなので仕方がない。

 ひと気のない住宅街の路地を悠々とかっ歩していた蛍は、フト、何かの微かな音をきいて足をとめた。落ちつかなければと焦れば焦るほど動揺し、足の力が抜けて、もつれた。「なんの音かなぁ?…もしかして大川なんとかみたいにキリストの声とかがきけるのかなぁ?そうしたら本でも出版してお金をガッポリいただいちゃうっていうのもいいなぁ。でも……なんだろうなぁ?」

 左右に目を配っても何もみつからない。風を切る微かな音。何かの迫る気配!でも、何っしょ?!

「い、痛いぃぃっ!」

 蛍は顔面に直撃をうけて、少しよろけてしまった。突然に、何かが、彼女の頭上から降ってきて顔にぶち当たったのだ。螢は一瞬、棍棒で頭を殴られたような感覚に驚いた。

「な、なんだっていうのっ…もぉっ!」

 蛍は顔に手をあてて情なく叫んだ。

 そして、アスファルトの路上に横たわって動かない「あるもの」に気付いて動きをとめた。彼女はたいして驚かなかったけど、しばらく冷水を頭から浴びせかけられたように立ち尽くしてしまった。呼吸が荒くなり、心臓が早鐘ように高鳴った。

「な、な?!まさか、これって…」

 やっとのことで声がでた。そして、「これってば、妖精じゃないのさぁ!」

 そうだった。路上に横たわって動かないものとは、天空から降ってきた(墜ちてきた))妖精セーラだったのだ。死んだのか?それとも気を失っているのか?妖精はピクリとも動かない。

 妖精というくらいだから、身長は25センチもない。顔も全身も手も何もかも細く白く、睫がやけに長い。髪の毛は「栗色」でロングであり、ソヴァージュがかかっていて、可愛らしいリボンまでつけてある。洋服はフリルつきのもので背中に羽根がついている。とにかく、可憐でピュアな妖精だった。

「…死んじゃってるのかなぁ?」

 蛍は妖精に近ずき、顔を覗きこみながら囁くように心配していった。妖精セーラは傷だらけでボロボロだった。透明にちかい羽根にも愛らしい顔にも傷がついていて痛々しい。 とにかく、ここに放って置くわけにはいかないわ!蛍は、そっと、優しく妖精を両手で包み込むと胸元にだいてバッ!と駆け出した。

 自宅へ!

  夜もどっぷりふけていた。蛍は夕食を素早く済ませると、すぐに自分の部屋へと戻った。ー乙女チックな部屋である。カーテンもベットもどこもかしこもピンク色の「少女らしい」部屋だ。彼女は、そうしたてきらきらとした空間を命がけで愛した。

 蛍は、心配そうにベットに近付いた。彼女は、あの「妖精」を誰にもみつからずに部屋まで運ぶのに成功していた。ピンク色のベットに、妖精は寝かされていた。一応、水タオルらしきものを額に当ててもらっている。これは蛍の「博愛」の証しだ。彼女には、こういう人間性もある。それは、しんと光るようなものだ。大事な、愛の証し。

「人間にとって忘れてはならないのは人間性だ。血も涙もない人間に誰がついてくるか!人間性とは何か?それはすなわち「愛」にほかならない。愛とは何か?それはけして見返りを求めることなく与え続けること」

 鉄の女、マーガレット・サッチャーの言葉だ。この言葉は尊敬に値する。

「…う…う……うん」

 妖精セーラは、そううなるように声をあげた。そしてセーラは少し頭を軽く振った。なんだか視点がぼやけたが、それはあまり気にしなかった。しかし、次の瞬間、セーラは思いっきり驚いた。なぜって?それは、

「あのぉ。妖精さん、お体は大丈夫かしら?」

 と、目の前で覗きこんでいた少女がオドオドと尋ねてきたからだった。まさか…そんな!「…妖精さん…お名前は…?喋れるの…?」

 蛍はオドオドと、微笑を浮かべてさらにいった。セーラは唖然としながらも「あ、あなた…私の姿がみえる…の?」とやっとのことで声を出した。とても可愛らしい声である。「妖精の姿は、普通のひとには絶対に見れないものなのよ。みえるのは、赤ちゃんかもしくはある種のパワーをもったような…」

「パワーって何っ?白い粉状の?」

「いいえ。…それは、つまりその……」そう説明しながらも、セーラはハッと気付いた。 まさか!この娘が?!…でも、まさか、ね。

 セーラはオドオドと「あなた…まさか…」といって、フト、言葉をにごした。この可愛らしいが、見るからに頭の悪そうな少女が、自分の探していた「戦士」だなんて、とても思えなかった。

「でも…まさかねぇ。伝説のマジックエンジェルが…まさか、こんな娘だなんて」

 セーラは顔をプイっと横に向けて、ニガ笑いして独り言をボソボソと言った。

「マジックエンジェルって、何っ?」

 蛍は元気いっぱいに明るくきいた。この少女はほとんど人の話をきかない。いや、それを理解するだけのメンタリティがないのだ。コギャルだかマゴギャルだとかみたいなのと同じだ。つまり、頭が悪いのだ。しかし、どうでもいいことだけは耳にする。そして、たまに傷ついたりもする。極めてナーバスなのだ。

 おかしな話だ。この青沢蛍という少女のどこにも「恋の悩み」だとか「生きていく苦悩」だとか「死への恐怖」「心の葛藤」といった心理が感じられないのに…。

 セーラは少し戸惑って、目を丸くした。あまりのことに動悸を覚え、手足が震えた。

「あ、あのねぇ。…そういえば!まだ、あなたの「お名前」をきいてなかったわよねぇ?」「私のお名前?!私は蛍(ほたる)!青沢(あおざわ)蛍よ。齢は十六才、キャピキャピの高校一年生で、趣味は少女マンガとアニメをみることかなぁ」

 蛍は嬉しそうに愛らしい微笑みを浮かべながら「それとただいまボーイフレンド募集中なのよっ!ビルゲイツみたいな億万長者。…そうだ!…妖精さん…あなたのお名前は?!」

「え?別にいいでしょう、そんなの」

「いいじゃんよ、別に…」

 セーラは「うーん。わかったわ。私は、セーラよ」と言った。

「セーラ?なんかきいたことあるわねぇ。えーと、アニメかなにかで…」

「別にそんなマニアックなこといわなくてもいいわよ」

 セーラは冷静にいった。

「え?え?マニ…ニ…マニ…って何?」

「マニアック!専門的な、とか、趣味的な…とかいう意味の英語ね」

「へぇーっ、セーラってば妖精のくせに、そんな難しい英語しってるんだあっ」

「…別に難しくなんてないわね」

「でもさぁ、私なんかさぁ。ハロー、サンキュー、グッバイ、ギブ・ミー・チョコレート、とかしか知らないもの」

「そ…それは、あなたが「お馬鹿さん」だからじゃないの…?」

「ヘヘヘ…っ。そうかなぁ?」

「…そうね、多分」

 セーラは冷たいラプテフ海のような言葉を彼女に言った。蛍は反発して顔をあげて声を荒げ、

「ち、ちょっと!何よ、何よ、そんな言い方しなくてもいいっしょ?!…もおっ。あたしだってねぇ、いっぱいいっぱい…いい所あるんだから。…そりゃあ、あんまり頭はよくないかも知んないけどさぁ。顔だって、スタイルだってものすごくいいんだから!」蛍は続けようとして、フイ、に下を向いた。そして、「それに…それに…」と震える声でいったっきり、沈黙した。こぶしをぎゅっとこわれそうなくらい握った。震えた。

 涙が目を刺激した。蛍はなんとか両手で止めようとしたが無駄だった。みるみるうちに大粒のきらきらとした透明な涙が頬をつたわって、ゆっくりゆっくりフローリングにポタポタと落ちていった。全身が悲しさで小刻みに震えた。単にルックスだけ。…なんとなく顔やスタイルがいいけど頭はカラッポ…という「薄っぺら」な自分の存在。

 何もかもが情なくって、そんな自分自身でいることが悔しい。…もう人間なんてやめちゃいたい!そんな風に、蛍はしんと心の奥底で感じた。螢は小学生のときにイジメられた記憶を思い出した。あの時自分は泣いた。でも、昔のことだ。しかし、その自分の”トラウマ”に螢はわれながら驚くのであった。

「あ…あの…蛍ちゃん…」

 セーラは同情をこめて小声でいって、フウッと宙に浮いて、立ち尽くして泣いている蛍の顔まで近づいて、「ちょっと言い過ぎたわ。ごめんなさいね」と謝った。

「いいのよ…どうせ「頭の悪い」のは本当のことだから…私なんてさぁ…結局…あんまり生きている価値ないのよね…多分さ。…あぁ、こんなことなら生まれてくるんじゃなかったよ」

 セーラはしばらく黙ってから、「それは違うわ」と声を高めて言った。

「生まれてはいけない人間なんて一人もいないのよ。人は生まれるときに、ある種の運命的な使命を与えられるものなのよ!…それは人によって違うけれどもね。ある人は、命を救う「お医者さん」だったり、国を動かす「政治家」だったり、そしてやさしいやさしい「お母さん」だったり…。

 人間にはそれぞれ可能性ってものがあるのよ。それは誰だって…どんな国の人だって…例外はないのよ。蛍ちゃんには「生きる価値」がある!きっときっと…いいえ、ぜったいにあるのよ!」

「でも…」

 セーラは魅力的な微笑を浮かべて、

「しっかりしなさい!泣いてたってなにも変わらないし、なんの変化もおこらないのよ!元気いっぱいに笑ってさぁ、明日という地図を手に駆け出すのよ!それっきゃないわ。さぁ、笑って!笑うのよ!」

 蛍は少し不思議そうな狐につままれたような顔をしたが、しだいに口元に微笑みを浮かばせた。「そうね。私を馬鹿にした連中を見返してやるわ!」希望の笑み…それはほんの少しの希望…駆け足ではなく、ようやく生きていく程の希望ではあるけれども、セーラの言葉は蛍に実に好ましい影響を与えたようだった…。

  しばらくして、セーラは少しだけ思い出したように、

「そうそう。蛍ちゃんにねぇ…話しておかなくてはならないことがあるのよ…」

「ーえっ?何?!なに?」

「…さっき伝説の戦士のことを尋ねたでしょう?マジックエンジェルのことを…」

「そうだっけ?アハハハ…」

 セーラは無視して、真剣に続けた。

「マジックエンジェル…つまり魔術天使は、いわば地上を、そして地上にいる人類すべてを平和に導き、魔物を封印するため天界から舞い降りた伝説の戦士のことなの」

「伝説の戦士…?」

「そう。でも、戦士たちが地上に舞い降りたのは現在からもう数千年も前くらいになるわね。その頃、地上はケイオスにおおわれていて…」

「ケイオス…って?」

 セーラは眉ひとつ動かさず続けた。「ケイオス。つまり「混沌」に包まれていた地上の世界…怪物達が人類の住むあらゆる町並みに出没して破壊をくりかえしていた時代。そうした地上へと舞い降りて、人類の平和のために戦士たちは闘ったの!

 つらく苦しい闘いで、多くの戦士が倒されていったわ…。でも、最後には「最大の敵」を倒して、伝説の戦士たちは世界平和を達成したのよ」

 蛍はきょとんとした顔をして「ううーん。なんか三流ファンタジー小説みたいねぇ」とほざいた。

 セーラは目を剥いた。

「私は冗談をいっている訳じゃないのよ!全部、本当のことをいってるのよ!!」

「でもさぁ」蛍は皮肉っぽく「そういう話は、いまどきの幼稚園児でもしないってばさぁ」 セーラは深呼吸して、精神を落ち着かせてから、冷静な顔でゆっくりと話を続けた。

「…その後、マジックエンジェルの戦士たちは記憶をすべて失い、人間の姿となって地上で暮らし始めたの。でも…けして戦士としての誇りだったり闘争心を捨てたわけではなかった。ただ、神からのお告げを忠実に守った。「もし地上が再び悪の支配に犯されそうになったら、伝説のマジックエンジェルに覚醒して人類を救いなさい」っていう神とのホルコス(誓約)を」

「…ホ、ホルコス?!」

 セーラは少し感情を押さえきれずに、

「そして、その伝説の戦士マジックエンジェルは、いまのこの時代…この地上に覚醒しなければならないの!なぜなら、魔の女王ダンカルトの魔の手が、今、この地上に迫ってきているからなのよ!!」

 と、声を荒げて両手を広げた。ーそして、「魔の女王ダンカルトは、この地上を支配しようとしているのよ!私は、それを止めようと天界から来て、その道すがら…攻撃を受けてやられてしまったって訳…」

「ふーん。」

 蛍はどうでもいいかのように感心した。

 そして「頭の悪い人間」にしては珍しく、「それで、地上に墜ちてきたってわけね?…セーラはその伝説のマジッ…なんとかかんとかという戦士を探しに来たってのね?」

 と尋ねた。

「そう。そうなのよ」セーラはうなづいた。

「ーでも…伝説の戦士が本当に探し出せるかは疑問ね。もう何千年も前の話だし…」

「ノー・プロブレムよ!」

 蛍はなんと、英語で自慢気にいった。

「ノー・プロブレム?…問題ないわって意味ね。なんでそう思うの?なにか策でもあるの? 蛍はニコニコと大笑いして「わかんない。ただいってみただけですっ!」

「………あ、あのねぇ」セーラは呆れた。「でも、魔物たちを倒せば何でもひとつだけ願いが叶うのよ」「本当?! ラッキー! でも嘘っしょ?」


 しばらく、パッション・ピンク色の乙女チックな蛍の部屋に静寂が流れた。かなりの沈黙。セーラは、蛍のきらきらと輝く大きな大きな瞳をじっとみつめた。そしてハッとした。この娘には…やっぱり、何かのパワーがあるように感じられるわ。

 もしかしたら…この蛍ちゃんって…でも…まさかね?

「あ。あのさぁ」

 ナイーヴ(無邪気)な蛍にとって、黙っている、もしくはジッとしている…ということは「あまり好き」じゃない。この少女にとっては黙ってひとの話に耳を傾けるとかは不可能に近い。

「あのさぁ。…月刊少女ジャンプでも読む?」

 蛍は無邪気にほんわりと笑って、セーラにマンガ本を勧めた。英語で書けば、ホタル・リィコーミィンデッド・ザ・コミック・トゥ・セーラ…かしら?それはいいにしても、この青沢蛍のメンタリティは低すぎる。

 セーラはニガ笑いして、

「いいわよ…マンガなんて」と断った。

「でも、けっこうオモシロイのよ!主人公とかが可愛くてさぁ。それになかなか笑えんのよ。それにさぁ」

「あなた、お年はいくつかしら?」

 セーラは説教くさくいった。

「え?…さっきいったじゃん。十六才!美人の女子で…ボーイフレンド募集中!ビルゲイツやマークザッカーバーグみたいな億万長者!!」

「そんなことまできいてないでしょ!!」

 セーラは少し怒鳴った。ーそして、

「まぁ、いいわ」と声のトーンをおとして、燐とした表情をして、右手を頭上にのばして、「ラマス・パパス・ドモス…アリアテス・エカリーナ・ティターナ!」

 と、意味不明の呪文を、可愛らしい声で、それこそ大声で唱えた。ーと、次の瞬間、セーラの右手から青い閃光が四方八方に飛び散った。

「うあっ!」

 蛍は思わず眩しくって瞳をぎゅっと閉じた。そして、しばらくしてから目を開けると、「蛍ちゃん。…このお札をもってみて」

 と、セーラが微笑みながら、右手にもった青色の魔物封印用のお札を差し出した。

お札は占いのタロットカードみたいな感じだった。

「わあっ」

「さあっ、蛍ちゃん」

「なにこれっ?もらっていいの?」

 蛍は、少女の瞳をいっそう輝かせながらセーラに問いかける。この物欲は凄まじい。

「へへへぇっ、ありがとう」

 そういったとき、蛍の顔は紅潮していた。まるで幼児とかわりない。幼い子供というものは何かもらうと興奮するものだ。それが例えどんなものでも…。まぁ、判断力がないといえばそれまでだけど。

 そして、

「それはねぇ、魔物を封印するためのお札なの。そのお札を天にかざして”お札よ魔物を封印せよ!”って叫ぶと、本物の魔術天使なら魔物を封印することができるのよ」「ふーん」蛍はなんとなく頷いた。セーラは、

「あの蛍ちゃん。ちょっとやってみてくれないかしら?」

「えーっ?嫌だよ」

「ど、どうして?別にいいじゃないの」

 蛍はうーんと頭をひねって悩んでから、ハッと名案を巡らせた。名案というよりは、悪知恵だ。螢は興奮し、瞳孔を大きく開いた。

「へへへ…っ」蛍は、小悪魔のようにニヤニヤと微笑を浮かべてから「じゃあさぁ」といった。そして、セーラの耳元で囁いた。

「え?!…なんですって?!」

 セーラは、蛍の囁く内容があまりにもバカバカしいので、思わず眉をひそめて唖然とした。怒りに声は震え、セーラは支離滅裂な言葉を発していた。

「あのねぇ……蛍ちゃん」

「へへへっ。私のいう通りにしないと、絶対に魔物…なんとかかんとかっていって封印したりとかしないもんね」

 彼女はナマイキに、宣言をした。

 セーラは呆れて何もいう気もうせて、しばらく宙に浮いていた。そして、まぁいいでしょう、という気持ちを込めてタメ息をついた。


  どんな時にも、何かを悩んでいる時も、嬉しくって胸をわくわくさせている時も、絶対に夜は訪れる。しんと深い夜。そして人々を眠りに誘っていく。そして夢をみる。淡い夢。それはかけがえのないような、奇跡のような、なにげないような感じだ。螢はそうした気持ちを心にしまう。今やってきた夜も、朝も、すべてはいずれ夢になってしまうだろうから。

 蛍もそんな人間のひとりだ。彼女はパジャマ姿で、ど派手なパッション・ピンクのベットで寝ていた。もう時計の針は、午前三時三十五分三十二秒をさしていた。

「うーんチョコレートパフェ、シュークリーム。ああん、食べましょうよ、タキシート仮面様!シンジン・ゴジラ!エヴァンゲリオム!「そちの名は。?」「……魂が……いれかわっている。」♪君の全全全…」                                    

 青沢蛍は「彼女らしい」寝言をいいながら眠っている。この娘は、バカか?

悦にひたる蛍の横のベットの端で、身体を横にしていたセーラは呆れ顔で眉をピクピク動かしながら、

「この娘ってば…ほんとうに伝説の戦士なのかしら?」と呟いた。そして、もおっ、と頬杖をついてプイっと顔をよこに向けていた。

 まったくなんて娘なの!!


  次の朝。蛍たちの通う青山町学園の期末テストの日だ。ドジな蛍は、いつものように寝坊すると、大慌てで学校にむかって駆け出していった。

「あ、待ってよ!蛍ちゃん!」

 セーラは蛍の後を追ってフワッと飛んだ。

  テストはいたって難しかった。いや、蛍にとって由香にとっては、とてつもなく難しかった。彼女たちにとっては「ルート」とか「645年大化の改新」とかいうのは暗号のようにでも思えるのだろう。まぁ、はっきりいって「そうした知識」は社会では何の役にもたたないけど…。それでも、知らないより知っていたほうがマシではある。

「…よし、いくのよ、セーラ!」

 机に座って答案用紙に顔をむけていた蛍は真剣な表情で、顔の近くに浮いていたセーラに囁くように小声で命令した。

「……でも…ねぇ。」

「さっさと行くのよっ。私のテストの成績がかかっているんだから!!」

「…だって……さぁ…」

「あんた、私がテストでまた0点とかとってもいいっていうのっ?!」

 セーラは眉をひそめて、おそるおそる、

「…そんなに頭が悪い…の?」と尋ねた。

「…そういう見方もあるかしらねぇ。でも、それもチャーム・ポイントのひとつよ。ほら、女の子は少し馬鹿な方が可愛い、って男の人がよくいうじゃないの」

「…そんなこときいたこともないわよ」

「ええっ?!でもさぁ、女性雑誌の『ティーンズ・エイジ』っていうのの占いコーナーにのってたもん!」

 セーラはやたら呆れてしまった。ひどく虚しくもあった。

「…あのねえ、蛍ちゃん。占いだとかオマジナイとかはほとんど嘘なの。デマでしかないのよ。だいたい少し考えればわかるでしょ?”牡羊座のO型の今月の運勢は?”とかいうのだって”牡羊座でO型の人間”なんて何百万人もいるのよ。その何百人もの人間がすべて”恋はちょっとダメ”だったり”勉強はまぁまあ”だったりとかすると思ってるの?

 そんなわけないわよね?それと…頭の悪い女の子の方が可愛い…なんていうのもデマね。誰だって「頭のいい女の子」の方が魅力的だとおもうんじゃないかしら?蛍ちゃんみたいに考えている女の子がいるとしたら、それはただの怠惰っていえるわね」

「タイダ…ってどういう意味っ?また英語っ?」

 セーラは首を少し振って、

「怠惰…。つまり怠けて努力しない。あなたは、お勉強をする努力をなまけているだけなのよ!」

「へん」蛍は癪にさわった感じで顔をそむけて、次の瞬間、セーラをキッと睨んで、

「…もおっ。いいからさっさと行くのよ!」

 と低い声で、もう一度、命令した。「そうしないと…封印なんて絶対にしないからね!」 セーラは「……う」としばし絶句して、それから「…わかったわよ」と情ない声でいった。本当に情なかった…。というより少しだけ腹立たしくもあった。なにも命令されたからではなく、蛍という少女のメンタリティの低さが情なく、また悲しかったのだ。

 どうして蛍ちゃんって、こうなのかしら?

  妖精セーラの姿は、答案用紙に目を通している同級生たちには絶対にみえない。それをいいことに、蛍は、セーラに「同級生たちの答案を覗き見て自分に教えるように」命令したのだ。恥知らずなオポーチェニズム…いやたんなるシェイムレスネス(恥知らず)もここまでくると絶賛に値する。…限りなく低レベル…だ。

 もぉ、なんで私がこんなことしなくちゃならない訳…?妖精セーラは愚痴を呟きながらも、「お馬鹿さん」に答えを伝えまくった。

「……なにかしら?あれっ」

 由香は、フト、妖精の姿や存在に少し気付いて独り言を呟いた。

  



 こうしてテストもすべて終了した。

 狡猾で老獪な蛍(この瞬間だけ)は、あまりに旨くいったので嬉しさが胸元から沸き上がってきて、笑顔になっていた。なにかすばらしいものが口から飛び出してそうな錯覚にも襲われた。とにかくハッピーだった。その表情は「お馬鹿さん」そのものだ。

 場所は、午後の体育館の裏であり、蛍とセーラは白い壁にもたれかかって話をしていたのだった。陽射しが辺りを真っ白にしていた。しんと光ってた。

「いやあ、それにしても…うまくいったねえ」蛍はニヤニヤして続けて「ごくろうさん、セーラ。あんたはよくやったよ!」

「…あのねぇ。」妖精は苦笑してから、気を取り直して熱心に言った。「そうそう、蛍ちゃん!ちゃんということきいてやったんだから…「封印」してくれるんでしょうね?そうよね?」

 その言葉の次の瞬間、蛍は

「嫌よ!」とカラカラ笑った。

「な?!なによっ。ひどいじゃないのっ!」

 セーラは激しく抗議した。「約束やぶるなんて最低っ!最低の人間のすることだわ!」「約束なんてやぶる為にあんのよ」

「そういうのを「身勝手」とか「恥知らず」とかいうのよっ!どっちにしてもレベルが低いわね!!」

「どうせノヴェルが低いですよ」

「ノヴェルなんて言ってないでしょ!レベルよ、レベル!ノヴェルなんていうのは小説のことよ」

 セーラは息を荒くして怒鳴った。…いやはや疲れる。この蛍という「出来そこない」には何をいってもわからない。馬鹿につける薬はない…とはこのことだ!

「蛍っ!」

 フト、気付かないうちに、赤井由香が近付いていて、そんな風に明るく声をかけてきた。由香はいつものように、可愛らしい猫のような瞳をきらきらと輝かせてとても眩しい。

 わっ、とセーラは驚いて素早く蛍の背の陰へとかくれた。なんとか見付からなかったらしい…。でも、まてよ!そういえば普通の人間には妖精に姿はみえないんだったわ。セーラは苦笑した。

「あら、由香ちゃん。何か用?」

「…あんた。」由香は皮肉たっぷりに微笑して、前髪を右手でかきあげながら、「あんた、カンニングしたでしょう?!」

 と、冗談めかしに尋ねた。ー確かに…。

「な?!な、な、な、な……何いってんのっ?!馬鹿じゃないのっ?!」

「ほらっ、そうやって慌てる所が怪しいのよ!」

「べ、別にっ、慌ててなんてないもん!!」

「慌ててるじゃないのっ。…もおっ、馬鹿なんだからさぁ。あたしはあんたとは幼稚園の時から一緒だったんだから…。そういう私に見えすいた嘘が通用すると思ってんの?!」

 蛍は少し黙ってから、苦しい声で「別に…嘘なんてついてないわよ!」と叫んだ。

「……」由香は、怪しいなぁ、という視線を蛍にむけてから、可愛らしい猫目をきらきらと輝かせて、

「…そういえばさぁ。話はかわるけど…あんたの瞳はいつもと違うわね。きらきらと輝いてるっていうかさぁ。何か特別なことでもあったんじゃない?」

「……え?なんでわかるの?」

「そりゃあ、ねぇ。」

「そりゃあ、ねえ……?まあ、いいや。じゃあ、何があったと思う?!」

「うーん」由香は足りない頭を回転させてから、ニヤリと笑って、「わかった!カラー・コンタクトにしたのね?」と真剣に言った。

「つまんない」蛍はつまらなくてズッコケてしまった。やっぱり由香も低レベルだ。

  螢は息を呑み、心臓が二回打ってから、「つまんないこといわないでよ」といった。 しばらくしてから由香は、

「そうだ!早いとこ『ムーン・ライト』に行きましょうよ!」と無邪気な笑みでいった。「うん。そうだね!!」

”お馬鹿さん”コンビはそういうと駆け出していった。ちなみに『ムーン・ライト』とは英語で「月明り」の意味だが、まさかふたりが月面にいった訳ではない。『ムーン・ライト』とは蛍たちの住む青山町にある喫茶店の名前のことである。


「うーん。やっぱり、勉強のあとに飲むオレンジジュースって最高よねっ」

「いやいや。やっぱ、さぁ…コーラで決まりっしょ!」

  蛍と由香の二人は、喫茶店『ムーン・ライト』のテーブルに座って顔を見合わせて、くだらない話をしていた。

「やあ、蛍ちゃん、由香ちゃん」

 喫茶店『ムーン・ライト』でアルバイトをしている蛍たちの一年先輩の鈴木直樹が笑顔で声をかけてきた。この男の子は、けっこうイケメンだ。だが、いかんせん男の「ダンディズム」だとか黒人男性にありがちな「セクシーさ」だとかは微塵もみられない。何処にでもいるような普通の男の子。誰もが「優しそうだね」と感じてしまうような少年だ。

 彼は確かに不思議な印象を与える人物だった。年は螢たちと同じように見える。すらりと細い身体に、がっちりとした肩や首がクールな感じにみえる。ちょっと見には彼の制服はぴったりなのだが、唯一、瞳だけはきらきら光ってみえる。

 鈴木先輩…っ。蛍は鈴木直樹と、フト、目が合って、ポッと頬を赤くした。恥ずかしかった。じつは蛍は鈴木先輩のことが好きだった…いや憧れていたのだ。惚れていた…のだ。 ラブ・アット・ファースト・サイト(一目惚れ)。

 いやいや、ファースト・サイトではない!なぜなら以前から存在は知っていたのだから…。

 愛や恋とは、ある種、突発的なものであるのかもしれない。「恋愛のおまじない」に毒されると「理性」や「知性」があっても逃げることは出来ないのかも知れない。…愛には「エロス(愛欲)」「クピード(欲望)」そして「アガーペ(神の愛)」などがある。

エロス、クピード…などというとなんとなく俗欲的な…下半身的な…というニュアンスがしないでもない。だが、それらはある種の意味あいがあるのだ。エロスとは人間関係ノなかで芽生える愛であり、クピードは欲望…言い換えれば「自分はこうありたい!」というハングリー精神ともいえる。…アガーペは、

 レイモンド・チャンドラー著「長いお別れ」の主人公フィリップ・マローウの有名な台詞「タフでなければ生きていけない。…優しくなければ生きる資格はない」という優しさと同意語だ。他人を思いやる優しさ、博愛「他人の痛みを自分の痛みのように考えて、時にはともに涙を流し、そして神のような心で他人を愛していく」

 たとえば、マザー・テレサのように…。ああいう聖なる愛こそがアガーペなのだ。

 ところが日本ではどうか?

 遊ぶ金欲しさ、ブランド品欲しさに「援助交際」などと称して売春し、「オヤジ狩り」などと称して強盗する。陰湿なイジメを繰りかえして自殺に追いこんでもなお反省もなにもしない。平気で他人に罵声を浴びせ掛けたり投石するメンタリティー。

 こういう連中には「愛」を語る資格などない!といえなくないだろうか?

 …話しを元に戻そう。

「…あたしさぁっ。今度のテスト…けっこう自信あんだ。もしかしたらクラスで一番かもしんないよぉっ」

 鈴木が立ち去って、しばらくしてから、蛍は甘ったるい声で由香にそう言った。

「ああ、わかってるわよ。…クラスで一番の最下位ってことでしょう?…いつものことじゃないの」

「…ち、違うわよ!!その逆!」蛍は反発して、オーバ・ジェスチャーで明るく宣言した。「今度のテストで、あたしは「クラスで一番のトップ」になってやるんだからぁっ!」

 由香は呆れて眉を少しだけ動かして「そりゃあ無理だわね。…例え地球が滅んだって、宇宙人が攻めてきたって…ありえないわよ!阪神タイガースがリーグ優勝する確率くらいに無理な話ね。ーいわば、そんなことをいうのは、クレイッ……クレイターよ」

「クレイター?何よ、それっ?!どういう意味なのよぉっ」蛍は皮肉っぽく尋ねた。

「……クレッターだったかしら…?クリッター?クラッター?クラッカー……?」由香は足りない頭をひねったが答えが出ずに、ついに、そんな自分自身に癇癪を起こした。「もおっ!!なんで私ってば…いつもいつもこんななのよオ!」

「そりゃあ由香ちゃんが、「お馬鹿さん」だからじゃないのかなぁ」

 蛍は堂々と熱意をこめて皮肉をいった。

「な、な、なんですって?!あんたねぇ!あんたみたいな本物の「お馬鹿さん」にそんなこといわれたくないわねぇっ」目を火のようにぎらつかせて、由香はいった。

「あんたはいつもいつも、ほとんど、毎日、テストで5点とか0点とかとってるじゃないのよぉ!そんな人に「お馬鹿さん」なんて言われたくないですよぉだ!この馬鹿蛍!」

 蛍はきっと由香を見た。「ち、ちょっとさぁ!それってば言い過ぎなんじゃないの?!」”憤慨して叫んだ。「由香ちゃんだってさぁっ、テストで6点とか1点とかばっかじゃんよぉっ!!ほとんど私と変わらないじゃんよ!!」

「じゃあねぇ」由香は切り返した。「じゃあ、一+一は?」

「…え?」蛍は少し考えてから、自信あり気に「そりゃあ決まってるっしょ?!もちろん漢字の”田”よ」

「はっ?」由香はそう声を出してから、馬鹿馬鹿しい、という顔でニヤリと笑って、

「そりゃあ、あんた。トンチじゃないのっ。金太郎じゃあるまいしさあっ」

「…違うよ。トンチで有名なのは…花咲か爺さんだよぉ」

「ええっ!そうだっけ?でも確か…牛若丸だったような気もするけどぉ…」

 ”出来そこない”のふたりは頭をひねった。冗談でいってるのではなく本当に知らないところは甚だ滑稽だ。(ちなみにトンチで有名なのはキッチョムさんだったり一休さんなどだ)

 フト、蛍と由香はじっと顔をのぞきこんだ。そして、何もかも忘れたかのようにほんわりとして、

「まぁ、いいか!そんなことどうだって!!」

 と声をそろえて笑いあっていた。



  魔界とは、文字通り「魔物の住む世界」のことである。ギリシア神話でいえばハデスが支配する冥界に似ている。石灰岩質の岩山ま多い地域に薄暗い鍾乳洞があって、そうした巨大な空間が冥界である。ハデスはその冥界の王だ。そして魔界をいま支配するのは魔の女王ダンカルトだった。ダンカルトは石造りの魔物のような大きな化物だ。

 薄暗い空間。長い支柱…。魔界の「三騎士」とよばれる人間らはゆっくりと魔の女王の前へと進んだ。この「三騎士」と呼ばれた人間たち…いや、正確には人間の姿をした魔物の名は、アラカン、フィーロス、ダビデ、であり、アラカンとは「魔天使」アルカンのことだ。アラカン、ダビデは男性の姿をした魔物で、フィーロスは美貌と知性と残忍性をかねそなえた女性の姿をしている。スマートな体躯、細長い顔に足首、きらきらした髪、鷹のような鋭い目、肌は青白く透明に近い。服装はまるでナチスのゲシュタポが着ていたような「道徳上好ましくない」ものでもある。腰には重そうなベルト、突撃隊のようなアグレッシヴなロング・ブーツ…。

 まさに人類にとって、ペルソナ・ノン・グラータ(好ましくない人物)たちである。

 フィーロスはダビデとピッタリとくっついて立ち、魔の女王ダンカルトと向き合った。忠僕アラカン、ダビデ、フィーロスは尊敬的で丁重な言葉で、

「御機嫌うるわしゆう、ダンカルトさま」と挨拶をして頭をさげた。魔の女王ダンカルトはスペインのガウディの塔くらいに巨大で凄まじい存在感がある。

「地上の侵略の具合はどうか?」

 ダンカルトは低く響く声で、穏やかな口調のままいった。

「はっ。」アラカンの太い眉がピクリと動いた。

「誠にこのましい状態にあるといえます。ですが…地上を支配するためには、伝説の「トゥインクル・ストーン」という輝石が必要となるのです!」ここぞとばかりに、アラカンは「輝石」のことについて熱心に説明した。しかし、ダンカルトは表情ひとつかえなかった。

「トゥインクル・ストーンがなければ、我々魔界の者は…地上でわずか数時間しか行動することが出来ません。そして、その「輝石」はピュアな心を持った人間だけが身体の中に持っているものなのです!」

「ならば…なぜ、その石を奪ってこないのだ!」魔の女王の顔がゆがんだ。しかし、すぐに態度を和らげた。

「ダンカルト様!すでにピュアな心をもっていると考えられる人間の娘をみつけております」

 ダビデはいった。絶妙のコンビネーションだった。

「ほぉ……それは誰だ?」

「この娘です」と、ダビデは熱っぽい口調で答えた。そしてその次の瞬間、ダビデの指差す空間にホロ・グラム(立体映像)がゆっくりと浮かびあがった。その映像は、とてもはかない硝子細工のように輝いていた。そして少しだけ幻想的でもあった。

 だが、そうしたメランコリックな気分には浸ってられないのが現実というものだ。

 それはそうだろう。なんせ、その立体映像に浮かび上がった人物とは、何と、赤井由香だったからだ…。蛍の親友…。主人公のかけがえもない友…。そして「小悪魔」的な美少女、由香だ。どことなく、ジョディー・フォスターを憎ったらしくしたようなコケテッシュな魅力を持つ少女…。


