迷宮の雪山 〜女体山・男体山・二ッ箭山・猫鳴山・屹兎屋山・月山〜

早里 懐

第1話

先週の筑波山登山からずっと頭の片隅に引っ掛かりがあった。


その原因は妻が発したあの言葉だ。


私は何度もあの言葉の真意を妻に問いただすべきか自問自答したが、結局はやめることにした。


妻にとっては何かを意図したわけではなく咄嗟に発した言葉だからだ。


このことについて妻を問いただしても答えは出ないはずだ。


よって、私は山に登ることにした。

妻が発したあの言葉に対して自分なりの答えを見つけるために…。



今週も子供たちの部活動の送迎はない。


妻はレンタルした漫画を本日中に読み終えるという大事なミッションがあるとのことで、私1人での山行となった。


いい機会だ。

今日であの言葉に決着をつけるのだ。



今日登る山は二ッ箭山だ。


いつも歩いている周回コースでは3時間ほどで終わってしまう。


今日は考える時間が必要だ。


まだ行ったことのない屹兎屋山まで足をのばすことにした。


まず目指すのは女体山だ。


御神体である御滝に参拝し、沢コースから登った。


以前に来た時と比べると水量がとても少ない。


しかし、水の音は聞こえる。





山はとても静かだ。


自らの息遣いと衣類の擦れる音。

それに沢のせせらぎしか聞こえない。


これだから山はやめられない。


そんなことを思いながら歩いていると〆張場に到着した。


ここから先の沢コースは初めて歩く。


しばらくは〆張場手前までの沢コースと変化はない。


しかし、沢コース終盤には待ってましたと言わんばかりの急登が待ち構えていた。


ロープを掴んで登るが、ロープが冷たい。


一度立ち止まり、手袋をつけて再度チャレンジした。


急登を登り切ると、尾根に出る。


この急登で相当な汗をかいてしまった。


因みに私は相当な癖っ毛だ。


「毛先は遊ばせるものではない。遊ぶものなんだ」という私の名言もそのことを表している。


そんな私の髪の毛は汗のせいで、すでにクルンクルンだ。


しかし、そんなことを気にしている時間など今の私にはない。


女体山に登った後、二ッ箭山に向かった。


二ッ箭山から屹兎屋山方面へは足を踏み入れたことがない。


長い縦走路となる。


ここであの言葉について考えることにした。


先週妻と二人で筑波山に登った時のことだ。

絶景を眺めるため私は山頂で岩の先端まで行った。


それを見た妻は私に向かって


「怖いから、そんな端っこに行かないで」と言った。


私は妻に心配をかけないようにすぐに妻の元に戻った。


その時だ。


私は少しばかりの違和感を覚えた。


ん?


ちょっと待てよ。


端っこの「っこ」ってなんだ?


この日から私の頭の中を「端っこ」がグルグルと回り出し夜も8時間程しか眠れない日が続いた。


考えれば考えるほど「端っこ」という言葉が私に重くのしかかってきたのだ。


更には、「角っこ」や「隅っこ」などの兄弟も姿を現したではないか。


もうたくさんだ。


これ以上私を苦しめるのはやめてくれ。


この言葉の意味を解明し「だんご3兄弟」ならぬ「っこ3兄弟」の呪縛から逃れるために私は考えを巡らせながら屹兎屋山に向かって歩みを進めた。


そもそも端や角や隅は、それ自体で言葉は成り立っているではないか。


わざわざ「っこ」なるものを付ける必要性がないのだ。


リズムか?

端に「っこ」を付ける人はリズムを欲しているのか?


いや、それは無い。

私の妻は常日頃からリズムを欲しているラッパーではないのだから。

話し言葉にリズムなど求めてはいないはずだ。


そうこうしている間に甥っ子、姪っ子、末っ子、鍵っ子などの親戚にあたるような言葉までもが顔を出し、訳のわからぬ言葉のラビリンスに迷い込んでしまった。


終いには、そんな考えに耽っているせいで無意識にウリ坊の足跡を辿っていた。

そのせいでコースからも外れてしまった。


やはり考えても答えが出ない。


このままでは道にも迷ってしまう。


危険がすぐそこまで迫っている。


こうなっては最後の手段を使うしかない。



そうだ。ネットだ。

ネット検索だ。



結果的に「っこ」は東国方言だそうだ。

因みに東国方言とは関東地方を中心とする地域の方言の総称だそうだ。


これでスッキリした。

方言だったらしょうがない。


私も日常生活で方言は多用している。


それからの山歩きはとても快適だった。

今まで頭の片隅に引っ掛かっていたものが綺麗さっぱりとなくなったからだ。


屹兎屋山の頂上からの景色も良い。


私は屹兎屋山の山頂で軽食を済ませ、来た道を引き返した。


今日も無事に下山できた。



家に着くと妻はミッションを達成したのか、日課である瞑想の時間帯に入っていた。


私は妻を起こさないように…。いや、瞑想の邪魔をしないように、静かに山登りで使った道具の後片付けをしていた。


すると妻がむくっと上体を起こして私の顔を見るなりこう言った。


「髪の毛の先っちょクルンクルンですごいよ」


私はその軽いディスリスペクトに対して「汗をいっぱいかいたからね。シャワー浴びてくるよ」と平常心で返した。


私はクルンクルンになった髪の毛の先っちょを初期状態に戻すためにシャンプーで洗った。


その時だ。


私の頭の片隅に新たな引っ掛かりができたことに気づいたのは。


「っちょ」って…。


また、来週も8時間程度しか眠れない日が続きそうだ。

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