弱者が悪を目指した黙示録

木暮累(ヤヤ)

第一章

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「……だいすきよ、ジル」


 優しい声だった。


 上も、下も、右も、左も分からない、そんな真っ白な空間で、穏やかとも言える音を耳に、少年はそっと目を瞬く。そんな彼の目の前には、ひとりの少女。桃色の髪を肩まで伸ばしたその少女は、髪と同じ色合いの瞳を柔らかに細めながら、もう一度「だいすき」を口にする。


「だから、サヨナラ」


 ぶつり ぶつり。


 映像が途切れるように、少女の姿が歪んでいく。

 それが嫌で嫌で堪らなくて、少年は必死に彼女に向かい手を伸ばした。伸ばして、伸ばして──それで……。



 ◇◇◇



「……んあ?」


 寝惚けたように一言。少年はそこで、夢の中に旅立たせていた意識を浮上させた。


 なんだか懐かしい夢を見ていたような気がする……。


 そんなことを思いながら上体を起こした彼の視線の先、鬼の形相で腕を組む金髪の女が佇んでいる。銀色の鎧に身を包むその女は、目を瞬く少年をギロリと見下げると、僅かに息を吸って、それから腹の底から大きな声を張り上げた。


「ジル・デラニアス!!!!」


 カァンッ!!!、と甲高い音をたて、女の持つ剣先が硬い地面に叩きつけられる。その様子にビクリと震えた少年──ジルは、肩身を狭くするように自然と正座に。ビクビクと震え、青ざめながら頭部に存在する獣耳をへにゃげさせた。


「な、な、なんでしょう、ボス……」


「なんでしょう? なんでしょうだと、貴様……」


 フツフツと湧き上がる怒りを抑え込むように、拳を震わせる女にジルは半泣きに。助けを求めるように辺りを見回し、その場にいる「ギルド仲間」に詳細を求める。


「ど、な、俺今度は何やらかした!?」


「……何かやらかしたって自覚はあんのな」


 呆れているのか、はたまた感心しているのか。

 青い髪をオールバックにした、片目に傷跡のある男が笑いながら苦い顔をした。器用とも言えるその表情に、ジルはやはり、と言った顔に。片手を口に当て、はわわ、と震えてみせる。


「……『何かした』、というよりは、今回は『何かされた』、の方が正しいかもしんねえけどなぁ」


 大柄でふくよかな男が、顔を覆う髭を撫で付けながらそう呟いた。これに、青髪の男の隣に立つ、緑色の髪を持つ白衣の女が同意を示す。


「そうですね。ジルくんは完全に『何かされて』いました」


「そ、その『何か』、とは……?」


「それは……私の口からはとても……」


 恥じらうように片頬に手を当てそっぽを向く白衣の女。ジルはそんな白衣の女にさらに青ざめながら、己の小さな体を抱きしめぶるりと震えた。


 まさか、まさかとは思うが俺の貞操脅かされてないだろうな!?


 思う彼はまだ童貞だ。


「……ジル・デラニアス」


 はぁ、と軽いため息を吐くと同時、鎧の女が疲れたように抑えていた額から手を離し、ジルを見た。ジルはそんな女に対し、縮こまるように小さくなりながら「はぃ」と消え入りそうな声を出す。


「……貴様は今までに何度失敗したか。それは覚えているか?」


「え? ええっと……なんとなく……三十回、くらいは確か……」


「……正確に言えば五十七回だ」


「うそん」


 そんなに!?、と驚くジルに、鎧の女は指折り数えてその失敗を語っていく。


 時にダンジョンで得た宝を紛失・破壊するという失態を犯し、時に持たせた荷物を奪われ逃走され、泣きながらみんなで街中を駆け回る。

 その他にも財布を湖に落としたり、新品の武器を壊したり、魔物を怒らせたり、飯の具材を腐らせたり、罠にはまったり、エトセトラ、エトセトラ……。


 素晴らしい失敗の数々に、ジルは硬直。どんだけやらかしてんだ自分、と自分自身を心の中で叱責してから、恐る恐ると己を見下ろす女を見やる。


「……あの、それで……おれ、今度は一体なにを……」


「……ハナキソウの毒煙を浴びたんだなぁ」


 大柄な男が言った。どこか心配そうなその声色に、ジルは「へ?」と目を瞬く。


 ハナキソウ。通称、黄泉の毒花。

 赤い花弁のソレは近づくと猛毒の煙を吐き出し、相手を死に至らしめる魔の花である。

 そう、ジルはつい先程、下層ダンジョンに咲いていたこの毒花に近づいた。そして、その毒煙を直に喰らったのである。

 白魔道士である白衣の女が急ぎ治癒魔法をかけたお陰で大事には至らなかったが、それでも皆の肝が冷えたのは抗いようのない事実だろう。


 ジルは己の身に起こった出来事に口端を引き攣らせると、「ご、ご迷惑をおかけして……すみません……」と深々と頭を下げた。これに、苦笑する面々の中、唯一鎧の女だけが目を伏せる。それはまるで、この小さくも弱き少年を、哀れんでいるようでもあった。


「ジル」


 女がジルを呼ぶ。


「はい」


 ジルは頭を下げたまま、小さな返事を返した。


「……ジル、お前はこのギルドが好きか?」


 問われたのは疑問。ジルはゆるりと顔を上げ、目を瞬いてから僅かに頷く。それに、女は笑った。悲しげな、それでいて優しげな、嬉しそうなそれは、女の心根の良さを十分に表してくれている。


「私たちも、お前のような努力家の子供は好きだ」


 そう、好きだ。このギルドの者は、誰一人として弱いジルを虐げなかった。寧ろ仲良く、手を取り合い、手を差し伸べ助けていた。


 けれど、それももう限界だろう。


 女は眉尻を下げると、そっと告げる。


「だから、だからこそ、私はこの決断をせねばならない。誰よりも大切なお前が、これ以上危険な目にあわないためにも」


「それ、って……」


「……ギルドを抜けろ、ジル。お前は今この時を持って、追放だ」


 告げられた言葉に、ジルの顔から血の気が引く。

 けれどそれを見て見ぬふりし、鎧の女は小さなジルに背を向け歩き出した。


 誰も何も言わない。


 まるでその決定が当然というように、彼ら、彼女らは次々とダンジョンの出口を目指し歩いていく。


「追放……」


 ショックがありありと浮かぶ顔で、絶望をこれでもかと表しながら、喉の奥でカラリと笑う。そうしてジルは、蹲るようにその場で背を丸め、悔しげに硬い地面に爪を立てた。

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