  喫茶店で、思いっきり「馬鹿話」に花を咲かせた蛍は、「じゃあ!また明日ねっ、由香ちゃん」と明るく言って由香と別れた。もう、陽も暮れようとしている頃で、蛍はそんなどことなく寂しげな街路道を一人で歩いていた。淡いセピアが辺りを包む。うすい雲がオレンジに染まり、早足で流れていく。それは、幻想、だ。

 だが、けして「黄昏て」ではない。むしろウキウキとした気分で歩いていた。

「明日の、テスト結果が楽しみだわ」

 と、嬉しさでヤニ上がっていたのだ。非常に低いメンタリティだ。自分の実力でテストを受けたわけでもないのに……。この少女には恥を知る心…というものがどこにも存在していないのだ。

「ねぇ、ねえ、蛍ちゃん!蛍ちゃん!蛍ちゃんってば!」

 いままで、どこかへ消えてて姿を現さなかった妖精セーラがフイに飛んできて、そう声をかけた。ひさしぶりのことであった。螢は思わず息を呑んだ。

「なによ、セーラ。あんたいままでどこにいってたのよ?」

「…うーん、ちょっとね。それよりさぁ…」セーラは少し微笑んで、丁重に言葉を選んで、「あの、蛍ちゃん。そろそろ封印とかしてみちゃったりしてくれないかしら?」

 その言葉をさえぎるように、蛍は、

「嫌です!!」と言って、プイっと横を向いた。

「なによっ、もお。そんな言い方ってないでしょ!!」

 セーラは反発して言った。「そんな性格だからダメなのよ!少しは正直になって「わかったわ」っとか言えないの?!」

「もぉっ、うるさいのよ。黙っててよ!だいたい、妖精のくせに人間様に文句を言うなんて、百年早いのよ!!」

 セーラは、蛍のナマイキで傲慢な態度に対して、あまり感情的にはならなかった。ただ、「…あのねぇ、百年たったら、蛍ちゃんはもう生きてないでしょう?だから…いまいってるのよ」

 と、控え目な言葉で母親のようにいった。

 しかし、「お馬鹿さん」は、すでに遥か彼方へと遠ざかっていたので、何も答えなかった。セーラは頭痛がして、氷の杭を心臓に突き刺された感じの無力感と痛みを覚えた。

「…はぁ」セーラはなんだか疲れてしまい、そんな風にタメ息をついてから、「…本当に、あの蛍ちゃんが伝説の戦士なのかしら?もしかしたら私…勘違いしているだけだったりして…」と、心の底から呟いていた。


  由香の家は、さほど広くない。でもまぁ、日本という島国で「豪邸」などというのはまず無理な話しだ。地方ならまだしも、蛍や由香たちの住む青山町は埼玉という首都圏の東京に近い場所にあるからだ。

「……こんなもんかしらねぇ!」

 夜もだいぶ過ぎた頃、赤井由香は自分の部屋で、机にむかって真剣な表情でいった。そして、自信ありげにニヤリと微笑んだ。興奮し、頬が火照ってきた。

 別に「お勉強」をしている訳ではない。この少女の特技ともいえる「絵」を描いていたのである。「絵」とひとことでいってもいろいろある。古典、写実、印象、抽象、シュールレアリズム…。その中で由香という美少女は「印象派が好き」なのであり「印象派のなかでも「やっぱりルノワールが最高よっ!」

 と、いつも考えているのである。

 とにかく、そう思っている由香はよく少女画を描いている。それは別に悪いことではない。可愛らしい少女にはアーティスティック・チャームがあるからだ。広告的にいえば、「美女と子供と動物」は注目を集める三大要素だ。そういう意味からいっても、美少女画は注目を集めるのには理想的ともいえる。

 そして、今夜も、由香はスケッチブックに少女画をスラスラと描いたのである。それがうまく描けたので、

「…こんなもんかしらねぇ」

 と、思わずニヤリとしたのである。それは、きらきらと輝く表情。由香は、命がけで絵画を愛した。

 しかし、才能溢れる(かは知らないが)由香をジッと睨んでいる人間がいた。いや、人間ではなく魔物の「三騎士」のひとり、ダビデである。

「あの娘か……?」

 ダビデは夜空にフワリと浮きながら、窓からみえる由香の横顔を遠くから観察して、恐ろしいくらい低い声でいった。……



「よし。ー次、青沢っ、青沢蛍!」

  次の日の教室で、テスト用紙が返されていたる担任の神保先生に呼ばれて、蛍は冷静さを保ちながら教壇の前まで歩いていった。そして…、

「…あのぁん」

 と、意味不明の言葉を呟きつつ、先生の手からテスト用紙を掴みとった。

 いつも「冷酷で無慈悲な機械」と呼ばれて恐れられていた神保先生は、驚愕するほどにほんわりと微笑んだ。

「ほ、蛍っ!!すごいじゃないか!!先生、びっくりしたよ。…お前もやれば出来るんじゃないか!」

 神保先生はとても魅力的な表情で、蛍を褒めて、鋭い歯をきらきらと見せて笑った。

「えっ?」蛍は弾かれたように、右手に握っていたテスト用紙をバッと開いて慌てて覗き見た。そして、次の瞬間、

「う、嘘つ!!」と驚きの声を上げた。なんと、九十点だったのだ。蛍は感動して、

「…九十点なんて、いままでとったことないよ。…夢じゃないのかなぁ…?!」

 と、呟いた。いや、夢ではない!しかし、夢のほうがよかったのではないかと思う。自分の実力でテストをうけた訳ではないし、こうした嘘やズルはすぐにバレるものだからだ。「みんな、蛍がこのクラスのトップだ!なんとこの難しいテストで九十点(カンニングしたなら百点とれるのでは?)という成績だ!みんなも青沢を見習って、勉強をしっかりやるんだぞ!」

 神保先生は堂々と、そして青沢蛍を誇らし気にアピールして大声で宣言した。

「青沢蛍はバカではなかった!!やれば出来る人間だったのだ!」

 クラスの同級生たちの驚き、センセーションは凄まじいものがあった。驚愕、狂喜乱舞、喚声と拍手。とにかく、”出来そこない”の変貌はクラスの話題となったのであった。


  通路の掲示板に張り出された成績表の順位をジッと見て、ニヤニヤしているのはもちろん蛍だった。そんなにたいした順位ではない。しかし「お馬鹿さん」にとっては奇跡的な順位でもあった。ー学年で82位だ。

「へへへへへへ…っ」「やっぱり、さあっ。あんた絶対にカンニングしたでしょう?」

 となりでジッと順位表を見ていた由香が、そう嫌味っぽく尋ねた。「あんたが学年で82位だなんてさぁ…、まさに、ミラ……ミラージュ…ねっ!」

「もおっ、何をいってんだかぁっ。そういうのを負け惜しみっていうのよォーっだ!」

 蛍はニヤリと言った。由香は癪にさわって、「だ、誰がっ?!誰があんたなんかに!!」

 と、顔を赤くして怒鳴った。

 フト、ほとんど何の存在感もなく、一人のちいさな美少女が歩いてきて、順位表の前で立ち止まった。この女の子は、いつでも学年トップの成績をとっている「知的レベルの高い」お嬢さん、だ。…蛍たちとは人間が違う。

 知性と教養と才能にあふれ、しかも美貌をも身につけたチャーミングな美少女だ。男の子なら誰もが好きになるような、可愛らしくておとなしい文学美少女…である。いや、秀才少女である。知性的というと、どこか「冷酷な人間」のようにも考えられるが、そんなことは微塵もない。この美少女は、他人の痛みを知る…博愛に満ちた性格なのである。だけど、その分、おとなし過ぎていつもチャンスを逃してしまうほどナーバスでもある。

 しかし、彼女には素晴らしいチャームがある。

 なんといってもインテリジェンスに裏付けされたルックスだ。丸い顔、長くてさらさらした黒髪は両肩でおさげにしている。そして、おおきくピュアな瞳はこの少女のおとなしさを現し、全身は細くて肌は真っ白だ。胸はやっぱり大きくないけれど、それも少女らしさをあらわしている。ぴしっと制服を着て、背は低く、それも可愛い。

 その愛らしい唇から発せられる声は「薔薇色の声」、というより「よくききとれない声」でもある。あまりにも「か弱い」ので響かないのだ。

 その少女は掲示板を上目使いでみて、何の表情もみせずに、そのうち歩き去った。

「…あの子だれ?ずい分とおとなしそうなこじゃないの」

「あんた知らないのっ?まったく「お馬鹿さん」なんだからっ。一年A組の秀才少女、黒野有紀ちゃんよ。いつもいつも学年トップの成績をとるんで有名なこよ」

 由香はインテリのように蛍に教えた。そして「あんたとは頭の出来がちがうって訳ね!」と続けた。

「ひとのこと言えないでしょ!」

 蛍は思わず由香に飛び蹴りをくらわした。


  夕方。あらゆるものがオレンジ色に染まる時刻…そして空間。可憐な夕日とほんわりほんわりと揺れる雲たち。きらきらと光るファンタジック・ビジョン。それは永遠のように胸を締め付ける。なんともいえない景色だ。こういうものを大事にすべきだ。二人は思う。そして、螢と由香はそれを愛した。

 何ともいえないそんなしんと夕暮れの街路地を蛍と由香は歩いていた。ーそして、

「じゃあ由香ちゃん、また明日ね」といってふたりは別れた。しばらく歩いた由香は「ミッド・ナイト・ピース・ラブ・フォーエバー…」「ぬしの名は。?♪君の全全全…」と上機嫌でなにかのアニメソングを口ずさみ、スキップした。もう蛍は、曲がり角を進んでいたので、姿は、見えなくなっていた。しかし、由香にとっては「そんなことはどうでもいい」ことであった。彼女の性格は、蛍のような「寂しがりやの甘えん坊」ではなくて「孤高を守る芸術家タイプ」なのだ。それが由香のパーソナリティだ。そして、それが彼女の強さだ。何が彼女をそこまで運んでしまったのだろう?しかし、そんな平凡で幸福な気分も、長続きはしなかった。おの残忍な「三騎士」のひとり、ダビデが由香に襲いかかったからだ。

「きゃああぁぁーっ!!」

 由香の激しい悲鳴を耳にした蛍は、ハッとして駆け出した。由香ちゃんが危ない!

 ダビデは「おとなしくしろ!」と、暴れる由香を押さえ込んで、左手を彼女の胸元にあてた。赤井由香の可憐な胸元から赤色の閃光が飛び放たれていく。と、由香は、

「ううっ…」と小さくうなって気絶してしまった。だが、ダビデの期待していた通りにはならなかった。ダビデは怒りで声も震え、支離滅裂な言葉を発していた。

「くそっ。この娘は、トゥインクル・ストーンの持ち主ではない!」

 ダビデは顔をしかめて吐き捨てるようにいった。やがて由香の胸元から放たれていた閃光は輝きを失い、そしてフウッと音もなく消えた。次の瞬間、ダビデは、

「死んでしまえ!」と、ドスのきいた越えで叫ぶと由香の首根っこを締め始めた。このままでは赤井由香は死んでしまう!

「ゆ、由香ちゃん!!」

 やっと駆け付けた蛍はそう叫ぶと、頭から冷水をかけられたかのように驚愕して立ち尽くしてしまった。いったいどうしたらいいの?!あまりの恐ろしさで全身が小刻みに震えた。両脚がガタガタと鳴る。長くさらさらとした髪の毛が逆立つ。戦慄と恐怖で、体の力が抜けて、足はもつれる。「何やってるのっ?!蛍ちゃん、封印よ!封印するのよ!」

 いままで何処かに姿を消していた妖精セーラが猛スピードで飛んできて、慌てた口調で叫んだ。

「で、でも…」蛍は躊躇しながらも震える声で「…へ…封印ってどうするんだっけ…?!」「お札よ、魔物を封印せよ、よ!もってる赤いお札をかざして、いうの!叫ぶの!」

 セーラは熱意を込めて、祈るようにいった。もうやるしかないのよ!封印よ、蛍ちゃん! 蛍は大きく息を吐くと決心したように眉をキッとつりあげて、お札に手をかけた。そして、おもいっきり前にかざして、

「お札よ、魔物を封印せよ!」

 と、燐とした声で叫んだ。ー次の瞬間、カッ、と前にかざしていたお札から青色に輝く閃光が四方八方へと飛び散り、しだいに蛍の身体をつつみこんだ。

 そして、ついに、「封印」しようと光の塊が魔物に向かった。魔物はよけたが、あの蛍が、伝説の戦士マジック・エンジェルになったのだ。

 魔物を封印する、マジック・エンジェルに…。

 螢は魔法のお札に驚き、

「なに…これっ?どうなってんのっ?!」

 と、やっとのことで声を出した。息がするのもやっとで、心臓が止まりそうだ。

「あなたは伝説の戦士「マジック・エンジェル」に覚醒したのよ!人類を救うために地上に舞い降りた戦士…その戦士へと覚醒したのよ!」セーラは嬉しそうに熱っぽく続けた。「蛍ちゃん……あなたは伝説の戦士「マジック・エンジェル」!…そのリーダーのマジック・エンジェル・ブルーよ!!」

「え……っ?!」蛍は少し疑問を浮かばせて「でも…リーダーって、ひとりっきゃいないじゃんよぉつ」と皮肉をいった。

「…うーん。」妖精は少し言葉をつまらせてから「そのことは後で詳しく話すから、……とにかく、戦うのよ!!」と大声でいった。

「…うん。わかった!」

 蛍はそううなづくとなんとなくだが戦闘体制に入った。

 ダビデはほんの一瞬、伝説の戦士の覚醒に対して驚いて立ち尽くした。が、すぐに顔をギラリと鋭くして、由香をまるでゴミクズのように路面に投げ捨てると、蛍と対峙し、

「くらえっ!」

 と、両手を前方にかざして、手から光矢を何度も放って攻撃してきた。蛍はなんとかその攻撃を間一髪「うああぁっつ!!」と悲鳴をあげてかわした。その瞬間、彼女の立っていたアスファルトの路面が激しく爆発した。

ダビデは手から光矢を放つ。間一髪、蛍はよけた。

何度も攻撃をかわす。だが、攻撃をかわしよけるだけでは敵に勝てない。

「うわ!きゃあ!」攻撃は多岐にわたり、ダビデは“負け犬”のように逃げてばかりの戦士に苛立つ。「おの負け犬の魔術戦士め!死ねー!」

「蛍ちゃん、必殺技を使うのよ!!」

「え?!…必殺技って……どうすんのっ?!」

 セーラは大慌てで敵の攻撃から逃げ回る蛍に大声で教えた。「レインボー・アタックよっ!!そう叫んで、両手をこうして前に突き出してポーズをとるの!」

「…えっ?!え?レイン……なにっ?!…うあっ」

「レインボー!」セーラは戸惑う蛍に少し感情的になって叫んだ。「レインボー・アタックっ!!」

 わかった!わかった!わかった!!…わかったわよ!やればいいんでしょう!!いいえ、やらなくちゃあ!ーよし!

 蛍はキッと目を鋭く輝かせると、両手を前方に突き出して、

「レインボーっ…」と叫び、続けて「…アターック!!」と大声で全身の力を込めて叫んだ。ビュウウ…ッ。あらゆる精霊たちのオーラが彼女の手のお札に吸い寄せられるかのように集まった。そして、次の瞬間、蛍の両手に輝かしい剣が出現し、まさにレインボー(虹)がダビデに向かってめまぐるしいスピードで放たれた。…七色に輝きつつ、ダビデにむかって空間を走る稲妻・ステロペスと雷鳴・ブロンテス、そして虹色の閃光・アルゲス!

「うああぁぁっ!」

 レインボー・アタックの直撃をなんとかかわしたダビデは衝撃でかなり後方に吹き飛ばされた。そして、倒れ込んだ。掌に血が滲み、激痛で意識を失いそうになった。

「や、やったわ!」

「はやく、封印して!」

 蛍もセーラも声をあげた。強敵を倒した?!だが、そうではなかった。倒れ込んでいたダビデは起き上がった。そして、「覚えてろよ、マジックエンジェル!」と捨て台詞をはくと激しい風とともに魔界へと姿を消していったのだった。しかし、とにかく…たすかった。「これで馬鹿にした連中を見返せる?」「もちろん!」螢に、セーラはいった。


  赤井由香は気を失ったまま道路に仰向けに横たわっていた。ジッとして動かないが、死んだ訳ではない。

「ゆ、由香ちゃん!!」蛍は大急ぎで由香のもとへと駆け寄った。彼女は体裁などぜんぜん気にしなかった。そんなことよりも由香の体のことの方が心配だったのだ。

 蛍はそっと由香の上半身を抱き上げて、

「由香ちゃん…しっかりして…!!」

 と、少し泣きそうになりながら呼び掛けた。そして、ジッと由香の顔を覗きこんだ。とても素晴らしい表情をしている。由香ちゃん!…由香ちゃん!

「うう…ん」しばらくして、赤井由香はそう微かにうなってから、静かにゆっくりゆっくりと瞳を少しずつ開け始めた。

「ゆ、由香ちゃん! だいしょうぶ?!」

「…ほ、蛍…。あなたが…たすけてくれたの?」

 由香は魅力的な微笑みを浮かべて、しぼり出すような声を発した。そして「ありがとう」 と、優しい笑顔で覗き込んでいる親友にいった。

「ううん。いいのよ…へへへっ」

「あ。」フト、そんな風に嬉しさで涙を流している蛍の肩越しにいた妖精の姿を見付けて、由香は控え目な口調で、囁くように

「あなたは妖精?…蛍…の…お友達なの…?」

 と尋ねた。「ーえっ?!」蛍とセーラのふたりは驚いて顔を見合わせた。どういうこと?!普通の人間には妖精の姿は絶対にみえないはずじゃなかったの!?なんで…?

「あ、あの由香ちゃん?!」

 ふたりは由香のほうへ顔をむけたが、彼女は何も答えなかった。疲れと安堵感からか、可憐な笑みを浮かべながら静かに眠りについていたからだ。

「………由香ちゃん」

 蛍とセーラはほっと安堵のタメ息を洩らして、ほんわりと微笑んでいた。




  VOL・2 アーティスト由香、画壇デビューか?!

         マジックエンジェル・レッド覚醒


  夜。月がきらきら輝いて、グレーの雲がゆっくり流れてふわふわ浮いていた。しんと光る月は、もの悲しくさえあった。

 蛍の部屋のド派手なパッション・ピンク色のベットに由香は安らかに眠っていた。蛍は、赤井由香を自分の部屋に誰にもみられずにそっと運ぶのに成功していた。

 蛍は優しい表情のまま、そっと由香の額にあてていた水タオルをとりかえた。そして、「…由香ちゃんって生意気なところもいっぱいあるけど、こうして眠っている顔をじっとみると…なんか可愛らしい顔をしてるわねっ」

 と、ほんわりと控え目な口調で微笑して呟いた。同じように顔を覗き込んでいたセーラも「ほんとよね」となぜか頷いていた。

 不思議な現実と空間と時間の流れが、三人(もしくは二人と一種)を包み込んでいた。 しばらくすると、由香の睫が少し動いた。

「ううん…」由香はやがて、瞳をゆっくりゆっくりと開けて目を覚まし、上半身を起こした。だけど、なんとなく「アタタ…」と頭が少し痛くなって両手でコメカミを押さえた。 いけない!セーラ弾かれたように蛍の背中のうしろへ隠れようと大慌てで飛んだ。

「あっ、いいのよ。隠れなくても…」

 由香がそんなふうに丁重な言葉で妖精に声をかけた。ーえ?なんで?!

「……あ、あのぉ。」

「蛍ちゃん、いるんでしょ?!お風呂冷めちゃうといけないから…早くはいっちゃいなさいね」

 妖精のオドオドとした呟きをさえぎるように、部屋の外の廊下から、蛍の母親「雅子ママ」の透き通る声がきこえた。雅子ママこと、青沢雅子は現在、四十才ではあるがけして「ブヨブヨの醜いオバハン」ではない。その美貌たるや、いまは亡きオードリー・ヘプバーンを日本風にしたくらい素晴らしい。

 細身で長身、長い睫に手足…。蛍はこの母親の血を受け継いだのかも知れない。

「あ、うん!わかったわ、雅子ママ」

 蛍は廊下の雅子ママに元気にいった。ちなみに、雅子ママは「蛍のような」馬鹿ではない。青沢蛍の頭の悪さは後天的なものである。

「あ、いけない!」

 由香は何かを思い出したらしく、そう大声で叫んだ。そして、ベットからバッと飛び起きて、

「じゃあ、蛍!私、急いでるから帰るね!!」といって駆け出した。

「あ、ちょっと、由香ちゃん!」

 由香は、蛍の声を無視するように扉を開けて、フト、振り返ってウインクをして微笑んで「じゃあ、蛍。妖精さん。またね!」

 と、駆け去ってしまった。

「妖精さん…だってさぁ」ふたりはそう呟くしかなかった。


  きらきら…。きらきらとした夜。まるで降ってくるような星座…夜空のパノラマだ。その星座の中で、一番輝かしい光を放つ赤い星が、由香の「お気に入り」の星だ。

「今夜も、ルノワールの赤い瞳、が眩しいわ」

 フト、由香は誰もいない道路で立ち止まって、夜空を見上げて呟いた。そして、なんとなく遠くを見るような寂しげな目になった。「ルノワールの赤い瞳」とは由香のオリジナル・ネーミングであって、そんな名前の星は存在しない。だが、「赤い瞳」とは、この少女にとっての「夢」「目標」「希望」そのものだ。赤色だから「情熱」でもある。

 しかし、夢みるのも一瞬で、

「いけないっ!こんなことしてられなかったんだわっ!早いとこ絵を描き上げなくちゃあ!…サロンの締切りに間に合わなくなっちゃうよ!!」

 由香はひとりごとを言ってから、弾かれたように駆け出した。サロン!サロン!サロン・デ・ラート!…締切りは後、数週間後なのよ!!


  由香が帰宅すると、平凡な母親が台所から、「あら、由香、おかえり」と声をかけた。そして「あなた…いったい今、何時だと思ってるの?少しは早く帰って勉強するとか…」 と、小言を言った。「もぉっ、ほっといてよ!」由香は冗談めかしにそう答えるだけだった。それから、彼女は、フト、リビングでテレビを観ている父親の存在に気付いて足をとめ、「パパ、いつスケッチ旅行から帰ったの?!」と、明るい笑顔になった。

 …そう、由香は、「凡人」の母親は嫌いだったが、「天才画家」の父親は大好きだったのだ。

「あぁ、ついさっき火星のコロニー(宇宙空間に浮かぶ人口衛星巨大都市)からスペースシャトルで、ネオ成田空港に着いて帰ってきたばかりだよ」

 由香の父親。少女の誇り。憧れの父は、もの静かな口調でそう答えた。この父親の名前は赤井宝林(ほうりん)という。ルックスは由香の大好きなルノワールのようにも見える。細身、パリジャンのようなスーツ、片手にもったパイプ、そしておだやかな瞳の五十才。 宝林とは、実はペンネームだ。本当は、赤井大という。だい…じゃない。まさる…だ。日本を代表する洋画家であり「天才」と呼ばれているくらい凄いひとだ。

「じゃあ、パパ」

 由香は魅力的な笑顔を父親にみせると、自分の部屋へと駆け出した。

 ちなみに、宝林は、お馬鹿の蛍のように「アニメ番組」をみていた訳でも、アイドル歌手がよく出没する「ミュージックS」という音楽番組をみていた訳でもないし、ましてや低レベルのワイドショーをみていた訳でもない。

「週刊美術」というNHHKの教養番組をジックリみていただけである。…


  由香の部屋は、お馬鹿の蛍のような少女趣味系の部屋ではない。というよりほとんど何もない。あるのは、おおきなキャンバスの山。絵の具箱にパレット…筆…。スケッチ・ブック…それと素朴なベットだけだ。それが彼女らしい。ほんわりした空間だ。

 どこにも教科書や哲学書・参考書などないのはこの少女のイグノランス(無知)さの現れでもある。でも…本は山のようにある。しかし、それらは美術雑誌である。ルノワール特集、ドガ、マネ、アングル、シャガール、ゴヤ、ダリ…著名な作家の名前が並んでいる。「…とにかく、頑張らなくちゃ!パパに負けてられないわ」

 由香は懸命に五十号の大作に取り掛かっていた。かなりにピッチで筆がキャンバス上を踊り狂う。繊細なタッチ、表現力、絵の具の塗り方…。それは、なにか少女らしい可憐さが漂っていて印象的なきらきらと光るような絵だ。

 絵のテーマは、やはり少女である。可愛らしいパリ・ジェンヌの日常の生活と喜び・幸福と夢…。なんのことはない……ルノワール風の絵である!!

 しかし、そんな自信満々の由香も、

「……ううん」と、筆をとめてから少し不安気に瞳を閉じていた。心の中での葛藤。

「サロンで入選できるかなぁ。でも…落ちたら…どうしよう。……私には絵しか…ないのに…さぁ」

 由香は珍しく落ち込んだ口調で呟いていた。


  一方、お馬鹿さんの部屋では、なにやら怪しげな二人組(蛍とセーラ)が真剣な表情で座って話をしていた。セーラが口火をきる。

「やっぱりおかしいわよ!私の姿がみえるなんてさぁ」

「でも…あたしにだって見えたんだから…」

「それは、蛍ちゃんが伝説の戦士だったからでしょう?!」

「…ううん」蛍はそわそわと立ち上がった。そして「あのさぁ。……テレビ観たいんだけどぉ。はやくしないと『セーラ・ムフーン』や『エヴァンゲリオム』や『カンタム・オリジン』映画『ぬしの名は。』『シンジン・ゴジラ』『銅魂』『進撃の阪神』(アニメ)が始まっちゃうのよねぇ」

 と、馬鹿らしい主張をした。

「………え?」セーラは何とも情なくなった。なんでいつもいつも蛍ちゃんってばこうなのかしら?妖精は深く溜め息をついてから、

「あの蛍ちゃん。あの由香ちゃんって子、気をつけた方がいいわね。もしかしたら……魔界の手先かも知れないわよ」

「あはは…まさかぁ!」蛍はふりかえりもせずに一笑すると、リビングのTVでアニメ番組を観に部屋を出ていった。…なんとも低レベルな女の子である。…


  次の日の朝。由香の自宅の玄関先。

 由香は、元気いっぱいに学校に向かって

「いってきまぁーす!」

 と駆け出した。そんな由香を呼び止めるため、「あ、待って由香」と宝林は声を出した。そして、ニコリと笑って振り返った愛娘に、

「実は、今週の金曜日に、東京銀座四丁目にある画廊で個展を開くんだ。よかったら、友達もつれてみにおいで!」と、告げた。もちろん由香は、

「はーい!」と明るく返事をしたのだった。


  誰にでもなんらかの特技があるものだ。どんな人間にだって平等にチャンスは与えられる。そうしたチャンスを生かせないのは努力をしないからだろう。タレント(才能)などというものはダイヤの原石と同じで、磨かなくては光らないものだ。…そうした努力を、まがりなりにも、赤井由香はしているように思う。…レイジー(怠け者)の蛍とは大違いだ!

 由香は、午後の部活の時間に、学校の美術室で静物をなにやらニヤニヤとしながらスケッチしていた。もちろん椅子に座ってだ。だけど、広い室内には誰もいなかった。

 別に美術部員が赤井由香だだひとり…という訳ではない。単に、他の部員は「無気力」なだけであり、また由香ほどの才能もないだけ。だからサボってるのだ。

 別に美術部員というものは、日本中の学校でもそうであるように五人くらいいればマシな方である。蛍と由香の学校と有紀の通う青山町学園では六人なのでかなりいい方なのだ。そしてどこでもそうなように、担任は「画家になれなかった」美術の先生であり、例によってこの先生もサボッているっていう訳である。

 孤高のアーティスト由香はたった一人で……などと書いても仕方がない。

 いつのまにか蛍が美術室に忍び込んでいて、真剣な表情で由香の背後から「絵」を覗き込んで、

「いやぁ、さすがは、天才画家”赤井たからばやし”の娘だねぇ。上手なもんだわ!」

 と、感心してほめた。

「たからばやし…じゃなくて宝林(ほうりん)よ!宝林(ほうりん)!」

 由香は少し呆れ顔でいった。蛍は、

「…そ、そんなことわかってるわよ。ジョークよ、ジョーク!」なんて言ってる。

 ちなみに蛍は部活動はなにもやってない。幼稚さを生かして「マンガ部」にでも入部すればいいのかも知れない…。

「ねぇ、蛍」由香は、フト、筆を止めて、素直な顔で横にいる親友に「あんたも描いてみる?」と笑顔をみせた。

「うん、いいよ」蛍は自信たっぷりに返事をして「まあー…みててよっ。この蛍ちゃんの才能、才能ってもんをお見せするっしょ!!」

 と、いってサラサラと何かを描きあげた。

「ーどう?」

「どれっ?」由香は絵を覗きみて、思わずズッコケてしまった。…蛍の描いたのは、何と、”トラエモン”というアニメの主人公だったからだ。しかも、随分とヘタクソである。

 ひたすら蛍という女の子は低レベルだ!トラエモンなどくそっくらえだ!!

   やがて夕暮れになって、蛍と由香はオレンジ色に染まる誰もいない下校道を、自宅にむかってトボトボと歩いていた。仲良しの二人…。オレンジの雲がゆっくりと流れていた。やがて、暗い夜がくる。二人はそれを待ちたい気にもなった。

「…そうだ。今度さぁ、うちのパパの個展があんだけどさぁ。どう?みんなと一緒に行かない?!」

「…あぁ。赤井たから…じゃなくて宝林さんのこてん…?こてん…っていうと古い話の?」「それは古典っ!」由香は静かに「個展っていうのは「個人が開催する展覧会」ってところかしらね」

「へぇーっ…」蛍はなんとなく感心した。そして、「もち(ろん)、その個展にいくっしょ!」と、明るくいった。ちなみに蛍に北海道系の訛りらしきものがあるのは別に北海道に住んでいたからではなくて、『北の故郷から…94初恋』とかいうテレビドラマの再放送を熱心に観ていたら口グセになっただけである。

「でもさぁ。」蛍は少し上目遣いで甘ったるい声で「私は、由香ちゃんが羨ましいよ。だってさぁ、絵の才能ってもんがあるんだもの…」と呟くようにいった。

「あんただって才能くらいあるわよ。例えば、あんたはアニメ・ソングを二百曲暗記しててカラオケで歌えるじゃないの」

「…でも、そんなの才能じゃないもん」

「……まぁ、ね」由香は冗談めかしにうなづいた。そして「まぁ、私の才能…いいえ、天才ってもんを見ててよね!絶対にサロン…つまり官展に入選して…いつかイタリアのパリに旅立つんだからっ!!」

「…かんてん…っていうとあのブヨブヨした…」

「ーそれは食べ物の寒天っ!」由香は感情的になって続けた。「私はパリに行ってさぁ。いつかは、日本の天才描家…もしくは日本の女ルノワールって呼ばれちゃったりする訳よ!」と夢を語った。いや、叫んだ。

「……ル、ルノワール……?」蛍はきょとんとして足りない頭で考えてから、「あぁっ!」と考えが浮かんだ。なんだ!ルノワールか!!

「へえーっ、由香ちやん…喫茶店始めるんだぁっ」

「…へっ?」

「だってルノワールって喫茶店の名前のことでしょ?よく、街にあるじゃん」

「なにいってんのよ!ルノワールってのはフランス人の印象派の画家の名前のことよ!!」

 由香は思わず蛍に飛び蹴りをくらわした。


  



「……なんか、羨ましいなぁ。由香ちゃんには大きな夢があってさぁ。…私なんて何もないもんなぁっ。」

 由香と別れた蛍は、ひとりっきりの黄昏た街路地を歩きながらそう呟いた。そして、少しだけ遠くをみるような寂しげな瞳になった。確かに、蛍には「大きな夢」はない。「小さな夢」もない。何もないのだ!

 かなりの、自分に対しての失望感、諦めの気持ち、臆病者の気持ち、自分の無能さに対しての嫌悪感……それらは蛍のちいさなちいさな胸をえぐるには十分な程の大きさだった。「…はぁあ。」

 なんとなく蛍は、大きく溜め息をつくしかなかった……。


  赤井宝林の「個展」の準備はなんとかうまくいっていた。彼は、少し楽しそうな気分で、「絵」をどこに置くのかなどをアシスタントに指示していた。

「…あれがターゲットの男か……」

 壁にもたれかかって、遠くから宝林の姿を覗きみていたフィーロスは冷酷な瞳のまま低い声でそう呟いていた。あれが「輝石」の持ち主…?!


「ねぇ、いこうよ個展っ!」

「ーこてんっていうと古い話しの…?」

「まぁ、いいからいいから!」由香は蛍の二度目のギャグをさえぎるように言うと、続けて、「さぁ、早く行きましょうよ!」

 と、元気よく、蛍とあや、良子、奈美にいった。ちなみに、ここは学校の教室だ。そして、もう下校の時間である。

 赤井宝林こと、由香のパパの個展開催の日になっていた。もう、金曜日だ。

 こうして、お馬鹿さんと仲間たちは、教室を抜けて廊下をかっ歩して出した。…すると、 あの「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀が、そんな五人とすれ違った。有紀はいつものようにうつ向き加減で、肌は病人のように青白い。しかし、可憐でもある。「お友達がひとりもいないのよ」という噂はじつは本当であって、秀才の美少女「黒野有紀」はいつも孤独だった。誰とも話せない。ダイアローグ(対話)ができない。いや、したくっても「お友達」がいない。

 そんな影響だろうか?有紀の可愛らしい大きなおとなしそうな瞳の置くにはどこか「影」がある。ちいさな淡い桃色の唇は「暗さ」をあらわしているかのように、少しだけキュと閉じている。

 彼女は「お勉強が出来る」「可愛らしい」そして「やさしい性格」……それだけの女の子なのかも知れない。それはそれで素晴らしいのだけれど、自分自身でパフォーマンスできない、もしくは表現できない…という性格はマイナス面が多すぎる。

 誰だって「神」じゃないから、話しをしたり何かを見たりしなければ「そのひとの良さ」などわからないものだ。だから…黒野有紀という少女は他人からは「頭はいいかもしんないけど、なんかあの子暗いのよね。一緒にいるのも嫌って感じよね」といつも思われるのである。

 でも、蛍や由香は違った。彼女らは、

「あ。あのぉ、有紀ちゃん」

 と、少し遠慮気味ではあるけれど、ふりかえって、有紀の後ろ姿にそう声をかけた。

「……。」有紀は少し驚いた様子で、静かに立ち止まって蛍たちのほうへ振り向いた。有紀はちょっとドキドキしていた。なぜなら、そんな風に親しい口調で話しかけられたことがいままでなかったからだ。…私のこと…?

