26.『回想のイドラ』ハナヅキアキさん
「痺れた一文」
「君も、まだアイドル続けたかった?」(『回想のイドラ』ハナヅキアキさん)
アイドルではなく、その語源で「偶像」「偏見」という意味合いの強い「イドラ」をタイトルに用いていることから、このお話は「批判」的な意味合いの強いものなのだろうと思われた。
Wikipediaによれば、
ベーコン『ノヴム・オルガヌム』より4つのイドラ
種族のイドラ:人間の感覚における錯覚から生じる偏見
洞窟のイドラ:個人の性癖、週刊、教育、経験から生じる偏見
市場のイドラ:言語が思考に及ぼす偏見影響から生じる偏見
劇場のイドラ:権威や伝統を無批判に信じることから生じる偏見
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9
などと説明がある。
そのような観点で読み返していると、冒頭のニュース番組で結婚会見をしている国民的アイドルが、結婚の決め手として「料理上手」を挙げているところや、その会見をしているアイドルについて夫が「このアイドル、何歳だって?」と尋ねるところ。同じく夫の「中途半端にアイドルやめて」「永久就職したほうがいいよなあ」という発言などをはじめ、さまざまなレベルの先入観や偏見をうかがわせる記述を多用しているように思われる。
「君も、まだアイドル続けたかった?」
という夫の発言に、わたしはハラハラした。もし、わたしが夫の立場だったとしたら、この質問は絶対にできないと思ったからだ。
この発言は、冒頭のアイドルが「料理上手で、私のことをいつも思いやってくれる」という相手と結婚宣言し、なおかつアイドルを続けると聞き、さらに主人公である「私」が「ファンがいるならいつまでもって気持ちはわからないこともないよね」という言葉を聞いた後に発せられた。しかも、意地の悪い笑みを浮かべ、「私」を見つめて。
「私」が夫の質問に答えられなかったことは、
「何を聞いてくるか想像はできていたのに、その問いに答えはすぐに出せない。困っていると、」
(娘の登場により)「私と夫の会話が遮られたことに半ば安堵した。」
「質問を聞いて動揺したと、夫は気がついているかもしれない。」
などの記述から、明らかである。
その直後に、
「結婚してアイドルを引退したことに、後悔はしてないわ」と「まっすぐ夫のことを見つめて、はっきりと言葉にした」という文章が出てくるのだが、これは過去のもので、おそらくは、結婚引退直後のことではなかったかと推察する。
だが、それから年月がたち、娘が中学校一年生になった今は、そんな風にきっぱりと答えることができない。「自分の気持ちに少しも嘘はなかった。」は、当時の自分の決断を肯定しようとするもので、その決断にずっと縛られていると感じているということを表していたと思う。
回想のイドラ。
それはifの形で自らの心を侵食する。「結婚して一般人に戻ることを選んだ自分が」、「まだ芸能人を続けている彼女らに向かって」「「懐かしいね、元気にしているんだね」なんて思うだけでもおこがましい」という引け目は、自らを卑下すると同時に、そんな風に過去にすがる自分のみじめさに耐えられない、ということなのだろう。
ステージには中毒性があると聞く。自己承認欲求がいかに自らを追い詰めるかを、多かれ少なかれわたしたちは知っている。
回想が回想のまま収まっていてくれればいい。だが、それが現在のみじめさを埋め合わせるために行われるとしたら、それほど悲惨なものはない。
「過去の栄光と言えるほどの時間をアイドルとして過ごしたわけではなかった」とエクスキューズしなければならないような過去にすがりたくなるほど、現実は平凡だったのだ。アイドル時代に思い出は、人生を豊かにするどころか、喪失感だけをもたらした。「ステージの上には、愛する夫も娘もいない。」という想いですら、やけくその常套句に感じられる。
「娘は学校へ、夫は仕事へ行ってしまうと、私は家の中で一人になる。」
「家」は帰属先になりえないだろうか? 娘の学校関係のつながりは、新たな友人関係をもたらさないだろうか? かつて「ステージという共通の舞台の上」にいた「同世代のアイドル」は、本当に「友人」だったのだろうか? 引退した同世代のアイドルと旧交を温めようという気持ちが微塵も生じていないことを「私」は気づかないのだろうか?
「一瞬だけ交わった、もう二度と会わない友人たち。」は「友人」とくくられるべきなのか?
アイドル時代のアルバムを眺めていて、それを「娘」に見つかって、「私」は「娘にはずっと秘密にしてきた」「若いときアイドルだった」ことをカミングアウトする。しかし、娘が小学生の間ずっと「夫」もまた、その秘密を「娘」に打ち明けなかった理由は、単に「私」の意思を尊重してくれたからだったからだ、とは思えない。
「アイドル」と結婚するというのは、なかなかハードルが高いものだと思う。ファンだったのか、ファンではなかったのか、という区分で考えたとき、「夫」は「アイドルの私」のファンだったようには感じられない。なにか、「アイドル」というか「女性」というか「他人」に対する「リスペクト」が、感じられないのだ。
冒頭のニュース番組で結婚会見をしていたアイドルの言葉に「知らない人にも親切にできるところですとか……」という部分があり、それは唐突にも思われたのだが、この発言の全ては「私」の「夫」に欠落している部分が描かれているのではないかと、今は思っている。
「夫」こそイドラの権化なのだ。「夫」はアイドルと結婚し、「私」を引退させたことで支配欲を満足させ、しかも「私」というアイドルに潮時を教えてやったのだとさえ思いあがっている、といえば言い過ぎかもしれないが、現在の「私」が幸せであるとは感じられなかった。
しかし、最後に、娘の前で無意識のうちに封印していた「アイドル時代」を、しっかりと過去の自分として定着させることができたということに、救われる。それは母に対する娘のリスペクトの視線によってもたらされた自信だったと思う。この絆に「夫」が入り込む余地はない。
と、私自身大いなるイドラの思考を進めることができた点が「痺れた一文」の理由である。
以上
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