 しかし、有紀はほとんど何の感情も顔に現さなかった。いや、その大きな瞳は、どこか恐怖心と嬉しさが混じったようにきらきらと輝いても見えた。

「……。」有紀は人見知りのはげしい性格を現すかのように、ジッと上目遣いの不安気な視線を蛍たちに向けていた。なんとなく有紀の手足や肩が微かにふるえても見える。

「……あ、あの…」有紀はやっとのことで、微かな声らしきものを発した。と、同時に気の弱い子供がよくやるように細長い両手首を胸元にオドオドと持ってきて…ギュッと両手をにぎりながら、また静かに黙りこんでしまった。……なんとも弱々しい女の子だ…。

 有紀は確かに声を発した。しかし、それは蚊の鳴くように微かで、あまりにも繊細な声であったため、誰も発言したことには気付かなかった。

「あのさぁ、有紀ちゃん。私たち、これから…「絵」をみにいくことになってんのよ。」蛍に続いて由香が「そう。…それでさぁ。どう?一緒にいかない?楽しいかどうかはわからないけど、けっこうボンジョビ……じゃなくてエンジョイできるかもよ」

 と、魅力的な笑顔でいった。

「……」有紀は微かに、ほとんど誰も気付かないくらいに、微かに口元に笑みを浮かべた。しかし、それも一瞬で、すぐに不安な顔になり、

「……あの、その……ごめんなさい…。私、これから塾にいかなくちゃならない…の。だから…そのぉ…」

 と、オドオドと、蚊が囁くように呟いた。

 だけども、やっぱり誰にも聞こえなかった。

「…え?有紀ちゃん、今、何かいった?」

「まさか!幻覚…じゃなくて幻惑…じゃなくて幻想…じやなくて幻々?!…ね」

「ちょっと。何、ゲンゲンゲンゲンいってんのよ。由香ちゃんってぱさぁ、頭悪いんだから…あんまり難しい『英語』使わないほうがいいよっ。「ぬしの名は。」?♪君の全全全…」

「な、なに言ってんだか、この馬鹿蛍!」

 由香は少しムッときて怒鳴った。そして、気分を落ち着かせてから、おだやかな口調で、「あの、有紀ちゃん。一緒にいくわよね?」

「……あぁ。だから…その…私…」

 やっぱり有紀の声はきこえない。

「ねぇ、いこうよぉ。一緒にさあっ。たいした絵じゃないけどさぁ」蛍は失礼なことをいった。由香は呆れて「ぁんたねぇ…いっていいことと悪いことがあんでしょ…?!」

「…あの…ごめんなさい。その…」

「……え?」

 ほんの微かではあるが蛍と由香の二人組は有紀の弱々しい声を聞いた…ような気がした。「……え?え?え?」ふたりはオドオドと立ち尽くしている黒野有紀の口元に、静かに耳を近付けた。そして…、

「…あのっ。ごめんなさいね。もう一度、いってくれるかしら?」と明るくお願いした。「…あの…」有紀はやっと動揺した声で囁いた。「…だから……ごめんなさい。私…いけないわ」

「…?!何?」

「………いけないの」

「……あ?あぁ。いけない……え?行けないの?!」

「…えぇ。それじゃあ、私、これで……」有紀はそういうと、身を翻した。

「え?何っ?なんていったの?」

「……。」有紀は何も答えずに、そのまま可憐な足取りでゆっくりゆっくり歩き去った。 蛍と由香は、うーん、と頭をひねって「なんていったのかしら…ねぇ?」と思わず呟くしかなかった。


  東京銀座四丁目の画廊「ギャレット・ラ・パームズ」の室内はさほど広くはない。

 広くもない室内にはついたて板が並んでいて、絵は額に入れて吊されていた。その絵とはもちろん赤井宝林の洋画のことである。

 蛍たちは個展会場へ向かって明るく、やはり「無駄話しながら」並んで歩いていた。

「あのねぇ。蛍ちゃん、蛍ちゃん!そんなことしている場合じゃないでしょっ」

 突然、空からひらりととんできたセーラが蛍に近付いてきて、そんな風に呟いた。ほとんど、誰もがその存在を忘れるほどに、この妖精はどこかに姿を消していた。そんなこともあって…、

「…誰?あんたは誰かしら?あんまり姿がみえないんで私忘れちゃったよ」

 と、蛍は冗談めかしにいった。

「あの…ねぇ。もおっ」妖精は少し言葉をつまらせてから。熱っぽい口調で「そんなことより…魔の女王「ダンカルト」の魔の手がこの地上に刻一刻と迫ってきているのよ。特訓とかしてさぁ…戦士としての自覚をもってもらわなくちゃ困るのよねぇ。それに…」

「まぁ、まぁ!」蛍はカラカラと笑っていった。「いいじゃん、今が楽しけりゃ!」

「…あのねぇ」セーラはやたらと呆れてしまった。まったく蛍ちゃんってば…。

「そういう考えだから…!!…あ、ちょっと待ってよ!」セーラは「お説教」を呟き出したが、それは無駄だった。蛍が、何も聞きもせずにスタスタと遠くまで歩いていったからだ。 そして、そんな蛍に付き合って呆れた時に口ずさむセリフ、口癖になってしまったロゴス(言葉)「…あのねぇ。もおっ、知らない!蛍ちゃんなんて大っ嫌い!」を溜め息まじりに妖精セーラはあもわず言ってしまうのである。そして、

「……なによ、何よ、もおっ!妖精だとおもって馬鹿にしちゃってさぁ!蛍ちゃんなんて……馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」と可愛らしく癇癪を起こしてしまうのであった。


  画廊「ギャレット・ラ・パームズ」の人気のない会場内の一角にたっていた赤井宝林は戦慄した。冷酷で無慈悲な魔物・フィーロスが襲いかかってきたからだ。

「…うっ」

 フィーロスは「静かにしなさい」と、暴れる宝林を押さえ込んで、左手を宝林の胸元にあてた。宝林の胸元から白い閃光が四方八方に飛び散って放たれていくと、芸術家は「…ぐうっ」といって気を失って気絶してしまった。だが、フィーロスの期待どおりにはならなかった。フィーロスの望んでいたものは手に入らなかった。

「…なによ。もぉ。この男…トゥインクル・ストーンの持ち主ではないじゃないの!!」

 フィーロスは怒りを顔に現して吐き捨てるようにそう言った。そして、しばらくして、「…そうだわ。この男を操って…例のマジックエンジェルをおびきだせば…」

 フィーロスはそう呟いてニヤリと悪魔の笑みをうっすら浮かべると、鷹のような鋭い目をギラリと光らせた。そう、魔術をつかったのだ。

「…ーヴうっ」赤井宝林は悪魔のパペット(操り人形)と化して、控え目な瞳を曇らせ手、ギラリと眼光を赤色に輝かせていた。つまり、エクソシスト(悪魔払い師)の造語でいう「悪魔付き」になったのである…。


 蛍たちは個展会場である画廊「ギャレット・ラ・パームズ」になんとか辿り着いていた。なんとか…とは、着くまでに、例によって「より道」を何度も繰り返したからである。個展会場はけっこう人込みがすごかった。そんな芸術の熱にすこしだけ押される感じで、蛍たちは会場をかっ歩していった。

「…あの…蛍ちゃん…蛍ちゃんってば……」

 妖精はこりもせず「出来そこない」の耳元の近くをひらひらと舞い飛びながら呟いた。「蛍ちゃん…!ちょっと…無視しないでよ!!」

 次の瞬間、蛍はセーラの顔をキッと睨んで「う、騒さいのよ!もおっ」と、なぜかポケットから殺虫スプレーを取りだして、噴射した。

「…ごほっ、ごほっ」セーラは煙りにむせかえってから、

「ち、ちょっと!ちょっと!なにするのよぉ。私はハエじゃないのよっ!!」

 と、激しく憤慨して叫んだ。いや、怒鳴った。もおっ、何を考えてるのよ蛍ちゃんは?

「こんなことするなんて最低っ!!最低の人間のすることだわ!!動物虐待でWWFに訴えてやるんだからっ!!」

「WWFって…女子プロレスの団体か何か?!」

「…何いってんのよ!もおっ。……世界的な野生動物の保護基金のことよ!!なにが、女子プロレス団体よっ、馬鹿じゃないの?!」

 蛍はセーラの言葉が癪に障った。「な、なによ!ちょっと!ちょっと!ちょっと!言い過ぎじゃないの?!それに、あんたいつから”野生動物”になったっていうの?!あんたこそ馬鹿じゃないの!」

「なんですって!」

「なによっ!」

 こうして低レベルな「言い争い」が続くのだが、話しが長いのでカットする。…

  由香は招待客らに挨拶をしていた父親に、「パパっ、パパっ!」と声をかけた。

「やぁ、由香」宝林はとても優しく笑顔のままで愛娘にいった。しかし、そうした幸福も一瞬で、宝林は急に、

「うぐあぁ…」と苦しそうにうなって頭をかかえてガクリと両膝を床につけてしまった。激痛で全身が小刻みに震えた。

 由香は「パパっ、大丈夫?!しっかりして!」と声を出して父親にもとに駆け寄り、背中を擦った。…どうしちゃったの?!パパ!

「……あ」宝林の両目がギラリと鷹のようにあやしく光ったことに驚いて、由香はゆっくりと後ず去った。だが、パペットと化した父親は、そんな由香を見逃さなかった。次の瞬間、由香は「きゃあぁっ!」と悲鳴をあげて背後のかなり遠くの壁に激突して倒れこんだ。パペットと化した父親に殴り飛ばされたのだ!このままでは由香が危ない!

「ゆ、由香ちゃん!」

 立ち尽くしていた蛍は驚愕して叫ぶと、不安気な表情をセーラのほうに向けた。

 セーラは力強く勇気をもって「さぁ。蛍ちゃん、封印よ!戦うのよ!」と命じた。

「うん」蛍は両手をバッと大きく開いてから、決心したように眉をキッとツリ上げて、そしてお札に手をかけ、頭上へと振り上げた。

「お札よ、魔物を封印せよ!」

 燐とした声が響いた。

 しばらくして、フィーロスの、

「皆、殺してしまうのよ!」という冷酷な声がどこからか会場内に響き渡った。そしてそのフィーロスはパペットの宝林の横に姿をあらわして、もう一度「粛清」を命じた。

 そんな時、いやその命令を遮るように、

「やめなさい!」

 という、少女の可憐だが勇ましい声が響き渡った。その声の主は「伝説の戦士」青沢蛍だ。フィーロスらは、その声のした方角へ視線を向けた。そして、戦士と対峙して攻撃を開始した。

 ドオォ・ンという爆風に吹き飛ばされ「うあっ!」っと蛍は床に激しく転がった。うつぶせに倒れた蛍は、

「あ、痛たたた…っ」と、身を起こして腰に手をあてて、そう情ない声を発した。まるで負け犬だ…。

何度も攻撃をよける。だが、攻撃をよけていても勝てはしない。光剣の乱射で、蛍の足元や壁はボロボロに破壊される!!!まともに当たったら……たぶん死ぬ!!

「わああ!きゃああ!」必死によける。「当たったら………死ぬ!!!!」

 突然、由香が弾かれたように蛍の元に駆け寄って「蛍、だいじょうぶ!?」と心配して大声で言葉をかけた。「ゆ、由香ちゃん……」

 次の瞬間…悲劇はおこった。フィーロスの放った光剣が鋭く目の前に迫ってきて、蛍はよける間もなくなって恐怖で身を震わせた。ギュッ!と絶望で目を閉じた。絶対絶命!

「ーぐうっ!」しかし、光剣の直撃を受けて、激痛に顔をゆがめたのは蛍ではなかった。それは、由香だった。彼女が、自分の身をなげうって、蛍という「親友」を守ったのだ。「ーゆ、由香ちゃん!」

 蛍は思わず涙声で叫んだ。由香は、蛍の知っている「生意気」で「少し傲慢」な顔とは違っていた。激痛で表情はゆがんでいたけど、その美しく真っ白な肌も顔もセミ・ロングの髪の毛も、とてもきらきらと魅力的に輝いてみえた。まるで、マリア様のようだわ…。一瞬、蛍はそう思った。

「…ほ、蛍っ、怪我はない…?」

 由香は激痛をがまんして微笑した。

「…あ、うん。でも……由香ちゃん」

「…そう、よかった…わ」

 しかし、その微笑みも、次の瞬間、凍りついてしまった。

「由香ちゃん……私のために…こんな目に……」

「いいの…よ。私たち…親友…で……しょ?…」

 由香はもう一度だけ微笑してから、静かに床に倒れ込んだ。蛍は悲しみのあまり言葉を失った。そして、顔を凍りつかせた。ビュウウ…ッ、という音に気付いて振り向いたとたん光剣が迫ってくるのを知ったからだ。彼女はちいさな悲鳴をあげて飛びのいた。

「うわっ!」

 なんとか光剣をかわした。だが、今度は、フィーロスの両手から炎の剣が矢継ぎ早に放たれた。……直撃はなかった。が、蛍の近くの床面や壁にぶつかり、亀裂が走るとバウッ!と大爆発を起こした。なおも攻撃してくるフィーロスに底知れぬ恐怖を感じた蛍は、必死に、逃げ出した。ほんとに負け犬だ。

 だが、次の瞬間、恐怖は頂点に達した。「うあぁっ!」蛍は何十という炎の剣に周りを取り囲まれ、行く手を遮られてしまったのだ。悲鳴すら掠れ、足をひっかけて転んだ蛍に、容赦なく炎の剣が迫る。くそう!必殺技レインボーアタックが効かない!!なんで??!!「レインボーアタック!」駄目だ!!なんで?!!!

「いやだぁーっ!誰かぁ、なんとかして!」

 彼女は思わず涙声で絶叫した。

「痛っ!」蛍は手首に軽い傷を負った。と、その後、パペットと化した宝林が「ブアァッ!」とわけのわからない叫びをあげながら彼女に襲いかかった。由香の苦悩の表情や自分の人生で楽しかったことなどが蛍の頭の中に走馬燈のように駆け巡った。…殺される!私……死んじゃうの?!

 



「由香ちゃん、大丈夫?!しっかりするのよ!」

 セーラは倒れ込んでいる由香に近付いて、少し泣きそうになりながら呼び掛けた。そして、じっと由香の顔を覗きこんだ。とてもきらきらとした表情をしている。

「う……痛たた…」しばらくして、由香は微かにうなって、全身を小刻みに震わせ、荒い息を何度もついた。…生きてるわ!

 妖精は「ま、待っててね、由香ちゃん。いま、楽にしてあげるから……!!」と同情を込めた口調でいった。そして、「タターナ…」と声のトーンをおとして、燐とした表情をして左手の人差し指を天にかざして、

「タターナ・ラーマヴァーナ・アンダージュ・パ・ダクシオン!!」

 と、”慈愛の神タターナそして天空の神ラーマヴァーナよ…癒しの風を与え給え”という意味の呪文を可愛らしい声で唱えた。すると、セーラの人差し指からきらきらと輝く癒しの風が吹いて由香の体を包み込んだ。やがて由香は瞳を開けて、

「…ううん。う……あ、あれっ?!」そんな風に驚いて、ゆっくりと起き上がった。そして、不思議そうに自分のからだを舐めまわすように視線を走らせた。「…な、なんで?!どこも痛くないし、傷もない。血もでてないわ!」

「由香ちゃん!」セーラは不思議そうに立ち尽くしている由香に熱心な口調でいった。

「あなたに出来るかどうかわからないけど…封印用のお札を渡すわ!」

「…?封印って何?!」

 妖精は質問には答えずに燐とした顔で右手を頭上に伸ばして、「ラマス・ハパス…」と呪文を可憐な声でとなえた。すると、次の瞬間、セーラの右手から赤い閃光が四方八方に飛び散った。

「な、なんなの?!」

 由香は思わず眩しくって瞳をぎゅっと閉じた。そして、しばらくしから目を開けると、「さぁ、由香ちゃん。…このお札を手にもってみて」と、セーラが微笑みながら右手に持った赤色のお札を差し出した。

「…なにこれ?…オモチャ…?」

「…あのねえ。…まぁ、いいから!もってみてよ!!」

 由香はオドオドとお札を手にもって、

 こんな安っぽいオモチャみたいなものがなんになるっていうの?」と、素直に尋ねた。「や、安っぽいオモチャ?!……あのねぇ。このぉ。……まぁねいいや。…それで「封印」するのよ!そのお札を天にかざして”魔物を封印せよ!”って叫ぶの!!」

「…え?」由香は呆れ顔で皮肉たっぷりな声で「なによそれ?オカルトアニメかなにかの観過ぎなんじゃないの?」

「…あのねぇ。もおっ!!」妖精は激しく反発して叫んだ。「ちょっと、ちょっと、ちょっと!蛍ちゃんじゃあるまいし、このセーラちゃんが「オカルトアニメ」なんてみると思ってる訳?馬鹿じゃないの?!」

「な、なによぉ!その言い方…頭くるわねぇ!この妖精ごときが!!だいたいあんたなんて空想の生き物じゃないのさぁ!」

「…なによっ、なによっ、なによっ!もぉっ!馬鹿にしてもらっちゃあ困るってもんよ!私たち妖精はあなたがたより偉いのよ。ビックで、ゴージャスで、スペシャルで、スーパーで、ハイパーな存在なのよ!…なにさぁ、由香ちゃんなんてぇ…馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」と、妖精セーラは可愛らしい癇癪をおこした。

「馬なんて…いったいどこにいるっていうの?!」

「馬じゃなきゃ……カンガルーに蹴られてっ!」

「ここはオーストラリアかしら?」

「…じゃあ……ジャッキー・チェンにでも蹴られて死んじゃえーっ!」

「あんた香港映画の観すぎよ」

「…まぁね」セーラはそううなづいてから、熱意をこめて祈るようにいった。「…とにかく、やるしかないのよ!封印よ、由香ちゃん!!」

「…え?でも…さぁ」

 由香は躊躇しながらも赤色のお札に手をかけた。そして、ゆっくりゆっくり頭上へと振り上げた。…もおっ、やりゃあいいんでしょう!

「えぇーと」

 あ!そうだ!

「…お札よ間男を封印せよ!」

「……あのねぇ。間男じゃなくて魔物!お札よ、魔物を封印せよ!」

 セーラは呆れて、抑圧のある声で叫んだ。

「馬鹿じゃないの?!」

「………もおっ、わかってるわよ。今のはギャグよ、ギャグ!やりゃあいいんでしょ?!」 由香は大きく息を吸いってから、

「お札よ、魔物を封印せよ!」

 と、燐とした声で叫んだ。次の瞬間、カッと頭上にかざしたお札から赤色に輝く閃光が四方八方に飛び散り、しだいに由香の身体を包み込んだ。そして、赤色の光が消えると、フィーロスめがけて光が飛んだ。あの由香が伝説の戦士マジックエンジェルの仲間となったのだ。由香は、心臓が早鐘のように高鳴るのを感じた。

 セーラは由香に伝説の戦士のことなどを耳打ちした。そして、

「とにかく、あの通り…蛍ちゃんが危ないわ!はやくいって闘うのよ!」と、大声で命令した。


  あの通り…の蛍は、パペットと化した宝林から必死に逃げまわっていた。が、その姿はあまりにも滑稽である。まるで負け犬…いや三流コメディアンのようだ。

「もおっ!やだ、やだ、やだ、やだ、来ないでってばさぁっ!!」

 蛍はそう涙声で叫ぶと「アタッ」と転んだ。…なによっ、なんで私だけこんな目に…?!「あははは…はやいとこそこの「お馬鹿さん」を殺しちゃいなさい!」フィーロスは笑った。

 そんな時、

「スットップッよ!」

 という、ちょっとイントネーションの間違った英語(STOP)が響いた。少女の猛々しい声。…もちろん声の主は、赤井由香だ。フィーロスとパペットは動きをとめ、声のした方角へ振り返った。

 マジックエンジェルの由香は悠然とプリマ・ドンナのようにたって、

「ドント・ストップ!……じゃなくて…ストップ・アクション!もしくは…フリーズよ!この私が来たからには…もう悪いことをすることは許さないわよ!!罪を認めて私の前で堂々と謝罪しなさい!」と、正義の味方らしい口調で宣言した。

 そして、戦闘体制に入った。

 フィーロスはほんの一瞬、何がフリーズよ!何が謝罪よ!また”お馬鹿さん”が一匹増えたみたいね…と立ち尽くした。まぁ、いいわ…二匹とも殺してやるから!

 フィーロスはニヤリと笑って由香と対峙し、

「地獄へ落ちなさい!お馬鹿さん」

 と、両手から炎剣を矢継ぎ早に放って攻撃を開始した。由香はその攻撃を間一髪かわして、「うあぁっ!」と悲鳴をあげて転んだ。グアァッ、と近くの床や壁が爆発する。

「あ、由香ちゃん!由香ちゃん!」

 負け犬の蛍は、心配して叫んだ。

 急いでセーラが由香の元へと飛んで、

「由香ちゃん、必殺技を使うのよ!」

「必殺技って、コブラ・ツイストとかエンズイギリとか十六文キックとか?!」

 妖精は大慌てで逃げ回る由香に怒鳴るように教えた。「レッド・ハリケーンよ!レッド・ハリケーンって叫んで、右手を弓のように頭上から降り下ろすのよ!!」

「……わかったわ!」

 由香は、キッと目を鋭く輝かせると、右手をゆらゆらと蛇のように頭上にかかげて、

「レッド!…」と叫び、続けて「…ハリケーン!」と大声で全身の力を込めて右手を弓のように降り下ろして叫んだ。ビュウウ…ッ。右手のお札から輝かしく荒々しい「赤いハリケーン」が吹き荒れ、目にもとまらぬ速さできらきらと赤色に光りつつ、フィーロスに向かって放たれた。空間を走るハリケーン!!

「きゃあぁーっ!」

 ハリケーンの直撃をうけて、フィーロスは悲鳴を上げた。そして、そのままどこかへ姿を消していった。次の瞬間、パペットと化していた宝林が人間の姿へともどって、気を失って床に倒れこんだ。

「ゆ、由香ちゃーん!!」

 蛍は喜んで涙を流しながら由香のもとへ駆け寄った。「ほ、蛍!」そして、ふたりは感動的に強く強く抱き合った。

「どう?蛍。私の闘い方は……?」彼女は魅力的な表情で尋ねた。「とってもカッコよかったでしょう?」

 蛍があっけにとられて目をやると、彼女は視線を受け止めてニコリとさりげなくいった。「負け犬のあんたよりは」

 蛍は笑顔をみせた。さすがだ!さすが由香ちゃん……嫌味ったらしい。

「まぁ、そうね」蛍は明るい口調で答えた。

 やがて、気絶していた宝林が起き上がって「うう…ん」と頭を軽く振った。由香は弾かれたように父親のもとへ駆け寄った。「パパっ!」

「ははは…。由香、そんなにビックリしたような顔しないで」

「じゃあ、ぶん殴られたって顔はどう?」

「なら、やってみせて」

 由香はその表情をつくり、ふたりはぷっと笑いあった。そしてふたりは見つめ合い強く強く抱き合った。ほんわりほんわりとした抱擁。優しい優しいきらきらした時間が流れては過ぎていった。

 そんな眩しい一瞬……それは平和の瞬間だ。


  次の週の月曜日の昼間。さっさとお弁当をたいらげた蛍と由香は、だれもいない青山町学園の屋上で「フェンス」にもたれかかって話をしていた。

「……いろいろあったわね」と由香。

「そうね。いろいろ…♪人生いろいろ…ってな感じかなぁ。あははは…」

 ふたりは、もうんなにもかも終わった(エンディング)とでもいいたげな雰囲気で空の青を遠い目付きで眺めながらしばらく黙りこんだ。

 どこまでも透き通るような青い空、ゆらゆらふわふわと浮かぶ雲たち。ほんわりほんわりとした昼間のとき…。ソレハ青春の鼓動だ。

「そうそう、由香ちゃん。そういえばさぁ……かんてーん?!のほうはどうなった?」

「うーん」由香は少し残念な表情になって「…ダメだったわ。…落選しちゃった」と言って、しばらくして魅力的な笑顔を無理してみせた。

「…そう。そりゃあ残念だったわね。でも…まぁ、気にしないで。明日にや明日の雨が吹くっていうっしょ?」

「雨が吹く訳ないでしよ。風よ風!」

「……風邪?あのセキのでる病気の…?」

「バーカね」由香はそう冗談めかしに明るくいってから、もう一度、空の青を見上げた。「まぁ、みてらっしゃいよ。私の絵をおとした連中にも世界中の人々にも……この由香ちゃんのアーティステックなタレントってもんをみせつけてやるんだから!」

 由香は傲慢にではなく、素直に可憐な微笑みを口元に浮かべながら宣言した。

「タレント…って?由香ちゃんってば…いつから芸能人になったっていうのさぁ。…歌でも出したっけ?」

「……馬鹿じゃないの!!」由香はナイーヴ(無邪気)な皮肉屋らしい口調で蛍にいった。「タレントっていうのは才能って意味なの。これはフランス語ね」

 彼女はそういって不思議そうな蛍の肩にそっとふれて笑った。

 …ちなみに、タレントというのは、フランス語でもドイツ語でもなく「英語」である。



 VOL・3 ”秀才少女”有紀に、蛍が、お勉強で挑戦?!

          マジックエンジェルブラック覚醒



  蛍が一人でトボトボと暗い夜道を歩いていると、突然、ガラスがガシャアンと激しく割れる音と「ほ…蛍ちゃん、食べておくれよ!!」という叫び声が辺りに響き渡った。彼女が驚いて振り返った瞬間、草原がブウウァッリッと『カスタード・クリーム』の海と化した。「なによ?!」トランプの兵隊たちに連行されていく大勢の『イチゴ・ケーキたち』が断末魔の悲鳴を上げながらラビュリンス(迷宮)の扉の中へと消えていく。それは蛍がかつてアニメでみた”不思議の国のアリンス”にも似ていた。

 …皆、私に食べてもらいたいと願ってるのにっ……きっと悪い奴らの所に連れていかれてパクパクやられちゃうんだわ!!もおっ、そうはさせるもんですか!!苺ケーキちゃん達!「あああっ!」彼女は小さな悲鳴を上げて飛びのいた。彼女の大好物の『カレー・コロッケ・パン』君が家畜のように引きずられていくのを目撃したからだ。カレー・コロッケ・パン君は何度かパクつかれたのか、顔中が穴だらけだった。これじゃあ、食べれないよ! 愕然と立ち尽くしていた蛍は、キッとした表情になり、

「ま、まって!待ってよ!カレー・コロッケ・パン君は私のものなのよ!私が…この蛍ちゃんがパクつくものなのよ!!」

 と叫びながら必死に駆け出した。しかし、走っても走っても、まるっきり追い付けなかったし、それどころか距離はどんどん広がっていった。カレー・コロッケ・パン君の悲しげな横顔が遠ざかっていく。と、次の瞬間、ほわほわのホイップ・アイスの波が襲いかかってきて彼女はギュッと目をつぶった。

 しばらくして蛍はふたたびビックリしてしまった。瑠璃色の光の中で、草原に呆然と立ち尽くしている自分を発見したからだ。

 ーどうしたんだろう?彼は?!カレー・コロッケ・パン君は?!ー

 天からの陽差しがきらきらきらきらと辺りを照らしていた。誰もいない。

「……あっ、これは!!」

 蛍の目の前に、サビついて誇りに覆われて蔦まではいまわっているようなスクラップ寸前の『エヴァンゲリオム』があった。カンターム…それは蛍が小学生の頃に熱心にみていたアニメ番組『銀河戦士・エヴァンゲリオム』の中でヒーローのミーシャ・ゴルビーという美少年が乗って宇宙を飛び回るコンバット・マシーンだ!いわば、ロボットの主役だ。ちなみにM・ゴルビーのライバルは、ミハエル・プーチーンという薄髪のシルバー大佐と呼ばれた敵のグレムリン軍のエースだ。

「エヴァンゲリオムだわ!本物のエヴァだわ!あの憧れのヒーロー、ミーシャ・ゴルビーの乗っていたマシーンよ!!なつかしいなぁ……よく小学生のときに熱中して観ていたもんなぁっ『銀河戦士・エヴァンゲリオム』!」

 なんともアーティステックな光景だった。蛍は茫然と立尽くしてまざまざとエヴァンゲリオムをみつめほわっとした表情になった。ー「よし!」

 サビついた機銃座にすわると、なんだかどうしようもない衝動にかられるのを感じた。 妖精セーラが低く、大地をかすめるように飛んでいる。蛍はそれをおおらかな気持ちで眺めてから、いささか興奮した気分で銃口を妖精セーラにあわせて、狙いを定めた。

「死になさい、セーラっ!!」

「ダダ・ダ・ダ・ダダダッ!」

 もちろん弾は一発も発射されなかった。彼女が自分の口でいっただけだ。だが、それでも蛍はなぜだかとても興奮してうれしくなって微笑んだ。「やったわ!やっつけたわよ!地獄に落ちちゃえっ、セーラ!!」

 しかし、その微笑みも、次の瞬間、凍りついてしまった。キャタピラのキュルキュルという音に気付いて振り向いたとたん、数百メートル前方からトランプ軍の戦車・大勢のトランプ兵隊が迫ってくるのを知ったからだ。しかも、蛍の大嫌いな「タコヤキ」を手に持っている!彼女は小さな悲鳴をあげて飛びのいた。

 トランプ軍の戦車の砲台が、矢継ぎ早にピーマン弾を噴いたからだ。

「や、やだっ!私、ピーマン大嫌いなのよっ!!」

 直撃はなかったが、蛍の近くの地面や樹木にぶつかり亀裂が走るとポワン!と大爆発をおこした。そして、緑色のソース状のものが飛び散った。なおも攻撃してくるトランプ軍に底知れぬ恐怖を感じた蛍は、戦慄し、そして、

「やだよぉっ、やだよぉっ!!ピーマンとタコヤキなんて大嫌いだあーっ!来ないで、来ないで、来ないでよぉ!」

 と、必死に逃げ出した。

 だが、その次の瞬間、恐怖は絶頂に達した。蛍は何万人という「タコヤキ」を手にしたトランプ兵たちに辺りを取り囲まれ、行手を遮られてしまったのだ。悲鳴すら掠れ、足を引っ掛けて転んだ蛍に、殺気だったトランプ兵たちが容赦なく迫る。

「なによぉ!!もおっ…」

 彼女は思わず涙声でいった。トランプ兵の狂気の叫びが聞こえる。

「さぁ、蛍ちゃん!たこやきを食べんだよ!」

「食べなさい!タコヤキ!大阪名物のタコヤキっ!!おいしいよ!!」

「い、いやよっ!誰がタコヤキなんて食べるもんですか!わあっ、待って!待って……話せばわかるってばさぁ!」

 彼女は手首をつかまれた。と、トランプ兵達は「食べぇにゃちゃい!」といってタコヤキを手に襲いかかった。…腐ったタコヤキを知らずに食べてお腹を壊した小学生時代やピーマンを食べて肌に赤いブツブツができて困った幼稚園の頃の苦悩な表情が、一瞬、走馬燈のように蛍の脳裏をかすめた。…「タコヤキ」が口に近付く!

 ………ーいやだぁーっ!……


  蛍は悲鳴を上げながらガバッとテーブルから飛び起きた。そこは自分の部屋だった。テーブルにうつぶして眠っていたのだ。額は汗びっしょりになって、窓からは午後のだらだらした眩しい陽差しがみえている。夢だったのか…?!びっくりしたよ…もおっ!

「…ちょっと、あんた!いい加減にしてよね」

 床に置いた座布団上の由香が呆れまくった顔でそんな蛍に嫌味ったらしくいった。そして右手で前髪をかきあげた。

「なにが、カレー・コロッケ・パン君よ!!なにが苺ケーキちゃん達よ!なに寝言いってんのよ!」

 横にいた妖精も黙っていない。「そうよ、そうよ、聞いたわよ!なにが、”死になさいセーラ!”よっ!!…なにが、”地獄に落ちちゃえ、セーラ!”よ!!……もおっ、知らない!蛍ちゃんなんて大っ嫌いよ!!」

 もおっ。なんにを考えてるのよ、蛍ちゃんってば。「今は作戦会議中だったんでしょ?!」「さくせんかいぎちゅう…?何よそれっ?!どういう意味よ?ネズミの名前?」

「バーカね、蛍は…」由香は無視するように言ってから、タメ息をついて珍しく『ことわざの本』のページをパラパラめくってから蛍に見せて、

「じゃあねぇ、…これっ、何て読む?」

「どれよっ?」蛍は、ジッとページに踊る文字、由香の白く細い指先がしめす『ことわざ』を覗きこんだ。ーえ?えーと……。

 窮鼠、猫を噛む。…と書いてある。蛍は、足りない頭をひねってから、明るい口調で、「そりゃあ、由香ちゃん。キューチュー、タヌキ(狸)をムシバムっよ」

 由香は「なにいってんだがか、この馬鹿蛍!何が、キューチューよ!」とニヤリと皮肉屋らしく馬鹿にした笑いを口元に浮かべた。

「でもさぁ、蛍ちゃんらしいわね。……確かに、鼠って…チューチュー鳴くものね。猫と狸って漢字が似てるし、同じ動物さんな訳だし……。噛むと蝕むは、まったく違うけど…でもお口の中で「甘いもの」を噛んでたらいつかムシ歯(む)になっちゃったりするわけだもんねえ」

 セーラは呆れ顔で、それでも優しい優しいお母さんのような笑顔を浮かべてそういった。「まったく情ないなぁ、こんな漢字も読めないなんてさぁ」

 蛍は由香の言葉にムッときて、「じゃあ、さぁ。何て読むのよ!由香ちゃん読めんの?!」「当然でしょ」由香はニヤニヤと自信あり気に笑っていった。「そりゃあ、あんた。このことわざは…………キュー?キュー?キュー……?…キューネズミ、キツネ(狐)をカーム!よ」

 セーラは「……あのねぇ、由香ちゃん。まったくとはいわないけど…九匹のネズミさんがキツネさんを噛んでいるみたいで…ちょっと意味が通じないわね」とズッコケて、呆れ顔で呟いた。そして、ちょっとインテリ風に、「キューソ、ネコをかむ…ね。意味は、弱いもの(ネズミさん)でもあまりにいたぶられて追い詰められれば頭にきちゃって強いもの(ネコさん)に反撃しちゃうっていうことね。だから弱者を甘くみちゃいけないのよ。つまり…弱いものの必死の反撃って意味ね」

「ふーん。」二人の”出来そこない”蛍と由香は少しだけ関心してうなづいた。しかし、意味は理解してなかった。……

「それよりさぁ。なんであの時の闘いでレインボー・アタックが効かなかったのかなぁ?」「レインボー・アタックって何?洗剤?」

「まぁ、いいから由香ちゃん…黙っててよ。ねぇ、セーラ…なぜかなぁ?」

 セーラは少し考えてから「わからないわ……でも敵もそんなに馬鹿じゃないってことね。きっと、蛍ちゃんの技を研究してるのよ」

「レインボー・アタックって何?洗剤?」

「まぁ、いいから由香ちゃん…黙っててよ。そうか…研究してるのかあっ」

「あの…レインボー・アタックって…?」

「黙ってて、っていってるっしょ!」蛍の冷たい言葉に由香は反発して「な、なによっ!何よ、なんなのよっ!!頭にくるわね、その言い方!なにがレインボー・アタックよ。スポーツ少女アニメ、例えば『アタック・ナンバーズONE』とかの観過ぎなんじゃないの?! と、皮肉たっぷりに怒鳴った。

「なによ、由香ちゃんってば…そんな古いアニメ番組名なんてだしちゃってさぁ。もっと新しい、『ちびまことちゃん』『エヴァンゲリオム』『エンピツしんちゃん』とか『トラコンポールGT』とか『セーラ・ムフーン』『シンジン・ゴジラ』とか『トラエモン』とか『ぬしの名は。』『銅魂』『進撃の阪神』『お前はどう生きるか?』『膵臓も叫びたがってるんだ!』……そういうアニメ番組名いってよね」

「なにいってんだかわからないわ。そんなことばかりいってると…あんたの大嫌いなタコヤキとピーマンを口の中に押し込んじゃうわよ!」

「う…」蛍は顔をゆがめて、「やめてっ!!」

 と両手で頭をかかえて叫んだ。

 妖精は、敵がなぜすぐに地上に攻めてこないのか、敵がトゥインクル・ストーンという輝石を狙っていること、そして敵と闘うためには特訓とかして技を磨かなくてはならないことなどを”念仏”のように語った。

 しかし、例のふたりはその”念仏”をきいている内に、ぐっすりと眠り込んでしまった。 さすがに低レベルな二人組だ。……

「…あのねぇ。もおっ」

 妖精セーラはいつものように呆れてタメ息をついた。


  次の日は、水曜日というなんともあまり意味あいのない曜日のほんわりと晴れた一日だった。蛍と由香はいつものように学校の通路をかっ歩しながら「無駄話し」をしていた。 そこへ、あの「冷酷で無慈悲な機械」と噂されている神保先生が蛍の背後から声をかけてきた。

「おい、蛍!おい、この馬鹿蛍!」…と。

「……ちょっと、呼んでるよ蛍。神保が」

「………なんだろう?カンニング……じゃなくて神保の靴にガビョウいれたのバレたのかなぁ?それとも神保の椅子にカミソリ忍ばせたのが…バレたのかなあ?」

「あんた、あの「冷酷で無慈悲な機械」にそんなことした訳?怖いものしらずね」

「…ちょっと、本気(マジ)にとらないでよっ。冗談に決まってるっしょ?!」

「……でも、カンニングっていうのはマジでしょ?」

「…うっ」

 ふたりがボソボソと囁きあってると、神保はツカツカと背後から歩み寄って、蛍の肩に手をかけた。「おい、この馬鹿!ちょっと、職員室までこい!」

「先生っ!そんないいかたないっしょ?!」蛍はいったが、神保先生は何の表情もみせずに、ただ「いいから、来い!」と蛍を連行していった。

「…やだっ!ちょっと…はなしてよっ」

「……ありゃりゃ」

 由香は、唖然と立尽くしてしまった。

  

 職員室はたいして広いわけではない。机がかなり並んでいて、机の上には書類などが山積みされていて汚らしい。新型のパソコンやタブレットペーパー端末もある。だが、とてもインテリジェンスとかノウレッジだとかが存在したり生み出されたりする空間とは思えない。ホーリー・エリアとは恥ずかしくていえない所だ。 

 蛍は神保先生の机の前に立ち尽くし、たっぷりと「お説教」をうけてシボラれていた。「ほ、蛍、青沢蛍!なんだ?昨日の数学の抜き打ちテストの成績は?!0点ではないかっ」「……あの、ちょっと頭が痛くって……」蛍は泣きそうな顔で下をむいたまま呟いた。

「……ほんとうは簡単にできるんですよ、数学なんて。ピーター・ブランクルとかみたいに」

 神保先生は鋭い歯を見せて、眼をギラリとして、「馬鹿もの!おまえは外人か?!そんなみえすいた嘘いってるんじゃんない!」と怒鳴った。

 蛍は、神保の「怒り」に触れて、全身を恐怖で小刻みに震わせた。

「やだよぉ、誰か助けて!」

 そして、次の瞬間、ゲンコツが飛んだ!


  職員室を出て扉をピシャッと閉めた蛍は「イタタタ…」と頭を押さえて情ない声を出してから、眉をキッとツリ上げて、

「く、くそっ!!神保め!いまにみてらっしゃい。絶対に殴り殺してやるんだからっ!!」

 と、聞こえないように呟いた。そして、ガツン!と壁に飛び蹴りをくらわした。すると、 あの「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀がそっと歩いてきてすれ違った。

 有紀はいつものようにうつむき加減で、肌はいっそう青白い。孤独さ、可憐さ、繊細さ、幼さ、可愛らしさ、優しさ、暗さ……そんな色々なオーラが黒野有紀という美少女をこの世に存在させているのかも知れない。

「お勉強」は出来るが「お話し」ができない美少女…。秀才の黒野有紀の可愛らしい大きなおとなしそうな瞳の奥には、いっそう「暗い闇」が見え隠れしていて、ちいさなちいさなピュア(純粋)な唇にも、白くて細長い手首足首にも全身にも、少し童顔の顔にも「性格の暗さ」を発見できる。…でも、彼女は暗い訳ではなくて、「友達がいないから」こうなるのだ。

 そして、有紀はいつもこう思っている。「お友達がほしい。そして、いっぱいいっぱい遊んでみたい。楽しく「お話し」がしたい。でも…」

 蛍はフト、有紀の行手を遮って、

「あ。あのぉ、有紀ちゃん!ひさしぶりね」

 と、少し遠慮ぎみに明るく声をかけた。

「……」有紀は少し驚いた様子で、静かに蛍の手をみつめた。そして、ドキドキとして胸を押さえた。彼女は、一度ならず二度までもそんな風に親しく声をかけられたことに興奮していた。ーこの子は…あら?お名前は…?!

 だが、有紀はほとんど何の感情も顔には現さなかった。いや、その大きな大きな瞳には、嬉しさと興奮と恐れが混じったようなきらきらした光が輝いてもみえる。

「……。」有紀は上目遣いで不安気な表情のまま、視線を蛍の顔瞳へとゆっくりと動かした。なんとなく有紀の可愛らしい肩や手足が少しだけ震えてもみえた。

「……あのぉ。あなたはどなた…?どんな、お名前でしたかしら?」有紀は微かな声を発した。しかし、やはり蚊の鳴くような微かな声であったため、蛍にはきこえなかった。

「へへへぇ、有紀ちゃんもテストで悪い点とって…先生に呼び出されたんでしょう!?」

 蛍は魅力的な笑顔で冗談をいった。

「…くすっ。」有紀は微かに、口元に笑みを浮かべた。そして、「あの、その……あなたの「お名前」を教えていただけないかしら?」

 と、オドオドと囁くようにいった。

「……え?何?今、なにかいった?」

 ほんの微かではあるが、蛍は有紀の声をきいた…ような気がした。

「……え?え?え?」蛍はふらふらと立尽くしている黒野有紀の口元に、静かに耳を近付けた。そして、「……あの有紀ちゃん。悪いんだけどさぁ、もう一度、大きな声でいってくれる?」と明るくお願いした。

「……だから…そのぉ。」有紀はやっと声をささやいた。「……あなたのお名前を教えて頂けるかしら?」

「……あぁ。名前っ!私の名前か?!」ほたるはニヤニヤと笑ってから、「私の名前は、青沢蛍よ!年は有紀ちゃんと同じ。趣味は、少女マンガとアニメをみること。そして、好きな食べ物はコロッケとエビフライと苺ケーキとカレー・コロッケ・パン!嫌いな食べ物はタコヤキとピーマンね!でっ…只今、ボーイフレンド募集中なのよっ。ビルゲイツや海賊ルフースみたいなのっ!!」

「…そう、蛍ちゃんっていうの。いいお名前ね。……でも……海賊ルフースって誰かしら?」

「……え?なんていったの?悪いけど…もっと大きな声で……」

「……あ、いいのよ。別に……ルフースってひとがどういうひとなのかはあんまり関係ないことだから。…それじゃあ…私はこれで…」

 有紀は微かに微笑んで、そのまま可憐な足取りでゆっくりと職員室の中へと入っていった。…何ていったの?有紀ちゃんの声ってよく聞こえないんだよなぁ…。

 しばらくすると、「蛍ちゃん、蛍ちゃん」といいながら妖精セーラが飛んできて蛍の肩にフワリととまった。

「……なに?セーラ、わざわざ学校まで来なくたっていいっていったでしょ?いいこでお留守番してないと……エサあげないわよ」

 蛍は冗談めかしに言った。

「あの…ねぇ。私は犬や猫じゃないのよ」妖精はニガ笑いしてから、「それよりさぁ…いまのこ…なんか怪しい気がするわ。気をつけたほうがいいわよ。もしかしたら、魔界の手先かも…」

「まっさかぁ、あんな可愛いこが?!」蛍はカラカラと笑っていった。「だいたい怪しいのはあんたでしょ。妖精って「座敷童子」とか「ヌラリピョン」とか「ヌリガベ」とか「目玉焼きのおやじ」とか「大泣きじじい」とかいうのと同じもんじゃんよぉ」

「……蛍ちゃん…妖怪・アニメの観過ぎよ」セーラは呆れまくっていった。…


  昼間の学校の図書館はほとんど誰の姿もなかった。皆、知的探求心が無いのだ。しかし、そうした連中とは「可愛らしくておとなしい文学美少女」の黒野有紀は違っていた。 有紀ちゃんは、おおきなテーブルの隅っこの方に陣取ってぶ厚いフランス語の哲学書を熱心に読み耽っていた。…そう、有紀はフランス語と英語とドイツ語ができる。しかし、外国には一度もいったことはない。……

 有紀は大きな瞳をきらきらさせて哲学書を読み耽っていた。この知的探求心は凄まじい。本とのダイアローグ(対話)。活字という死んだ世界の言葉を生きた言葉としてエッセンスをとらえ、人生哲学を学ぶ訳だ。教養を身につけるとはまさにこのことであってねけしてアニメ番組やマンガ本では学べないし理解できない世界だ。

 そして、例の二人組”お馬鹿さんコンビ”も、有紀ちゃんのそんな「知的レベルの高さ」を理解などこれっぽっちも出来なかった。有紀の姿を、遠くの物陰からじっと覗きみていた蛍と由香は、

「すごいぶ厚いもの熱心に読んでるわねぇ」

「……きっと電話帳みてんだよ」

 などと囁いているレベルだ。さすが、”出来そこない”の二人組である。

「……あのねぇ。電話帳を読み耽っている訳ないでしょ!」ふたりの横にふわりと浮いていたセーラは呆れた声をだした。そして、

「しかし、さすがよねぇ。あなた達とはちがって、あの子には知性が感じられるものね。あ・な・た・達・とは違って…」

「ちょっと、しつっこいのよ!」由香が小声で妖精に注意した。蛍も「そうよ、そうよ、私だってあれ位ぶ厚いマンガ本読むことあんのよっ!!」と小声でいった。

「マンガ本を……あの子が読んでるってでもいう訳?!」セーラは顔をしかめた。

 しばらくして由香が、

「でも、あの黒野有紀ちゃんが頭がいいのも、うなづける訳があんのよねぇ。…有紀ちゃんのお母さんはあの有名な東京帝都大学の助教授なんだもの。……いわばあれは(頭の良さのこと)遺伝ね、多分」

 とニヤリと言った。

「東京帝都っ?!」蛍はビックリした顔で続けた。「東帝大っていえばさぁ……うんとうんと頭が良くないと入学できないっていう日本一ラベルの高い大学じゃんよぉ!」

「そうよ。そのラベルの高い大学よ。ラベル的には、イギリスのオックスフォード、ケンブリッジ…アメリカのイェール、ハーバード、MIT…フランスのソルボンヌくらいにっラベルが高い大学なのよっ!」

「ラベル(封印紙)じゃなくて……レベル(次元)ね。」妖精は呆れつつも素直に教えた。「そんなことどっちだっていいのよ」と、ふたり。

「……あのねぇ。」妖精は口癖を呟いてから、「”この地上で大学ほど美しいものはない。なぜならそこには無知を憎むものが心理の探求のために集まり、心理を知ったものがそれを広めようと努力しているからだ”っていったのは英国の教育者ジョン・メイスフィールドね。大学っていうのは本当は素晴らしい場所な訳…」

「ジョン……ジョン・トラボルタ?」

「……だから……MITにしてもイェール、ハーバード、ソルボンヌにしても素晴らしく輝いている訳。でも、日本の大学ってばダメね。日本の大学、学歴社会の象徴である東帝大にしても、単に一流会社や省庁に就職するためのステッピング・ストーンでしか過ぎないんだもの」

 セーラは語った。が、二人組は何も聞いてなくて、顔を向き合って『恋のおまじない』の話しをしていた。「…あのねぇ。」妖精はため息をつくしかなかった。


  もう放課後になっていた。なんとも時間の流れが早いものだ。「少年(物語の主人公が女の子だから少女でもいい)老いやすく学なりがたし。一寸の光陰軽んずべからず」という孔子の言葉が響くようだ。

 たしかに歳をとりやすいし、なかなか学べないものだ。人間とは嵐の中の塵でしかないのかも知れない。…しかも、そうした思考を理解できるのは黒野有紀ただひとりかも知れない。例のふたり組(蛍と由香)には死んでもわかるまい。……

 学校の校門ちかくの通路は帰宅する学生たちでいっぱいだった。当然ながら、皆には、「お友達」がいてワイワイと並んで楽しく話しながら歩いている。「お友達」がいないのはやっぱり黒野有紀ただひとりである。

 この有紀という人物のような存在は、ある意味では、日本中のどこにでもいるかも知れない(頭や美貌の違いはあるだろうけど…)。自分の意見を堂々といえない。もしくは意見などない。自分だけの殻に閉じ籠って、やがて、精神病で入院したりする。そして、自殺したりする。まったく弱々しい。女々しい。人生のレースから逃げてる。

 もっとも有紀には、そうした「連中」とは違って、知性(インテリジェンス)があり美貌がある。「可愛らしくっておとなしい文学美少女」の黒野有紀には、人生哲学がある。…が、孔子が「必ずしも書物を読むことだけが学問ではない」というように学問と実生活には少しも区別がない。その意味からいえば、黒野有紀の頭脳と実生活はかなりのギャップがある。

 つまり、彼女は”学問バカ”なのだ…。

 有紀はいつものようにしんとうつ向き気味で、一人、孤独に歩いていた。そして、可愛らしい大きな大きなおとなしそうな瞳をうらやましそうに下校する学生達に向けた。

 ちいさなちいさな純粋な唇も、白く細長い手足も全身も、おさげ髪も、なにもかもが孤独などんよりとした光に溢れているかのようだ。それはぼんやりとした光の殻だ。

 有紀は心の中で、フイに、「いいなぁ。私も…お友達がほしいなぁ。…あんな風に楽しくお喋りをしたり、遊んだり、並んで歩いたり……お勉強したり…図書館にいったり……心の悩みだとか夢や哲学なんかを一緒になって「お話し」できたら…どんなに素敵頭。でも…私には……」

 と寂しく呟いて、瞳を曇らせた。…でも、私にはムリ。だって…”ひととお話しする能力”が生まれつきないんだもの……。

 そんな暗くトボトボと歩く有紀の背後、かなり遠くの道路に蛍と由香がいた。ふたりは、そんな有紀の後ろ姿をジッと同情をこめた瞳でながめてから、しばらくして、

「有紀ちゃんってさぁ。…本当に、噂どおり”お友達”がひとりもいないのかなあ?」

「うーん、なんか…そうみたいねぇ。………可哀相な有紀ちゃん。まるで…シンデレラみたい」

 由香の呟きに、蛍は「でもさぁ。シンデレラってさぁ…。魔法使いのオバアさんに魔法をかけられて、お城にいって王子様と踊って…幸せになるってお寓話(はなし)よねぇ?」「まあね。…ちょっと”硝子の靴をおとしたり””カボチャの馬車に乗ったり””靴があうかどうかためされたり”っていうエピソードが抜けてるけれど……そうよ」

「へへへ…・じゃあさぁ。あたしたちが”魔法使いのオバアさん”になっちゃうっていうのは?!」

「魔法使いの”お馬鹿さん”じゃないの?あんたは」蛍は由香の皮肉を無視して、「私たちが魔法使いのオバアさんになって、孤独なシンデレラこと黒野有紀ちゃんにパッパッって魔法をかけてさぁ…明るく幸せにしてあげんのよぉ!!」

「まさか、レインボーなんとかで有紀ちゃんを攻撃するとか?」

「(無視して)…さぁ、いこう!有紀ちゃんを幸せにしてあげようよっ」

 蛍はそう宣言して元気よく駆け出した。

「ちょっと、無視しないでよぉ!」由香も続いた。間もなく、ふたりは有紀に追いついた。「あのさぁ、有紀ちゃん!!一緒に帰らない?」

 と蛍が明るく声をかける。由香も、「うん、うん、一緒に!!ムーン・ライトにいってオレンジ・ジュースでも飲み明かそうよっ!」と口元に笑みを浮かべて明るく声をかけた。 二人はオドオドと立ち止まった有紀の前にフワリと踊るように足った。そして、

「さぁ、いこう!ムーン・ライトへ!」と、元気よく笑顔で迫った。

「……え?ムーン・ライト……月明りに行く?どういう意味かしら?月面にいくのかしら……?」有紀は少しどぎまぎした様子で蛍たちの足首を見つめた。そして、大きな大きな瞳をきらきらさせて、上目遣いで二人の首を見つめた。少しだけ微笑んで、

「誘っていただいてありがとう。とっても嬉しいわ。でも……ごめんなさい。私これから塾なのよ。…だから行けないわ。月面には」

 と、有紀は蚊が囁くようにいった。

「……え?なんていったの?」ふたりは可憐に立尽くす有紀の口元に耳を近付けた。

「……あ。あの……いいです」

 有紀は微かに瞳をくもらせてから、そのまま歩き去ろうとした。ー何ていったの?有紀ちゃんの声って…まるで聞こえないんだよなぁ。

 しかし、二人組は呆然と有紀のうしろ姿を見送る…ということはしなかった。…そうはさせないわよ、シンデレラっ!… 

 ふたり組は顔を見合わせてニヤリと不敵で魅力的な笑みを浮かべると、バッと有紀の両腕に強引に抱きついた。

「ーあ、え?!」そして、ビックリする有紀の表情を覗きこんでからもう一度、ニヤリと笑うと、

「さぁ、有紀ちゃん…行くのよ!絶対に逃がさないんだからぁ」

 蛍と由香の二人組は明るい表情で、ほとんど強引に、唖然とする有紀を「ひとさらい」同然に連れ去った。


  場所は喫茶店「ムーン・ライト」。

 この喫茶店は、蛍と由香の「お気に入り」の店だ。なぜ気にいっているのかというと、その店内の雰囲気だ。ほんわりと白い壁やきらきらと輝くインテリアや、カシニョールの”庭の薔薇”の壁絵やちいさな愛らしい窓辺のモミの木やアール・デコ風の椅子やテーブルがオシャレだからだ。なにか、パリのシャンゼリゼ通りの喫茶店ともイメージが似てなくもない。店内に、いつもポップス音楽が流れているのも二人にとっては「好ましい」ことでもある。

 しかし、蛍にとっては「アニメ音楽」、由香にとっては「ビートルズ」、有紀ちゃんにっては甘美で優雅な「クラッシック」のほうがよかったかも知れない。しかし、アニメ音楽はさすがに流すまい…。

 三人はたいして広くもないほんわりほんわりした店内の奥にあるテーブルに向かい合って座っていた。なんとも幸せな雰囲気だ。

「さぁ、有紀ちゃん……コカインどうぞ!!」

 戸惑う有紀にかまわず蛍は笑顔で可愛らしい真っ白なカップを手に持って『コーヒー』をそっと有紀のテーブルの前へ差し出した。由香はすかさず、

「カフェインでしょ!馬鹿ね、コカインなんていうのは麻薬…覚醒剤のことよ!」

 と思わず呆れて注意した。「うるっさいのよ!」と蛍。

 由香は蛍の言葉を「なにさぁ。(セーラのマネで)蛍ちゃんなんてぇ……馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」

 と明るい笑顔の冗談でかわした。

「なにぉ、セーラのマネしてんのよぉ!」

「けっこう似てんでしょ?あとねタレントの広瀬銅の「すいとうと。」とか、ニュース番組の評論家の三浦瑠璃色の「そうですねえ。この問題はいろいろな要素をふくんでいまして。要するにこの問題のカギは官僚が政治家に忖度をしたか?もしくは政治家の圧力が働いたか…」とか「ぬしの名は。?」「魂がいれかわってる??!!」「♪君の全全全…」とかいろいろできんのよっ」

 蛍はニヤリと不敵な笑いを浮かべて「…でも、ちょっと甘いわね」と告げた。

「え?なんでよぉ」

「いま一番流行っている2・5次元ミュージカル『セーラームフーン』の主人公うさうさちゃんのセリフ『地球にかわってオシリぺんぺんよ!』っていうのをやらなくちゃあ。それと『エヴァンゲリオム』の「わかんないよ!サードインパクトってなんだよ?!!ぼくには関係ないよ!!!!ぼくは綾波をたすけただけだよ!!!」って。」

「…なによそれっ?!もぉ…アニメのことばっかりいってるとぉ…あんたの「大っ嫌い」なタコヤキとピーマンを頭からザザッて振り掛けちゃうわよ」

「うわっ…」蛍は顔をゆがめて「や、やだよぉ!」と、両手で頭をかかえて叫んだ。

「…くすっ。」有紀はそんなコミカルな二人を眺めていて、微かに口元に笑みを浮かべた。このひとたちってオカシイわね。

「やぁ、蛍ちゃん、由香ちゃん」

 バイト中の鈴木先輩がウェイター姿のまま三人に近付いてきて、明るく声をかけた。

「あ、鈴木先輩。」蛍は鈴木先輩と目があって頬をポッと赤くした。しかし、憧れの先輩は蛍のことなど相手にしなかった。いや、別に無視した訳ではなく、蛍の気持ちを気付かなかっただけだ。それは、透明なきらきらした気持ちだ。恋だ。

 鈴木先輩は「…君は…そうか!君かい?学年まん年トップの秀才美少女…黒野有紀ちゃんっていう女の子は?」

 と優しいお父さんのように、もしくは優しい恋人のように魅力的な微笑みをたたえて尋ねた。ので、蛍は少しだけ癪に障って眉をピクピク動かした。…私だけの先輩なのに!…私だけのっ、私だけの鈴木先輩なのに!!

「ちょっと、あんた。そういうあからさまな嫉妬言葉は…心の中だけで叫んでよね」

 蛍が口にした言葉を耳できいて、呆れまくって由香が隣の席からなぐるように注意した。「あ?え?私、いま、何かいった?!」全員の冷たい視線が自分に集まっていることに蛍は恥ずかしさを感じ、目を点にして表情を凍らせた。

「………き……君が秀才の美少女、黒野有紀ちゃんだね?」

 有紀は大きな瞳をきらきらさせて鈴木先輩の顔を上目遣いでみつめて、恥ずかしさで頬を赤くして微かに微笑しながら、

「……いいえ。そんな、美少女なんてとんでもありません。私なんかよりずうっとずうっと可愛らしい女の子がいっぱいいますもの。例えば…蛍ちゃんとか由香ちゃんとか…」

 と軽く首をふって笑顔でいった。

「…え?いま何かいった?」

 有紀の声がかぼそくってあまり聞こえない為、鈴木は不思議な顔で尋ねた。

 有紀は少しだけ瞳を曇らせて、「あ、いえ」と誰でもわかるように首を可愛らしく左右に大きく振った。そして、いつもの不安気な表情になってオドオドとか弱い態度に戻った。また、自分の殻に閉じ籠った訳だ。…

 鈴木は狐につままれたかのような顔をしてしばし茫然と立ち尽くしてから、優しく笑顔で、

「じゃあ、有紀ちゃん、蛍ちゃん、由香ちゃん。まだ、仕事残ってるから…」

 といってカウンターの方へ歩き去った。

 しばらくしてから由香が、

「あのねぇ、有紀ちゃん……。もっとさぁ、明るく元気な態度でいなきゃダメよ。頭だけよくたってさぁ、人とお話し出来なくては”有紀ちゃんの良さ”を誰も理解できないでしょ?……有紀ちゃん、学校の生徒達になんていわれてるか知ってる?「あの子は頭や顔はいいかもしんないけど…暗くって大っ嫌い!あんな子…ぜったい中間にいれたくないわ」とか言われてんのよ」と優しい表情をしながら、同情をこめて有紀にいった。

 有紀は不安気な表情をいっそう曇らせて、泣きそうな瞳になった。

 蛍は魅力的な笑顔で「あのさぁ、有紀ちゃん。もっともっと大きな声を出してみるっていうのはどうかなぁ?大きな大きな声で話せば…自分に自信がついて性格だって明るくなるってもんっしょ?」

「うん。うん。うん!そうね、そりゃあグッディ(グッド)アイデアね!」

 そう笑顔でいったのはもちろん有紀じゃない。赤井由香である。そして、「ではっ」といった由香は皮肉屋らしい笑みを浮かべて、

「わあああぁーつ!」

 と、他人の迷惑も考えずに絶叫した。その次の瞬間、じっと有紀の顔を見て、大声を出すように促した。

 もちろん有紀はビックリした顔で由香の方をみつめて何も発声しなかった。

「さぁ、有紀ちゃん。叫ぶのよ!」

「そうそう、わあーでもきゃーでもうおーっでもいいからさぁ」

 それで有紀は、多少慌てながら「あーっ。」っと可憐な声を出した。でも、まだ弱々しい!

「もっとおおきな声で!」

「そうそう。もっとお腹に力をこめるっしょ!」

 有紀はちょっと顔を赤くして恥ずかしがってから、決心したような顔をして、目をつぶって必死に声をしぼりだして「あーっ!」と叫んだ。その声はやはり繊細で可憐で弱々しかったが、それでも今までの声よりはずっとずっとマシだった。なんせ、二人にも聞き取れたからである。

 由香はニッコリと笑って握手を求めた。蛍もニコニコと微笑して有紀をみつめた。

「よっしゃ。その調子よ、有紀ちゃん」

 ふたりはとても魅力的な顔をした。握手をオドオドと交わした有紀も微かに口元に笑みを浮かべていた。…

「よしっ、つぎはギルガメッシュに直行よっ!」

 ふたり組は元気いっぱいに席からバッと立ち上がってほんわりほんわり明るい声で叫んだ。

「…え?ギルガメッシュ……って?!」

 蛍と由香は有紀の質問には答えずに、またしても彼女を強引に連行して、金も払わずに喫茶店から飛び出していった。それに対して鈴木先輩は、

「おいおい、お金……」

 と呟いて立ち尽くすしかなかった。


 今度は、「ギルガメッシュ」という場所だ。ギルガメッシュ…というくらいだから『クラブ・ディスコ』とか『ライブハウス』というような雰囲気がある。でも、ぜんぜん違う。はっきりいって単なる安っぽい『ゲーム・センター』…そのゲーセンの名前でしかない。

 午後四時二十六分くらいの時刻。だらだらとした春の一日と空間。そんなどうでもいいような場所に「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀は、なかば強引に二人組によって連れてこられてしまっていた。そう、あの蛍と由香に。

「あ、あのっ。こういう場所には出入りしてはダメだって、生徒手帳の5ページの校則第十二項にちゃんと記されている…のよ」

 有紀は二人組に腕をひっぱられながら、微かな声を発した。以前と変わらない繊細で弱々しい蚊の鳴くような声…。しかし、努力して声をふりしぼってもう一度いったので青沢蛍も赤井由香も発言したことには気付いた。

「え?何?……あの、有紀ちゃん。さっき、声を出す練習をやったばかりでしょう?」

「そうだよっ。もっと”お腹”に力を込めて声をだしてっていったっしょ?!」

 蛍も由香も彼女の腕を放して、そう少し説教くさく語った。でも、そうしたネガティヴな感じもあまり続くことはなかった。

 すべに蛍と由香はニコニコとちょっと変な笑みを顔中に浮かべて『お気に入り』のゲーム機の前まで駆け寄って、

「有紀ちゃん、有紀ちゃん。さぁ、おいで!!」

「そうそう。これってば……すごく面白いんだよ!!」

 有紀は「え?で、でも…」としばらく不安気に立ち尽くしてから、もおっ、という感じで可憐にゆっくりゆっくりと二人の元へ歩いていった。そして、きらきらと輝く大きな瞳をゲーム機のディスプレイ(画面)に向けた。…なにかしら?これって、私の知っているチェスやオセロとどう違うのかしら…?

「ヒヒヒ…」蛍はニヤニヤ笑って続けた。「これってば、”バーチャル・バトルⅥ”っていう…いま若者の間で流行っているファイテング・ゲームな訳よ!」

「え?バーチャルのバトルのⅥ(6)…?」

 戸惑う有紀を無視して、由香は「そうそう。こうして、このファイターを操って…」などとニヤニヤと呟きながら、素早く百円玉を投入して、座席について熱心に操作レバーとボタンに手をかけた。そして、画面を真剣にみつめた。…けして、お勉強の時にはみれない真剣な顔…。蛍はカラカラ笑い、

「けけけ…。どうかなぁ?由香ちゃんってばバーチャあんまりうまくないからなぁ。千五百点くらいがベスト・スコアって所っしょっ」といった。

 由香は眉をつりあげて、ディスプレイから目を離しもしないで「うるっさいのよ、この馬鹿蛍!みてらっしゃいよ、この由香ちゃんの天才的なテクってもんをみせつけてやるわ!ははは…」

 と反発して傲慢に笑った。蛍と有紀はジッとバーチャというゲーム機の画面を由香の肩越しから覗いた。ーどうかなぁ、由香ちゃん。

 ♪ビュロロロ…っ。ゲームが開始される。どういうゲームかというと、画面上のファイターを操って敵を殴ったり蹴ったりして倒していく遊びだ。仮想の世界でファイターを操って闘わせる……なるほどバーチャルのバトルだ!」

「ようっし、殺せ!」

 戦士を操作する由香は品のない言葉を叫んで、画面をギリリッと睨みつけた。しかし、蛍のいうように、由香はバーチャはあんまりうまくはなかった。ードオ・ン!

 あっという間にやられてゲーム・オーバーとなってしまったのである。得点は二千点ちょっと…。

「く、くそっ!な、なによっ、もおっ」

 蛍は馬鹿にして「けけけ…。下手っくそ!やっぱ、由香ちゃんってば、バーチャのやり方ってもんを知らないってことねっ!!」

 とカラカラ笑った。ーので、由香は癪に障って「な、何っ!?この馬鹿蛍っ!ナマイキいってんじゃないわよ。じゃあ…あんた、やってみなさいよぉ!」と怒鳴った。

 蛍は「うん。いいっしょ」と胸を張って宣言してバーチャを開始した。が、青沢蛍は赤井由香の倍くらい下手くそだった。なんとたった七百点でゲーム・オーバーだったのである。

由香は「なぁーに、よ。あんたさぁーっ、…たった七百点じゃないの、情ない。そういうのを飛んで火にいる夏の虫っていうのよ」と呆れた。

「なによ、それ?たしかに蛍って夏の虫の名前だけどさぁ。ジャンプして火で炒めてどうしようっていうのさぁ?」

「馬鹿じゃないの!?」

                                       

ふたりのヨタ話しを耳にしながら、有紀は、「飛んで火にいる夏の虫じゃなくて、羊頭狗肉(見掛けだおし)ね」と心の中で思わず呟いていた。そして、「え?」と言った。

「ほらほら、次は有紀ちゃんの番よっ」

 などと二人組に強引にゲーム機の座席に座らされた黒野有紀はオドオドとふたりの顔をみつめた。そして、「私はいいわ」と声を出すわけでなく、首を可愛らしく左右に三回振った。ー私には、多分できないわ。

「さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、さぁっ!」

 有紀は、そんな二人の瞳を見つめてニコッと魅力的な笑みを無理に浮かべた。そして、ポケットから小さな小さなお財布を取り出して、可愛らしい指先で中から百円玉をつまみ出した。(由香や蛍はけして奢ったりはしない。いや、お金を出したりはしない。なぜなら、ケチだからだ)ー有紀は、きらきらとした百円玉を投入した。…ガシャン!

 次の瞬間、バーチャル・バトルのゲームが開始された。有紀はほとんど何の表情も変えずに華麗に操作レバーを動かし、ボタンを連打していった。はっきりいって蛍にも由香にも有紀の「ゲームのうまさ」は『意外』と映った。ふたりとも「有紀ちゃんは多分…百点もとれないでやられちゃうんじゃない?」と鷹をくくってたからだ。

 だから有紀の肩越しで画面を覗いていたふたり組は「う、嘘?!すごいじゃないの、有紀ちゃん!」と驚いて越えをあげた訳である。

 ド・スン!バキ・ッ!可愛らしくおとなしい文学美少女こと黒野有紀の操るファイターはすばやい動きで敵を倒していく。

 画面をくいいるようにみていた有紀の無表情の顔もしだいに明るいなにかで輝いてみえた。そしておおきな可愛らしい瞳も、嬉しさと興奮とトキメキできらきらと輝いてもみえた。有紀はどきどきしてから、

「このゲームってねけっこうオモシロイわね」

 と、いつものように微かな声ではなく誰でもききとれる程に大きく魅力的な「薔薇色の声」で二人組にいった。小さな小さな桃色のピュアな唇も、白くて細長い手足も全身も、何もかもが輝いてきらきらしているように感じる。

 蛍と由香は一瞬、呆然とした顔をしてから、

「え?何?いま有紀ちゃん、今、あなたは…」

 と、やっとのことで声をだした。別にまた有紀ちゃんの声がきこえなかった訳ではない。あの有紀ちゃんが普通の声で微笑んだのでビックリしたのだ。

 有紀は可愛らしい笑みを口元に浮かべて、呆然と立ち尽くす二人組に顔を向けて、

「このゲームって、最高よ!」ともう一度、可憐に発言した。

 ーえ?最高?蛍と由香は不思議そうな狐につままれたような表情で顔を見合わせてからニッコリと笑って有紀に向かって、

「でしょ、有紀ちゃん。このバーチャってば最高っしょっ?!」

 といってとても魅力的なきらきらとした顔をしていた。しんとした輝きだ。


「…ところでさぁ。有紀ちゃんってば、どうして「お勉強」そんなに熱心にやっているって訳?何か理由でもあんの?」

 そう素直に尋ねたのは由香だ。ちなみに三人はいまだにギルガメッシュにいた。

「えぇ。理由はあるのよ。…私の夢はお母さんみたいな大学教授になることなの。そして、

知的探求心のおおせいな学生たちに哲学だとか文学だとか歴史なんかを教えて…世の中を変えてしまうほどの立派な教育者になりたいのよ。もちろん、そのためにはうんとうんとお勉強をして、誰にも負けない知識を養わなくてはダメでしょう?英語、フランス語、ドイツ語だけじゃなくて…もっといろいろな言語をマスターしなくちゃならないし…。とにかく、そういうことでお勉強をしてるって訳なのよ」

 有紀はスラスラと微笑して言った。二人組は目を点にして、やっと尋ねた。

「英語、フランス語、ドイツ語だけじゃなく…?!」

「もちろん、お勉強だけが人間のすべてではないわ。今の日本のように、いい大学にはいるためにはいい高校に、いい高校にはいるためにはいい中学に、中学にはいるためにはいい小学校に、いい小学校にはいるためにはいい幼稚園に…っていう学歴社会・偏差値社会は正気の沙汰とは思えない。そういう閉鎖的な社会からは決して天才は生まれないもの。だから、私はおふたりに日本の大学にいくことは勧めない。でも……お勉強は大事よ。教養を高めるって意味でね。だから…蛍ちゃんも由香ちゃんも、きちんとお勉強してみたらいかがかしら?」

 蛍も由香も彼女の素直な言葉に「あ、はぁ…まぁ…」と茫然と答えるしかなかった。


 もうだいぶ日も暮れかかって、青山町という平凡な町並みも黄昏た感じだった。

蛍と由香と有紀の三人は、青山町南原にある”栄光塾”という建物の前にポツンと立っていた。ちなみに”栄光塾”とは超一流の進学塾であり、エリートだけが入塾できるようなポジションにある。そして蛍や由香にとっては無縁の場所…である。

「へぇーっ、栄光塾じゃないの。あのエリートしか入れないっていうさぁ。ここの卒業生はだいたい東帝大とか京帝大とか応早大とかに合格しちゃったりしなかったり…するっていう」

「そうそう。そしてここのOLとかは財務省や三井戸、四菱とかっていう会社や役所とかに就職してさぁ…偉い訳よ」

 蛍と由香は建物をぼうっと見上げながら呟いた。白い壁の同道としたビルだ。さすがそこいらの安っぽい塾とは雰囲気が違う。

「あの。…東帝大に入学したからとか、四菱に就職したからとか…そんなことで偉いなんて判断するのは間違いじゃないかしら」

 有紀ちゃんは横にいるふたりに真剣な顔付きで、優しい優しいお母さんのような顔つきでいった。蛍と由香は不思議そうな顔をして、

「えぇっ。でもさぁ…やっぱりそういうとこに就職したりしたらさぁ、お金とかいっぱいもらって権力もって尊敬されたりしてさぁ…偉いっしょ?」

 有紀は瞳をくもらせてから、「いいえ、偉くないわ。人間として尊敬されるひとは、困っているひとのために役にたったり、ボランティア活動をしたりっていう社会的活動をしているひとね。それと、ただお金をもってれば偉い…なんていうのは拝金思考ともいえるわ」

 と悲しい口調で蛍たちに教えた。そして、「あの。じゃあ、私…塾の教室にいくわね。……今日はありがとう。とっても楽しかったわ」

 有紀は優しい表情に戻って、二人に頭を下げると可憐な足取りのまま建物の中へと姿を消した。蛍たちは、その後をつけて中にはっていった。そして、教室の中を覗いた。

 ー教室の中。鬼のような顔をした塾の講師は、

「あの、すいません。遅れました…あの……」

 と頭をさげて謝罪の態度をとった黒野有紀をキッと睨んだかとおもうと、次の瞬間、無慈悲に、有紀の可愛らしい頬に平手打ちをくらわした。彼女ははげしくよろけた。

 そして、その講師は、冷たい視線のまま手で頬をおさえて驚愕している黒野有紀に、

「さっさと席につけ!」

 と命令した。

 有紀は恐ろしくなって全身を小刻みに震わせた。涙が目を刺激したがなんとか堪えてトボトボと席のほうにあるいていった。そして当然のことのように他の生徒達は何ごともなかったように机に向かっているだけだった。

「な、な、な、何よっ。あの野郎!私たちの大事な有紀ちゃんになんてことすんのよっ!」 ふたりは怒りと驚きで眉をツリあげて、

「そうよ、そうよ、そうよ!女の子にとってお顔は大事なもんじゃんよぉ。あんなに強くビンタして、青痣でもできたらどうしてくれるっていうの?!」

 蛍と由香は激しく誰にもきこえないように怒鳴った。

  時間はだいぶ過ぎ、もう夜になっていた。蛍と由香は”ヒマ人”らしく、塾の建物の外の物陰に隠れるようにして建物から出てくる生徒達をぼうっと眺めていた。何をしているのか?まさか、お勉強に目覚めて入塾するのか?はたまた「あの野郎」こと塾の講師を襲撃するのか……?

「あ!出てきたよ。有紀ちゃんが…」

 由香は声を上げた。そう、ふたりは単に、有紀がでてくるのを待っていたのだ。

 彼女はいつものようにトボトボとうつ向き下限で歩いていた。ーあ、マズイ!ふたりはハッとして、有紀の後ろ姿を追った。

 だが、このふたり。…正義の味方と呼ぶにはあまりにもオソマツな少女らは、薄暗い遠くの夜空に浮遊してギッと有紀の後ろ姿を睨んでいる魔物・アラカンの存在には気付きもしなかった。アラカンの口元に冷酷な笑みが浮かぶ。

「あれが今度のターゲット、黒野有紀という少女か…」

 冷たく低い声が暗闇に微かに響いた。……


  夜遅くなって、黒野有紀はちっぽけなアパートに帰ってきた。

 有紀のご自慢の母親「黒野静」は珍しく台所で夜食をつくっていた。静は有名な東帝大の助教授で、知性と美貌を兼ね備えた中年女性だ。細い体格、黒色の瞳、白い肌、きらきらした髪は、明らかに有紀に受け継がれたようだ。だけど、有紀ちゃんの方が痩せていて可愛らしく魅力的で、母親にくらべて手も足も驚くほどすらりと細い。

「有紀、おかえりなさい」

 台所の壁を通して、静の少し疲れた声が薄っ暗い玄関に微かに響いた。

「あら、お母さん。今日はお仕事は?」

 有紀は少し驚いた声を出して台所に歩いていった。そして、「珍しいこともあるわね。お母さんがこんなに早く帰ってきて…しかもお食事を作っているなんて」

 静は娘の可愛らしい魅力的な笑顔を眺めてから、「まぁ、そうね」とうなずいた。

「あ。もう、危なっかしいわねぇ。お母さん…ほとんどお料理なんてした事ないんだから…指でも切ったら大変よ。いつものように私がやるわ」

 有紀は幸せそうにニコニコと笑ってから、手際よく母親の手から包丁を取ると「お料理」しだした。静は少しだけ呆気にとられたように立ち尽くして、娘の包丁さばきに見とれてから、インテリらしい顔をした。

「ねぇ、有紀。お勉強の方はどうかしら?きちんと学年トップのポジションをキープしているんでしょうね?」

「……え、えぇ。まぁ……はい」

「私はねぇ、有紀。あなただけが頼りなのよ。お父さんが数年前に交通事故で死んじゃってから、いままでずうっと、あなたのことだけ考えて暮らしてきたといっても過言ではないわ。あなたが、誰にも負けない頭のいい人間になること、そして、大学教授になること、…それらは私の夢でもあり有紀の夢でもある。そうよね?」

 静はまぶしそうな目で冷たい口調でいった。

「……は、はい。まぁ…えぇ。お母さんの期待はぜったいに裏切らないわ」と、有紀はうなづいた。

「そう、それはよかったわ。私にはあなただけが頼りなのよ。ぜったいにお母さんのことを裏切ったりしないで、勉強に打ち込みなとさい!…人間にとって必要なもの、手にいれなくてはならないものは知識だけよ。無学なもの怠惰なものでは誰にも相手にされないのよ。わかるわね、有紀」

 有紀は「でも……あの。えぇ」とうなづいてから少し寂しそうな表情をした。…知識も大事だけど、互いが互いを愛し合う精神や、それを理解できる知恵も大事なのに。心の中でそう呟きながら有紀は続けて、うれしそうな笑顔で、

「あの。あのねっ、お母さん。私……お友達ができたの!とっても明るい楽しい女の子でね。名前は蛍ちゃんと由香ちゃんっていって…今日はなんとふたりにゲームセンターや喫茶店に初めて連れていってもらって…とても楽しい時を過ごしたの。やっぱりお友達って最高…」

「有紀!うかれるのはよしなさい。そんなどうでもいい友達ならいない方がマシ!もっと気合いをいれてお勉強だけに集中しなさい。そんな蛍だか由香だかという人間とそんな所にいくなんて…あなたはもう少し「頭の働く子」だと思っていたのに…まったく。とにかく、もうそんな子たちとは付き合ってはいけませんよ」静はけしからんと言った感じで娘に冷酷な視線を投げ掛けてから、そのまま場を立ち去った。残された有紀は、ただ悩むばかりだった。………まるで暗闇にぽんと投げ込まれた気持ちだった。

 有紀のお部屋は、お馬鹿の蛍の部屋のような少女趣味的なものではない。また、皮肉屋で絵画おたくの由香の部屋みたいにキャンバスだけが並んで置いてある訳でもない。ただ、哲学書や歴史書などが本棚に並んでいる。本と水色のベットとクローゼットと机があるだけの部屋。しんと光る部屋。静かな空間。すべてが有紀らしい。

 机の上にポータブル・CDラジカセがあり、チャイコフスキーやモーツアルトといったCDがあるが、それはクラッシック・マニアらしい。

  有紀にはまるで「赤毛のアン」のアン・シャーリーのような一面もある。本だなに置いてあるピエロの人形を手にもって話しかけるのだ。しかも、熱心に情熱的に、少し寂し気に、

「ねぇ。あのねっ……私に…初めてお友達が出来たのよ。今まで、小さい頃からお友達なんて一人も出来なかったのに…。すごいでしょ?奇跡的よね?」

「それで?そのお友達は何て名前?」ピエロの声で、寝ぼけ気味に有紀はいった。

「うん。お名前は蛍ちゃんと由香ちゃんよ」

「それで?いっぱいいっぱい遊んだ?」

「えぇ。もちろんよ。いっぱいね」

「そう。お母さんはなんて?」

「………よかったね、お友達が出来て…って」

「…もう寝たらいいんじゃない?明日はお母さんのお弁当をつくったり朝食をつくったり…いろいろある訳だからね」ピエロは優しくいった。

「ねぇ、神様なんていないって思ってたけど、神様は本当にいるのかなぁ。神様が蛍ちゃんたちをつれてきてくれたのかなぁ」

「そうかもね。神様ってばやるわね」

「そうね。かなりやるわね」

 ピエロの頬にキスをしてから、有紀は優しくきらきらと微笑んだ。



  次の日、学校の図書館はほとんど誰の姿もなかった。時刻は正午過ぎの昼休み。

 有紀ちゃんはいつものように、大きなテーブルの隅っこの方に陣取って分厚い哲学書を熱心に読み耽っていた。

「ねぇ、ねぇ、有紀ちゃん」

 有紀が大きな瞳をきらきら輝かせて哲学書を読みふけっていると。背後からそんな声がした。彼女は振り返って、背後の二人組に、

「あらっ、蛍ちゃん、由香ちゃん、ごきげんよう」

 とニコリと微笑した。蛍はニヤリと、

「ねぇ、有紀ちゃん、探していた電話番号みつかった?」

「……え?この本は電話帳では…」

「相手にしなくていいわよ、有紀ちゃん。馬鹿蛍のつまんないギャグだから…」

 由香は真顔でいった。

「(無視して)…あのさぁ、有紀ちゃん。お願いがあるんだけどさぁ…」

「『お金貸してちょうだい』とかいうお願いかしら?」蛍は由香の皮肉を無視して、「あ…あのねぇ。お勉強を教えてもらいたいのよ」

「え?!何っ?お弁当を…ちょっと苦しい……お勉強って誰に?あんたんとこのセーラに?」「(無視して)…ダメかなぁ?少しは20点とか30点とかさぁ、テストで取ってみたいのよぉ」

 蛍は有紀にそういって、元気いっぱいに笑った。そして、「もち(ろん)、由香ちゃんも一緒に!」

 とお願いをした。ので、由香は、「え?え?えっ?!ちょっと、私も?!」と驚いた声をあげてしまった。

「…くすっ」有紀はそんな五流コメディアンのような二人組をジッと眺めて、魅力的な笑顔ですぐにいった。「えぇ、もちろんいいわよ。お勉強をお教えいたしますわ」

  しばらくして、例のふたり組は「……あぁ。全然わからないわっ!」と弱音を吐くことになる。当然、有紀という頭の良い女の子に優しく教えてもらっても、この二人には理解できるわけないからだ。

「……あの。二人とも…あきらめないで頑張りましょう。千里の道も一歩から、よ」

 有紀ちゃんは優しい優しいお母さんのように笑顔を見せた。横に座っていた二人は、

「え?千里眼美子(日本の女優)?!」と尋ねた。

「…………ローマは一日にして成らず……よ」

 有紀は少し言葉をつまらせてから、言い直して教えた。そして、はぁ、っと思わずタメ息を洩らした。……


  もう午後になっていて、有紀と由香と蛍の三人は仲良く下校時を並んで歩いていた。 時刻は何時なのかはっきりしない。どよどよと薄暗い雲が天空をつつむように漂ってきて、何かしら怪しげにも見える。怪しげ…というより、雨がふってきそうな天気であり雲行きである。そして、次の瞬間、当然のことのようにポツリポツリと雨粒が静かに落ちてきて、やがてざあざあと激しく降出してきた。しんとした冷たさだった。

「うわぁ。ちょっと、雨だなんて。お天気お姉さんの嘘つき!今日は雨降らないっていったじゃんよっ」当然、こんな品のない言葉を叫んだのは例の二人だ。

 最悪の筋書きが現実の運びとなってしまっていた。でもたいして「最悪」ではない。単に、

「…やだよ、傘っ忘れちゃったよ!!」……だからだ。二人組はテレビのお天気お姉さんにひどく腹を立てていた。お天気お姉さんは約束したのだ。「とにかく、走って帰ろ!」

 三人は鞄を傘がわりに頭上にかざして、茫然とした顔のまま駆け出した。角を曲り、通りを二つ走って、公園の近くまでやって来た。途中で一度だけ足を止めて、

「じゃあ、有紀ちゃん、また明日ね」

 と由香と蛍は有紀にいった。そうして、二人は角を曲がって言った。ふたりと有紀ちゃんは帰る方角がちょっと違うのだ。

  それからしばらくして、有紀は驚愕に包まれたまま黙りこんで立ち尽くしてしまった。そして、道路の隅っこにまるでゴミのように捨ててある「ダンボールの中にいれられている一匹の子犬」を見た。こんな風に、動物が哀れに捨てられているのをダイレクトにみたのは初めてだった。冷たい雨に打たれ、くんくんと鳴いて誰かを必要とするような瞳をしたシバ犬の茶色い子犬。きっと誰かに可愛がられ、必要とされ、やがて忘れられて、ゴミのように捨てられてしまった子犬。

「…ひどいわ。可哀相じゃないの。…なんてこと?こんな可愛いワンちゃんを無責任に…ワンちゃんの気持ちなんて考えもしないで…こんなふうに捨てるなんて」

 彼女はやっとのことで声を出した。そして、冷たい雨に全身をうたれながらね純粋な気持ちで子犬をジッと見つめた。

 くんくんと子犬が彼女を見返し、有紀は一瞬、このワンちゃんをこのままにして置く訳にはいかないわ、きっと私が助けなくてはならないのね、と信じたが、少しだけ不安にもなった。彼女の可愛らしい大きな大きな瞳が不安気に曇っていった。

「ーどうしよう?お母さん……動物が嫌いなのよね。…でも、だけど……」

 ざあざあと冷たい雨にうたれながら、黒野有紀は捨て犬を同情の瞳でながめながら呆然と立ち尽くすしかなかった。


  ”可愛らしくおとなしい文学美少女”こと黒野有紀という優しく少し内気な美少女はやっぱり子犬を見捨てるという残酷な行動は取れなかった。有紀ちゃんがそんなことする訳がない。彼女は動物をポイ捨てしたり虐待するやからとは違って、人間や動物の心の痛みや苦悩を知っているからだ。それが彼女の優しさだ。しんと光るような心だ。

 日本では、捨て犬は保健所に隔離され、一週間たっても飼い主が訪所しない場合はガスで安楽死させられる。そして、当然のことのように飼い主などはまず現れはしない。

「しっ。…ダメよ。おとなしくしててね」

 玄関に忍び入った有紀は、胸元に抱き抱えたズブ濡れの子犬に静かな口調で優しくいった。彼女のきれいな黒髪も制服も鞄もなにもかもが冷たい雨に濡れていた。

 …でも、有紀はなにも気にせずに子犬に視線を向けて優しく微笑むとオドオドとお母さんがいないか見渡した。いない。

「ワンちゃん…待っててね。すぐに温かいミルクをあげるからね」

 有紀はニコリとして呟き、子犬はくんくん鳴いた。たが、この有紀ちゃんはやたらとのろい。「運動なんてまるでダメ!らしいよ…」という噂も本当で、足が遅いのだ。だから、のろのろと台所に歩いていく間にお母さんに見付かってしまった。

「ゆ、有紀!なんです?その胸元に抱きかかえている汚らしい犬は!」

 静の冷たい声が響いた。有紀の心臓が重く沈んだ。「あ、あの…お母さん……」

 一瞬、沈黙が訪れ、有紀は息をとめた。もし、捨てきなさいなんて命令されたらどうしよう…。

「……あの、お母さん。このワンちゃんとっても可愛いでしょう?世話とかは全部私がやるから…飼ってもいい?」

 歩きながら練習したように、おどおどと有紀はいった。「ほら、ワンちゃんって頭もいいし、可愛いからみてて心も安らぐし…とってもいいパートナーになるでしょう?縄文時代から人間のもっとも親しい友人と呼ばれてきたくらいだから…。ね?飼ってもいいでしょう?」

 静は顔色ひとつ変えずに「ダメよ。すぐにその汚らしい犬を捨ててらっしゃい」と冷たく言った。

「でも…お母さん…可哀相でしょう?」

 両手をきつく握り合わせ、目を遠くのあらぬところに泳がせ、すがるような表情で有紀はいった。そして、泣きそうになりながら、

「ねぇ、お願いよ、お母さん。……捨てるなんて嫌なのよ。だから」

「ダメよ!これは命令よ、捨ててらっしゃい」

 静は限りない冷たさに満ちた顔でいった。有紀は何も反論できずに黙り込み、下を向いて涙を堪えて立ち尽くした。ひどく悲しい気持ちだった。こんなにも自分の母親が分からず屋だったなんて…。

 まるで財務省のエリート役人みたい…。


 有紀はしかたなく、子犬を元のダンボール箱の中へ戻した。そして、じっと立ち尽くして顔を曇らせて、泣きそうな視線を向けた。

 くんくんと子犬は可愛らしく泣いて有紀を呼んでいる。ーどうしたらいいの…?

 彼女は冷たい雨に打たれながら悲しみの中で黙り込むしかなかった。

「……ごほっ、ごほっ」

 しばらくして、有紀はセキ込み、額に右手をあてて凍り付いた。ひどい無力感や哀れみに襲われて堪え切れなくもなった。私は無力だわ…彼女は自分をせめた。

 そしてまた有紀は、じっと立ち尽くすだけだった…。


  例の”出来そこない”のふたり組(蛍と由香)は相変わらずだった。時刻は朝の小休みの頃。ふたりは青山町学園の廊下を明るく笑いながら並んで歩いて、

「いや、はや…まいったっしょ。抜き打ちテストなんてぜんぜん出来なかったよ」

「まあね。私も。数学じゃあねぇっ。美術ならさぁ、楽勝なんだけどさぁ」

「…美術の抜き打ちテストなんてあんの?」

「…あったらいいなぁ。なぁーんてさぁ」

「じゃあ私は……アニメのキャラクター・ネーム(登場人物の名前)当て、とかさぁ。アニメ・ソングのイントロ当てクイズとかさぁ」

「馬鹿じゃないの?」

「黒い三連星「ガイア」「オルテガ」「マッシュ」赤い彗星「キャスバル・ダイクン」「シャア・アズナブル」「クワトロ・バジーナ」「フル・フロンタル」…」

 ひたすら低レベルなふたりである。

 しかしそうした脳天気なピーヒャラピーヒャララ…という二人組とは別に、黒野有紀は掲示版の順位表を凝視して愕然と立ち尽くしてしまった。表情を凍らせ、激しくセキ込んでしまった。両手を胸のすぐ前で握り合せて、表情もなくした目でうつろに『表』をみつめていた。氷のような表情…どこかへ飛んでいってしまいそうな目だった。

「あ、有紀ちゃん。何みてんの?学級新聞の四コマ漫画とか…」

「馬鹿じゃないの?あんたじゃあるまいし…」

 すぐに由香が蛍にそう言った。有紀ちゃんが「馬鹿じゃないの?!」などという言葉を使うことはありえないことだ。こういうのは皮肉屋で絵画オタクの赤井由香の台詞だ。

「……」有紀は何も答えずに、ごほごほとセキこんで黙り込んでいた。頬が赤く火照っているようだ。風邪をひいたのかも知れない。

「あの……どうしたの?有紀ちゃん…」

 しかし、有紀の視線は『表』に向けられたままで、その顔は打ちひしがれていた。ふたりは不安気な不思議気な顔で順位表に目を向けると、

「…あれっ?あれ?あれ?あれっ?」

 と声をだした。由香は、「印刷ミスじゃないの?有紀ちゃんが学年で32位だなんてさぁ。あの横沢葵とか森山なつみより下なんてさ。…ミス・テーク(プリント)…ね」と言った。「そう、ミス(間違い)っしょ!ミス!!……ミス?…ミスって結婚してない女性のことじゃあ?」

「(無視して)あの…有紀ちゃん、有紀ちゃん?元気だして。あんまり気にすることないってるいつものトップじゃなくて32位だけどさぁ…私たちよりはずうっとマシな訳よ。だいじょうぶ!有紀ちゃんってば頭いいんだから、すぐにトップに返り咲くわよ」

 蛍は「…あ?!由香ちゃんってば…さっき印刷ミスって宣言したじゃんよぉ」といった。「(無視して)…とにかく明日にゃ明日の風が吹くってことだから…元気だしてね」

「そうそう。”持てばカイロは温かい”ってもいって…」

「”待てば海路の日和あり”(我慢していればやがてよいことがおとずれる)よ!この馬鹿蛍っ!!」

 しかし、有紀には慰めの言葉はもはや聞こえなかった。またしても自分の心の部屋に閉じ籠ってしまってから、氷と痛烈な寒さに満ちた場所へ逃げ込んでしまったのだ。小刻みに震え、風邪で咳き込みつつ『表』を凝視している。

「おい、黒野!ずいぶんと成績が落ちたもんだなぁ。いつもトップのお前が32位とは」

 いつの間にか、社会科の”メガネ猿”こと有田先生が三人に近付いてきて声をかけた。「…なにかあったのか?転んで頭でも強く打ったか?悪い物でも食ったか?」

 有田先生のいやみにも、有紀はなにも答えなかった。

「あの…有紀ちゃん」由香と蛍は彼女の肩にそっと手をかけて、やさしく包むように微笑んだ。

 有紀は二人の手の微かな温かさと、手触りと、優しさに包まれたことを感じて、ほんのわずかだが体の力を抜いた。震えが止まった。しかし、凝視を続ける目は『表』から離れようとしない。

 まるで催眠状態にでもかかったかのようだ。そして、次の瞬間、つぶやきが始まった。呟き、呟く、呟いていく、呟いたら…呟く。呟き呟き。

「なにいってんの?有紀ちゃん」ふたりはそっと耳を彼女の口元に近付けた。「…?」

「…そんなこと…信じられない…わ。こんなに成績が…。こんなんじゃ…立派な教育者なんて……。こんな……んじゃ…あ…」有紀ちゃんはつぶやくように同じ文句を唱えていた。「こんなんじゃあ…こんなんじゃあ…こんなんじゃあ…」何度も呟く。

 二人は驚くと同時に、無ねから全身へ痛いほどの哀れみが広がるのを感じて黙りこんだ。彼女を両手で抱き抱えて、慰めてやりたいとも感じたが、あえてしなかった。だけど、何とかしなくちゃならない。そうしなければ、彼女はまた元にもどってしまう。ーそうだ! 二人は流行りのポップスをうたいはじめた。


 ♪ウィー・ア・ポジティブ・ガール

 どんな時も あきらめないで 素直なまま恋して

 ウィー・ア・ポジティブ・ガール

 強がりいっても 何してても 許してほしいのよ

 ウィー・ア・ポジティブ・ガール

 一瞬の ときめきを忘れないで 歩いて

 ウィー・ア・ポジティブ・ガール

 臆病な 自分たちをすべてこわして 微笑(わら)うから!


  有紀の呟きが消えて、凝視もおさまった。


 立ち尽くさないで…  悩まないで……


  二人は歌いおえた。もちろんサビ(ブリッジ)の部分だけだったけど、それでも魅力的なメロディだった。有紀ちゃん、有紀ちゃん、愛してるよ。私たちは親友でしょ。だから、分かりあえるよね。大丈夫よね。

「有田先生。黒野が32位になった理由(わけ)を知ってますか?」

 またまた神保先生がやってきて、同僚の有田先生にニヤリと声をかけた。

「いえ。……理由なんてあるんですか?」

「えぇ。」神保は白く鋭い歯を見せて、「こいつらですよ。この青沢蛍と赤井由香にしつっこくまとわりつかれて勉強が手につかなかったんでしょう。まぁ、朱に交われば赤くなる(交際する人からずいぶんと悪い影響をうける)ってことわざがあるけれどね。まさに、それですなぁ。こんな馬鹿コンビと仲良くなったばっかりに……不幸なことです」

 神保の冷たい言葉に蛍はムッとして、

「先生!そんないいかたないっしょ?!」

 といった。由香は狼狽しながらも、

「そうですっ、先生!馬鹿コンビだなんてっ。蛍は全滅だとしても…私は美術は年間オール百点でしょっ?!だから…」

 しかし神保は何の表情もみせずに、ただ、

「黙っていろ、この馬鹿ども」と吐き捨てるようにいった。「お前たちが頭が悪いのは勝手だが……他人まで巻き込むんじゃない!」

「な、何?!この”機械”!学校中の嫌われもの!」

「なにっ、この馬鹿ども!”仏の顔も三度まで”だ!!」

 蛍と由香は神保の怒りに触れて、「…なによっ、何が仏よ。ずっと鬼の顔じゃんよ」と全身を恐怖で小刻みに震わせた。ーちょっと反論するのは無謀だった…ころされちゃうよ。 次の瞬間、ゲンコツが飛んだ!!

 けど、「待ってください、先生!」という有紀の言葉で、ゲンコツは螢と由香の頭すれすれで止まった。いや、止めた。

「私の成績がおちたのと螢ちゃんたちとは…何の関係もありません!ぜったいにありません!!」有紀はしぼり出すように必死に泣いたような声を出した。そして、目をぎらぎらさせて、言った。「成績が落ちたのは風邪をこじらせて頭がぼうっとしていたからです。…それに…螢ちゃんたちは、先生がいうような劣等生じゃありません!ぜったいに!!だからすぐに、先生」

 そして続けた。「すぐに謝って下さい!」

 神保は口をぽかんとあけ、狐につままれたような顔で彼女をみた。「な、なにっ!黒野っ、貴様」憤慨して叫んだ。「成績がトップだからって甘やかしてやればツケ上りやがって。私に命令するのか?私はお前なんかより知的レベルが上なんだぞ!ふざけるな!!」

「…それは違います。」有紀は切り返した。「知的レベルとは単に学問を知っているってことだけじゃないんです」

「で、学問じゃなくなんだっていうんだ?」

「人生をうまく泳ぐ知恵、博愛の思考、多くの知識を有しているだけでなくて何がよくて何が悪いか迅速確実に判断して他人の痛みをも知る能力…これらを身につけているひとが知的レベルの高いひとです」

 知恵?博愛?何をいってるんだガキが!正気か?狂ってる?まったくガキときたら夢みたいなことばかり考えやがって!神保は有紀をギッと睨みつけた。

「私は先生みたいな偏見でしか学生をみないひと、判断しないひとは好きではありません。先生は学生たちを悪くいうけど……むしろ先生のほうがいろいろと悪いところがあるんじゃないでしょうか」

 神保は癇癪を起こすまいと必死にこらえた。このガキにやられているのがわかるだけに、癪にさわった。彼は子供に論破されるのは慣れてない。

「螢ちゃんたちがどんなに素晴らしいか、先生にはわからないんですか?」有紀は暗い表情のまま、熱心な口調で続けた。「ちゃんとみてあげれば、すばらしい才能があるってわかるはずです。そして、いつか輝かしい人になれるってわかるはずです」

 彼女の声が同情に和らいだ。「…とってもすばらしい大人に…女性に…人間に」

 神保は手のひらを突き出し、有紀をさえぎって、怒鳴った。

「黙れ。このガキが…お前なんかに何がわかるっていうんだ?!ナマイキいってんじゃないっ!」

 彼女は頭から冷水を浴びせかけられた様に肩をすくめて立ち尽くし、黙り込んだ。そして、くやしくて情けなくって瞳から大粒の涙をぽろぽろ流して、

「先生はフィリステンね!」と断言した。

「どういう意味だ?」神保は息をのみ、目をまん丸にした。

「もぉ、いいです!」

 彼女は冷たくいうと、そのまま顔をそむけたまま、悲しい足取りでその場を駆け去った。「あ。待ってよ!有紀ちゃん」

 螢と由香は弾かれたように駆け出して、有紀の後ろ姿を追った。……


  有紀はフラフラと自宅の自分の部屋へと、青ざめた表情のまま涙もふかないで帰ってきた。こんな風にこんな時刻に家に戻ってきたことなど一度もなかった。

 ひどく疲れて悲しくて胸が張り裂けそうな気持ちだった。なんでもないことに嫌悪感を覚えそうな気分だった。

 ”可愛らしくっておとなしい文学美少女”黒野有紀は涙をポロポロと流しながら、震える指先でベットの下に置いてあったミカン箱を引き出した。ミカン箱には柔らかい毛布がしいてあり、そこにちょこんと「捨てたはずの子犬」が存在していた。

 彼女は可愛らしい子犬をじれったく思えるほどにゆっくりゆっくりと胸元まで抱き上げて、堪えきれなくなってギュッと抱き締めて号泣した。               

 



  だれもいない午前中の街路地を失意の有紀は、まるで夢遊病者のようにトボトボとふらふらと孤独に歩いていた。胸元には可愛らしい子犬をそっと抱いている。くんくんと子犬は彼女の方をみて鳴いていたが、有紀は両手をきつく握りあわせ、絶望的な視線をあらぬところに泳がせ、苦悩にみちた表情で歩いているだけだった。

 河辺へ…公園へ…花屋の前へ…アーケードへ…橋の下へ…喫茶店の前を横切って…。

 彼女はあらゆる場所を失意のまま、うつ向いて孤独に徘徊した。が、たまに通り過ぎた主婦などがいぶかしげに有紀の姿を見るくらいで、ほとんど何の存在感もなかった。

 なんとなくだろうか?有紀は無意識のうちにゲーセン”ギルガメッシュ”の前まできていた。ここは螢たちと楽しく遊んだ思い出の場所だ。まだそんなに前のことじゃないのに…だいぶまえ…五年以上前のような気もする。古いセピア色の風景……のような。

 黒野有紀は空虚な足取りでセンター内へと入っていった。

 センター内には、あの頃のコンピュータ・ゲーム「バーチャル・バトル」がひっそりと存在していた。楽しい日々、あの瞬間のままだ。彼女は座席にゆっくりと座って、以前と同じような不安気な表情のままで黙り込んでオドオドと画面に目を向けていた。そして、ポケットから小さな小さなお財布を取り出して、震える指先で百円玉をつまみだして投入した。…ガチャン!

 次の瞬間、バーチャル・バトルは開始された。だけど彼女は何もしないで無気力のままディスプレイを空虚に眺めているだけだった。有紀は他人の手の届かないところにいた。自分ひとりの世界に閉じ籠ってしまった。冷たく凍った世界。誰も侵入できない哲学のラビリンス。…

 少女を救うための鍵が必要なのに、螢も由香もだれもいない。誰かが有紀をすくってやらなければならないのに…。しばらくして、

「ダメじゃないか。せっかくお金をいれてゲームがスタートしたのに…そんな風に茫然と画面をみていちゃあさぁ。」

 と、堂々とした態度で、口元に微笑をうかべて明るく「彼女」は有紀に声をかけた。

「……」有紀は少し正気にもどって、少しだけ驚いた様子で静かに振り返った。

 その「彼女」は有紀にまっすぐに近付き、有紀のすぐそばまでいった。たがいの顔の間には数センチの距離しかなかった。あまりの近さに、有紀は「彼女」をみつめ、その声を聞かざるをえなくなった。

「お金がもったいないでしょう?百円ったってさぁ…アイスが一本買えるし(税別)…ケシゴムなんて三個ぐらい買える値段なんだよ。だから、遊ぶならおもいっきり遊ぶ、遊ばないなら金なんて投入しないってことだね」彼女はまるで男の子のような口調でいった。「それがルールってもんさ」

 魅力的な笑顔だった。この女の子の名前は黄江(おうえ)美里という。「知性」の有紀や「皮肉屋」の由香や「無邪気」な螢とは人間が違う気がする。いや、雰囲気が全然違う。 かなり背が高く、何かボーイッシュな感じでしかもどこか憎めない可愛らしさがある魅力的な美少女だ。男の子はともかく少しレズっぽい女の子なら憧れてしまうような女の子だ。それは、びっくりするような可愛さだった。

 ルックスはかなりいい。童顔ではないけれど、セミロングの髪の後ろに赤いリボンがなぜかついていて、どこか可愛らしい。猫のようなぎらぎらした瞳はこの少女の強さをあらわし、全身は有紀ほど痩せっぽちではなくて健康的で肌も有紀のような真っ白ではない。しかし、こういう少女のほうが普通なのかも知れない。

 美里の健康的な唇から発せられる声は、少しボーイッシュな感じがする。少し低音が混じっているっていう声だろうか?

 服装は茶色のセーラ服を着ているが、どこか似合わない。この少女にはパンツ・ルックのほうがずっといいだろう。胸は螢たちみたいなのではなくてグラマーだ。そういえは、美里からはボーイッシュだけど、どこか優しい優しいお母さんのような包容力とあたたかさを全身から感じる。大人の女性ではないけど子供でもない。…微妙な存在だ。美少女ではないのかも知れない。少女…というイメージではない。

(どうでもいいことだが、この美里という少女も、学校をサボったのだろうか?)

 有紀は美里をみつめた。彼女の目に、ゆっくりゆっくりと光がもどってきた。しかし、まだ全身に微かな痙攣と小刻みな震えが残っている。有紀は美里に視線を張り付けたまま、神経質そうに両手を握り合わせて胸元の子犬を包み込んだ。

「よし、このゲームは私にまかせなよ」美里はニコリと笑うと勝手にゲームを開始した。だれも「どうぞ」とも「いいわ」ともいってないのにである。

 ドス・ツ!ゴキッ!

 黄江美里は熱心な表情で画面を食い入るようにみつめながら踊るように操作レバーを動かしていった。かなりバーチャはうまいようだ。多分、いつもいつも遊んでいるのだろう。”ゲームの鉄人”とかいうTV番組でもあったらぶっちぎりで優勝しそうなテクがある。 画面をジッと静かに眺めていた有紀の無表情の顔にもしだいに赤みが差し、可愛らしい大きな瞳もきらきらと輝いてきていた。

「どうだい?お嬢ちゃん」美里は画面から目をはなしもしないで自慢した。「バーチャでさぁ、私に勝てるやつなんて…関東地区では誰もいないね。あ……ところでさぁ。おさげのお嬢ちゃん……名前は何?なんていうの?」

「あ…え…その…有紀、黒野有紀です」有紀はぼんやりと答えた。しかし、彼女の不安は幾分かやわらいだようだ。でも、人に名前をきくならまず自分から名乗るのが礼儀であるし『美里風』にいうなら「それがルールってもんさ」というものだ。

 美里はフト、有紀の方へ顔を向けて近寄った。「ふうん、有紀ちゃんか…。なんかいいね」とほめた。「おさげのお嬢ちゃんっぽい名前かもね。有紀ちゃん、有紀ちゃん、有紀ちゃん、有紀ちゃん……。そういえばアイドル歌手にもそんな名前がいたような。内…」「あの…なにを言いたいのでしょうか?」

 何を?なんだっけ?なにか言いかけたんだっけ?美里には少し思い出す時間が必要だった。別に美里は頭は悪くないけど、ゲームに熱中しながら質問しているのでこうなるのだ。有紀ならふたつのことを同時に出来る。が、普通のひとにはそれはできないのだ。

 黒野有紀は少し遠慮ぎみに尋ねた。「あの。…あなたのお名前を教えていただけませんでしょうか?」

「あ、名前?私のか。いいよっ、ではなんて名前にしようかな」美里が愛想よくいった。「美空ひばり……っていっても知らないか」

「……いえ、存じてますけど。……芸能人のしかも亡くなったひとのお名前をきいてもあまり意味がないんではないかしら」

「そりゃあ至言だね」美里が笑った。「あたしは美里さ。美しい里って書く訳よ。名字は黄江(おうえ)っていうんだけど、ノーヴェル文学賞の大江健三郎とは字が違うね。残念」「黄江美里(おうえ・みさと)ちゃんかぁ」

「そうそう、美里ちゃん」じっと有紀の瞳をみつめたまま、美里は答えて微笑んだ。「でも美里って…どっかのロック歌手の名前に似てなくもないし……」

 美里と有紀は黙りこくったが、彼女らにとっては相手が存在してないも同然だった。このふたりはかなり似ている。あまり話すのは好きじゃないし、冗談もぜんぜんパッとしない。”類は友を呼ぶ”とはまさにこのことだ。それが二人をさらに魅きつけた。

 しばらくしてから美里がゲームに熱中しながら「そういやぁ、さぁっ。……その胸元で大事そうに抱いている犬は有紀ちゃんの?」

 ほとんど藪から棒に苦しく尋ねた。

「えぇ。そうなのよ。このワンちゃんは私の大事なお友達なの」

「あぁ。やっぱり」美里は小声でいった。「やっぱり友達はその犬だけな訳ね?」

「……いいえ、違うわ。螢ちゃんと由香ちゃんっていう人間のお友達もいますもの」

「へぇーつ。いいじゃないか、有紀ちゃん」と美里はほめた。「昆虫とフローリングの友達?」

 違います…。違います…。違います…。

「そういやあさぁ。…その犬って何食べんの?やっぱりメザシとかマタタビとか?」

 やっぱりつまらない。しかし美里はかぎりなくピュア(純粋)である。

 ある意味では無邪気・うぶ・純真…つまりナイーヴであるし、頭の違いがあるにしろ螢や由香と似てなくもない。あまり社交的ではないけど、家庭的で「お料理」は得意。”平凡なお母さん”になるタイプだ。きらきら地味に光るタイプだ。

 でも、こういう『内助の功を発揮するタイプ』の女の子が一番好ましいのかも知れない。螢みたいなのでは……ちょっと。…

「あ、マズイ!もうこんな時間だよっ」突然、腕時計に視線をむけた美里が、慌てた声を出した。そしてバッと席から立ち上がった。「マズイよ、マズイよ、マズイよ!」

 と周章狼狽してジダンダをふんだ。そして黙りこんでから「マズイよ、間に合わないよ」あえぎあえぎ言葉を出した。

「あ…あの……何に?」

 美里がポケットに手を突っ込んで、財布をとりだした。別にブランドものじゃなくて、黒色の皮製の安物だ。美里は指先に細心の注意をこめて、やはり慌てふためきつつ、この財布から大事な品をとりだし、うやうやしく有紀にさしだした。

 有紀はそのチケットを受け取ると、じっとみつめた。写っているのは着物姿の二十歳くらいの女性演歌歌手だ。黒い目と日本髪、まじめな顔、痩せっぽちの体躯、化粧もきちんとしてある。まばたきもしないでカメラをみている。有紀の知らない顔だ。(正確には彼女はクラシック演奏家しか知らない)

 チケットにはこう書いてある。……香西かおる演歌ショー!日付…今日だ。時刻……いまだ。もうコンサートは始まっているのだ。疑問の余地はない。美里は演歌ショーに遅れたので狼狽しているのだ。演歌に…。

「香西かおるのチケットとんの大変だったんだ。中年オヤジたちのアイドルだからさぁ。ぴあに何十回も電話してもなかなかつながんなくてさぁ…きっとオヤジ達が買い占めてたんだね。でも……いいでしょ?うらやましいでしょ?」美里が誇らしげにいった。

「……えぇ、まぁ…」有紀はチケットの香西かおるの写真から目を話すことが出来なかった。「クラシック・マニア」も珍しいけど、こんな若い女の子の「演歌マニア」も珍しいわ。

「でも…香西かおるちゃんもいいけど、山木ジョージとか北鳥三郎とか瀬河B子とか都はるえとか……いろいろなアーティストもやっぱりいいかなぁーなんて…」

「あ…あの、はやく行かないと……コンサートがおわっちゃうんでは…?」ようやく有紀は忠告した。

「あ、そうだよ!!ヤバっ!」美里はそう声を出すと「じ、じゃあ。またね、有紀ちゃん」とチケットをとり、慌てふためいたまま駆け出していった。

「香西かおる……ね」

 有紀は美里の後ろ姿を見送ってから、なんとなく微笑んでしまった。


   有紀はなんとなく元気な足取りで午後の人のいない街路地をひとり歩いていた。

 可愛らしい子犬が彼女の顔を見て、くんくんと鳴いている。彼女はすぐに微笑って、

「えぇ。わかってるわ。……お腹が空いたんでしょう?すぐに家に帰ってミルクでもあげるわね」

 なんとも幸福な瞬間だった。悲しい気持ちになったのはほんの数時間前だったのに…もうかなり前のことのように感じる。そうよ、また螢ちゃんや由香ちゃんと愉快に遊ぶのよ!美里が彼女と一緒にいたのはほんの数十分なのに、そんな短い時間でも、美里は有紀にじつに好ましい影響を与えたようだ。

 しかしそんな平凡で幸福な時間も、長続きしなかった。あの残忍な魔物「アラカン」が有紀に襲いかかったからだ。

「きゃあああぁ…っ!」

 子犬を放して彼女は驚愕して悲鳴をあげた。

 有紀のはげしい悲鳴を耳にした螢と由香は、ハッとして駆け出した。そして、アラカンに首を締め付けられて吊されている有紀の姿を目撃した。

「ゆ、有紀ちゃん!」

 アランカは「トゥインクル・ストーンがこの娘の中に」と、暴れる有紀を睨みながら、左手を彼女の胸元に当てた。次の瞬間、黒野有紀の可憐な胸元から黒色の閃光が四方八方に放たれていった。が、アラカンの期待は大きく外れた。

「くそっ、この娘もトゥインクル・ストーンの持ち主ではない!」

 アラカンは顔をしかめ、太い眉をさかだてて吐き捨てるようにいった。やがて、有紀の胸元から放たれていた黒色の閃光は輝きを失い、そしてフウッと音もなく消えた。

 アラカンは「殺してやる」と低い声でいうと彼女の首根っこを力強く締め付け始めた。「う…ぐぐ…」このままでは有紀が締殺されてしまう。

「う、くそう!…どうしたら……」螢と由香は驚愕して立ち尽くしていた。あまりのシュチエーションに恐ろしくなって動きがまったくとれなかった。戦慄!恐怖…脆弱な精神…。 その時、子犬が必死に、アラカンに体当たりをくらわせた。その攻撃は弱々しいものだったが、それでも当たりどころがよかったのか、アラカンは衝撃で有紀から手を放した。なおも子犬は攻撃しようとアラカンを威嚇するようにうなった。

「ダメよ!逃げるのよ」有紀はごほっごほっとセキ込みながら子犬に叫んだ。

 この犬っころが!!アラカンは憤慨して子犬を右足で蹴りとばした。きゃいん、と鳴いて、犬は壁に激突して地面に倒れこんだ。

「ワンちゃん!」有紀は弾かれたように倒れた子犬のそばに駆け寄った。

「な、何やってるのっ?!螢ちゃん、由香ちゃん、「封印」よ!お札で戦うのよ!!」

 いままで姿をけしていた妖精セーラがふたりの背後から猛スピードで飛んできて、慌てた口調で叫んだ。

「……そ、そうね」二人は決心したようにいうと、お札を前にかざして「お札よ、魔物を封印せよ!」と燐とした声を発した。

「レインボー・アターック!」

「レッド・ハリケーン!!」

 虹色の閃光と赤いハリケーンがお札から出て猛速度で空間を走り抜けてアラカン目指して突き進んだ。激しい雷鳴・閃光!

 しかし、そのふたりの攻撃もアラカンにひらりと簡単にかわされてしまった。

「え?!なにっ、またっ?!……本当に私たちってヒロインなのっ?!普通ならすぐに敵が「うあっ、やられたっ、ゲーム・オーバー」っていって攻撃を受けてやられるもんじゃんよ」「なにいってんのっ。由香ちゃん、いつからヒロインになったってのさぁ?ヒロインはこの私っ、青沢螢だけなのよっ!……由香ちゃんは……ただの脇役な訳よ」

「な、なんですってっ?!」

「ワ・キ・役っ。」

「…………覚えてらっしゃい。この馬鹿螢っ」

「ワ・キ・役っ、エキストラっ」

「なんですって?!いい加減にしてよね。もぉ…そんなことばかりいってるとぉ…あんたの大嫌いなタコヤキとピーマンを口の中へぎゅって押しこんじゃうわよ」

「えっ…」螢は顔をゆがめてから「く……くっ。…じゃあ……私は由香ちゃんの大嫌いな『納豆』をババッってふりかけちゃうわよ。それでもいいの?」

「……ば、馬鹿じゃないの?!」

 その低レベルな会話に熱中している間に、ふたりはアラカンの攻撃をうけてしまった。空間をものすごいスピードで飛んで襲ってきた氷剣を二人はなんとかかわしたが、次の瞬間、爆風に吹き飛ばされて「きゃつ」と螢と由香は転んだ。

「……痛たたた…もぉ。」

「あ、あんたヒロインなんでしょ?!はやくやっっけちゃってよっ」

 ふたりは情ない声を発した。「うるっさいのよ」「はやくさぁ、ヒロイン!!」「…今回だけは、由香ちゃんにヒロインの座をゆずっちゃうわ」「今回はパスするから頑張って敵をやっつけちゃってよ!」「今回のストーリーでは気分が乗らないのよ」「気分ってなんの?」

「そりゃあ女優としてのよぉ」

「あんたいつから女優になったってのよ!」

 ふたりは次の瞬間、顔を凍り付かせた。ビュウァァァ…ッという音に気付いて振り向いたとたん、数十メートル前方から無数の鋭い氷剣が迫ってくるのを知ったからだ。彼女らはちいさな悲鳴を上げ、飛びのいた。

「うわっ、いやっ、わっと」なんとか氷剣をかわした。だが、今度はアラカンの両手からブリザードが放たれた。直撃はなかったが、ふたりの近くのコンクリートの壁や柱などにぶつかり、バリっと瞬時に凍りついた。なおも攻撃してくるアラカンにそこ知れぬ恐怖を感じた二人は、戦慄し、そして必死に逃げ出した。

「逃げるなマジックエンジェルども!」

アラカンはすばやい攻撃でふたりをまかす。

くそっ!攻撃が効かない!!!!それでもふたりはあらがう。

 だが、次の瞬間、螢はアラカンに掴まって首根っこをギュッと締め付けられてしまった。「ほ、螢っ!!」

 由香が叫んだと同時に、有紀が必死になって勇敢にアラカンへ体当たりをくらわした。その必死の抵抗のおかげで螢は離されて助かった。が、次の瞬間、有紀はアラカンの怒りの鉄拳をうけて殴り飛ばされてしまった。激しく壁にたたきつけられ、倒れ込む有紀。

「ゆ、有紀ちゃん!」

 螢と由香は驚愕して叫ぶと、くそっ!と戦闘体制をとった。攻撃はきかないけど、やるっきゃないっしょ!!

「もうこれ以上悪いことをすることは絶対に許さないわよ!この伝説の戦士マジック・エンジェルちゃんの前でおもいっきり懺悔しなさい!!」

「…いえ、謝罪しなさいっ!」

 正義の味方のふたりは堂々とアラカンにいった。そして、すぐに攻撃を開始した。

「レインボー・アターック!」

「レッド・ハリケーン!!」

 しかし、またしても攻撃はひらりとかわされてしまった。アラカンは螢たちと対峙し、「死ね、馬鹿ども!」

と両手から氷凍を何度も放って攻撃してきた。二人組はその攻撃を間一髪、

「わっ、やだ、きゃあ、うあっ」と情ない悲鳴をあげて横っ飛びしてかわした。同時に、ふたりの立っていた場所が激しく爆発した。

「ちょっと、少しは手加減してよっ!」

  うう…。倒れていた有紀は少し荒い息を吐いてもんどりうった。そんな彼女を心配するように子犬が近付いてきてくんくんと鳴いた。「…ワンちゃん…だいじょうぶよ」彼女は微かな声を出して痛みをこらえて微笑した。

 妖精セーラは有紀の姿をみて、ハッとした。倒れている彼女の全身から微かに黒色のオーラがたち上がっているのを発見したからだ。ーまさか!!

「ゆ、有紀ちゃん、だいじょうぶ?!しっかりっ!」

 セーラは倒れ込んでいる有紀に近付いて呼びかけた。そして彼女の顔をジッと覗きこんだ。有紀はきらきらした表情のまま「あ…あら…あなたは妖精…さん…」と呟いて、微かにうなって全身を小刻みに震わせて荒い息をついた。「…私…夢でもみているのかしら?……妖精…さん……なんて…いるわけないのに」

 妖精は「待っててね、有紀ちゃん!いま痛みを癒して元気にしてあげるから!」と同情をこめていった。そして、

「タターナ・ラーマヴァーナ、アンダージュ・パ・ダクシオン!」

 可愛らしい声で呪文をとなえると、妖精の人差し指からきらきらした”癒しの風”が吹いた。そして「風」は有紀の体を包み込み、やがてフウッと消え去った。彼女はゆっくりゆっくりと起き上がった。そして、

「……どうしたのかしら?体がちっとも痛くない。……いえ、むしろ体がダウン・フェザのように軽いわ」

 少しだけ驚いて可憐な足取りでステップを踏んでみた。「どうしたのかしら?」

「有紀ちゃん!」セーラは摩訶不思議な顔をして少しだけステップを踏んでいる彼女に熱心な口調でいった。「あなたに”封印用”のお札を渡すから受け取って」

 妖精はもう一度燐とした表情をして「ラマス…」と呪文を唱えた。次の瞬間、眩しい閃光があたりを包み、有紀は眩しくって目をつぶった。

 しばらくしてから、セーラは、「さぁ、これをあげるから…」といって右手にもった黒色のお札を差し出した。有紀は驚いてから、オドオドと、いった。

「え?で、でも……知らないひとからむやみに物をいただく訳にはいかないわ。あなたもお母さんからそう教わったでしょう?」

「……まぁ、一応。………でも、あのね。まぁ、そうかたいこといってないで、かけてみてよ!」

 有紀はかなり躊躇してからオドオドとお札をもった。そして、

「……あの、それで?」と素直にきいた。

「”お札よ、魔物を封印せよ!”って叫ぶのよ!そして”封印”するのよ」

 有紀は素直な顔のまま「それで?」と尋ねた。

「……あ。それで伝説の戦士マジックエンジェルになるの」

「伝説って……どんな伝説なのかしら?」

「……え?あ、伝説ってばいろいろね。話すと長くなるから後で教えるわ」

「…マジックエンジェルってどういう意味かしら?鳩さんをポケットから出したりトランプを消したりする天使なのかしら?天使って…白衣の天使の看護婦さんのことかしら?それとも…」

「もおっ!そんなことどうでもいいでしょ!」妖精は少し癇癪を起こした。キャラクターに似合わずヒステリックな声を出した。「…あなたは少し考え過ぎるのよ。よけいなことはきかなくていいから…」

「……でもちゃんと状況を熟知しておかないといけないんじゃないかしら?でないと」

「……あのねぇ、もおっ。…いいからいわれた通りにやりなさい!」

 妖精の怒りにふれて、有紀は肩をすくめて「…あ…はい。…ごめんなさい…」と素直に頭をさげた。ので、妖精は「あ、いえ、いいのよ別に」と、すっとんきゅうな声を出した。「…………やらなくてもいいのね?」

「やりなさい!」

 有紀は肩をすくめてから、ごめんなさい、と呟いた。「あ、いいえ」妖精は恐縮した。 それから彼女は可愛らしく尾を振る子犬をやさしく抱き抱えて安全な場所に移した。 「じっとしてるのよ。動いちゃダメよ」

 もどってきた有紀にセーラは封印を欲した。彼女はゆっくりゆっくりとお札を天にかざしてた。そしてオドオドと、

「お札よ、魔物を封印せよ!」

 と、燐とした声で叫んだ。やがて頭上にかざしていたお札から黒色に輝く閃光が四方八方に飛び散り、しだいに有紀の体を包み込んだ。

 そして、黒色の閃光が消えると、黒野有紀はついに伝説の戦士へとなった。



  セーラは、まぁ、と深くうなづいてから彼女に「必殺技」を耳打ちした。

「さぁ、あのふたりを今教えた技で助けてちょうだい!戦うのよ、有紀ちゃん!!」

「……あの…”ブラック・スモーク”って…黒い煙りのことよね?それって…」

「いいから、いきなさい!」妖精は思わず怒鳴った。


  ふたり組はまったく情なかった。アラカンの氷剣の攻撃を必死にかわしながら逃げ回ってピヨンピョンと兎のように跳ねまわっていた。

「うあっ、ちょっと!やっぱりさぁ…」

「な、何っ?あっ、きゃあ、何が…いいたい…のよ!?…きゃあ」

「あたしさぁ…こんなストーリーのヒロイン嫌だよ!…うあっ、きゃあ!…もっと…恋愛小説の可憐で可愛らしい主人公…きゃあ!……とかさぁ」

「……あんたには……きゃあ!…うあっ!…無理ね。そういう少女対象のラブ・ストーリーってキャラじゃないもん!…うあっ!……あんたはギャグ小説とかコメディのキャラな訳…いやっ!…よ」

「それって由香ちゃんでしょ?…きゃあ!」

「…うあっ!……なんですって?!…きゃ!…そんなことばかりいってるとあんたの大嫌いなタコヤキとピ」

 二人は足を滑らせて「いたっ」と大きく転んだ。なによっ、本当に私たちって正義の味方な訳?ずいぶんな待遇じゃないの。…訴えるわよ!

「くくく…虫けらめ、殺してやる!!」アラカンはニヤリと冷たく笑みを浮かべた。

 と同時に、

「お待ちなさい!そこのゲシュタポのような服を着た方!!超能力でスプーンを曲げるのなら許されるけど、氷の剣を放ってひとに怪我をおわせようとするなんて……許せないわ」 有紀の可愛らしい声が響いた。

「なにっ?!」とアラカンは彼女のほうを向いた。

 マジックエンジェルの有紀はゆらゆらと可憐な少女らしく立って、

「とにかく私がお巡りさん(警察官)にかわってせっかんしてあげるわ」と宣言したと同時に、キッとした顔をして、両手を大きく広げて「ブラックーッ!」と叫んだ。続けて、両手の掌を胸元のかなり前まで突き出して、「スモーク!!」と大声で全身の力をこめて叫んだ。お札から黒豹のような「黒いけむり」が目にもとまらぬ速さできらきらと黒色に輝きつつアラカンに向かって放たれた。空間を走る黒豹!

「うああっ」

 「黒いけむり」の直撃をうけて、アラカンは悲鳴をあげた。そして、なおも全身にまとわりついて動きを封じ込めている”煙り”の存在に困惑して舌打ちした。「くそっ、動けん」

「螢ちゃん、由香ちゃん!今よっ」有紀は茫然と立ち尽くしている二人に熱意をこめた口調でいった。「螢ちゃんたちの力をしめす時よ!」

「ーそ、そうね!もっともだねっ」

 螢と由香はそういうと目を輝かせて、「レインボー」と「ハリケーン」の必殺技を放った。そして、虹の稲妻と赤いハリケーンは戦慄して立ち尽くしていたアラカンに直撃した。「ぐあっ!」

 次の瞬間、アラカンは口や耳から緑色の血を噴出して、ドサッとコンクリートの地面にふき飛ばされて転がった。やがて、アラカンの体中から微かな煙りがたちこめて、ドロドロに解けだし蒸発しミイラ状態になり…そのうち微かな粉状になり風とともに消え去った。「………」

 有紀はアラカンの最期を金縛りにあったようにしばらく茫然と立ち尽くしてみていた。「ゆ、有紀ちゃん!ゆーうき(違う!)!!」

 螢たちは喜んで有紀の元へ駆け寄った。そして「ありがとう有紀ちゃん、助かったわ!」「そうそう…サンクス池袋西口店……ちょっと苦しい……ね」

 三人はがっしりと握手を交わしあった。長いながい握手…強く強く結ばれた絆と友情と愛情。それは三人を透明な気分にさせてくれた。三人はこの瞬間を愛した。きらきらとした瞬間を。

「…あ、あのね…有紀ちゃん……いろいろあって大変だったろうけど…元気だしてね」

「…そうそう。神保には私がよっくお説教しておくからさぁ。成績おっこちたんだってぇ…私がお勉強を教えちゃうっしょ…」

 由香は「なにを不可能なことばかりいってんの?!」といった。

「うるさいのよ!主人公のお決まりのセリフじゃんよぉ」

「ー誰がそんなん決めたの?!」

「あ、あの…おふたりとも……どうだったかしら?」有紀は魅力的な笑みを浮かべて尋ねた。「もう、前みたいに臆病な女の子じゃなかったでしょう?…私」

 螢と由香は鳩が豆鉄砲をくらったような顔で目を彼女に向けると、

「これもおふたりのおかげね。ありがとう。…それと神保先生のこととか成績のことはもう別に気にしてないわ。だから心配しなくてよろしくってよ」

 と黒野有紀はにこりと言った。

 二人は、あら。私たち心配なんてなかったわよ、と笑顔をみせて「冗談、冗談」とカラカラ腹をかかえて大笑いした。

「…さぁ、ワンちゃん。一緒にお家に帰りましょう」しばらくして有紀は子犬の元へ歩いていって優しく抱き抱えてそう告げた。そして頬づりをして、幸せそうに可憐に微笑んでいた。



   犬を抱いてとろけるような微笑みを浮かべながら有紀が自宅へ帰ってくると

「有紀。その犬は?」

 と、戻ってきた娘に、静が冷たい口調できいてきた。しかし、彼女には答えられるはずもなかった。お母さんには逆らえない…。でも、このまま黙って突っ立っているわけにもいかない。

「…あの…お母さん」苦しい声で彼女はいった。が、そのオドオド口調をさえぎるように、「有紀っ!何度、おなじことをいわせるの?!あなたいつからそんなに馬鹿になったの!?捨てきなさいっていったはずよ!」

 静の冷たい声が響いた。

 有紀はどう言葉を発しようか悩んだ。「お母さん…お願い。飼ってもいいよね?」

「ダメです!私のいうことがきけないの?!」

 有紀は激しく首を横にふった。「いいえ、違うわ。でも…その…」母親の方へ顔を向けると、哲学派の静は、冷酷で、辛辣な感情に溢れた瞳で自分のことをみていたため…彼女は母親の顔を凝視できなかった。

「捨てるなんて絶対に反対よ。……嫌なのよ。かわいそうでしょう?…捨てちゃったら保健所に連れてかれてガスで殺されちゃうかも知れないのよ。だから…」

 黒野有紀は恐怖にかられたように、一人でぶつぶつと呟き始めた。ぶつぶつぶつぶつ。静は何をいってるのか分からなかったので、柳眉を逆立てて「はっきり声を出しなさい!」と娘を叱った。

「お母さんは間違っているわ!動物の大事さをわかろうともしないで”捨てきなさい”だなんて!!」

 必死に怒鳴った娘をみるのは、静にとって初めてのことだった。静かな控え目な表情、本を読んでいる。少し微笑んでいる。料理している、うつ向いて泣いている、努力している、うつろな瞳で遠くをみつめている……そんな表情ではなく、ひどく沈んだ表情ではなくて、熱心でアグレッシブな娘の表情をみるのは初めてだった。静は驚いて絶句した。

「お母さんっ、私…なんと反対されようと、このワンちゃんを飼うわよ」有紀は宣言しながら、微笑みを見せた。「ね?いいよね?お母さん」

 静の”冷酷な顔”はしだいにくずれていき、彼女の黒っぽい瞳に狼狽が溢れ出した。

「……有紀……確かに…あなたのいう通りね。私は間違っているし、動物の大事さをわかっていないのかもね。…動物だけじゃなく人間の気持ちもこれっぽっちも考えてないのかもね。私は……なにもわかってなかったのね」

 弱々しくいった。

 静は娘の態度になにかハッとして、自分はやけにちっぽけな存在なのね、と感じていた。この数年の黒野静は、自分の信念と努力と頭脳で人生をきりひらき、巧みな戦略で自分を 

守り、娘を育てて、生き延びてきた。だが、それで多くのものを失った。多くの友人も女の幸せも。自分のことばかり”娘を大学教授にする”という盲目的な夢のことばかり考えて、他人の痛みを忘れてしまった。自分の地位を築くために、多くの人間を傷付け、強引と傲慢のために多くの敵をつくってきた。

 黒野静はなにもかもがイタチのように老獪だ。人を巧みに操り、利用することができる。知的レベルの高さで誰でも論破することができる。必要ならば嫌なやつとでも握手する。それもこれも男性社会で生きていく、出世していくため、認められるため、だった。

 だけど…いままでの自分は他人のことなどは考えもしなかった。彼女は数年のあいだ娘や学生たちに向けていた気持ちや、冷酷な態度を思い出して、身震いした。どんなに後悔しているか娘に伝えたいと思った。

「……お母さんが間違っていたわ…」

「……え?」

「有紀」静はいった。「冷たい母親を軽蔑してもいいのよ」

「そんなことしないわ!」有紀はいった。「お母さんは私のかけがえのない…たったひとりのお母さんだもの」

「…ありがとう…有紀」静は娘の瞳をみつめ優しい口調でいった。「有紀、わかったわ。その犬をここで飼ってもいいわよ。……ただし、世話はぜんぶ有紀がするのよっ。わかった?」

 彼女はきらきらした微笑みをみせた。

「ありがとう、お母さん!」)予想もしなかった愛情の波がふいに有紀の胸に押し寄せ、心臓がしめつけられるような錯覚を感じた。有紀は母親に強く抱きついた。

 静かは娘の頭を胸元に抱き寄せ、娘の髪に頬を重ねた。喜びがふたりの魂を揺り動かし、きらきらとした光でいっぱいにした。この子が私に何か反論したり怒ったりすることなんてなかったのに……いつの間にか成長するものね、子供って。

 ふたりは見つめあってもう一度、微笑んだ。



  成長などしない二人組は相変わらずだった。二か月連続で遅刻して、宿題もやってこないために、両手に水バケツを持たされて廊下にたたされていた。ここは、青山町学園の螢たちの教室の前の廊下だ。ふたり組とは当然、螢と由香だ。もう授業も終わって、午後の小休みの時間。

「…ちょっと、みせもんじゃないわよっ」

「そうそう。私たちのことをジロジロみなくてもいいからっ!!どこかでマンガでも読んでてよねっ。月刊少女ジャンプ特大号のぶ厚いのっ」

「……学校にそういうぶ厚いマンガ雑誌もってくんのはあんただけだってば」

「…そう?でも由香ちゃんだって、絵のかいてある本もってくるじゃんよぉ。同じようなもんじゃんよ」

「……マンガ絵とアート(美術)をいっしょにしないでよ!」

「…もおっ、みるな!!見物するなら”お金”置いてってよねっ」

 ふたりは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにヤジ馬に叫んだ。と、「うるさい、馬鹿!だまって立っとれ、青沢螢、赤井由香っ……殺すぞ!!」

 神保が素早くやってきて、ふたりに怒鳴った。そして、まったく、ニガ虫を噛んだような顔をしてそのまま歩き去った。

「うるっさいのよ!…あんたなんて私たちの”レインボー”と”ハリケーン”で殺してやるんだから」と舌を出して聞こえないように螢はいった。

「…くすっ。ふたりとも相変わらずね」ふたりの姿をみて有紀が素直に笑った。そして可憐な足取りで二人に近付いた。

「あ…有紀ちゃん」二人は嬉しい時の声、つまり第二の声を出した。そして「あ、あの、その……この状態はねっ…そう!私たちは防火運動の担当でさぁ…それで水バケツを」

 と、苦しい弁明をした。有紀はほほえんで、

「あのねっ、あのワンちゃん……飼ってもいいってことになったのよ!それでもう名前も決めたのよ。…”タロウ”っていうんだけど…どうかしら?」

「ヘェ。ウルトルマンの三番目の弟の”タロウ”かぁ」と螢。「違うでしょ。画家の故・岡本山太郎からとったんでしょ?」と由香。

 有紀は素直に「いいえ。はるか昔の名作映画の南極物語の”タロウ”よ」といって微笑んだ。そして、フト、ふたりの瞳をジッと覗いてから、

「……あの、私たちって…親友になれるかしら…?」と尋ねた。螢はすぐさま、

「もち(ろん)、なれるっしょ!」といった。由香はあきれていった。

「なれるわ…でしょ!あんた北海道にいったこともないくせに訛りがひどいのよっ!!」

 フト、三人はジッと顔を覗きこんだ。そして、何もかも忘れたかのようにほんわりと声をそろえて笑いあっていた……。
















  第二章 戦士達の愛と死

 VOL・1 不良?美里の純愛ラプソディー

         ~マジックエンジェル・イエロー覚醒~

         魔の女王ダンカルトVSマジックエンジェル




「ゆ、有紀ちゃん。さっ、一緒に帰ろう」

 一年A組の教室で帰り仕度をしていた黒野有紀に、例のふたり組が明るくやってきてそう声をかけた。もう下校時間だ。

 有紀は「あ……えぇ。いいわよ。今日は塾休んじゃうから」と素直にいった。神保のいう「朱に交われば赤くなる」である。

「よっしゃあ、そうこなくっちゃあ!」

「……でも、今日休んだ分、明日からは数か月休みなしで……」

「ーよし、行こうよ!”ビックリ・エコー”へっ」

 有紀の言葉を無視して二人は叫んだ。「え?ムーンライトでもギルガメッシュでもなくて…ビックリ・エコーっ?」

 しばらくすると、またまた神保が、

「こらっ、青沢っ!赤井っ!こらっ!!このっ補習だっていっといたろっ。なにをチョロチョロしてるんだ!この鼠、ドブ鼠!!」

 とA組の教室を覗いてふたりを怒鳴った。そして、「こら馬鹿コンビ!はやく教室に戻って数学と英語と社会科のテストを終わらせないと殴り殺すぞ!」とツカツカせまった。「くそっ!お札よ……」

「ちょっと!神保を封印してどうしようっての?」

「それもそうだ」ふたりは顔を見合わせて笑った。で、少し恐怖を感じつつ、「逃げるが勝ちってね!後は野となれ山となれっ、君子危うきに近寄らずっ」

「え、きみこ(君子)ちゃんって誰?」「くんし!」

 とりあえず二人は「補修なんて嫌ですよーっだ!」と捨て台詞を残しつつ、明るい表情で呆然とする有紀を連れ去った。……

 神保先生は走って逃げのびた三人の姿を見送って「あの二人…絶対殺してやる」と茫然と呟くしかなかった。


  場所は「ビックリ・エコー」である。なんのことはないカラオケ・ボックスだ。

 カラオケ・ブームで猫もしゃくしもマイクを離さない時代。自分の意見を社会や学校でいえないから歌って精神的な鬱屈を晴らす。マイクを握って大声で歌う。他人の歌もきかずに「リスト」に目を走らせて「次の自分の曲」を探す。そしてヘタくそに歌って賞賛をもとめたりする。ひどいメンタリティだ。

 …場所は、ボックス内、……。

 赤井由香はビートルズおたくらしく、ジョン・レノンの”イマジン”と”スタンド・バイ・ミー”を全然違う英語の発音で歌った。

 青沢螢はいつものように2・5次元ミュージカル「セーラー・ムフーン」の”ムーンライトも伝説”を歌ったがひどいオンチでありその騒音で由香も有紀も耳が少しおかしくなった。

 そして懲りずに、今度は「ぬしの名は。」の”君の全全全部”を熱唱した。

♪君の全全全……。

「ちょっとあんたヤメてよ!耳が腐っちゃうでしょ!!」由香は思わず怒鳴った。


  三人はソフト・クリームを舐めながらゲームセンター「ギルガメッシュ」にと足を運んだ。由香と有紀は螢の歌のせいで耳が少しおかしいままだ。ー大川なんとかみたいにキリストの声でも聞こえる…?ーきこえたら怖いな。バカみたいで…。

 そして三人は懲りもせずバーチャル・バトルをプレイした。やはり有紀が一番とうまい。 しばらく関心して画面を眺めていた螢と由香は、十七才くらいの男たちが数人でセンター内へとはいってくるのを見た。いわゆるヤンキーだ。

 嫌な予感がしてヤンキーたちの姿を目で追った三人だったが、ゲーム機やプリクラ機の死角になってみえなかった。ドタバタ!

「やっぱりここにいやがったな、このアマっ!」

「…この間はよくもやりやがったな、このっ!今度は俺らがてめえを殴り倒して地面に這いつきばらせる番だ!!そして、たっぷり可愛がってやるぜ!」

 ひどく低俗な男達の威嚇の怒鳴り声を耳にして、三人は”バーチャ”をそっちのけで身を動かして、声のする方向、場所へと近付いた。そして有紀はビックリして、

「あ!美里ちゃん」と思わず声を微かに上げた。ヤンキーたちに取り囲まれているのは、あの黄江美里だった。制服姿の「演歌おたく」の美里…。

「な、なによっ、あの連中っ」

「女の子相手に何をいきがってるのよっ。卑怯者っ!!恥をしりなさい恥を!」

「よし、こうなりゃ封印よ!お札よ……」

 由香は螢を殴った。「おバカっ!」

 もちろん由香と螢のふたり組はけしてヤンキーたちにきこえるように言った訳ではない。呟いたのである。

 キッと凛々しく勇ましい顔で立ち尽くしていた美里は足を動かして通り抜けようとした。ニヤニヤとしていた男達が急激に踊るように美里の行く手を遮った。

 美里は動じず、真っ直ぐに相手の目を見据えて、

「どきなよ!」といった。

「どかねぇよ。この前はおれらのテリトリーでさぁ、カツアゲしてるところを邪魔してくれちゃった訳だしなぁ。おかげで金をつかみそこねたぜ。…あん時のオトシマエはつけさせてもらうぜ!」

「…お前らにできるかねぇ?」

「お前さぁ、結構いけんじゃん。胸もケツもでかくてさぁ…」顎ヒゲの男が性欲丸だしの顔でいった。「なぁ、俺らとドライブでもしねぇか?」

「嫌だね、お前らみたいになったらマズイからね」

「つれないこというなって」もう一人の男がニヤニヤ笑っていった。「一緒にいきゃあよぉ。なにも殴ったりしねぇって。面白いぜ…みんなで楽しいことしようぜ…なぁ?」

「…シンナーもあるしマリファナもあるし、ふかふかのベットもあるしよぉ」

「…そこで裸でもつれあって遊ぶ訳よ」

「ー悪いけど、あんたら私のタイプじゃないね。この頭の悪い「出来そこない」のクズどもが!」美里はウンザリ気味にいった。

 強引に前の男達をどかして通り抜けると、残りの男達がまた彼女の行く手をはばむ。

「このクズども!どかないと怪我するよっ」

 美里は眉をツリ上げた。

「ゲヒヒヒ…」と男達はイヤらしく笑った。

 相手がじわじわと近寄ってくると、美里は戦闘体制をとろうと足を動かした。

 その時、

「きゃあっ!」と短い悲鳴をあげた。

 男のひとりが美里の可愛らしいお尻をなでたのだ。なおもそいつは、彼女のセクシーな胸にも触れようと手を動かす。

「おとなしくついてくりゃあ、わるいようにはしねぇって…」

「そうさぁ、みんなで可愛がって愛撫してさぁ…気持ちいい思いさせてやっからよ」

 美里は激怒の表情になって男達を睨み付けた。ーこのっ、誰にも触れさせたことがなかったのにっ…許さないよっ!!

「さぁ、行こうぜぇ」

 ナイフの刃がいきなり首筋に当てられ、美里は一瞬、その冷たい感触にギクリとした。「ああ…っ」見守っていた螢たちは驚愕して、額から冷たく汗が伝うのを感じた。

 ーと、次の瞬間、

 ガシャアァァ…ン!その男はふっ飛んで、センターの窓ガラスを突き破り、グタリとなった。螢たちが思わず目を閉じた時の出来事だった。美里が男に蹴りをくらわしたのだ。「へん」と美里は鼻で笑った。「おまえら、ここじゃ皆に迷惑がかかる!表にでようじゃないか」

「おもしれぇ!ギタギタにしてやるぜ」

 不良男と美里はギルガメッシュの外へと飛び出したるそして道路で対峙した。

 うわぁ、あの子ムチャよ。螢たちもすぐに外に出て、見物人の仲間となった。

「て、てめえ」

「このアマっ、殺してやる!」

 男四人がポケットから手を出すと、パシッと飛びだしナイフの刃が光った。もう一人がいつの間にかトカレフ(旧ソ連製拳銃)を手にもっている。

「そんなもん振りまわさなきゃ、ケンカも出来ないの?!なさけない連中だねぇ」

 美里はそうタンカをきった。すざまじい意気だったるすべてを壊してしまうような…。「そうだ!そうだ!!」

「いいぞネェちゃん!やっちまえ」

 通りかかったヤジ馬たちがはやしたてた。

 螢たちは息をのんで美里をみつめていた。あれじゃあ、大怪我しちゃうよっ。

「このアマーっ!」

 男達はナイフを構えて彼女に襲いかかった。もうひとりがトカレフの銃口を向ける。

 ーもうダメよ!螢達が思わず目を閉じた時、バキッ!ドスッ!、という妙な音が聞こえてきた。と、あっという間に男達はふっ飛んでゴミ箱に首をつっこんでグッタリとなった。 なおも逃げようとする男を、美里は蹴り倒した。「ふん、口ほどにもないねぇ」

 うあっ、と見物していた人々から喚声と拍手がわいた。しかし、

「すげえな」

「…あれでも女かよ」という悪意に満ちた陰口もすぐに広がった。螢たちは信じられない様子で美里を見つめて言った。

「やるーっ!まるで女海賊ルフィースみたい」

 三人は顔をみあわせてから興奮した。

「あ。」美里はふと螢たちの存在に気付いて振り向いた。そして、黒野有紀を発見した。「こんにちは、美里ちゃん」有紀は優しく微笑んで頭を下げたが、美里は何も答えず、笑顔ひとつみせずに三人に背をむけて歩き始めた。悠々としてそれでいて可憐な足どり。 「なにっ?有紀ちゃん、あの子、知ってんの?」

「えぇ。美里ちゃん。黄江美里ちゃんよ」

「ミ・サ・ト……ちゃん?」

「香西かおるが大好きなのよ」

「誰それ?」

 しばらくすると、キキキッと、黒色のロールスロイスがタイヤをうならせながらやって来て美里の行く手を遮るように停まった。車は、しんと光っていた。

 すぐにドアが開いて運転手の白髪の老人が「美里お嬢様、どこにいらっしゃったんですか?!お父上がお待ちですよ。はやくお乗りください」と丁重に言って美里の近くに歩き寄った。

「あ、英さん。ごくろう様」美里はとても魅力的な表情で高級車に乗り込んだ。バタン!と重い金属ドアがゆっくりと閉まった。

 例によって金に弱い螢は、

「うあっ、すごい高い車じゃんよっ」と興奮して頬を赤くして、瞳をきらきらさせて呟いた。

「そうねっ。高級な車ね。たしかメルセデス…じゃなくてリンカーン…?キャデラック?ランボルギニー・ポルシェ?」

 螢は笑って「違うってば由香ちゃん。ほらっ、よくバット・マンに登場するやつよ」

「…あぁ。またアニメーションの話?」

「違うよ、T・バートンの映画のやつだよ。主人公のバット・マンが乗ってさぁ…」

「”バット・マン・カー”とあの車のどこが似てるっていうのっ?!色が黒いだけじゃないのっ。馬鹿じゃないの!?」

 有紀はそんな二人に「あの車はロールス・ロイスっていう外国の高級車よ」と素直に教えた。そして三人は走り去るロールス・ロイスを茫然と見送ってから、

「…あの子、お金持ちだったのね」

 とポツリとつぶやいてしまっていた。



  螢たち三人は喫茶店「ムーン・ライト」にいて、飲み物を飲みながらパフェをパクついていた。飲み物は、いつものように螢がコーラで由香がサンキスト・オレンジで有紀がカフェ・オレだ。パフェはチョコと苺とチェリー…。

「しかしさぁ。あの美里ちゃんって子、すごいわねぇ。羨ましいわ」

 金に弱い螢は瞳をきらきらさせていった。

「まぁね。あの車は、ね」

「ーなに?どういう意味っしょ?由香ちゃん」

「もしかしたら、あの車…レンタル自動車かもしんないじゃん。あの子が見栄を張るためにさぁ…」

「馬鹿じゃないの。召使のしらがのおじいさん運転手がいたっしょ!」

「…あれはきっと売れない俳優かなんかよ。劇団きっかり座とかのさぁ…」

「馬鹿じゃないの?その劇団って児童劇団じゃんよ」

「………あ、そう?なんであんた知ってんの?!アニメや漫画以外であんたが詳しいことあるなんて珍しいわね」

 螢はニヤリと笑って「まあ、ね。だってあの劇団きっかり座はさぁ、あの私の大好きなアニメ「セーラー・ムフーン」の実物版2・5次元ミュージカルを演(や)った劇団だもん!」と熱心にいった。

「……また、アニメか」由香は呆れた。

 今までだまっていた有紀がいった。「あの…ね。あの車はレンタルじゃないわよ。だって、ナンバーが緑じゃなかったでしょ?」

「あぁ。そういえば」

 ふたりは意味不明のまま頷いた。そして再び金の話へ…。まず由香から、

「あの子が金持ちだと仮定してよっ。住んでるのはやっぱ、田園調布かなぁ?」

「じゃないの?高級住宅街に住んで。BMWとかポルシェとかボンド・カーとか乗り回してんのよ、きっと…」

「ボンド・カー?…あぁ。またアニメ?……まぁ、それはいいとして……あの子、まだ免許もってないんじゃないの?」

「あぁ、そうか!じゃあ、お美味しい「お肉」とか「お魚」とか果物とかお菓子とか野菜なんかを毎日パクついてさぁ。高い宝石とか服なんかにかこまれてさぁ…靴なんてイメルダ・マルコスくらいもってたりしてさぁ。…いいなあ」

「ちょっとマンガ・チックな考えみたいだけど…そうね。羨ましいわ」

 有紀は素直に「…あの、おふたりとも。この前いったように、その考えは拝金主義であってね…」という教えを長々と語った。例のふたり組はその「教え」を聞いているうちに、ぐっすりと眠り込んでしまった。

 さすがに低レベルな二人だ。有紀はただただ呆れた。


  黄江美里の自宅は豪邸と呼ぶにふさわしい程の大きさだった。洋風の館に広い庭、赤い屋根にモミの木、日本的な錦鯉の泳ぐ大きな池、三分の一サイズの六重の塔…。

 黄江邸のだだっ広い応接室には制服姿のままの美里と父親の健三郎がいた。六十二才の小太りのいかにも成金風のガウンを着た男が美里の父親の黄江健三郎だ。

「美里、いままでどこにいってたのだ?!親に心配をかけるんじゃない。…もう母さんは十年前に死んでしまっている訳だから…女の悩みとか話せる相手がいなくて淋しいのはわかるがな」

「別に、女の悩みなんてないよ」

「……じゃあ、まだなのか?」

「いや、まさか。小6ん時かな」

「なに?!小6でもう男と…」

 美里はうぶな少女のように頬を赤くして首を振って、「ち、違うよ!男と…だなんて!!……キスもまだなのにさぁ…まぁ別にいいけど」

 健三郎はまた鉄仮面のような顔をして、

「…まぁ、私が一代で築き上げた黄江建設株式会社の社長の座を私からバトン・タッチできる「息子」は残念ながら存在しない。私にはひとり娘のお前しか頼れる人間はおらんのだ。なぁ、美里。社長になりたいだろう?」と尋ねた。

 美里はウザイ気味に頭をかいてから、

「別に、なりたくないね。社長だなんて。それにさぁ、世襲なんていうのは私は反対だね。…会社内に優秀な人材がいるかも知れないのに、それを無視して血族にポストを提供するなんてさぁ…会社のダイナミズムを奪うだけだねっ!…会社は個人の私有物じゃなくて、社員皆のものなんだよ。チャンスは平等に与える……それが社会のルールってものさ」

 と、あたり前のように答えて、前髪をささっとかきあげて、男の子のように微笑んだ。「そんな能書きはいいから…私のいう通りにするんだな!まぁ…女のお前には社長職はムリかもしれぬ。だから、すぐに婿養子でもとれ!そのダンナに社長ポストを与えてやってもいいだろう。一流大学卒の男なら誰でもいい。私の決めた見合い相手とすぐに結婚するんだ」

「な、な、何いってんだよ!私はまだ高一なんだよ、結婚なんて早すぎるよ!ヤンキー娘じゃあるまいし…。学校だってあるしさぁ」美里は慌てた様子から続けて、「それに、女のお前にはムリ!っていうのは偏見じゃないの?!女性蔑視っ!性差別ってもんだよ。男尊女卑なんてのはアナクロニズム(時代錯誤)だねっ」と声を荒げた。

「うるさいっ!とにかくゆうことをきけ!!」

 しばらくの沈黙の後、父はくどくど続けた。「…お前はもうすこし女らしくした方がいい。言葉づかいも、服装も!」

「どういうのが女らしいってなんのさ?どんな言葉づかいが女らしいってのさぁ?どういう服が女らしいってなんのさぁ?」

「欧米のエスタブリッシュメントのお嬢様のようにだ!」

「…あたしは外人じゃないんだけどさぁ」

「……じゃあ、ロイヤル・ファミリーの雅奈子さまのようにだ!しとやかな服、丁重な言葉づかい、マナー、社交ダンス、ピアノ…」

「なにそれ?」

「女は黙って男のいうことをきいてればいいんだ!」

 美里は父親の怒りにしばし言葉を失った。そして、冷静な顔で、

「…おやじは明治時代の男みたいだねぇ。女は黙っていうことをきけ!男の三歩ぐらい後ろを黙って歩けっ…てさぁ」

「おやじ…じゃなく「お父様」と呼べ!」

「…あのさぁ…おやじには悪いけど……あたしは見合いなんてしないよ。結婚はするかも知れないけど…それは恋愛結婚な訳さぁ。でも…それまでは自由でいたいね。こんなところに縛られてるのはゴメンだね。成金の一人娘としての存在で埋もれたくないよ。夢を、自分自身の夢を叶えたいんだよ。まだ、なにをしていいか見つかんないけどさぁ。…歳をとってから「あぁ、すればよかった」なんて後悔したくない。目標に向かって突っ走り成功をつかむ!そんなサバイバーになりたいね。そのためには努力しなくちゃならないし、自由がなくちゃね。今、家庭にしばられる訳にはいかないんだよ。…わが道を行く…まさに至言だね」

 美里は、その胸に秘めた思いを熱っぽく語った。健三郎は、しばらく自信に満ちあふれた娘の顔をジッとみた。そして、

「まぁ、夢を持つのは別にかまわん。いずれ挫折やもっと困難なことに直面して諦めるものだから。ただ、お前ぐらいの年になってまだ乙女チックな夢…シンデレラ・コンプレックス的な夢を語っているのは問題だ!」父親は怒りにまかせていった。

「とにかく、私のいう通りにしていればいいんだ!お前は女なのだから…」

「……女だから?」

 美里はショックめいた言葉を呟くしかなかった。女だから…女性だから…ダメ?


  美里は部屋は螢のような乙女チックなものではない。由香のような何もない部屋でもない。有紀の部屋のような知的空間でもない。

 何となくヨーロッパの金持ちの部屋みたいな雰囲気だ。ただ、異質なのは壁に張られた演歌歌手のポスターだ。香西かおるや美空ひはりなどだが、これは個人の趣味なのであまり関係ない。

 美里は重い足取り出歩いてきて、ベットに倒れこんだ。彼女はちょっぴり悲しい気持ちになっていた。彼女の胸はひどい衝撃と苦い現実に押し潰されそうだった。

「あぁ…男に生まれりゃよかったよ」

 フト、叶わぬ願いを呟き、美里は寂しい気持ちのまま瞳をそっと閉じた…。


「あ、由香ちゃん!おはよう」

「あら、珍しいわね螢。あんたが寝坊しないで登校するなんてさぁ」

「そういう由香ちゃんだってさぁ。こんなに早く。まだ八時二十分だよっ。まるで老人のように早起きじゃんよ」

「早起きは三文の得ってね」

「……なにそれっ?サイモンって中年のロック歌手の?」(サイモン&ガーファンクルのこと)

「三文!朝早く起きれば三文っていう昔のお金を拾っちゃう(違う!)っていうことわざよ!!」

「なんでさぁ?タイム・スリップでもするって訳?三文で缶ジュースとか買えんの?」

「知らないわよっ!」

 ふたりは通学路を悠然と歩いていた。もう八時二十分だというのにである。

 校門が強制的に閉められるのは八時三十分なのでもう間にあわない距離だ。

「それよりさぁ。TVアニメの”カード・キャプターざくろ”と“エヴァンゲリオム完結編”見た?最終回っ、よかったっしょ?」

「知らないわよ、アニメなんて!じゃあさぁ、東京美術館で今度、ルーブル美術館の絵の展覧会があんだけど、知ってる?」

「マーブルってチョコレートじゃんよ」

「ルーブルっ!!馬鹿じゃないの」

 ふたりは呑気に並んで歩いていた。そして、フト、立ち止まった。

「あら、あの子、ミサトちゃんじゃないのよっ。あのデカイのは間違いないわよ」

 と螢たちは思わず声を出した。遠くの交差点を横切っている制服姿の黄江美里を発見したからだ。彼女は孤独に、しかし堂々と歩いていた。狼のように気高く虚勢をはって…。「どこにいくんだろう?またケンカかなぁ?」

「かもね、殴り込みとかさぁ。……ところで、デカイって彼女のどこが?背丈?」由香は螢にきいた。

「そりゃあさぁ、胸じゃないの!ほらっ、ホルスタインみたいにさぁ…」

「馬鹿じゃないのっ!そんなに大きくないじゃないの。それに乳牛とくらべてどうしようっていうのさ。まぁ、あんたみたいにペッちゃんこな胸してりゃあさぁ……どんな女の子〃を見たって、大きな胸ね、って思うんだろうけどさ」

「ひ、ひとのこといえる訳!このペチャパイっ!!」

 螢は思わず由香にエンズイギリをくらわした。



   美里の通う「緑川高等学校」は青山町学園とはそんなに遠い訳ではない。そして緑川高校は金持ち学校でもなく、女子校でもない。平凡な高校である。

 緑川高校の制服は女子が茶色のセーラ服で男子が紺の学生服だが、そんなことはどうでもいい。

  美里は一年B組の教室でも孤独であった。同級生たちは遠巻きに彼女の悪口を囁いていたが、美里は無視した。でも、その瞳は、悲しげで、涙こそ流さないがすぐにこわれそうなはかないものだった。

 彼女はフト、校舎の窓から外を眺めた。

「…なんで人間ってさぁ。あんなに悪口が好きなんだろう?…私って…これからどうなるんだろう?」

 美里はひどく落ち込んだまま心の中で呟いた。彼女は地平線の向こうを見つめるような、風に飛ばされそうなはかない目をした。誰もがいままでみたことのないくらい、ゾッとするような凍った表情だった。

「……」美里はただ不安になって、気が遠くなりそうな長い間、一歩も動けずに立ち尽くしていた。


  午後だ。緑川高校では平凡な学校らしく部活動に力をいれている。部活で今人気なのはサッカーだ。バスケやテニスも人気がある。卓球も昔よりは部員が増えた。

 まぁ、学生たちの部活の話しをしていても仕方ないので、話を黄江美里に戻そう。

 美里は女子更衣室で空手着に着替えて、白帯をキュッと締めた。黒帯ではないのは、たんに最近カラテ部に入部したからで、彼女はストリート・ファイトで慣らした訳だから喧嘩は弱くない。

「よし、気合いいれていこう!」

 美里は眉をキッとしてそう自分に喝を入れると、空拳を一撃してからスキップするように更衣室を後にした。

 美里は校庭へ出て、青草の茂るような場所へと素足のままで踊るように駆けつけた。もう空手部員の男の子たちは練習をしていた。突き、の連発だ。押呼っ…という声が猛々しい。ちなみに女性部員は黄江美里ただひとりだ。ー最近では、女の子もよく空手を習ったりしているはずなのに、緑川高ではそうしたムーブメントは起きていない。

 汗くさい、疲れる、カッコ悪い、もてない、などというネガティブな印象や思考が働くからかもしれない。確かに、格闘技よりもテニスやバスケットなどの方がスマートだし魅力的にみえる。まぁ、スポーツをして「強靭な肉体と強い精神力」を身につければいいし、「終りよければすべてよし」な訳だから、別になんのスポーツでもいいだろう。

 ただ、Jリーグが流行っていたからサッカーをやる、伊達公子が活躍していたからテニスをする、野茂が活躍しているから野球をする…というのはひたすら流行りとルックスとスタイルだけを追う日本人らしい…とも言える。つまり、よりかかりだ。こうした人々は、キムタクだかが卓球を始めたら、同じように卓球を始めるに違いない……。

「押呼っ!先輩方、遅れてすいません」

 美里が頭をさげると空手部員の男の子たちは、いいんだよ美里ちゃん、と素直に少し恥ずかしそうにいった。ナーバスな人達だ。女の子の手を握ったこともないシャイな人達だ。「やあ。美里ちゃん、今日も気合いはいってるね」

 緑川高の空手部のキャプテン、三年生の宮木武蔵が笑顔で声をかけてきた。(たけぞう…じゃない。ムサシだ!)この男の子はけっこうイケメンで筋肉質なスポーツマン・タイプだ。プーチン風…とでもいえばいいのか。ただ、プーチンみたいに禿げてはいない。

 格闘家にありがちな男の魅力が漂っている。

 宮木先輩…。美里は宮木武蔵と目があって、思わず頬を赤くした。恥ずかしかった。…美里は、宮木先輩のことが好きだったのだ。

 でも、それは片思いだし、告白した訳でもない…いや恥ずかしいくって出来ない。恋というより憧れに近い。恋に恋するセンチメンタル・ガール…じゃないけど美里はやっぱりウブなのだ。

「…宮木先輩…かっこいいなぁ。私のさぁ…恋人とかになってくれたらなぁ……。無理かなぁ?やっぱり男のひとって女の子らしい方が好きなんだろうしなぁ。でも…なぁ」

 美里は遠くの方で黙々と練習している宮木先輩の姿を恥ずかしそうに頬を赤くして、ぽーっとしながら独り言を呟いていつまでも見つめていた。いつまでも…いつまでも…練習もしないで。

   午後の下校路には、純粋な恋愛小説とは無縁の青沢螢と赤井由香、純文学にだけ登場するような黒野有紀の三人がいた。そして、仲よく並んで歩いていた。ほんわりとした天気だった。すべてを包みこむような。いい天気だ。

「あははは…やっぱりっしょ?だと思ったんよ」

「何がやっぱりっしょ…なの?まだ何も話してないわよ。何だとその足りない頭で思ったの?」

「……もおっ。ドラマとか(の脚本)でよくあるじゃんよ。説明をはぶいていきなり台詞からはいるっ…あのパターンよ。…それぐらいアドリブきかせてよね、由香ちゃん」

「……わかったわよ。…でしょ?だから言ったのよ。由香ちゃんのいった通りでしょ?」「何をいったんだっけ?」

「馬鹿じゃないの?!……じゃあ、あれ知ってる?」

「知らないっしょ。」

「まだ何もいってないでしょっ!!……あ、こらっ。無視してスタスタ歩いていかないでよ。おいてかないでよぉ」

 螢は由香と有紀をほおっておいて元気いっぱい駆け出した。そして満点の笑顔で、

「さぁ、ビックリ・エコーに直行よ!」

 と叫んだ。すかさず由香が、「ぜったい嫌よ。あんたの歌きくと耳がクラッシュ(衝突)……じゃなくて…何?有紀ちゃん。病気って?」

 有紀はオドオドと「シック(病気)…英国ではアイル。………でも、由香ちゃん…螢ちゃんに失礼よ」

 由香は有紀の言葉を無視して「あんたの歌きいてると、耳がシックになって、めまいがして、幻覚をみちゃったりすんのよ!…キリストとかアインシュタインの声とか聞こえたりすんのよっ」

 螢は後ろを向きながら「いいっしょ、由香ちゃん!どっかの新興宗教の教祖みたいに本でもだせばいいっしょ!!そうすりゃあ、信者もお金もがっぽり集まるっしょっ?!あはは…」 と明るく笑った。しかし、こういう人間のほうが新興宗教などに騙されやすい。物事を深く考えて積極的に活動しない、頭を使わない…こうした人間はすぐに入信したりする。そして、韓国とかで合同結婚式をあげたりする。教祖のいう通りに行動し、考えずに、行動する。楽な生き方であり、無意味な生き方である。

 オーム!オーム!”信じよ、信じよ!、信じよ!””一九九九年七の月に人類滅亡”…甚だコミカルだ。

 ドジな螢は、よくよそ見をしてどこかへ頭をぶつける。カカトをぶつける。足の小指をぶつける。顔面をぶつけたこともある。

 そして、今回もいつものようによそ見をして誰かに衝突(これがクラッシュ)した。そして、か細い螢は弾かれてよろっと尻餅をついた。ーあ、いてて…。「ご、ゴメンなさい!」と謝りの言葉を発して立ち上がって顔を向けた螢は驚いた顔をした。

「あ…マズい。…最悪じゃんよぉ。」

「……ほ…螢ってば…ドジね。殺されちゃうわよ…」

「…ほ…螢ちゃん」

 三人は恐怖めいた声を微かに出した。そして、ぶつかった人物とその仲間を恐る恐る見つめた。その人物は、残念ながら神保先生ではない。神保ならば生徒を殴りこそすれ、殺しはしない。「死なない」だけマシなのだ。

 その人物達は殺気だった不良娘達だ。ヤンキーというよりは盗賊一味、恐喝一味、ギャング団、マフィア一味(女だからマフィアのまわし女か?)…といったような凶暴な女の子達だ。

「おい、このガキっ!痛いじゃねぇか!!骨でも折れたらどうしてくれんだ」

 不良娘の”金髪”が怒鳴った。…骨が折れたから医者代よこせ!といわないのでヤクザではないらしい。チンピラではあるかも…。

「このガキっ!それに後ろのダチ公!…オトシマエつけてもらおうじゃねぇか!!」

 リーダーらしい”銀髪”がそういって恐喝を始めた。三人はあっという間にいく手を阻まれて周囲を取り囲まれた。

「…あのっ……お財布を忘れてお金は……その…」

 と恐怖で身を小刻みに震わせながら由香はつぶやいた。

「…そうです。えぇ…まぁ。ローンで…いいなら…」と同じく螢。

「やめて下さい!螢ちゃんはちゃんと謝ったじゃないですか。暴力ではなにも解決しないわ」

 怖そうな様子をみせてはいけない、と有紀は自分にいいきかせた。ーしかし、やっぱり怖い。

「金は後でごっそり頂くよ。…おまえ達を殴り倒して血ダルマにしてからねぇ。楽しみだねぇ。あたいたちは赤い流血をあびると興奮するたちだからね」

 とリーダーの”銀髪”はサディスティックに笑った。な、な?!殺される!

「男とやるよりオーガニズムを感じるね」

 不良娘たちがじわじわと近寄ってくると、螢たちは足がすくんで顔から血の気が引いていくのを痛いほど感じた。

 あぁ、誰か、誰か助けて…。

 ーと、次の瞬間、

 ブシュッ!

 ”銀髪”の右肩に、疾風のように素早く飛んできた風車が突き刺さった。赤い風車…。まさか水戸黄門の”風車の弥七”?!まさか!

「い、いてぇ!誰だ?!」

 ”銀髪”と仲間達は背後をふりむいた。そして螢たちもその方向へ目を向けた。

「おい、お前らっ。その子達に指一本でも触れてみろ…このあたしがタダじゃおかないよ」 不良娘達の背後の路上に仁王立ちしていた美里がそう叫んで。フン、と鼻を鳴らした。そして、

「お前らみたいなクズどもなんて一人一人相手にするのはかったるいからさぁ…まとめてかかってきなっ!!」

 黄江美里はそう啖かを切った。

「…でたぁ。正義の味方…美里ちゃん!!」

 螢と由香は自分達の立場を忘れて喚声をあげた。有紀は息を飲んで美里を見つめていた。…ひとりを倒すのも大変なのに…こんな大勢を一片に相手にするなんて…無謀だわ。

「てめえは、緑川高の黄江っ!…なめるな!」

「このぉ!…死ね!!」

 不良娘達はナイフや金属棒を構えて彼女に襲い掛かった。チェーンをふりまわす音も聞こえる。…バキッ!ドスッ!ドガッ!!ガツッ!!

 鈍い音とともに不良たちは殴り倒されてドドッと路上に転がった。

 ヤクザ映画などでは主人公がカッコつけて横たわる人間の腹を蹴ったりする場面だが、それはやってはならない。内臓が破裂したりして死ぬケースが多いからだ。殺したらそれはもう喧嘩ではなく、単なる”殺人”である。

 うあっ、見物していた螢たちは喚声と拍手で彼女をほめたたえた。彼女は少し微笑した。 しかし美里はそのまま後ろを向いて歩き去ろうとした。あまりこういうのは好きじゃない。美里はシャイなのだ。

「あ。ま、まって。美里ちゃん」

 そんな美里を、有紀が優しいお母さんのように呼び止めた。


  夕方のオレンジ色と寂しい空気がたちこめて草の匂いがした。

 美里と螢たち三人はほんわりとしたまま、川沿いの土手の低い草原の頂きに座って、地平線のはるか向うの夕焼けを眺めていた。午後…いや夕方の川沿いの草原はなんとも幻想的で、目の前の人生の恐怖や挫折・大きな大きな壁などを少なからず忘れさせてくれる。どこまでもオレンジの空。低く飛ぶ烏や鳥。これがほんらいの平凡な日本的夕暮れだ。

「あたしはさぁ……黄江美里っていうんだ。あ!でもなんか知ってるみたいだねぇ」

 美里はまぶしそうな目でいった。

「うん」と三人はうなずく。

「私は赤井由香ちゃんよ。青山町学園の一年生で、学年でトップで…」

「嘘いってもしょうがないっしょ?!由香ちゃんがトップなのは美術だけっ!学年トップは有紀ちゃんでしょ!!……あ、そうそう。あたしは螢。青沢螢ちゃんよ。よろしくっ。ただ今ボーイフレンド募集中でっ、ビル…」

「ーそんなことまでいわなくていいのよ!…えぇと。こっちのおさげの子が黒野有紀ちゃんね。まぁ、知ってるかしらね?」

 それからすぐに、美里は、

「うん。知ってるよ。…そうかぁ、ホタルちゃんに床ちゃんか、とってもいい名前だね。昆虫とフローリング…の名称だもんね」

 といって、とても満足な、それでいて少し寂しそうな表情をした。そして続けた。

「…私はこの近くの緑川高校の一年だよ。だからタメ(同年代)だね。親は父親がひとりいるんだけど……この父親っていうのが頑固な成金でさぁ……嫌んなるよ。なんでも金で解決できるって思っててさぁ…私のことだって人形みたいにしか考えてないんだ。結婚させて次期社長かなんかを連れてくるためのお人形って所かなぁ。はっきりいって自由ってもんがないね。息苦しくってさぁ…まいっちゃうわけさぁ」

 美里はフイに黙り込み、信じられない程の暗い顔でいった。「…ごめんよ。こんな話してさぁ。…でも、こんなことでもないとさぁ。…自分のことを話せないからさぁ。なんたって…友達なんてひとりもいないんだから…」

 彼女は寂しい瞳のまま夕焼けに目を移した。涙が目を刺激したがまばたきしてなんとか堪えた。あれ、おかしいな?私…どうしたの?まるで酔っぱらったみたいに…。

「あのねぇ、美里ちゃん。私たちでよかったら、お友達になってあげてもいいわよ」

 三人は限りない優しさに満ちた微笑みでいった。美里は少し驚いてから、にこりと微笑んで尋ねた。「ほ、本当かい?…私のこと怖くないの?」

「全然」

「ほ、本当かい?…あたしと本当に友達になってくれるのかい?!」

「えぇ。もちっしょ!」

「もちろん、でしょ!!その北海道訛りっなんとか直すか北海道にでも移住するかどっちかにしてよね!螢」

「いやっしょ!」

「…まあまあ、お二人とも。……あの、美里ちゃん、私たちでよろしかったらお友達になりますわ」

 美里と三人の間に、真実の友情、きらきらした絆がもたれた瞬間のようにも見えた。いや、きっと絆がガッチリと結ばれたのだ。…そうに違いない!


  美里は螢たち三人を自宅に案内した。和洋折衷のあの成金豪邸にである。

 部屋の中。リビングの中のきらきらと輝くシャンデリアや高そうな家具やペルシャ絨毯やグランド・ピアノなどに三人は目がクギづけになったように眺めた。

 例によって金に弱い螢はかなり興奮して顔を紅潮させて瞳をきらきらと…まるで一昔前の少女マンガの主人公のように輝かせた。ベルサイユなんとか…みたいに。

「あ、お菓子でも食べるかい?」

 美里の言葉にすぐ反応して、「もちろん!」とふたりは元気に明るくいった。当然、有紀ちゃんは遠慮したという訳だったが、別に彼女だって「お菓子」が嫌いな訳ではない。やっぱり女の子な訳だから甘いものは好きなほうだ…。

 美里は「あ、英さん。あのフランスのお菓子あったでしょ?あれ、持ってきてくれる?それと紅茶もお願いね」と白髪の老人に愛嬌たっぷりにお願いした。

 しばらくして、黄江健三郎がムッツリとした岩のような顔のまま歩いてきた。そして、「そのひとたちは?」

 と冷たい口調で尋ねた。美里は、自分の友達であること、食事でも御馳走したいと思っていること、などを告げた。

 しかし、螢たちの挨拶などを無視して、冷血漢の顔のまま「お前にしては、珍しく友達が出来たようだな。だが…みるからに出来の悪そうな娘たちじゃないか。こんな娘たちと付き合うのは止めるんだ!おまえにはこんな平民じゃなくて……もっと上流階級の人間こそふさわしい」

 と吐き捨てるように言った。

 螢と由香はムッとした。有紀はあまりの言葉に、驚愕して蒼ざめて黙りこんだ。

「ちょっと、おやじ!なんてこというんだ!!」

 美里は怒鳴った。

 健三郎は何も動じなかった。美里は父に近寄って、癇癪をすべて父に向けたが、健三郎の瞳は北極海より冷たかった。「うるさい、親に反論するなんて、十年はやいんだ」と怒鳴った。「わかったな?!その娘たちは追っ払え!」

 黄江健三郎はそのまま冷酷な表情のまま姿を消すように歩き去った。

「…このぉ。」美里は下唇を噛んだ。ああいう人間は美里にとって軽蔑こそすれ、尊敬できるものではない。もちろん同じ部屋て同じ空気をすっているのも嫌だ!


  ワイングラスを手にもち、健三郎は誰もいない書斎のチェアーに腰をおろしてニガ虫を噛んだような顔をした。

「まったく、あの娘は…」

 と、自分のコントロールのきかない娘にイラだった。グラスに赤っぽいフランス・ワインの液体を流し込み、口をつけた。健三郎はひどい嫌悪感に襲われて、眉をツリあげていた。

 オレンジ色の遠くの空に浮遊していたダビデはギッと窓からみえる健三郎の姿を睨んでいる。しかし、美里のおやじは魔物の存在には気付きもしなかった。

「あいつが次のターゲットか」

 ダビデは口元に冷酷な笑みを浮かべた。


  美里の豪邸から螢たちはトボトボと出てきた。玄関から歩いていった螢たちは溜め息を洩らした。それはひどいショック感があった。

「あ。あの……ごめんよ。螢ちゃん、由香ちゃん、有紀ちゃん」美里が申し訳なさそうにいった。「…あのオヤジがいったことは気にしないでよ。ーごめん!」

 有紀はゆっくりと優しく微笑んで、

「いいのよ、美里ちゃん。気にしてないから」

 螢たちも「そうそう、気にしてないってばっ」

 と笑った。ーそして、

「私たちっ、親友っしょ?」

「親友でしょう?……じゃないの?あんた(螢)ぜったい北海道に移り住んだ方がいいわね。牧場で馬や羊の餌になる藁とか運んで、ボーイズ・ビー・アンビシャス!とか一人でさけんでりゃいいのよ」

 フト、美里は三人の笑顔をジッと覗き込んだ。そして、魅力的な笑みを浮かべて、

「もちろん。私たちは親友だねっ」

 といった。


  早朝。もうあっという間に時計の針は六時四十六分を差している。美里は早々と家から出て駆け出した。今日はカラテ部の「朝練」の日だ。…

 バタン!黄江健三郎は黒の空陸両用のホバーリング・バギーに乗り込んだ。ゆっくりゆっくりとバギーは、彼の自慢の会社「黄江建設株式会社」へ向けて動き出した。そして、彼はまだ、自分がこれからどんな危険な目にあうのか…考えてもいなかった。

「あっ。」

 美里は街路道の角をまがった所で、可愛らしい声をだした。彼女は、偶然にも、憧れの先輩「宮木武蔵」とバッタリ出会ってしまったのだ。…宮木先輩…。美里は恥ずかしくなって頬を真っ赤にして黙りこんだ。

 




「あぁ…ん、だめよっ。私たちっ、まだ十六なのよ。でも…キスくらいなら…っ。ああっ、ダメダメ!それ以上は……ダメよ」

 別にポルノ小説にかわった訳ではない。これは、青沢螢の寝言である。

”お馬鹿さん”の部屋の早朝。

 寝言をイビキ混じりに呟きながら、パジャマ姿の螢はベットで寝返りをうった。そして、「あいたたっ」

 とつぶされた妖精セーラがちいさな可愛らしい声をあげた。しばらくして、

”妖精の直感”がまたまた動いた。セーラは異様な殺気に気付いて眉をひそめた。

「ほ、螢ちゃん、螢ちゃん!起きて!起きてよっ!!」

 しかし、夢見心地でこっくりこっくりと眠りまくっている螢はなかなか起きなかった。 セーラはイライラと「なによっ。もぉ…。螢ちゃんなんてっ、馬に蹴られて死んじゃえ!……といっても馬なんて近所にいないからー」と叫んで、続けて「じゃあ、このセーラちゃんに蹴られて死……起きなさい」と螢の顔面に回し蹴りをくらわした。何度も何度も。 そして、鈍い螢はやっと目を覚ました。寝ぼけ気味に「な…な、なによっ、セーラ。まさかあんたオネショでもしたのっ?」

 妖精は真っ赤になって「馬鹿じゃないの?!…私は幼児じゃないのよっ!」と怒鳴った。「誰もつま楊枝なんていってないっしょ?」

「バカ!………あ!そうだわ。螢ちゃん、敵よ!!敵が現れたようよっ!だからお札だして闘うのよ。由香ちゃんと有紀ちゃんは私がテレポートして連れてくるから…」

「テレポークっててれ焼きの豚肉のこと?」

「お馬鹿ーっ!いいからさっさと着替えていくのよ!」妖精は思わず怒鳴った。


 バギーはゴミゴミした人通りのない住宅街の上空をさっそうと飛んでいた。そして、健三郎は安心気にもなっていた。平凡な風景と朝の雰囲気…。と、その時、

 キキキキ…ッ!

 突然、バギーの前にダビデが立ち塞がり、バギーは急ブレーキを踏んで道の地上へガガガツと停まった。「なにごとだっ?!」

「…ダンナ様。急に男が飛び出してきたんです!」

 運転手の英さんは慌てつつ答えた。

 次の瞬間、

 ダビデの右手から放たれた光矢がバギーぶちあたり、ガシャアア…ン!と窓ガラスやボンネットが砕け散った。強靭な体躯をしたダビデはなおも光矢を放つ。

「うあっ!」

 健三郎と英さんは間一髪、バギーから飛び逃げて無事だった。バギーが大爆発をおこす。「だんな様、お逃げください!」

 迫るダビデに抵抗する英さんだったが、あっという間に殴り倒されてしまった。そして、健三郎は顔面を凍らせた。あの残酷なダビデが遅いかかってきたからだ。

「うああぁ…っ!」

 健三郎の悲鳴を耳にした美里と宮木先輩は、ハッとして、声のした方向へ駆け出した。そして、ダビデに首を締め付けられて吊されている黄江健三郎の姿を目撃した。

「お、おやじ!」

 ダビデは左手を健三郎の胸元に当てた。が、彼は輝石の持ち主ではなかった。ちいっ!この醜い禿(は)げの成金豚め!殺してやる!!

 魔物は眉をつりあげて、首根っこを力強く締め付け始めた。「うぐぐ…」このままでは、おやじが殺される!

「このっ、放せ!」美里は必死の形相でダビデに何度も蹴りやパンチをくらわしたが、まったくダメージを与えることは出来なかった。ダビデは余裕の笑みを浮かべて、

「邪魔だ、この蠅っ」と彼女を威嚇するように睨んで、力強く殴り倒した。

「うぁっ」美里は地面に叩き付けられたが、すぐに攻撃を再開した。「このぉ、あたしをナメるんじゃないよ!」

「…この蠅め。うろちょろするな」

「この化け物!くらいなっ!」

「死ね!」

 ダビデは憤慨して、攻撃してくる美里を右足で蹴り飛ばした。そして、きゃあ、と地面に叩き付けられた彼女に向かって光矢を放った。次の瞬間、美里はよける間もなくなって、恐怖で身を凍らせて絶望的な眼をギュッと閉じた。

「うああぁっ!」

 しかし、光矢の直撃をうけて激痛に顔をゆがませたのは美里ではなかった。それは宮木先輩だった。先輩が自分の身をなげうって美里を守ったのだ。

「ーせ、先輩っ。宮木先輩っ!」

 美里はゆっくりとスローモーションのように倒れ込む宮木を抱き抱えて、涙声で叫んだ。「しっかりして、先輩っ!!」

「美里…ちゃん」宮木武蔵は、いつものように優しい顔をしていた。激痛で表情はゆがんでいたけど、その顔はきらきらと輝いてみえた。ー先輩っ!

「お待ちなさい!」

 伝説のマジックエンジェルの三人がやってきたのは、その後のことだった。螢と由香と有紀の三人はお札を出して、それぞれ決め台詞のタンカをきった。

「この、またでたな!伝説の戦士ども!!…アラカンの仇をうってやる!」

 ダビデは健三郎をゴミのように道路に投げ捨てると光矢を何度も放って攻撃してきた。「レインボー・アターック!」

「レッド・ハリケーン!」

「ブラック・スモーク!!」

 虹色の閃光と赤いハリケーンと黒豹が、猛速度で空間を走り抜けて、ダビデ目指して突き進んだ。しかし、三人の攻撃、赤いハリケーンも虹のアタックも黒煙もダビデにひらりと余裕でかわされてしまった。

「なによっ、またまたなの?…ちょっと、もう少しさぁ、正義の味方の私たちの立場を考えてほしいわねっ!訴えちゃうわよ!!」

「なにいってんの?由香ちゃん…いつから正義の味方になったってのっ?!正義の味方っていうのはヒロインの私……青沢螢ちゃんだけなのよ!由香ちゃんも有紀ちゃんもオマケみたいなもんでさぁ…」

「な、なんですってっ?!」

「………」由香と有紀は、螢の言葉に呆れてしばらく呆然と立ち尽くした。そして、やってらんない、っという顔で由香は、

「…じゃあ、正義の味方さん、ひとりで頑張ってよね」といって歩き去った。

「あっ!ちょ、ちょ、ちょっと!!由香ちゃん、待ってよ!」

 螢はあせりまくって由香の後ろ姿へ声をかけたが、あまり意味はなかった。でも、有紀ちゃんはじっとして立ち尽くしてたので螢はすがるような涙目で口元に笑みを浮かべて、「ゆ、有紀ちゃん。あなただけが頼りよ。…一緒に闘いましょうね?…ね?」

 けれども「……」と有紀は無表情のまま歩き去った。ゆっくりゆっくり…蟹のように。「…あ!あ?!有紀ちゃん!そんなっ、そんなっ、友情はどうなったってのさぁ」

 



「先輩っ、宮木先輩っ!」

 美里は荒い息をはきながら激痛に顔をゆがませていた宮木先輩を心配して声をかけた。「…み、美里ちゃん。怪我…は……ないかい?」

 宮木は無理に微笑した。

「せ、先輩…っ」

 妖精セーラは、美里の姿をみていてハッとした。彼女の全身から微かに黄色のオーラが立ち上がっているのを確認したからだ。もしかして…?!

「ちょっと、あの……誰だっけ?……あなたっ、そこのあなたっ!!」

 セーラは美里の方へ飛んで近付いて呼び止めた。

「…え?」美里は悲しみの表情のまま振り向いて呟くようにいった。「なんだい?」

 妖精は「あの、あなた」と続けようとしたが、美里がやっと妖精の存在に気付いて、

「うぁっ!なにっ、なにっ?オバケ?!」といったのでやめた。

「おばけですって?!……あのねぇ。もおつ」

「よ、妖怪が喋った?!」

「妖怪……じゃなくて、妖精ーっ!!」

 セーラは摩訶不思議な顔をしている美里に、熱心に「あなたに封印用のお札を渡すから勝手に受け取れば?!」と怒鳴った。

 妖精はもう一度、燐とした顔をして右手を頭上にのばして「ラマス、パパス…」と可憐な声で呪文をとなえた。カッ、次の瞬間、セーラの右手から光が放たれ、そしてお札が出現した。「…え?!」

「さぁ、これをもって!」と妖精はお札を無愛想に放り投げた。「ーな、なに?ゲゲゲの鬼太二郎とか銅魂とか呼ぶの?!」

「…ちがうわよ!螢ちゃんみたいなこといってないでっ、やりなさいっ!!」妖精は少し癇癪をおこした。そして、美里の耳元で”呪文”を囁いた。マジック・ワード。伝説の戦士としてお札をつかうための呪文。

「さあ、やって!」妖精は封印を欲した。

 美里は、

「わかったよ」

 と渋々いってペンダントを頭上に振り上げて、ボーイッシュな声で、「お札よ、魔物を封印せよ!」と燐として叫んだ。お札から黄色の閃光が四方八方に放たれ、しだいに彼女の身を包み込む。そして、黄色の光が消えると黄江美里は伝説の戦士へと「変貌」をとげた。

 セーラは、違うわよ、といってから彼女に「必殺技」を耳打ちした。そして、

「さあ、そのお札で、あの孤立無援の螢ちゃんを救けてちょうだい!!戦ってっ、あなた!」と声を高めた。

「あなたって……まるでお嫁さんみたいなことを…」

「いいからっ!!」

「……わかったよ。でも、先輩がさぁ…」

 彼女は泣きそうな顔で宮木のゆがむ顔を覗きみた。

「…彼のことは私にまかせて、いくのよ!」

「か、彼だって?!いつからあんた、先輩と!」

「いいから行け!!」

 妖精は怒鳴った。


 誰からも見放された螢は、ダビデの攻撃を必死に兎のようにピヨンピョンピヨンピョンと飛び跳ねてかわしていた。

「きゃあ!なによっ!!もおっ!!ーうあっ!」

「蠅め!バッタのように飛び跳ねおって!死ね、死ね、死ねーっ!!」ダビデは狂気の笑みを浮かべて光矢を両手から何度も放った。…蠅め!

 と同時に、

「待ちなっ、このうさんくさそうな野郎!先輩の仇を討ってやるよっ」

 美里のボーイッシュな声が響いた。

「なにっ?!」ダビデは彼女の方を振り向いた。

 美里は、「おい、お前。このあたしがお前に天罰をくらわしてやるよ!」といった。そして、同時に、「イエロー・ドラゴン!」とお札を前に突き出して叫んだ。グアァ…ッ!とお札から「黄色の龍」が飛びだして空中を泳ぐように疾風のスピードできらきらと飛び進む。そして、空間を走って、黄色の光りの龍はダビデにぶちあたった。

「うあぁっ!」

 直撃をうけて、ダビデは吹き飛ばされて地面に転がった。しかし、よろよろと起き上がった。「なんだ?!…くそったれめ」

「螢ちゃん、いまだよ!」美里は茫然と立ち尽くしている螢に熱心にいった。そして、身をひるがえしてすぐに倒れこんでいる先輩の所へ駆け出した。「封印するんだ!」

「そうよ、螢ちゃん!」

「螢っ、やれっ!!」

 いつの間にか由香と有紀が戻ってきていて、彼女に声を掛けた。「ヒロインなんでしょっ?」

「ーそ、そうよ。じゃあ、やっちゃうわっ」

 螢はそういうと眼を鋭く輝かせて、お札から”レインボー”の必殺技を放った。虹のアタックは戦慄して立ち尽くしていたダビデを直撃した。

「うああぁっ!」

 だが、次の瞬間、ダビデは重傷を負いながらも必死に逃げ出していた。

「……もぉ。また逃げられた」

 三人は立ち尽くして呟いた。


「タターナ・ラーマ…!」妖精は可愛らしい声で、必死に何度も呪文を唱えた。

 セーラの人差し指からはきらきらとした”癒しの風”が何度も吹いたが、宮木にはきかなかった。…なぜ?!

「せ、先輩っ!先輩…しっかりして!!」

 美里は大声で声をかけた。

「……美里ちゃん……無事…で……よかっ…た」

 宮木は激痛に顔をゆがませながらも、優しく微笑した。そして、その笑みはやがて凍りつき、すべてが動かなくなった。心臓も動いてはいなかった。もう二度と笑うことも、怒ることも、泣くことも、夢みることも……もう二度とないのた。なぜなら、彼はもう死んでしまったのだから……。

「…せ、先輩っ」

 涙が眼を刺激して美里は上を向いて堪えようとしたけれど無駄だった。瞳から涙がポロポロと溢れだし、彼女は宮木の身体をぎゅっと抱き締めて号泣した。

「……み、美里」

 地面にたたきつけられて気を失っていた健三郎がよろよろと起き上がって、そんな悲しい娘をみて、同情して、そう呟いていた。


  あれからもう数日が経過していた。螢たち三人は下校路をトボトボ歩きながら美里のことを話していた。それは、しんとした感傷だ。

 ーと、しばらくして、

「やぁ。螢ちゃん、由香ちゃん、有紀ちゃん!」

 と、背後から明るく呼び止める声がした。三人はふりかえった。

「ーみ、美里ちゃん!」

 美里は三人に答えるように「そう。美里ちゃんさ。ー元気してた?!」と微笑んだ。

「えぇ。まあ……でも美里ちゃん…もういいの?」

「あぁ」彼女は明るく笑った。「もう気にしてないっていったら嘘になるけど……いつまでも悲しんでたって何も変わらないからさぁ。だから、明るく生きようって決めたんだよ」「…そう。」

「あ!ところでさぁ。うちのオヤジが皆を家に招待したいっていうんだよ。そして、この前の失礼を謝りたいってさぁ。……どう?来てくれる?」

 三人は美里の問いに「もちろんよっ!」と元気一杯に答えていた。でも、次の瞬間、

「ちょっとヤバくない?食べ物とかに毒を入れられたりしてさぁ…」と皮肉屋の由香はやっぱり呟いていた。


 美里の(本当は健三郎の)豪邸の午後。あの冷血漢がニコニコと大喜びで螢たちを迎えた。そう…あの黄江健三郎が…である。

「…この前はすまなかったねぇ。失礼なことをいって……許してくれるかね?」

 健三郎の優しい口調に、三人は「もちろん」と答えていた。そして、三人と美里と健三郎は笑いあっていた。幸福の瞬間…だ。

 しばらくして……、

「ーあっ!螢っ、あんた何やってんの?!」

「シーッ、声が大きいわよ、由香ちゃん!!バレたらどうしてくれんのさぁ」

 螢は置いてある宝石やら何やらを万引きよろしくかっぱらいながら隣にきた由香に声を殺していった。

「ーなに?あんた、それっ…どうすんの?!」

「きまってんじゃん。質屋に売ってお金にすんのよぉ」

「あんたっ、それって犯罪じゃんよぉ」

「ーバレなきゃいいのよ」

「……まぁね。じゃあね私も…」

 ふたりはかっぱらいまくった。ほのぼのとしたムードが部屋中に広がり……どこが?


 しばらくしてから、螢たち四人は、美里の部屋へと足を踏み入れてイスに腰かけた。螢が、「ねえ、ねえ、やっぱりさぁ……美里ちゃんって女の子が好きなんでしょう?」

 と冗談めかしにきいた。

「じ、冗談でしょっ?!…あたしはレズじゃないよ」

 由香も「でもさぁ…なんか怪しいのよねっ。レズってさぁ…有紀ちゃんみたいなおとなしい女の子が好きなのよねぇ!?やっぱりさぁ」

 といって有紀の方へ顔をむけた。

「…あ、あの…その……」

 有紀は恥ずかしくなって下を向いた。

「そうさぁ!」美里は突然、開き直ったように明るくいった。そして続けて、「あたしはさぁ、有紀ちゃんが大好きなんだっ!」

 と情熱的にオーバー・アクションで叫んで有紀の両肩をバッと握って引き寄せた。

「あ!え……あ……あの…」有紀は何だか分からずに驚いて声を出した。”可愛らしくておとなしい文学美少女”の黒野有紀はそのあと、恥ずかしくってドキドキした。

 有紀の可愛らしい大きな大きなおとなしい瞳の奥も、ちいさなちいさなピュアな唇もドキドキと震えた。だって、美里がキスしようと唇を近付けてきたからだ。…え?!

「…あ……あぁ…」

 有紀はついうっとりとした顔をして、瞳を陶酔気味にゆっくりゆっくりと閉じていた。そして、可愛らしい可憐で純粋なピンク色の唇をそっと突き出していた。…美里の唇と有紀ちゃんの唇が触れてしまう。有紀ちゃんのファースト・キッス?しかも女の子と…。

 しかし、その次の瞬間、

「あははは…っ」

 という螢や由香、美里の馬鹿笑いが響いた。それに気付いて有紀は瞳をあけて、三人の笑い顔をジッとみた。

「あははは…。有紀ちゃんっ、まさかマジ(本気)でキスしようと思ったの?私と?」

「うーん、有紀ちゃんってさぁ、誰でもよかったって訳っしょ?例え相手が女の子でも」「でもファースト・キスだからさぁ…やっぱ男の子としたいわよね。でも…有紀ちゃんは特別だから…本とキスするとか、女の子とキスするとかの方があってるわね」

 三人は嫌味ではなくてカラカラと大笑いした。

「…な、なによっ。もおっ。馬鹿にしてーっ!」

 有紀ちゃんは恥ずかしさで頬を真っ赤にしながら怒鳴っていた。…………




VOL.2   決戦!頂上決戦!

       永遠のマジックエンジェル



 「そうだわ、皆!み…皆?!…こらっ、そこのお馬鹿さん!ほ、螢ちゃん!!寝るなーっ!」 妖精の怒りの声と由香のハリセン、美里と有紀の呆れ顔で彼女はやっと起きた。ここは螢の部屋である。「な…なによっ?せっかく夢んなかで海ちゃんと風ちゃん…」

 螢を無視して、妖精は情報を告げた。「魔界への入り口がやっとつかめたのよ!これで魔界を攻撃することも可能よ!」「どこなの?」「青森じゃない?恐山とか…」

「違うわ!ロシアよ!その首都のモスクワのどこかよっ!」

「どこか…って随分と雑な情報リークね。モスクワっていったって広いのよ」…皆は沈黙した。しかし、ナイーブ螢だけは明るく笑って、

「とにかく、行くっしょ!」といった。

 四人と一種は、おーっ、と声を上げてから緊張した。そして、ハリウッド映画のヒロインのように両手をがっしりと握りあった。それは、熱い友情のような胸の高まりであった。

 モスクワ。美里にぜんぶ旅費を払わせて、一行は空港にシャトルで下り立って、ロシア人たちの歩く商店街をオドオドと歩いていった。モスクワは幻想の冬で、真っ白な雪がしんしん降っていて、辺りは銀世界であった。殺風景な風景を銀色に染めていく。

 例のふたりは、

「あっ、ハロー!」と螢。「ロシアよ、ここ」と由香。

「ボンジュール」「フランスじゃなくて…」

「ニイハオ!」「…あのねえ」

「アニョハセヨ!」「ロシアっ!あのロシア人がキムなんとかにみえるっていうの?」

 有紀は優しく「ロシア語でこんにちは…は、ズトラーストウィよ。オーチンプリヤトーナ、ラート ワス ヴィーヂェッツイ。ミニャーザヴート ホタル・アオザワ…ね。」

「…???……じゃあ、ボーイフレンド募集中っ!ビルゲイツみたいなっ!…っていうのは?」 

有紀は呆れて、「…そんなことロシアの人にいってどうしようというのかしら?」といった。

「あははは…っ。じゃあ、プーチンやゴルビーみたいなってさぁ…」

由香は「あんた誰でもいいんじゃないのさ」と皮肉っぽくいった。ゴルビーとはゴルバチョフ…あの禿げた「過去の人」…だ。

「待って、皆!」妖精は四人を止めた。ボロい電気屋のショーウインドに日本製の超薄型有機ELホログラムテレビがある。そのテレビ画面にはニュースが流れていた。「みて!」

 その画面にはクレムリンの中で倒れている役人たちの姿があった。プーチンがタンカで運ばれていく。「プーチンが!!…そうか。もしかしたら…魔界の入り口は…」

 妖精と有紀と美里は画面を見続けながら緊張した。しかし螢は「あのぉ…プーチンって誰だっけ……?」と尋ねた。

 ので、由香が「バカね、プリンのことよ」と答えた。

 ふたりと一種はズッコケた。プーチンとはロシア・コロニー大統領、ウラジーミル・プーチン!薄い頭のオヤジのことだ。

「まぁ……とにかく!行こう、クレムリンにっ!」

 四人と一種は駆け出した。螢は「クレムリンって水かけると悪魔になるやつ?」といった。「それはスピルバーグの映画っ!」

 赤の広場。そして、クレムリンの入り口近く。門の前はヤジ馬でごったがえしている。憲兵達がそれをさえぎって仁王立ちしている。螢たちは群衆の中をかきわけて進んだ。

 しかし、すぐに憲兵達たちに行く手を阻まれた。「お願い、ここを通して!」

 憲兵は冷酷な表情のまま「ニェット!ニェット!」といって、なおも食いさがる螢をどん!と押し倒した。「いたっ!なによーっ、もおっ。」…このままじゃだめだ。

 帰りかけた美里と妖精は決心した。こうなりゃ強行突破だ!「いくよ、皆!」「え?」 美里はダッシュして憲兵達を殴り倒していった。妖精も「ファイヤー・ストーム」という魔法で憲兵たちを火傷させる。

 螢たちは茫然としてから、仕方ない、といって「お札で」大勢の憲兵たちを倒していった。エンジェルズたちはロシア人憲兵たちを殴り倒した。

”ピーッ”憲兵のひとりが仲間を呼ぶ。そして、螢たちは大勢の憲兵たちに取り囲まれた。「私にまかせて」セーラはそういって”スリーピング(眠り)”の魔法を唱えた。するとどうたろう?憲兵たちやヤジ馬らはゆっくりゆっくり…すやすやと赤ん坊のように眠りにおちてしまった。

「ヘェーッ、すごいじゃんセーラ」

「まあ、ね。……そんなことより行くわよ、皆っ」

 四人と一種はクレムリンの中へと消えた。


  薄暗い通路を駆けていく四人と一種。「どこかに空間のゆがみがあるはずよ!」「そこが魔界への入り口ねっ」「そうよっ!」

 有紀は大きなツアーリ風の扉の前でたちどまった。「皆、ここ!」

 美里が、怪しい気な妖気がもれている扉をあけると、バック・ドラフトのように黒い妖気が吹き荒れた。

「ここみたいだねぇ」美里は確信した。

 戦士達は部屋の中「空間のゆがみ」のなかへと向かって駆け出した。しかし、激しいスパークで弾き飛ばされてしまう。「きゃあっ!」

 しばらくすると暗い空間の入り口にダビデが現れた。そして彼は「きたな、戦士ども!」といった。

「ふんっ。くらいなさいっ!!レインボー…」

 螢がお札で攻撃しようとした時、ダビデが螢を掴まえた。ーうあっ!空宙に吊される螢。

「ほ、螢ちゃん!」

 ダビデが暴れる螢の胸元に手をあてると七色の光が八方に飛び散った。そして、彼の右手には輝く石が握られていた。「トゥインクル・ストーンだ!やった、ついにみつけたぞ」 螢は全身の力がぬけて「あぁ…」と小さくうなった。ダビデはそんなことなど気にせずに、螢をまるでゴミのように投げ飛ばした。

「ほ、螢ちゃん!螢ちゃーん!!」

 三人と妖精は、床に仰向けに倒れ、力なく全身を小刻みに震わせ、荒い息をはいて苦しむ瀕死の螢の元へ駆け寄った。「み…皆。…全身の…力が抜けるよ。…私……死んじゃうの……かな?そんなの…嫌だ…よ。まだ…やりたいことだっていっぱい…あるのに…」

「ほ、螢ちゃんっ、しっかりして!」

「……皆…愛してるよ…」

 螢は微かに笑顔を浮かべると、瞳を閉じてガクリとなった。

「ほ、螢ちゃんっ!」

 ダビデは高笑いしながら闇の中へ消えた。美里は螢の胸元に耳をあてた。「大丈夫だ……微かだけど、まだ生きてる!」

「…よ、よかった」由香と有紀と妖精セーラは少し安心したのと同時に、躊躇した。

「どうすりゃいいの?螢ちゃんをこのまま置いていく訳にはいかないし…」

「どこか安全な場所に運ばなくては…」妖精はそういってから、決心したように「螢ちゃんのことは私が一人で守るから……皆は行って!!」と強くいった。

「でも……」

 セーラはもう一度、強くいった。「行きなさい!そして敵を倒すのよ!!……こうしている間にも敵の侵略は始まってるの。じっとしている暇はないのよ!」

 残りの戦士たちはしばらく沈黙して、そして決心した。「わかったよ、セーラ、後はお願いするよ」戦士達三人は後ろ髪ひかれる思いのまま闇の中へと駆けていった。

「…ほ、螢」由香は足をとめて、フト、すがるようなしんと寂しい表情で振り返った。

 セーラは深くうなずいて、「気をつけて!由香ちゃん!!」といった。由香は「うん。あなたも…」といって闇の中へと駆けていった。それは、切ない瞬間だった。

 …伝説の戦士たちの最後の闘い!ファイナル・アングリフ!!

 妖精は頭の中に不安な微風が吹くのを感じた。三人の戦士たちは闘える?螢ちゃん抜きで?!…螢ちゃんは……そうだ!はやく”癒しの風”を……。はやくしないとダメじゃないの!「タターナ…」といって妖精は手をかざした。想像の中に戦士たちの未来がみえたが、それは心地よいものではなかった。………

 



  暗闇の中を駆け続けると、前方から亡霊たちが無数に飛んできて戦士達に襲いかかってきた。レッド・ハリケーン!イエロー・ドラゴン!ブラック・スモーク!!

…なんとか第一波をかわした。美里と有紀は亡霊たちをかわしつつ「由香ちゃん、あとは頼むよ!」といって駆け出した。「えぇ!気をつけて!!」

 ダビデはフィーロスと合流した。そして、強く抱き合った。一瞬の抱擁。口付け…。

「輝石が手にはいった!これで地上は我々のものだ!!」

「やったわね、ダビデ!」フィーロスはにこりといった。

 やがて美里と有紀がやってきて、美里が「その石は渡さないよ!」と叫んだ。次の瞬間、美里はイエロー・ドラゴンを放つ!光の龍は驚愕するほどの速さで空をきり、ダビデの胸にぶちあたった。「ぐうっ」そしてついにダビデは倒れ、血を噴出して床に転がった。ダビデを倒したのだ。

「そっちのも、くらいなっ!」

 間髪いれず、美里は立ち尽くすフィーロスに向かってダッシュして攻撃した。ーイエロー…!「危ない、美里ちゃん!」「死ね!」

 フィーロスは素早く光剣を放つ。美里はよける間もなく、恐怖で身を凍らせた。ーぐうっ…。しかし、光剣の直撃をうけて、激痛に顔をゆがませたのは美里ではなかった。それは有紀だった。彼女が、自分の身をなげうって美里を守ったのだ。

「…ゆ、有紀ちゃん!有紀ちゃーん!」

 有紀はゆっくりゆっくり床へと倒れ込んだ。美里は彼女に涙声で叫んだ。「しっかり!しっかりするんだ!!」有紀はいつものように優しい顔をしていた。激痛に顔をゆがませて、荒い息だったけど、いつものように可憐だった。

「……美里ち…ゃん……無事でよかった……私…螢ちゃんや…皆に…逢えて…よかった。…楽しかった……だって…いままで誰とも…お話でき…な…かったのよ。螢…ちゃん…たちが…いな…かったら…私」

 彼女は激痛に顔をゆがめながらも、優しく微笑した。美里は優しくいった。「…それは…私だって同じさ。…皆がいなかったら、あたしだってずっと一人のままだった…」

 有紀は静かに瞳を閉じて、動かなくなった。もう二度と、微笑むことも、夢みることもないのだ。美里は驚愕して、両目から涙をポロポロ流しながら立ち上がり、

「このーっ、有紀ちゃんの仇だ!」

 と、攻撃しようとするフィーロスに接近し「イエロー・ドラゴン」を放った。七色の閃光が四散する。しかし……相討ちだった。フィーロスは苦しみつつ床に倒れて生き絶えた。美里も数本の光剣を胸にうけて、ゆっくりと倒れ込んだ。

 ポタポタ…と血がしたたり落ちる。「ぐうう…」彼女は激痛で全身を震わせながら、コロリと床に転がった「輝石」を震える指先でなんとか手にとると、最後の力をふりしぼって後ろへ投げた。後ろへ…螢のいるところへ…。

 美里は痛みで顔をゆがませ荒い息を吐きながらも自分のちょうど右側に倒れて生き絶えている有紀のほうへ瞳をむけた。そして、震える指先で彼女を掴もうとした。しかし、もう力がはいらなかった。

「……有紀ちゃん……あぁ…もうダメだ…よ。…もう力…が……皆…友達に…なっ…て…くれて…ありがと…ね」

 彼女はそのまま動かなくなった。手が床に落ち、瞳の輝きもきえていった。…


  由香の攻守も限界にきていた。「もう、ダメよ!きりがないわ!!…このぉ」

”レッド・ハリケーン”を何十発放ってもいっこうに亡霊たちの数が減らない。かぞえきれない程襲ってくる。

「もうダメよ!」

 そしてついに、彼女はやられた!亡霊たちの持つ鋭い長剣に何度も刺されて、由香は血を吐いてガクリと膝からゆっくりと倒れた。

「…う……ううっ」苦しみもがき、荒い息で全身を震わせる。力が抜けていく。青白い顔…どんどん血の気がひいていく…。「く…くそっ……あたし…死ぬ…の?……そんな……螢…皆…ごめんね…」

 由香は瞳を閉じ、そして、二度と動かなくなった。……

 きらきらと輝石が「彗星」のように飛んでいって闇の中へと見えなくなった。…

 亡霊たちの群れが猛スピードで空を飛び、戦士たちの頭上を通り過ぎて出口へとむかった。…すべての”死”?すべての”終り”……?


 「癒しの風」は効かなかった。「あ!」妖精が振り向くと、亡霊たちの群れが「時空のゆがみ」から噴出して頭上や横をビュウゥッ!と通りぬけていった。「まさか皆が…?!」 セーラは愕然となった。そして彼女は、床に倒れている螢の顔をみた。…動かない。

「みんなが……そんな」

 きらきらきら…。輝きながら”輝石”はゆっくりと飛んできて、ころん、と妖精の目の前に転がった。「…こ、これっ!…よし」

 セーラはトゥインクル・ストーン(輝石)を手にして、螢の胸にあてがった。ーと、七色の光が四散し、石は螢の中へと消えていった。

「…うぅ」螢の肩が動いた。

「螢ちゃん!!」

「あ。セーラ……皆は?」

「み…皆は…多分…もう……生きては…」

 妖精と螢は悲しみで胸が痛んだ。仲間が!皆が……。「あの…螢ちゃん…」螢は声をかけたセーラのほうをむいた。そして涙をぬぐっていった。

「セーラ、いきましょう!」

「…でも……」妖精は躊躇した。「だいじょうぶ…なの?」

「いくのよ!そして闘うの!!皆のために、宇宙中の人々のために!」

 螢のその決心の言葉は胸の奥から引き出したものだった。妖精は息をのんだ。…螢ちゃん…強くなったのね。こんなに強く。きらきら輝いて。

 セーラは決心して頷き、立ち上がった螢に「えぇ、いきましょう!」と同調した。





  螢と妖精セーラは仲間の死体をみて愕然とした。が、もう立ち止まらなかった。

「皆の”死”を無駄にしないためにも…いかなきゃ!そして…闘って…敵を倒すのよ!!」 螢のその言葉は胸の奥から引き出したものだった。戦士の勇気。復讐…そして運命。

 クレムリンから噴出した亡霊の群れは宇宙中に蔓延し、地球の町並みをも破壊していった。パリ、ロンドン、東京、ワシントンDC、カルカッタ…。それまで地上にそんざいしなかったあらゆる災いが宇宙中に広がっていくようだった。この人類の危機を救えるのはかろうじて螢だけだ。たったひとつのエルピス(希望)……。


  螢はすぐに戦闘体制にはいった。が、「レインボー」を何度も放っても魔の女王ダンカルトにはきかなかった。無数の光剣がダンカルトから放たれ、何度も螢を襲い、辺りの壁や床がふっ飛んだ。剣がかすって服がきれ、螢の腕や額からどっと血が流れた。息が苦しい。「はあはあ…はあ…レインボー……」

「死ね!!マジックエンジェル!」

「どうすれば……このままじゃ皆の死が無駄になっちゃ…う…よ」

「螢ちゃん…もう一度”レインボー・アタック”を放つのよ!」

 …え?そういったのは妖精セーラじゃなかった。死んだはずの有紀達だった。…幽霊?そういえば彼女らの姿は透き通って見える。「螢!」「螢ちゃん、やるんだ!」

「……うん!」

 螢は息をして「レインボー」とお札をかかげた。辺りからオーラが集まる。有紀の…由香の…美里の…妖精の、すべての人々のオーラ。そして、彼女は叫んだ。

「…アターック!」

 すさまじい稲妻が放たれて魔の女王ダンカルトにぶちあたった。虹いろの閃光が飛び散り、辺りは眩しい光で包まれた。「ぐあぁぁあっ」

 辺りが暗くなり、明るくなり、すぐに大爆発を起こした。…妖精は爆風に吹き飛ばされ、気を失った。クレムリン宮殿は大爆発を起こし、すべてが、紅蓮の炎に包まれていった。 こうして世界中に散らばっていた亡霊たちも姿を消し、災いも去った。希望が勝利したのだ。伝説の戦士マジック・エンジエルが人類を救ったのだ!そのかけがえのない生命を投げうって…。


  ロシア・コロニーの天気はかわりやすい。どんよりした雲が辺りを包むようにたれこめ、やがてざあぁっと雨がふりだした。宮殿は廃墟と化し、炎の名残か、煙りが漂ってはきえていった。コンクリートの床に倒れていた妖精セーラは瞳をゆっくりと開けて「螢ちゃんは…?」と空中に飛んで探した。「螢ちゃーん!螢ちゃーん!」

 爆炎でやられたのか怪我をし、羽根もボロボロでふらふらする。やがて、セーラは彼女を発見した。「ほ、螢ちゃん、無事だったのね!」

 螢は両膝を地につき、ガクリと肩を落として下を向いている。傷だらけで、服はボロボロで赤い血が染みついている。彼女は落ち込んでいた。暗いふちにいた。絶望の中にいた。「…皆…死んじゃったよ…。最後に…力を貸して…くれた…けど。もう皆は…生き返…らないん…だよ。…由香ちゃん…も…有紀ちゃんも…美里ちゃんも…。もう…お話することも…笑いあうことも…なにもないんだよ…。…あたし…ひとりぼっちに…なっちゃった…。さびしいよ。…私…そんなに強くなんてないもん……みんながいないなんて嫌だ…よ。願いが叶うっていったっしょ? なら……みんな……罪のないみんなを生き返ら…せて」

 涙が目を刺激して、そして涙が頬を伝わって幾重も手の甲へきらきらと輝きながら落ちた。冷たい雨が、螢と妖精に打ちつける。

「…あ。」セーラは思わず息をのんだ。

 螢の全身から、虹色のオーラが微かにわき始めた。やがて、そのオーラは強く、きらきらとした閃光となり、四方八方へと飛び散った。その光は、由香、有紀、美里の死体にゆっくりと降り注ぎ、吸い込まれた。しばらくして、奇跡はおこった。戦士たちの身体が微かに動いた。指が、手が、肩が、頬が…。

「うう…っ」三人は静かに瞳を開けた。そして、体をおこしてやがて立ち上がった。「…由香ちゃん…」「有紀ちゃん…」「美里ちゃん!」戦士達はふしぎそうな顔で呼びあった。そして、自分たちの体や掌をじっとみた。生きてる!いや、生きかえったんだ!しかも、傷もきえて、痛みもない。……

 螢は号泣して、フト、黙り込んだ。そして、ハッ、として顔をあげて瞳を向けた。声のした方角へ。「螢ちゃん!」戦士達がゆっくりと歩いてくる。螢は涙をぎゅっとぬぐって「みんなっ!」といった。口元に笑みが浮かんだ。「み、みんなーっ!」

 螢と由香、美里、有紀は抱き合った。妖精は少し離れた空中に浮いて、少し陶酔したようなそれでいて幸せそうなきらきらした笑顔をみせていた。

「螢っ」由香がきらきらした笑顔をみせた。四人は強く強く抱き合った。「よくやった、螢。お馬鹿のあんたにしちゃあさぁ!」

 由香は螢を褒めた。

「…ゆ、由香ちゃん!……まぁ、いいや…」



    エピローグ


 例のバカコンビはまた遅刻した。螢と由香は早足でいつもの学校へと向けて駆け出す。「もおっ、また遅刻だよ!」「また水バケツだよ、もおっ」ふたりは何となくそういいながら笑顔になっていた。いつもの平凡な毎日…すべての終り…?いや、違う!また、四人で仲間たちで愉快にやるのだ。華麗に、どんな時もくじけずに闘うのだ。恐れ知らずのエンジェルスたちがまた暴れまわるのだ。

 お勉強の有紀、明日の天才画家の由香、本当は女らしい美里、そして我らがヒロインの螢、と妖精…。それぞれコミットしているジャンルやタレント、キャラクターは違うけど、きっとエンジェルスはまたきらきらと輝くに違いない。…螢と由香は手を握った。そして、笑った。エンジェルスが一緒に闘ったのはほんの一瞬なのにそんな短い間でも仲間の友情・信頼・愛…は二人に実に好ましい影響を与えたようだ。



                               おわり…。

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美少女戦記マジックエンジェルほたる 長尾景虎 @garyou999

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